救出忍者 其の六
魔王の再臨に際して、必要な物は三つ。
一つは、力の根源たる魔王の魔核。
これを介する事によって、魔王という存在を定義する。
二つは、肉体の依代となる器。
これは、新たな時代の魔王となる。
そして最後に、膨大な魔力。
これがなくては、そもそもこの魔法を扱う事はできない。
魔力は、魔族以外の生物が死ぬ際に放出されるものを使用する。
そのように定義された魔法であり、これはマニエルド処刑から魔法の使用を滞りなく進めるための手段だ。
しかし、少なくとも魔力に関しては、マニエルドの逃走を許した時点でグレゴリーの計画は頓挫しているといえる。
アランは知る由もないが、彼は魔王再臨を防ぐ上でこれ以上になく効率的な行動をとったのだった。
だが、それも充分とは言えない。
魔法を使うはずであった邢台の中でグレゴリーを殺した事は、紛れもない失策であった。
当然その些細を把握していないアランにそこまでの事を求めるのは酷なのだろうが、それでも紛れもない過ちなのだった。
グレゴリーの死を感知した魔法は、その際の魔力を介して起動する。
魔核を中心としてその魔力を形作り、まさしく当時の魔王に匹敵するだけの力を再現した。
だが、必要を欠いた以上、正しく作用するのはそこまでだ。
すでに死んでいるグレゴリーは依代としての役割を果たせず、魔王となるはずだった“それ”は肉体を持たない単なる力の奔流と成り果てる。
災害である。
人類史上他に類を見ない大災害。
アランは、まさしくそんなものと対峙している。
◆
「なんだよ、これ……」
渦、としか表現できない。
空中に、禍々しい、重々しい力を撒き散らす渦。
一瞬、黒いのかと思ったがそれは違う。
魔力の濃度があまりにも濃すぎて、色を持つかのように錯覚してしまっているのだ。
グレゴリーの死体を喰らうようにして現れたそれは、いまだかつてないほどの強大な力をたたえてなおも肥大化している。
実体が、ない……
よく目を凝らせば、その向こう側の景色が透ける。そもそも魔力なのだから視界を阻害する事自体がおかしいのだが、しかしそれが物理的な肉体を持たない事は確かであるようだった。
魔力の塊。これは、およそ生物とは呼べない厄災なのだ。
「触っても、意味はなさそうだな……」
実体がないのであれば、殴る蹴る斬る叩く締めるなどといった行為に意味があるようには思えない。
ならば、僕にできる事なんてものはたった一つしかないだろう。
「…………ッ!」
結局は、拳を打ち付ける。
単なる物理干渉で影響を与えられないとしても、僕の魔力ならばあるいは対抗できるかもしれない。
火落影牙狼王によって強化された身体能力で瞬時にその黒い塊に肉薄(肉などないようだが)した僕は、ありったけの魔力を込めた拳をただ真っ直ぐに打ち付けた。
「……おっと」
何も感じない。
空気を掻いても何が起こるわけでもないのと同じように、僕の腕はただフワリとその場を突き抜けた。
予想通り、何もない。
しかし、何も起こらなかったわけではない。
「やっぱり、魔力……か」
魔力の塊である以上、同じく魔力でなら干渉ができるかと考えたのだ。
僕の拳に込められた魔力は、確かにこの塊を削り取った。
しかし……
「日が暮れるな、この調子じゃあ……」
結局のところほんの僅か。
ただでさえ強大な力の集まりに対しては、僕の魔力はどうにも小さ過ぎる。
決して、力不足というわけではない。現に、この塊の一部を削っているのだから。
しかし、その規模が明らかに不足しているのだ。
力を集中する事によって能力を向上させる火落影牙狼王が、裏目に出ている。
だが、それでもこれを解くわけにはいかない。
火落影牙狼王最大の特性は、その強固な防御力にあるのだから。
グレゴリーの魔法を防いだように、この力はかなり高い防御力を発揮している。
現状で、この防御を放棄するわけにはいかないのだ。
なにせ……
「腕が……」
僕の腕は、動かす事もままならないほどの痺れに見舞われていた。
黒い塊に触れた部分だ。魔力で補助してなお、火落影牙狼王で強化してなお、アレからの干渉を防ぐ事ができなかった。
何も感じなかったのは、実体がないためだけではないという事だ。
もしも素手で触れていたなら、一体どうなっていただろうか。
消えて無くなっていたのか、腐り落ちていたのか、弾け飛んでいたのか。
いずれにせよ、望ましい事ではない。
ただ触れるだけで、あらゆるものを壊す災害。
しかもなんと、この黒い塊は動き始めているのだ。
「行き先は……港、か? だとしたら困るな」
港には、クラークが船を用意している。師匠もそこに向かっているはずであり、こんなモノに向われると非常に困る。
早急に、なんとかする必要がある。
放ってなど、おけるはずもない。
ともすれば命がかかる局面。不思議だが、僕は恐れてはいなかった。
師匠を助けられ、あとはクラークが逃してくれる。
当初の目的であった闘技大会の優勝もできた事だし、もう思い残す事はない。
最後に、ちょっと世界を救うのも悪くない。
目撃者がいないので讃えられる事はないかもしれないが、それでも自己満足くらいにはなるだろう。
僕は、気分よく死ぬのだ。
そんなつもりだった。
確かに、そうだった。
「——私の弟子に何をするかぁ!!」
声が、聞こえた。
聞き間違いなどではない。
前にユグドラルトレントを倒した時のそれを彷彿とさせる雷が、黒の塊を轟音と共に撃ち抜いた。
騒がしいな!?
「師匠!? なんでぇ!?」
「いや……ごめん、止めたんだけど……」
「テメエ魚野郎! 何のために任せたと思ったんだ!」
「漁師を魚野郎って言うのやめろぉ!」
僕が何のために逃したと思ってるんだ!
あたかもそこにいて当然と言わんばかりの師匠は、こちらを無視して塊の方を見ている。
僕がどれだけ苦労して逃したと思ってるんだふざけやがって。
「……随分と賑やかなのね」
「いやお前も何でいるんだよ」
オマケと言っては何だが、フローレスまで来やがった。
見てみろ、この場所の雰囲気が一気にラフになった。
ただ一つ、喜ばしい事もある。
とりあえず、負けなさそうだという事だ。
「逃げろって言ってんだよババア!」
「ぬしの言う事など聞くか! 弟子が師に意見しようなどおこがましいわ!」
「オレは逃げろって言ったからな! このチビの勝手なんだからな!」
「貴方達緊張感ってものがないの!?」
……大丈夫、負けない負けない。
多分、恐らく……
……ちょっと自信なくなってきた。




