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異世界温泉宿経営♨️ 〜「戦闘スキルをください!とお願いした女神がくれたのは、まさかの“銭湯スキル”でした〜  作者: 回胴めぐり


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【第90話】娘は渡さん!


『大地の湯宿』がオープンしてから、しばらくの時が流れた。


旅館の営業は、連日順調だった。


朝から受付には客が訪れ、食堂ではリゼとリリィが腕を振るい、温泉からは満足そうな声が聞こえてくる。


ミーナや他の従業員たちは受付や客室の準備に追われ、フォルナも掃除や接客をこなしながら、忙しなく働いていた。


セリーナは商会との連携を強め、シャンプーやボディソープといった商品の販売も軌道に乗り始めている。


そして、ミレッタは相変わらず温泉設備や魔道具の点検に余念がなかった。


「よしっ! 今日も異常なし!」


魔道具の動作を確認したミレッタは、満足そうに頷いた。


「ミレッタさん、こちらの設備も問題ありませんわ」


「おう! ありがとな、セリーナ!」


「ふふっ。お客様も日に日に増えていますし、設備の管理は重要ですものね」


「そうそう! せっかく来てくれたお客さんには、最高の温泉を楽しんでもらわないとな!」


そんな会話を交わしながら、仲間たちはそれぞれの仕事に励んでいた。


大地がダンジョンから戻り、旅館の営業を再開してからというもの、休む間もないほどの忙しさが続いている。


それでも、不思議と苦にはならなかった。


自分たちの作り上げた温泉宿が、多くの人々に喜ばれている。


その事実が、何よりも嬉しかったのだ。


そして――。


旅館には、もう一つの変化があった。


◇ ◇ ◇


「ユーノちゃん、そろそろお昼にしましょうか」


客室の中。


フォルナは、ベッドの上に座る白銀の少女へと優しく声をかけていた。


ユーノ。


ダンジョンの装置から救出されて以来、彼女は『大地の湯宿』で暮らしている。


目を覚ました当初は、周囲の人間にひどく怯え、フォルナが声をかけただけでも身体を震わせていた。


しかし――。


「……」


ユーノは、フォルナの顔をじっと見つめた。


そして、小さく頷く。


「うん。じゃあ、持ってくるね!」


フォルナは嬉しそうに微笑んだ。


まだ、ユーノが自分から言葉を発することはほとんどない。


名前を呼ばれれば反応することもあるが、それ以外は頷いたり、首を横に振ったりする程度だった。


それでも、以前のように怯えることはなくなっていた。


フォルナが部屋に入っても、逃げようとはしない。


食事を運べば、少しずつ口にしてくれる。


着替えや身の回りの世話を手伝おうとしても、強く拒絶することはなくなった。


ほんのわずかな変化。


けれど、フォルナにとっては大きな進歩だった。


「今日はリゼさんがスープを作ってくれたんだよ。とっても美味しいんだから!」


フォルナは、ユーノの髪をそっと整える。


「それからね、お昼の後はお庭に出てみようか。お天気もいいし、きっと気持ちいいよ!」


「……」


ユーノは、窓の外へと視線を向けた。


その表情は相変わらず乏しい。


しかし、フォルナの言葉を拒絶する様子はなかった。


「よしっ! じゃあ、ちょっと待っててね!」


フォルナが立ち上がる。


その時だった。


「わふっ」


部屋の入口から、白い毛並みの獣が顔を覗かせた。


「ユズキ様!」


フォルナが声を弾ませる。


そこにいたのは、聖獣ユズキだった。


ユズキは、まるで自分の部屋であるかのように堂々と室内へ入り込む。


そして、迷うことなくユーノの隣へと歩いていった。


「わふっ」


ユーノの膝に鼻先を寄せる。


すると――。


ユーノは、そっと手を伸ばした。


小さな手が、ユズキの頭を撫でる。


「……」


「わふぅ……」


ユズキは気持ちよさそうに目を細めた。


「ふふっ。すっかり仲良しさんだね!」


フォルナは、その光景を見て頬を緩めた。


