招待忍者 其の二
千年前。
人類の歴史には記されていない事ではあるが、勇者は魔王に敗北した。
魔王軍の元最高幹部であるマニエルドの助力によって逃亡には成功するものの、勇者が受けた傷は深い。
身体にではなく、心の傷だ。
敗北の裏には、苦楽を共にした仲間の裏切りがあった。
魔王の力に魅了され、自らもその力を欲したのである。
それこそが、大魔術師の異名を持つグレゴリー・エイス・バーンズ。
歴史上においては最後まで勇者に尽くし、魔王討伐において多大なる貢献をしたとされる人物である。
◆
現在。
僕達は、グレゴリーの屋敷へと通されていた。
意味があるのか分からないほど広い廊下を、グレゴリーと何人かのメイドに囲まれて歩く。
賢者としてこの国の地位を確固たるものとする彼にとって、普通の家だ。
伝承によると彼の生まれは貧しい農村であったとされるが、彼が畑を耕す様など現在の姿からは想像もつかない。
「また会えて嬉しく思いますな、マニエルド殿」
「私は今すぐにでも死にたいよバーンズ」
「いいや、今の私は賢者ジェレミー・アトウッドですぞ。そのように呼んでくれると嬉しいですな」
不気味だ。
不気味なほど気軽い口調だ。
およそ、この世を貶めた大罪人であるなどとは思えないほどに。
「……貴様は、一体何故ここにおるのじゃ?」
「質問の意図がわかりませんな」
「戯れるな。いかに貴様が人類史上他に類を見ぬほどの悪辣であろうと、千年を存える事などできようはずもない」
師匠は、震えそうになる声をなんとか抑えて話しているようだった。
しかし、僕の服の袖を掴んだ手を見れば、その恐怖は明らかだった。
「その疑問に答えるには、この部屋に入ってからの方が都合がいいでしょうな。ささ、お先にどうぞ」
「…………」
明らかに怪しげであるものの、しかし逆らう事はできない。
周りを囲まれた状況においては、行動の決定権は相手にあるのだ。
「君達は出ていなさい。私が呼んだら来るのだ」
そう言って、グレゴリーはメイドを部屋から追い出した。
これは、こちらにとって都合がいい。傷つけたくない相手が手の届く範囲にいないのならば、僕と師匠の二人掛かりで無力化してしまえば逃げ出せるのだから。
その部屋は、ほとんど何も置かれていなかった。
家具はなく、窓もなく、敷物や壁紙すらもない丸裸の部屋なのだった。
ただ一つ、部屋の中央には、黒々とした宝石のような物が置かれている。
掌にすっぽりとおさまる程度の石だ。装飾品とするには相当大きい。
ジッと見ていると、その中に落っこちてしまいそうなほど深い色をしているのだった。
そして何より、その石は魔力を帯びている。
「それは一体……」
聞こうとして、言葉に詰まる。
師匠が、僕の腕に抱きついてきたのだ。
声も上げられない様子だった。
師匠は、瞬きもせずにその石を凝視している。
息は酷く乱れ、体の震えなど賢者を見た時よりも激しい。
「それは何だ」
今度は、グレゴリーに問い掛ける。
強く、嫌悪を込めて。
「これは魔核ですな。強大な魔族が死んだ時、その魔力が結晶となってそこに残るのです。魔族以外には見られない、とても稀有な現象ですぞ」
「…………」
何となく、どういう訳なのかわかった気がする。
師匠の怯えよう。グレゴリーの生存。魔核という物の特性。
その全てが深く関係しているというのなら、僕の考えはかなり的を得ているだろう。
すなわち……
「それは魔王の核と、そういう事か」
「おやおや、意外に賢いですな。マニエルドの腰巾着だと侮っておりましたぞ」
「ふざけんなぶっ殺すぞ」
本当なら、否定して欲しかった。
魔王の魔核。そんな物、つい今まで魔核など知らなかった僕でも分かるくらいに危険だ。
絶対に、ろくでもない事が起こるに決まっている。
せめて、一見して分からない物であって欲しかった。
危ないのか危なくないのか分からない程度の物など、魔王に比べれば大した物であるはずなどないのだから。
「つまり、アンタはその魔核をどうにかして長生きしていると、そういう事か?」
にわかには信じられない。しかし、魔王という超常の存在から影響を受けていると考えるのなら、あながちあり得ないとも言えないのではないだろうか。
なにより、魔王自身がほぼ不死であったと聞く。ならば、その力によって存える事ができる可能性は否定できない。
それが、考えうる中で最も最悪の事態。
そう、思った。
……そう、思い違った。
「違いますな」
杞憂だったろうかと、ほんの一瞬だけ思った。
瞬くよりも僅かな時間。しかし、確かに楽観した。
その油断が、次なる行動を遅れさせる事となる。僕が思い浮かべる程度の最悪など、高が知れているのだと思い知った。
「不死は“これ”のお陰ですな」
「……っ!!」
その言葉は、自らの甘さを知るに充分だ。
グレゴリーが行った事などローブをはだけさせた程度の事だが、それこそがあまりに絶望的だった。
グレゴリーの露出した胸元には、目の前の魔核と全く同じ石が輝いているのだから。
「魔王様のお力が石ころ一つに収まるはずがありますまい。私は、このように幾つにも分かたれたお力の一端をお守りしているに過ぎないのですな」
「破壊しろッ!」
「……御意に!」
グレゴリーの言葉など聞いている暇などない。
次の瞬間には口を封じられてしまうだろうと直感した僕らは、せめてグレゴリーの力を削ごうと速攻を仕掛けた。
師匠は中央の魔核へ、僕はグレゴリーへ。
それぞれが全霊を込めて、それぞれの標的を無きものとするために。
ただ一つ、師匠の言葉に僅かに遅れてしまった事が悔やまれる。
もしそれがなかったなら——
「おっと、なかなか優秀ですな」
——もし遅れていなかったなら、あるいはこんな結果にはならなかったかもしれない。
「ぐっ……!?」
あえなく、容易く、僕の速攻は防がれる。
グレゴリーの胸元へと伸ばされた手は余裕をもって受け止められ、空いた方の手で頭を弾かれる。
明らかに魔力によって補助された力で打たれた頭からは、生温かい液体が流れ落ちる。
幸い命に関わるような深いものではないが、それは相手が手加減したからに他ならない。
僕を簡単に無力化したグレゴリーは、当然師匠を捨て置いたりしない。
魔核へと直進していた師匠よりもなお早くその場所へと先回ったグレゴリーは、驚いて走るバランスを崩す師匠を優しく受け止めた。
それは、余裕の現れ。
殺す事すらできたはずの僕たちに手加減するという事は、それ以外に考えられない。
彼にとって、僕たちは殺すまでもないような矮小に他ならないのだ。
「何が……」
「い、一体……!」
僕と師匠は、同じ事を口にする。
その疑問をあと数瞬早く抱いていれば、あるいはこれよりマシな結果になっていたかもしれない。
頭から血は流れておらず、師匠は捕まえられる事などなかったのかもしれない。
僕が反応を遅れさせてしまったせいで招いた結果だ。グレゴリーに向かったのは僕なのだから、グレゴリーの相手は確実にしなくてはならなかった。
「なぜ、魔法が使えないんだ……!」
二人で、同時に、口にした。
手も足も出せないその原因は、全くもって不可思議な現象によるものだった。




