脱出忍者 其の三
小山の如く体躯を轟々と唸らせ、それは師匠を睨んでいた。
「あんなモノの膝下で暮らしておったとは、ゾッとするのう」
まるで、大森林すべてが集結したかのような存在を前にして、師匠はあくまで同じ調子だった。
「に、逃げましょう師匠。あんなの勝てっこない……」
「逃げ出したいのは山々じゃがのう、アレ動いとるようなんじゃよなあ」
「え、ウソ!? マジだ!!」
大した速さではないが、それでも真っ直ぐに師匠に向かっている。
森が動く様は壮大でありながら、恐ろしく不気味だった。
「私が逃げてしまうと被害が出る。せっかく千年振りなんじゃ、できれば壊される前の世界が見たいのう」
「あ、アレを倒すという事ですか……?」
「なんじゃ鋭いの。ぬしにも手伝ってもらうでの」
「ムリムリムリムリムリムリ……」
「なんじゃ、さっきまでの頼もしさがすっかり引っ込んじまいおって」
なんでこの人は楽しそうなんだ? なんで笑っているんだ?
僕なんてガタガタ膝が笑って身動きも取れなくなっているというのに、何がそんなに面白いというんだ?
やっぱり逃げるべきだ。
そう思うも、師匠はこの場を動いてくれない。
「おいおい、そんなで良いのか? あんな程度に勝てないようでは、勇者の相手など夢のまた夢じゃな」
「……は?」
勇者……? 師匠はそう言ったのか?
「私が知る時代の勇者は、あんなモノ一太刀で両断しておったわ。当代の勇者がどれほどの担い手かは知らんが、私が知るそれよりも遥かに劣ると考えるのは楽観じゃろう」
師匠は、わかっている。
僕がフローレスの打倒を考えている事に、気が付いている。
「え、いやぁ、でも、もっと強くなってからで良くない……? こんな強いのそれからで良くなぁい?」
「ぬしが強くなるまで勇者が強くならんと思っとるのか? 中々の理想主義者じゃ」
「…………」
返す言葉が見つからない。
そう、その言葉は、紛れもなく心理。
この場で先送りにする問題は、きっといついかなる時も同じように先送りにする。
そうして逃げ続けた先に、きっと僕の目標はない。
「……やるよ」
「お、なんじゃ聞こえんな?」
「やってやるよ師匠!! もう僕は二回もフローレスから逃げてるんだ! これ以上逃げてたまるか!」
「はっは! 言いよるわ童が! それでこそ男じゃ!」
勘違いしていた。
強敵が突如として現れたのだと、そう思っていた。
違うのだ、突如としてなどしていない。
なにせ、僕の前には初めからいたのだから。
勇者、父上、そんな強敵が、初めから立ち塞がっているのだ。
今更一人増えたところで何が変わるというのか!