不思議なことに、ユーノはユズキに対しても、初めから強い警戒心を見せなかった。


むしろ、ユズキが部屋にいる時は、少しだけ表情が柔らかくなる。


ユズキのほうも、ユーノのそばを離れようとしなかった。


フォルナが忙しくて部屋を空ける時には、当然のようにユーノの隣に陣取る。


まるで、彼女を守るのが自分の役目だと理解しているかのようだった。


実際、ユーノが落ち着かない様子を見せると、ユズキはすぐに寄り添い、彼女が安心するまでそばを離れない。


そして、ユーノもまた、ユズキの気持ちを理解しているかのように、その身体へ身を寄せるのだった。


「ユズキ様、今日もユーノちゃんのことをお願いね」


「わふっ!」


ユズキは、まるで任せろと言わんばかりに鳴いた。


「ふふっ。頼もしいなぁ」


フォルナは笑顔を浮かべる。


「じゃあ、お昼を持ってくるからね。ユーノちゃん、いい子で待っててね」


ユーノは小さく頷いた。


その様子を見届け、フォルナは部屋を後にする。


残されたユーノは、ユズキの背中にそっと手を置いた。


「……」


彼女が何を思っているのか。


それは、まだ誰にも分からない。


ただ――。


この旅館で過ごす時間が、少しずつ彼女の心を癒やし始めていることだけは確かだった。


◇ ◇ ◇


それから、数日後。


『大地の湯宿』の門前に、一台の豪華な馬車が停まった。


その周囲を囲むのは、武装したドワーフたち。


身につけた鎧や装備は、いずれも一級品と呼ぶにふさわしいものだった。


そして、馬車から降りてきたのは――。


「……ここが、あの男の旅館か」


低く、地を這うような声。


厳つい顔。


太い眉に、立派な髭。


そして、全身から漂う圧倒的な威圧感。


どう見ても、温泉旅行を楽しみに来た客には見えない。


むしろ、これからどこかの組織を壊滅させに行くと言われたほうが納得できる風貌だった。


「あなた…そんな顔をしていては、お客様が怖がりますよ」


隣に立つ小柄な女性が、のんびりと声をかける。


ミレッタによく似た顔立ち。


柔らかな雰囲気と、穏やかな微笑み。


彼女こそ、カデンツの族長タルコフの妻――ニルファである。


「……俺は普通だ」


「そうですか?」


「普通だ」


「ふふっ」


ニルファは楽しそうに笑った。


その背後には、側付きの一団が控えている。


彼らを率いてきた男の名は、タルコフ。


ドワーフの国カデンツを治める族長であり、優れた職人でもある。


そして――。


娘のミレッタを、誰よりも溺愛する父親だった。


「……ミレッタ」


タルコフは、変わった建築様式の旅館の建物を睨みつけた。


「我が愛娘が、こんなところで働いているとは……」


拳が、ぎりりと握り締められる。


「しかも……」


その視線が、さらに鋭くなった。


「男と一緒に暮らしているだと……?」


「あなた」


ニルファが穏やかに声をかける。


「ミレッタはもう大人ですよ」


「分かっている」


「それに、本人が選んだ道です」


「……分かっていると言っているだろう」


「本当に?」


「……」


タルコフは黙り込んだ。


そして、次の瞬間。


「だが、あの男だけは認めん!!」


旅館の門前に、怒号が響き渡った。


「あなた、声が大きいですよ」


「む……」


タルコフは咳払いを一つ。


それから、懐から一枚の紙を取り出した。


そこには、大地の似顔絵らしきものが描かれている。


やけに鋭い目つきと、必要以上に悪人面に描かれた顔。


明らかに、本人の印象を悪くする方向へ誇張されていた。


「こいつが、娘をたぶらかした男か……!」


「あなたが描いたのですか?」


「悪いか」


「いえ。上手に描けていますよ」


「そうだろう!」


タルコフは満足げに頷いた。


「……ただ、少し怖く描きすぎでは?」


「問題ない。実物はもっと悪党に違いない」


「ふふっ。そうでしょうか」


ニルファは、夫の暴走を止めようとはしなかった。


というより、止めても無駄だと分かっているのだろう。


「さあ、行くぞ!」


タルコフが大股で歩き出す。


