闘技勇者 其の八
誰一人として、私の相手になるような者はいなかった。
やはり、私の考えは当たっているのだ。
何十もの試合を行い、ただの一度もフード男と違う時間に行われるものはなかった。
同じだけの対戦相手がいて、ただの一人も相手にならなかった。
あまりにも不可思議。
これが、ただの偶然であったならば。
これから、決勝の試合が始まる。相手は言うまでもなく、フード男だ。
「フローレス、準備はいいかい?」
「はい、お兄様」
レナード・ハミルトン。
私の兄であり、騎士団の若き星。本来であれば本戦へと勝ち進み、ともすれば決勝の相手だった男だ。
とてもではないが、私の控え室で微笑んでいていい人材ではない。
もっと凛々しく、猛々しく、荒々しくあるべき人間だ。
「負けた私の助言など必要ないかもしれないが、気を付けなさい。彼の魔法は素早いよ」
「お兄様、そんな言い方なさらないで。私が、お兄様の無念を晴らしますわ」
「討ち死にしたみたいな言い方はよしてくれよ」
お兄様が笑う。
その薄ら笑いが、あまりに痛々しく思った。
私が勇者であったばかりに跡目を追われ、おかしなフード男のせいで腕節まで貶められた。
腹を立てずになどいられるはずはないというのに、お兄様はいつも優しげに見えた。
それが、あまりに痛々しい。
この試合を制す事によって、お兄様の気持ちは晴れるだろうか。
私がただの勇者ではなく、フローレス・ハミルトンなのだと知らしめれば、あるいはお兄様の気持ちを軽くする事ができるかもしれない。
勝ちたい。
勇者などいらなかった。ただの少女でいたかった。
これほどまで職業に人生を歪められるなど、思ってもみなかった。
「行っておいで」
「……はい」
痛々しいほどに優しいお兄様に背中を押され、私は大きく一歩踏み出す。
その暖かい手のひらからもらった力は、何者にも負けないような気がした。
……そのはずだった。
◆
闘技場。
王都の中にいくつかある施設で、普段は騎士の訓練などに使われている。
ここは、その中でも最大規模の場所だ。
「……熱いわ」
日差しがという意味ではない。
人の視線が、歓声が、期待が、熱くてたまらないのだ。
貴族は元より一般にすら、勇者の存在は知られている。この場の全員が、当代の勇者の実力を楽しみにしているのだろう。
なにせ、ここまでの試合は全て、観客を伴わない会場で行われたものだったのだから。
どうやら、フード男はまだ来ていないらしい。
ただ、試合時間はもう間も無くなのですぐに来るだろう。
それまでの辛抱だ。
試合が始まれば、こんな煩わしい歓声など気にならなくなる。
誰もが、私を指差して笑っている。
そこに悪意はないのだとしても、私にとって不快である事に変わりはない。
中には、見知った顔も散見される。
領地が隣同士のモーティマー伯爵、お父様の旧知であるセシル騎士団長、家同士の交流もあったマクドニス侯爵。
私の事をよく知るだろう彼らも、今ばかりは私を見てはいない。
勇者を、見ている。
賢者ジェレミー・アトウッドもそうだった。
彼はただの一度たりとも、私の事を名前で呼びはしなかった。
常に『勇者殿』と呼んでいた。
それが不快でたまらない。
今、この場の観客の全てがその類だ。
この場にいる誰一人として、私の事をフローレス・ハミルトンとは呼ばないだろう。
当代の勇者。
彼らにとって私は、そのような漠然とした存在なのだ。
「きたぞ! フード男だ!」
観客の誰かがそう言った。
歴史上初めての、一般参加者からの本戦出場者。その上、決勝にまで駒を進めている。
私ほどではないにしても、なるほど注目株なのだった。
「……え」
その姿を見て、私は驚く。
概ねは、情報に聞いていた通りだ。
ロングコートで身を隠し、フードを被って顔も見えない。
どうやら魔法を扱うようだが、詳しい話を聞いていない私にはそれ以上の情報はなかった。
しかし、驚いたのはそんな事ではない。
「アラン……?」
観客の声は、もう聞こえていなかった。




