招待忍者 其の一
「逃げようアラン! 関わってはならん! い、今すぐにこの街を出よう!」
何が起こっているのか。
師匠が何を言っているのか。
僕には全くわからない。
ただ、そんな師匠の姿を見て、楽観できるほど愚かではない。
「行こう……!」
事態を理解できなかったとしても、状況が分からなかったとしても、しかしその言葉を後回しになどできるはずがない。
一分でも、一秒でも、一瞬でも早くこの場を離れ、話はしかるのちに落ち着いて聞けばいい。
そう思い、行動は早かった。
——が。
「どこへ行かれるのですか?」
「……ッ!?」
背後。
僕は……師匠ですら、全く気配を感じる事ができなかった。
いや、それどころか、今もって気配などしない。
声を聞き、振り返り、その姿を目に収めてなお、視覚以外の感覚がその存在を否定している。
そんな女性が、そこにはいた。
「……いや」
そこには、ではない。
周りを見ると、僕らは完全に包囲されているようだった。
いったいいつからそこにいるのか、全く分からない。そしてさらに不気味な事に、その全員が全く同じ格好をしているのだ。
一見すれば、ごく普通のメイド服を着た女性だが、しかしその異質さがチグハグとして感覚を狂わせる。
マクドニスの家にいた普通のメイドと何が違うのか全くわからないのに、確かに違う事だけがハッキリと分かるのだ。
気持ちが悪い。
どうしても、そう思ってしまう。
「アトウッド様は、アナタ方をお待ちしております。もしも反故になさるのならば、相応の対応をせざるを得ません」
「あなた方……?」
違和感。
なにせ、賢者が話していたのは僕なのだから。僕だけなのだから。
「はい。闘技大会優勝者であるアラン・マクドニス様及びにマニエルド・狂エルフ様の御二方をお連れするように命を受けております」
「狂エルフ……!」
その言葉を知るのは、千年前の存在だけだ。
つまりは勇者の時代の、あるいは魔王の時代の。
彼女は、そんな時代の人間なのだろうか。
それとも、そんな時代の魔族なのだろうか。
クラークのように、人の姿をとる魔族は珍しくないと聞いている。
擬態する者もいれば、そもそもほとんど人間と同じ姿をしている者もいる。
ならば、あり得ない事ではない。
例えば魔王軍の残党が、クラーク以外にいる事など、充分に考えられる。
だが、そうではないような気がしていた。
師匠は、魔王軍の最高幹部だ。
仮に魔族が目の前に現れたとしても、これほど怯えるような事にはならない。
事実クラークと会った時は取り乱したりしなかったし、そもそもマグナ・ドラゴにすら怯まなかった師匠を怯えさせるような存在がいるはずもない。
ならば……現状は一体……?
「アトウッド様からは、手荒な真似は控えるよう言われております。できれば、大人しくなさるのがよろしいかと」
「いいや、押し通らせて……」
「ま、待て、アラン!」
師匠が、僕の腕を押さえる。
「奴の手口じゃ! こ、この娘は、あの者に操られておる!」
「操られて……、そんな事ができるものなんですか?」
「普通はできん……じゃ、じゃが、あの者ならば可能じゃ! あらゆる禁術に手を染め、目的のために手段を選ばんあの者ならばっ……!」
師匠の手は震えている。
今にも泣いてしまいそうなほどの恐怖が、その手から感じられるほどだ。
なるほど確かに、操られているというのならば、手を出すわけにはいかない。
それを見越して彼女をよこしたのだとすれば、賢者とは僕が思っている以上の食わせ者だ。
逃げ場の少ないこの場所で、完全に周りを囲まれている。その上、ジェレミー自身がすぐさま参じられる場所にいるのだ。この二つの条件を満たす限りにおいて、全く犠牲を出さないままでの現状離脱はなし得ない。
それをわかっているからこそ、この状況を生み出したのだろう。
「一体何者なんですか? 賢者は、もしや魔王軍の……」
「い、いや違う……! 奴は、確かに人間じゃ! しかし……もっと……奴はもっとおぞましい!」
いよいよ何者なのか分からない。
人間であり、師匠の事を知っていて、魔族よりも恐ろしい存在。
全くもって、見当がつかない。
今にも泣きそうな師匠は、先ほどから瞬きもせずにいる。
声の震えも、呼吸の不規則さも、本人の意識下にあるものではない。
そのままにしておけば、すぐにでも嘔吐してしまいかねない。
そのように思ってしまうような有様だった。
「奴は……! 奴本来の名は! グレゴリー・エイス・バーンズ! 当時の国王から“大魔術師”の称号を与えられた傑物じゃ……!」
「……グレゴリー?」
そこまで聞くと、ようやく僕にもわかった。
いや、それどころではない。
この世界に住んでいる中で、その名を聞いた事のない人間など、ただの一人も存在しない。
なにせその人物は——
「——あの、勇者一行の大魔術師グレゴリー・エイス・バーンズですか!?」