「愛娘を迎えに行く!」


その後ろを、側付きたちが慌てて追いかけた。


◇ ◇ ◇


「いらっしゃいませ! ようこそ、大地の湯宿へ!」


受付に立っていたミーナが、いつものように笑顔で客を迎えた。


しかし――。


「……ミレッタはどこだ」


目の前に立つ厳つい男の姿を見た瞬間、ミーナの笑顔が固まった。


「え……?」


「ミレッタだ。ここで働いているはずだが」


「は、はい! 少々お待ちください!」


ただならぬ迫力に押され、ミーナは慌てて奥へと走っていった。


数分後。


「……父上?」


廊下の向こうから現れたミレッタが、目を丸くした。


「母上も!?」


「おおっ! ミレッタ!!」


タルコフの顔が、一瞬で変わった。


先ほどまでの凶悪な表情が嘘のように緩み、両腕を大きく広げる。


「会いたかったぞ、我が愛娘よ!!」


「うわっ!?」


ミレッタは、勢いよく抱きついてきた父親を慌てて受け止めた。


「ちょっ、父上! 何してんだよ!」


「何とは何だ! 父は娘を抱きしめて何が悪い!」


「いや、悪いとかじゃなくて! 人前だろ!」


「人前だろうが何だろうが関係あるか!」


「あるだろ!!」


周囲の従業員たちが、ぽかんとした顔で二人を見つめている。


先ほどまで、まるで裏社会の大物のような威圧感を放っていた男が、今では娘に頬ずりをしようとしていた。


「おお……! 少し痩せたのではないか!? ちゃんと食べているのか!?」


「食べてるよ!」


「眠れているか!? 仕事で無理をしていないか!?」


「してないって!」


「誰かに嫌なことをされていないか!? もしそうなら、父がそいつを――」


「だから落ち着けって!!」


ミレッタの拳が、タルコフの腹にめり込んだ。


「ぐふっ!?」


巨体がくの字に折れ曲がる。


「父上は少し黙ってろ!!」


「お、おお……! 娘の拳……! 大きくなったな……!」


「感動してんじゃねえ!!」


「ふふっ。相変わらずですね」


ニルファは、そんな二人を微笑ましそうに見つめていた。


「母上……助けてくれよ……」


ミレッタが涙目で訴える。


「大丈夫ですよ。タルコフは、あなたに会いたくて仕方がなかっただけですから」


「だからって、いきなり抱きつくことないだろ!」


「そうですねえ」


ニルファは少し考えた後、優しく微笑んだ。


「でも、あなたが元気そうでよかったわ」


「……母上」


ミレッタの表情が、ふっと柔らかくなった。


「うん。あたしは元気だよ」


「それならよかった」


ニルファはミレッタの頭を優しく撫でる。


「お仕事はどう? 魔道具の調子は?」


「もちろん順調だよ! 温泉設備も問題ないし、新しい魔道具の開発も進めてる!」


「まあ、素晴らしいわ」


「へへっ。あたしに任せておけば大丈夫だからな!」


その言葉に、ニルファは嬉しそうに頷いた。


「ええ。あなたの腕なら心配していませんよ」


タルコフも、腹を押さえながら口を開く。


「……お前の技術を疑ったことなど、一度もない」


「父上……」


「魔道具技師としてのお前は、カデンツでも随一だ。お前が自分で選んだ仕事なら、誰にも文句は言わせん」


「……へへっ」


ミレッタの頬が、少しだけ赤くなった。


職人としての腕を認めてくれる。


それは、彼女にとって何よりも嬉しい言葉だった。


――しかし。


「だが!!」


タルコフが勢いよく顔を上げる。


「その男と一緒に暮らすことは別問題だ!!」


「……は?」


ミレッタの笑顔が消えた。


「ミレッタ。お前は今すぐカデンツへ戻るのだ!」


「嫌だよ」


「なにっ!?」


「だから、嫌だって言ってんだろ」


ミレッタは、呆れたように腕を組んだ。


「ここにはあたしの仕事があるし、ダイチだっている。それに、あたしはここで暮らすって決めたんだ」


「その男か……!」


タルコフの視線が、鋭くなった。


「どこにいる! そのダイチという男は!!」


「……父上」


ミレッタが低い声を出す。


「まさか……」


「何だ」


「ダイチに何かするつもりじゃないだろうな?」


