脱出忍者 其の二
最初に不思議に思ったのは、師匠に弟子入りする直前の事だった。
木の葉隠れの術で姿を隠す時に、僕が持つ短剣や服まで相手から見えなくなるのはなぜだろうと。
いや、それが相手から見えていると素っ裸でなくては機能しない欠陥スキルという事になるのだが、そうならないのはどうしてだろうと思ったのだ。
だから、試してみる事にした。
例えば、僕の所持品は全て術の効果範囲であるという説を立てる。
なるほどそれならば、僕が持つ物まで見えなくなる理由にも納得がいく。
という事で、その検証をする。
僕の短剣を地面に置いて、僕自身はその場所から距離を置く。その状態で短剣が見えないようならば、僕の所持品は例外なくスキルの対象なのだろうと予想できる。
だが、そうはならなかった。
通り行く獣達が、明らかに短剣に反応するのだ。例えば匂いを嗅いだり、避けて通ったりといった風に。
ならば、おそらくは僕から離れている物には効果が及ばないのだろう。
次に、短剣に紐をくくり付けた。その紐の逆端を自分の手で持ち、同じように地面に置く。僕と間接的に接している場合にはどのような反応をするのか調べるためだ。
結果は不発。
接していようと、接していまいと、離れていればスキルの対象とはならない。
ここまでは、ほぼ予想通り。
意外な結果となったのが、その後だった。
僕が、実験用に置いていた短剣を拾い上げようとした時、レオブラッドが姿を表したのだ。
身動き一つも取れない緊張感の中、僕は短剣を拾い上げる直前の体勢で硬直していた。
どれくらいの時間がかかったかわからないが、レオブラッドが通り過ぎるまではずっとそうしていた。
そしてその時、気がついたのだ。
こいつ、短剣に気が付いていない。
僕は短剣に触れておらず、その上地面に置いている。その状態で、レオブラッドは短剣に気が付かないのだ。
結局、レオブラッドは何事もなくその場を通り過ぎた。
しかし、その何も起こらなかった時間は、僕にとってこれ以上になく有意義だったと言える。
「つまり、そのスキルで私も消してしまうと?」
「その通りです。スキルの範囲内であれば、可能だと思います。具体的な効果範囲は、僕の心臓を中心として身長分。その内側にさえいれば、結界の影響を受けないのではないでしょうか」
その後の検証の賜物だ。多少手間はかかったが、この時のためだと思えば惜しい時間ではない。
「確実とは言えないものの、充分勝算はあると思います」
「…………」
もしも、師匠がこの森に思い入れがあるのなら、無理にとは言わない。
ただ、僕はこの森を出るしかないだろう。師匠が言う事ももっともだし、何よりおそらく来るだろう報復が怖い。
今回は10人程度だったから対処ができたが、もう少し大規模でこられたらひとたまりもない。
そして、勇者フローレスが直接来たならば勝機は皆無だ。
練度という面で言えば、当然兵士たちとは比べるべくもないが、純粋な戦闘力ならばフローレスに軍配が上がる。職業を授かって一ヶ月も経っていない僕が三つもスキルを覚えているのだ。フローレスならば、さぞかし強力な能力を発現しているだろう。
単純な戦闘力を前にして、にわか仕込みと小細工では勝機などない。
だから、ここには残れない。
一度は追放され、もう一度は逃亡。僕は二度にわたってフローレスから逃げ出さなくてはならないのだ。
当然悔しさはあるが、それでもまだ戦うわけにはいかない。戦って勝てる相手などでは断じてない。
少なくとも、今はまだ。
「……千年……長いものじゃが、過ぎてみればあっという間じゃったかも知れん。試してみるか、ぬしの策を。私は、千年後の世界を是非とも見てみたい」
「御意に……!」
言われるが早いか、僕は師匠を抱き上げる。背中と膝の後ろに腕を回して、師匠を横向きに抱える。
師匠が小さくて良かった。抱き上げやすくて仕方がない。
「この歳でお姫様抱っこか……長生きはしてみるもんじゃな」
師匠って何歳なんだ? 千歳以上は間違いないが。
「女性の年齢に……」
「失礼なんでしょう!? わ、分かってますよ、そんな事言ってないでしょう!」
「顔に出ておるわ間抜けが」
辛辣なようでいて、師匠は笑っていた。
これ見よがしに満面の笑みを浮かべているのではなく、俯きがちに、恥ずかしそうに、今にも開くつぼみの隙間から色が覗くように、微かに笑っていた。
年甲斐もない事をする。こっちまで恥ずかしくなってしまうじゃないか。
「ちぇい」
「痛い!? で、デコピン!?」
「顔に書いておると言っとろうが」
クッソ、勝てねえ……
そんなやり取りをしながら、僕たちは森の中をいく。
この森、認識阻害のせいで迷ってしまうが、実はそこまで深いわけではなかったらしい。
当然、大森林と言われるだけはあるが、それでも師匠の家から森の外までは直線で一時間も歩けば足りてしまう。
「ぬし、良い職業に就いたのう」
「嫌味ですか? これのせいで僕は追放されたんですよ」
「嫌味なものか。ぬしはこの職業のスキルをよく理解し、よく活用できておる。合っているのじゃよ、職業とぬしがのう」
「…………」
合っている。
なるほど、そんなふうに考えた事はなかった。攻撃手段を持たないために、弱い職業なのだと断じていた。
少し……ほんの少しだが、胸のあたりが軽くなった。
「ありがとう師匠」
「別に礼を言われるほどの事でもない……ほら、外が見えてきおった」
見ると、たしかに光が見える。
この森に来てから何度も見ている光景だというのに、不思議と心にくるものがある。なにせ、師匠はあの光を、もう千年も見ていないのだ。その事を思うと、感動せずにいられない。
「千年……振りじゃな……」
それは、あるいは世界への挨拶。
空を見上げ、草原を見渡し、あるいは千年前にはなかったのかもしれない街道を目にしてため息をつく。
その呼吸すらも千年振りだ。閉じこもらない空気が、ようやく千年振りに体を通った。
——しかし、その感動に水を差すものが存在した。
「な、なんだ……??」
突如として響く轟音。大地は揺れ、空は割れているようだった。
まるで世界が怒りに震えているような、そんな光景だ。
「驚いたのう、こんなものまでいるとは」
師匠が、不敵に笑う。
その視線は僕の背後に向いており、どうやら高い位置を見上げているように思う。
「…………」
恐る恐る、そちらは振り返ると、なるほどそれはそれは驚愕の存在だった。
「ユグドラル・トレント。世界最大の擬木魔物じゃな」
森をそのまま覆い尽くすほどの巨体が、僕たちを見下ろしていたのだ。




