【第79話】最初のお客様
それから、数日後。
『大地の湯宿』では、新たな動きが始まっていた。
「では、今日は実際のお客様を想定して、受付からやってみましょう」
「はい!」
エレナの声に、五人の新人従業員が揃って返事をする。
アーベル商会から紹介された五人は、すでに採用が決まっており、ロールプレイング形式で接客や業務の確認を日々、行なっている。
接客経験のある者。
宿泊施設で働いた経験のある者。
料理の配膳や清掃を得意とする者。
それぞれに経験があり、仕事に対する姿勢にも問題はない。
セリーナの言葉通りだった。
「では、ミーナさん。こちらの方を客室までお願いします」
「はい!」
ミーナが新人の一人に声をかける。
「お客様、こちらへどうぞ」
新人たちがその様子を真剣に見つめる。
その隣では――。
「お客様への声のかけ方は、少し柔らかくするとより良いと思います」
エレナが丁寧に指導していた。
「なるほど……勉強になります」
「最初は難しいと思いますが、慣れてくれば自然にできるようになりますよ」
「はい!」
すでに旅館の中には、以前とは違った活気が生まれていた。
ミーナ、リリィ、フォルナの三人も、今では新人たちを手伝う側になっている。
特にミーナは、以前エレナから教わったことを嬉しそうに後輩へ伝えていた。
「ここはこうするといいよ!」
「ありがとうございます、ミーナさん!」
「ううん。私もまだ勉強中だから、一緒に頑張ろうね!」
その姿を見ながら――。
大地は少し離れた場所で微笑んでいた。
「みんな、成長したな……」
「はい」
隣に立つエレナも嬉しそうに頷く。
「最初の頃とは別人のようですね」
「フォルナなんて、まだ転ぶけどな」
「ふふっ」
エレナが笑った。
「それでも、以前とは違います」
「そうだな」
「失敗しても、すぐに立ち上がりますから」
「それが一番大事なのかもな」
そんな話をしていた――。
その時。
「おーい!」
旅館の外から、野太い声が響いた。
「ん?」
大地が振り返る。
入口から姿を現したのは――。
「バルガス?」
クレーベル冒険者ギルドのギルドマスター、バルガスだった。
そして、その隣には――。
「久しぶりですね、ダイチさん」
「リディアさん!」
ギルド本部から来たリディア。
さらにその後ろには、六人ほどの冒険者が並んでいた。
「どうしたんですか?」
大地が尋ねる。
バルガスは豪快に笑った。
「今日は客を連れてきたぞ!」
「客?」
「例のダンジョンの調査依頼を受けた冒険者たちだ」
バルガスが後ろを振り返る。
「今回の調査を任せることになったAランクパーティだ」
六人の冒険者たちが一歩前へ出る。
それぞれが、見るからに歴戦の雰囲気を漂わせており、珍しい店構えを興味深そうに見渡している。
大地は思わず目を細める。
「Aランク……」
「はい」
リディアが頷く。
「クレーベル周辺で発見されたダンジョンについて、内部調査をお願いしています」
「なるほど」
「調査にはある程度の日数が必要になるため――」
リディアが大地を見る。
「十日間ほど、こちらに滞在させていただきたいのですが」
「もちろんです」
大地は即答した。
「むしろ、うちを選んでもらえてありがたいですよ」
「ありがとうございます」
エレナが丁寧に頭を下げる。
「それでは、皆様のお部屋をご案内いたしますね」
「よろしく頼む」
冒険者たちが頷いた。
◇
受付を済ませ、部屋に荷物を置いた一行は――。
「足湯でも効果はありますが、せっかくなので、温泉をご案内します」
大地がそう言った。
「温泉?」
女冒険者の一人が首を傾げる。
「はい」
大地は手元の案内を元に浴場の説明を始める。
「うちの温泉には、いくつか種類があります」
「疲労回復を助ける湯」
「魔力の回復を助ける湯」
「そして、身体能力を一時的に高める湯です」
「身体能力を?」
大剣を背負った男が聞き返す。
「はい」
「どのくらいだ?」
「浸かる時間にもよりますが――」
大地は説明する。
「皆さんの場合なら、480分ほど浸かれば、20%程度の能力補正が見込めます」
「……」
一同が固まった。
「480分って……」
「8時間だな」
誰かが呟く。
「そんなに長時間?」
「もちろん、無理に一度で入る必要はありません」
大地が苦笑する。
「それでも、効果が残る時間を含めれば、ダンジョン探索にはかなり役立つと思います」
「20%……」
冒険者たちは顔を見合わせた。
Aランク冒険者にとって、20%という数字がどれほど大きいのか。