「……」


タルコフは、そっと視線を逸らした。


「するつもりだな!?」


「誤解だ」


「嘘つけ!!」


◇ ◇ ◇


「……なるほど。つまり、ミレッタのお父さんが来たと」


食堂の一角。


事情を聞いた大地は、腕を組みながら頷いた。


「そういうことですわ」


セリーナが苦笑する。


「カデンツの族長であるタルコフ様と、その奥様のニルファ様。お二人とも、ミレッタさんをとても大切にされているのです」


「大切に、ねえ……」


大地は、先ほど受付のほうから聞こえてきた怒鳴り声を思い出した。


『その男はどこだ!!』


どう考えても、穏やかな再会にはなりそうにない。


「……俺、何かしたかな…まぁ、したか…してるよな…」


「ダイチ様は、何も悪くありませんよ」


エレナが微笑む。


「ただ……ミレッタさんのお父様は、少々心配性なのかもしれませんね」


「少々?」


リゼがぼそりと呟いた。


「……かなり、だと思う」


「ですよね……」


フォルナも苦笑いを浮かべた。


その時だった。


「おい!! お前が大地か!!」


食堂の入口から、地響きのような声が響いた。


大地が振り返る。


そこには――。


腕を組み、凄まじい形相でこちらを睨みつけるタルコフの姿があった。


その背後には、ニルファと側付きたち。


「……ええ、そうですが」


大地は立ち上がり、丁寧に頭を下げた。


「初めまして。ユモリ・ダイチと申します」


「ふん……!」


タルコフは大地を頭の先から爪先まで眺め回す。


「貴様が……」


一歩、前へ出る。


「我が娘をたぶらかした男か!!」


「たぶらかしてませんよ!?」


大地は思わず叫んだ。


「ミレッタは自分の意思でここにいるんです!」


「黙れ!!」


「ええっ!?」


「娘を連れ去り、あまつさえ一緒に暮らすなど……! 貴様、どう責任を取るつもりだ!!」


「いや、だから……」


大地が説明しようとした、その時。


「父上ぇぇぇっ!!」


ミレッタが飛び込んできた。


そして――。


ドゴォッ!!


「ぐふぉっ!?」


再び、タルコフの腹に拳がめり込んだ。


「人の話を聞けって言ってんだろ!!」


「ぐぬぬ……! なぜだ……! なぜ、父が娘に殴られねばならん……!」


「自分の行動を振り返れ!!」


「ミレッタ……!」


タルコフは、涙を浮かべながらミレッタを見つめた。


「父はただ、お前が心配で……!」


「分かってるよ! でも、やりすぎなんだよ!」


「うぅ……!」


タルコフは、胸を押さえた。


「ニルファ……娘が……娘が冷たくなった……!」


「あなた、ミレッタは昔からあんな感じですよ」


「それがいいのだ!!」


「いいのかよ!!」


大地の突っ込みが、食堂に響き渡った。


周囲では、セリーナが口元を押さえ、エレナが困ったように微笑んでいる。


リゼに至っては、無表情のまま小さく呟いた。


「……ダイチも大変」


「他人事みたいに言わないでくれ……」


大地は頭を抱えた。


どうやら、これからしばらくは厄介なことになりそうだった。


◇ ◇ ◇


「……というわけで、俺はミレッタを連れて帰る」


その日の夕方。


客室の一室で、タルコフは堂々と宣言していた。


「帰らないって言ってんだろ!」


ミレッタが即座に反論する。


「カデンツには、お前のために用意した工房がある! 設備も道具も、一流のものを揃えてあるぞ!」


「知ってるよ!」


「好きな鉱石も、好きな魔石も、いくらでも用意してやる!」


「だから何だよ!」


「それに、飯もお前の好きなものを毎日――」


「父上!」


ミレッタの拳が、再び唸った。


「ぐはっ!」


タルコフが床に膝をつく。


「……なぜだ。なぜ、条件は完璧なはずなのに……」


「そういう問題じゃないんだよ!」


ミレッタは呆れたようにため息をついた。


「確かに、カデンツにはいい工房がある。でも、あたしはここで仕事がしたいんだ。自分で考えたものを形にして、それを使った人たちが喜んでくれる。そういう仕事がしたいんだよ」