「師匠! こいつは僕がやる!」
「待て待て流石にそこまでは求めとらんわ待て待て待て待て」
止められてしまった。
ようやく乗ってきたところなのに……
「私が丁寧に焼いていくからの、私の撃ち漏らしをぬしに頼みたいんじゃ」
「撃ち漏らし?」
「ああ、こやつは木の根で攻撃を仕掛けてくるでの。それを……ほれきたぞ」
「うぁわ!?」
【魔法:ファイアーボール】
目にも留まらぬ速さとはこの事だった。
突如として地面が盛り上がったと思ったら、次の瞬間には根っこがしなって飛び出してきたのだ。
僕の体よりも太い木の根が、まるで鞭のようなしなやかさを見せる。その質量にものをいわせた単純な攻撃だが、単純だけに強力だった。
「こ、こんなの何度も防げませんよ!?」
「じゃからほとんど私がやる。本当なら私だけで済ませたいがの、千年振りでなまっておるわ」
平気な顔で、師匠は笑う。
必死な僕とは大違いだ。
「なぁに、そう長くはかからんよ。私のこれが完成するまでの辛抱じゃて」
そう言うと、師匠の足元に巨大な魔法陣が現れる。
確か、初日に師匠が言っていた魔術の最奥のうちの一つ。
細かく簡単な魔法をいくつも使って魔法陣を描き、その描いた魔法陣で強大な魔法を扱う。
全ての魔法を高い精度によって制御しなければならない職人技であり、ほんの僅かな乱れが事故につながる。
己の身一つで大魔法を扱うには必要となる技術だが、少なくとも僕が知る限りそんな事ができる人間はいない。
あるいは、王国直属の『賢者』ならば扱えるのだろうか。
「さぁて、やるぞ。自然破壊じゃ!」
「やってやる……!!」
驚くべきは、その大魔術を組みながら自衛まで行うところだ。
師匠は、まるで湯浴みでもしているかのような表情で大魔術を行使し、その上でなんでもなしという風に襲いくる木の根を撃ち落としていく。
「アラン、右じゃ」
「! 御意……!!」
時折くるそんな指示に従って、そちらから来る攻撃を迎撃する。
たったそれだけの事ですら苦労している僕とは対照的だった。
その上、ユグドラル・トレントの攻撃は時間が経つ毎に激しくなっていく。
カログラット大森林の全てを肉体とする魔物にとっては、物量なんてものはほとんど無尽蔵なのだろう。
「し、師匠……! もう……!!」
「おうさ、よう耐えたの。もう終いじゃ」
時間にしてほんの数分程度だったろう。
しかし、その数分は僕の人生の中で最も濃い時間だったと言える。
「耳を塞いで口を開けろ! 私の魔法は轟くぞ!」
空がにわかに暗くなる。
見るからに自然のものではない雲が、瞬く間に景色を包んでしまったのだ。
そして、それから起こる魔法を、僕は見る事ができなかった。
覚えているのは、強烈な閃光。そして、強大な轟音のみだ。
後から聞けば、落雷だったらしい。
師匠はユグドラルトレントの身を丸々包み込むほどの雷を魔法によって生成し、一瞬にして破壊して見せたのだ。
後に残るのは焼け焦げた臭いと、つい先ほどまで師匠の命を狙っていた木片のみ。
僕が目を開けた時には、無傷の師匠が笑っていた。
「ああ、疲れた。アラン、受け止めよ」
「え? あ!」
師匠が両手を上げて倒れるので、僕は慌ててその体を受け止めた。
「師匠が軽くて良かったです。咄嗟でも受け止められました」
「なかなか女の扱いが分かってきたようじゃな。しかし、私が小さいからだと顔に書いておるぞ!」
クッソ、敵わねぇ……
「凄い魔物でしたね。それを倒した師匠も凄い」
「なぁに、あんなものは大した事ではない。ただ大きいから大層な名前がつけられとる、ただのトレントじゃて」
充分怖いけど。
「アラン、私はずっと考えておったのだが」
急に、師匠が真面目な顔になる。
「どうしたんです?」
「いやさ、ぬしのスキルの事じゃ。魔法を変化で補助する技術、なかなかに爽快であったわ」
「そ、そうですかね」
改めて言われると、少し照れてしまう。
実際、今の戦闘ではいつもより上手く扱えた気がする。変化してから魔法を行使するプロセスが、必死になっていた分スムーズにできていたように思う。
「じゃからのう、そろそろ名前が必要じゃろうて。努力によって生み出された力には、名前がつけられるものじゃ」
考えてもみなかった。
名前、僕の力に。
それはつまり、この力が本当の意味で僕のものになるという事だ。
これからどれほどの人間がこの技術を使う事があろうとも、永遠にこの力は僕のものであるという事だ。
「……よ、よろしければ、師匠がつけてはくれませんか?」
「私が? そうさな、少し待て……」
師匠は、少し俯く。
しかし長くはかからなかった。
「ぬしが暗きを狩りとったという意味に、ぬしの焔を合わせ、【忍法:暗狩焔】というのはどうじゃろう?」
その日、僕の力に名前がついた。
この力は、真の意味で僕のものとなったのだ。