それを理解しているからこそ、誰もすぐには言葉を発せなかった。
「前衛の方はこちらがおすすめです」
大地は身体能力向上の湯を指す。
「後衛の方には、こちらの魔力増幅の湯がいいと思います」
「魔力増幅……」
魔法使いらしき女性が目を輝かせる。
「どの程度ですか?」
「こちらも同じくらいです」
「……」
女性は絶句した。
「そんな温泉が……?」
「うちの自慢です」
大地が笑う。
「では、せっかくなので試してみてください」
冒険者たちは半信半疑ながらも、浴場へ向かっていった。
◇
しばらくして。
「……本当に上がってる」
浴場から出てきた冒険者の一人が、自分の身体を確認していた。
「力が……明らかに違う」
「魔力もです」
後衛の女性も驚いた顔をしている。
「これほどの補正を一時的に得られるなんて……」
「ダンジョン攻略の前に知っていたら、もっと早く来ていたかったな」
バルガスが豪快に笑う。
「だから言っただろう。大地の温泉はすごいんだ。能力上がらなくても、十分満足だぞ」
「ギルドマスターも、ずいぶん気に入ってるんですね」
エレナが微笑む。
「そりゃそうだ!」
バルガスは胸を張った。
「俺なんか最初に入った時――」
「その話は長くなるので、あとにしましょう」
リディアが冷静に遮った。
「お、おう……」
大地は思わず笑った。
その時だった。
冒険者の一人が、厨房の方へ視線を向けた。
黒髪のショートカット。
鍛え上げられた身体。
割れた腹筋。
そして、背中には巨大な大剣。
女戦士だった。
「……あれは?」
彼女の鋭い視線の先には――。
厨房で料理をしているリゼ。
「ちょっと待って」
女戦士が歩み寄る。
「……あいつ」
大地が振り返る。
「リゼ?」
女戦士の表情が変わった。
「まさか……」
リゼも手を止める。
「……」
「あんた……リゼじゃないか?」
「……そうだけど」
「やっぱり!」
女戦士が目を見開いた。
「『紅影のリゼ』……!」
その名前に――。
大地が反応する。
「紅影?」
エレナも驚いた表情を浮かべた。
「知っているのですか?」
「ああ」
女戦士はリゼを見つめた。
「冒険者の間では有名だよ」
「……」
リゼは何も言わない。
「紅影のリゼ」
女戦士が続ける。
「敵に囲まれ、絶命寸前まで追い込まれても――」
「次の瞬間には、血飛沫と残像だけが残っている」
「その異常な速さから、そう呼ばれるようになった」
大地はリゼを見る。
「……」
「知る人ぞ知る、凄腕のAランク冒険者だった女だ。数年前から突如姿を消したらしいが…」
「昔の話」
リゼが淡々と言った。
「今は?」
女戦士が尋ねる。
リゼは少しだけ視線を逸らした。
「ただの料理人」
「……料理人?」
女戦士が呆然とする。
「そう」
リゼは包丁を手に取る。
「今日の夕食の仕込みがあるから」
「……」
女戦士は言葉を失った。
「いや……」
やがて、苦笑する。
「Aランク冒険者が料理人って……」
「リゼさんは料理も一流なんですよ」
大地が笑う。
「……そう」
女戦士はリゼを見る。
「昔と変わらないね」
「何が?」
「あんたは覚えちゃいないんだろうが、あんたに憧れてたんだ」
「……」
リゼは少しだけ首を傾げた。
「じゃあ」
女戦士は仲間たちの方へ戻る。
「こんな所で料理人やってるなんてな」
「…色々あったから」
リゼは小さく答えた。
◇
冒険者たちは、温泉だけではなく――。
旅館そのものにも驚いていた。
「こんなに落ち着く宿は初めてだ」
「従業員の教育も行き届いてる」
「料理も楽しみだな」
「もうここに住みたいわ」
ミーナたちが一生懸命に働いている姿を見ながら、冒険者たちは感心していた。
そして――。
「十日間、よろしくお願いします」
リディアが大地とエレナへ頭を下げる。
「こちらこそ」
大地も笑顔で答える。
「ダンジョン調査、気をつけてください」
「ありがとうございます」
バルガスが手を振る。
「危険だから、リディアはここに残って、報告を待っていろ。その間、例の件を大地に話しておいてくれ」
「わかりました。くれぐれもご無理なさらないように」
「また随時報告する」
「早速だが、今から本格的に調査を始める」
バルガスの号令に六人の冒険者たちも頷いた。
こうして――。
Aランク冒険者たちによるダンジョン調査が始まることになった。
そして彼らはまだ知らない。
この温泉旅館での十日間が――。
これから起こる出来事の、始まりになることを。