「……む」


タルコフの表情が、わずかに変わった。


「それに……」


ミレッタは、少しだけ頬を赤くする。


「ダイチのそばにいたいんだ」


「……!」


タルコフの目が見開かれた。


「そ、そばに……?」


「そ、そうだよ! 悪いか!」


「…………」


沈黙。


そして――。


「殺す!!」


「なんでだよ!!」


「我が娘が男のそばにいたいだと!? 父はそんな話、聞いておらんぞ!!」


「今、言っただろ!!」


「ならば、なおさら認めん!!」


「もう帰れぇぇぇっ!!」


ミレッタの拳が炸裂した。


「ぐおおおおっ!!」


タルコフは床に転がり、悶絶する。


その様子を見ていたニルファが、ゆっくりと口を開いた。


「あなた」


「な、何だ……」


「そろそろ、諦めたらどうですか?」


「……む」


「ミレッタは、自分で選んだ道を歩いています。あなたが職人としての腕を信頼している娘でしょう?」


「それは……そうだが……」


「なら、信じてあげましょう」


ニルファは、娘へと優しい視線を向けた。


「ミレッタが選んだ相手なら、私は問題ないと思っていますよ」


「母上……!」


ミレッタの顔がぱっと明るくなる。


「ただし」


ニルファは、穏やかな微笑みを浮かべたまま続けた。


「あの人が納得するかどうかは、別のお話ですけれど」


「母上ぇぇぇっ!?」


「ふふっ」


ニルファは楽しそうに笑った。


「私は、ミレッタを応援していますからね」


「……ありがとう、母上!」


ミレッタは嬉しそうにニルファへ抱きついた。


その光景を見たタルコフは、がっくりと肩を落とした。


「……妻まで、あの男の味方か……」


「あなた。ダイチさんは、ミレッタの未来を守ってくださったのですよ?」


「それとこれとは別だ!!」


「……はい?」


「カデンツに戻って来て、一ヶ月の間あの男の話ばかり!! あのミレッタがだぞ!!」


「……父上、もう一発いくか?」


「すみませんでした!!」


タルコフは即座に頭を下げた。


◇ ◇ ◇


その夜。


大地は、タルコフから呼び出しを受けた。


「……話がある」


旅館の裏手。


人気のない場所で、タルコフは腕を組んで立っていた。


「はあ……」


大地は、嫌な予感を覚えながら向き合う。


「何でしょうか」


「貴様……ここにはサウナという我慢比べの修行場があるそうだな」


「ええ。サウナはありますが、決してそんな恐ろしいものではございませんよ」


「聞いたふうな口を聞くな!」


タルコフは、ぎらりと目を光らせた。


「勝負だ」


「……はい?」


「漢と漢の勝負をする!!」


「いや、何でそうなるんですか!?」


「貴様が我が娘にふさわしい男かどうか、父である俺が見極める!!」


「いやいやいや!」


大地は慌てて手を振った。


「ミレッタは物じゃないんですから、勝負で決める必要なんてないでしょう!」


「黙れ! これは俺のけじめだ!!」


「けじめって……」


「サウナとやらで、どちらが長く耐えられるか勝負する!!」


「……」


大地は、しばらくタルコフを見つめた。


そして、深々とため息をついた。


「……分かりました」


「ほう?」


「ただし、無理はしないこと。体調が悪くなったら、すぐに中止です。勝負のために身体を壊すなんて本末転倒ですから」


「ふん……! 心配など無用だ!」


タルコフは胸を張った。


「俺はカデンツの族長だぞ! この程度の暑さ、何ということもない!」


「……そうですか」


大地は、乾いた笑みを浮かべた。


こうして――。


なぜか、サウナで漢同士の勝負をすることになった。


◇ ◇ ◇


翌日。


『大地の湯宿』のサウナ室。


木の壁に囲まれた室内には、魔道具によって一定の温度に保たれた熱気が満ちていた。


ベンチに座るのは、大地とタルコフ。


その向かいには、ミレッタ、ニルファ、エレナ、セリーナが並んでいる。

観客はエレナの風魔法により、表面に熱を通さない膜の様なものを張っている。


なぜか、審判役のような顔をしたミレッタが腕を組んでいた。


「……本当にやるのかよ」


ミレッタは呆れたように呟く。


「もちろんだ!!」


タルコフが力強く答えた。


「父の威厳を取り戻すためにも、ここで負けるわけにはいかん!!」


「いや、そんな威厳いらないから……」


「何か言ったか、ミレッタ!」


「何でもないよ!」


ミレッタは額に手を当てた。


一方、大地は落ち着いた様子で座っている。


「それじゃあ、始めましょうか」


エレナが困ったように微笑んだ。


「くれぐれも、無理はしないでくださいね」


「分かってるよ、エレナ」


大地は頷く。


「では――開始!」


ミレッタの声が響いた。


最初の数分。


二人とも、余裕の表情だった。


「ふん……! こんなものか!」


タルコフは腕を組み、堂々と座っている。


「……いやあ、いい汗が出ますね」


大地も平然としていた。


「なかなか良い設備だ。温度管理も悪くない」


タルコフは、職人らしい視線で室内を見回す。


「この魔道具は、温度を一定に保つ仕組みか?」


「そうです。ミレッタが設計して、職人たちと一緒に作ってくれたんですよ」


「……ほう」


タルコフの目が、わずかに細くなる。


「娘の仕事か」


「ええ。優秀ですよね」


「……当然だ」


タルコフは、誇らしげに頷いた。


「ミレッタは幼い頃から、物作りの才能があった。手先も器用で、魔力の扱いにも長けていた。あの年齢で、これほどの魔道具を作れるとは……」


そこまで言いかけて、はっと口を閉じる。


「……いや、違う!」


「はい?」


「貴様に娘を褒められる筋合いはない!!」


「いや、今、自分で褒めてたじゃないですか!」


「うるさい!!」


タルコフは顔を赤くした。


その様子を見て、ミレッタが頭を抱える。


「父上……頼むから、普通にしてくれ……」


「何を言う! 俺は普通だ!!」


「どこがだよ!!」


サウナ室に、ミレッタの叫びが響いた。


――それから、さらに時間が経過した。


じわじわと、熱気が身体に染み込んでいく。


額から汗が流れ、首筋を伝い、床へと落ちていく。


「……ふむ」


タルコフが、わずかに姿勢を変えた。


「なかなか……やるではないか」


「タルコフさんも……大したものですよ」


大地も、額の汗を拭いながら答える。


「だが……まだまだだ!!」


「こっちの台詞です!」


二人の視線がぶつかる。


まるで、戦場で相対する宿敵のようだった。


「……何やってんだ、あの二人」


ミレッタが呆れた声を漏らす。


「ふふっ。男の人って、時々こういうところがありますよね」


ニルファは楽しそうに微笑んだ。


「お母様……これ、時々で済む話でしょうか……」


エレナが苦笑する。


「まあまあ。大地さんもタルコフ様も、真剣なのですわ」


セリーナも笑いを堪えていた。


そして――。


開始から、しばらくが経過した頃。


「……ぐっ」


タルコフの眉間に、深い皺が寄った。


「……まだ、だ……!」


その身体は、すでに真っ赤になっていた。


髭の先からも汗が滴り落ち、肩が小刻みに上下している。


一方の大地も、決して余裕ではない。


呼吸は荒くなり、額からは滝のように汗が流れていた。


「……くっ」


大地は、拳を握り締める。


正直なところ、もうかなり苦しい。


しかし――。


ここで負ければ、タルコフはいつまでも納得しないだろう。


そして、何より。


ミレッタが自分の意思で選んだ道を、父親に認めてもらいたい。


その思いが、大地を踏みとどまらせていた。


「……ミレッタは」


タルコフが、絞り出すように口を開いた。


「俺の……自慢の娘だ……」


「……はい」


「誰よりも……優秀で……誰よりも……頑張り屋で……」


タルコフは、大きく息を吸う。


「……だからこそ……!」


ぎろりと大地を睨みつけた。


「貴様のような男に……簡単に渡せるかぁぁぁっ!!」


「……っ!」


大地の背筋が伸びる。


「俺だって……!」


声を張り上げた。


「ミレッタのことを、大切に思っています!!」


「ならば……証明してみろぉぉぉっ!!」


「望むところです!!」


二人の間に、熱い火花が散った。


いや、実際に熱いのだが。


「……もう、やめろって……」


ミレッタが、額を押さえる。


「父上も大地も、何でそんなに意地を張るんだよ……」


「ミレッタ」


ニルファが、娘の肩にそっと手を置いた。


「二人とも、あなたを大切に思っているのですよ」


「……分かってるけどさあ……」


ミレッタは、困ったように二人を見つめた。


そして――。


「……もう、そこまでです!!」


エレナが、ついに声を上げた。


「お二人とも、これ以上は危険です!」


しかし、二人は譲らなかった。


「まだ……だ……!」


「俺も……まだ……!」


「……この、馬鹿親父と馬鹿ダイチィィィッ!!」


ミレッタの叫びが響く。


その瞬間だった。


「……ぐっ……!」


タルコフの身体が、ぐらりと傾いた。


「父上!?」


ミレッタが立ち上がる。


だが――。


タルコフは、なんとか踏みとどまろうとしながら、大地を睨みつけた。


「……まだ……負けて……おらん……!」


「……俺も……!」


大地も立ち上がろうとする。


しかし、膝に力が入らない。


「……っ!」


その時。


タルコフの身体が、ついに大きく傾いた。


「そこまで!!」


ミレッタの声が響く。


エレナとセリーナがすぐに動き、タルコフの身体を支えた。


「……くっ……! まだ……俺は……!」


「しっかりしてください!」


エレナとセリーナは、タルコフの肩を支えながら心配の声をあげる。


「勝負は終わりだ!!」


その隣では、大地もミレッタに支えられていた。


「ダイチ、いつもあたしの為に無理しやがって!」


「あ、ああ……。ちょっと、くらくらするだけ……」


「もう! 無理をしないで!」


ミレッタは心配そうに大地の腕を支える。


「……ごめん」


大地は苦笑した。


「……あらあら…まぁまぁ…」


ニルファは微笑みながら、大地とミレッタを見守る。


こうして――。


漢と漢のサウナ勝負は、苦しい戦いの末に幕を閉じた。


勝者は、大地。


ただし、誰がどう見ても、全員が無事に外へ出られたことこそが最大の勝利だった。


◇ ◇ ◇


サウナを出た後。


二人は十分に身体を冷まし、水分を補給してから休憩室で休んでいた。


「……ふん」


タルコフは、悔しそうに腕を組んでいる。


「まさか……この俺が負けるとは……」


「……タルコフさん」


大地は、正面からタルコフを見つめた。


「俺は、ミレッタのことを大切に思っています」


タルコフは黙って聞いていた。


「ミレッタは、自分の考えを持っていて、仕事にも真剣で……本当にすごい人です。俺は、そんな彼女を尊敬しています」


大地は、ゆっくりと言葉を続けた。


「だからこそ、これからも一緒にいたい。彼女がやりたいことを応援したいし、困った時には支えになりたいと思っています」


「……」


「でも、ミレッタは誰かの所有物じゃありません。俺が勝ったからって、ミレッタが俺のものになるわけじゃない」


大地は、ミレッタへと視線を向けた。


「一緒にいたいかどうかを決めるのは、ミレッタ自身です」


ミレッタは、驚いたように目を見開いた。


そして――。


「……へへっ」


照れくさそうに頬を掻いた。


「……そういうところなんだよなあ」


「ん?」


「何でもない!」


ミレッタは、ぷいっと顔を背けた。


その耳が赤くなっていることに、本人は気づいていない。


タルコフは、しばらく黙り込んでいた。


やがて、深く息を吐く。


「……ミレッタ」


「……何だよ、父上」


「お前は……本当に、この男と一緒にいたいのか」


ミレッタは、今度は迷わなかった。


「ああ」


まっすぐに父親を見つめる。


「あたしは、大地と一緒にいたい。ここで仕事をして、みんなと暮らして……これからも、ずっと」


「……そうか」


タルコフは、ゆっくりと目を閉じた。


そして――。


「……ならば、仕方あるまい」


「……父上?」


「俺の負けだ」


タルコフは、悔しそうに顔をしかめながらも、はっきりと言った。


「ダイチ」


「はい」


「娘を……頼む」


その声は、先ほどまでの怒鳴り声とは違っていた。


職人として。


族長として。


そして、父親として。


娘の選んだ道を受け入れる、覚悟のこもった声だった。


大地は、深く頭を下げた。


「……はい。任せてください」


「ただし!!」


「えっ!?」


タルコフが、勢いよく顔を上げる。


「娘を泣かせたら、ただではおかん!!」


「……はい」


「何かあれば、すぐにカデンツへ連れて帰るからな!!」


「父上、いい加減にしろぉぉぉっ!!」


ミレッタの拳が飛んだ。


ドゴォッ!!


「ぐはぁっ!!」


タルコフが床に沈む。


「今、せっかくいい話で終わりそうだっただろ!!」


「うぐぐ……! 父として、当然の忠告を……!」


「黙れ!!」


「ふふっ」


ニルファは、楽しそうに笑った。


「よかったですね、ミレッタ」


「……母上」


「あなたが選んだ人ですもの。私は、最初から心配していませんでしたよ」


「……ありがとう」


ミレッタは、嬉しそうに笑った。


そして、そっと大地の隣へと立つ。


「……大地」


「ん?」


「その……これからも、よろしくな!」


顔を真っ赤にしながら、ミレッタは言った。


大地は微笑み、彼女の頭を優しく撫でる。


「ああ。こちらこそ、よろしく」


「……っ!」


ミレッタの顔が、さらに赤くなった。


「な、撫でるなよ! 子供じゃないんだから!」


「悪い悪い」


「もうっ!」


そんな二人を見て、タルコフは再び歯を食いしばった。


「……ぐぬぬ……!」


「あなた」


ニルファが、そっと夫の腕に触れる。


「もう、諦めましょうね」


「……分かっている」


タルコフは、深いため息をついた。


「……分かっているとも」


そして、大地をじろりと睨みつける。


「だが、忘れるなよ、ダイチ」


「……はい?」


「俺は、貴様を認めたわけではない!」


「ええっ!?」


「娘が選んだ男だから、ひとまず認めるだけだ!!」


「それ、認めてるんじゃないですか!?」


「うるさい!!」


「……あーなーたー!」


ーーードゴォォォン!


タルコフの鳩尾にニルファの凄まじい拳が炸裂し、一瞬で気を失った。


「では…ダイチさん…ミレッタをよろしくお願いしますね」


「は、はい!」


そして、気絶したタルコフは微笑みを浮かべるニルファによりずるずると部屋まで引き摺られていった。


「ニルファさんってミレッタにそっくりだな」


「母上は、国一番の刀鍛冶で腕っぷしも国一番なんだ…」


「……へ、へぇ…き、気をつけないとね…」


大地とミレッタは手を繋いで二人を見送る。


こうして――。


タルコフは、渋々ながらも大地とミレッタの関係を認めることになった。


もっとも。


娘を溺愛する父親の心配が、これで完全に消えるわけもないわけだが…


◇


翌朝、


「……次は腕相撲だ」


「まだやるんですか!?」


「当然だ!!」


「いい加減にしろぉぉぉっ!!」


旅館に響き渡るミレッタの怒声。


その傍らでは、ニルファが穏やかに微笑んでいた。


『大地の湯宿』には、今日も賑やかな時間が流れている。


そして――。


その賑やかな日常の中で、ミレッタと大地の関係もまた、少しずつ前へと進んでいくのだった。

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