【第72話】原点に戻って
翌日。
大地とエレナは、クレーベルの街を歩いていた。
「今日は、なんだか久しぶりですね」
エレナがそう言って、大地の腕にそっと自分の腕を絡める。
「そうだな」
大地も自然に歩調を合わせる。
二人の距離は近い。
肩が触れ合うたびに、エレナが嬉しそうに微笑む。
「……こうして二人で街を歩くのも、久しぶりです」
「確かにな」
温泉旅館の建設が始まってからというもの、仲間も増えて、二人でゆっくり過ごす時間は減っていた。
建設。
魔道具。
冒険者ギルド。
商人ギルド。
従業員の確保。
やることは山のようにある。
だからこそ――。
「今日は、少しだけゆっくりしよう」
大地が言うと、
「はい」
エレナは嬉しそうに頷いた。
◇
最初に二人が向かったのは、商人ギルドだった。
「温泉旅館の求人について、進捗を聞きに来たんだけど」
受付で尋ねると、担当の職員が書類を確認する。
「はい。現在、数名の方から応募希望が届いております」
「本当か!」
「接客経験のある方や、宿泊施設や飲食店で働いた経験のある方もいらっしゃいます」
「それなら結構期待できそうだな」
「はい。希望者には、後日正式な面接を受けていただく予定となっております」
「分かった。じゃあ、その方向でお願いします」
「承知しました」
ギルドを出る。
「順調ですね」
エレナが笑う。
「ああ。旅館を動かすための人手も、少しずつ揃ってきたな」
「……大地さん」
「ん?」
エレナが少しだけ大地の腕を抱き直す。
「最初にお会いした頃のこと、覚えていますか?」
「もちろん」
大地は即答した。
「忘れるわけないだろ」
エレナが嬉しそうに目を細める。
「……私もです」
二人はそのまま、大通りを歩いていく。
「最初は……私、かなり警戒していましたよね」
「そうだったな」
「大地さんも、私のことを不思議な人だと思っていたでしょう?」
「いや」
エレナはフードを被って髪の色を隠しているが、髪色に気づいた人はエレナを一瞥すると距離をとっている。
そんな日常を目の当たりにしながら、大地は少し考える。
「世の中にはこんなにも綺麗な人がいるんだと思った」
「……っ」
エレナの頬が赤くなる。
「もう……大地さんは、そういうことをさらっと言うんですから」
「本当のことだし」
「……ずるいです」
エレナは照れながら、それでも腕を離さなかった。
「でも……」
「ん?」
「今思えば、あの頃の私は、大地さんとこんな関係になるなんて想像もしていませんでした」
「俺もだよ」
大地は笑う。
「まさかここに来て、エルフのお姫様と恋人になるなんてな」
「ふふっ」
エレナが楽しそうに笑った。
◇
二人は大通りを抜け、少し静かな通りへ入った。
「覚えていますか?」
「何を?」
「初めて一緒に街を歩いた時のことです」
「……ああ」
大地の脳裏に、当時の光景が浮かぶ。
まだエレナとは距離があった。
お互いに探りながら話していた。
今のように、腕を組むことなんてなかった。
「最初は、こんなに自然に隣を歩くようになるとは思わなかったな」
「私もです」
エレナが大地の肩に頭を少しだけ寄せる。
「それに……」
「?」
「温泉旅館まで作ってしまいましたね」
「ああ」
大地は街の先を見る。
「最初はただ、温泉を作ってみたいと思っただけだったんだけどな」
「でも、その温泉が私たちを変えてくれました」
「……そうだな」
温泉。
旅館。
仲間。
そして――。
二人の関係。
「エレナ」
「はい?」
「俺、最初にここに来た時は、自分がこんな生活をするなんて思ってなかった」
「……」
「前の世界じゃ、仕事ばっかりしてたから」
エレナは何も言わず、大地の腕を握る。
「でも今は、こうしてエレナと歩いてる」
大地はエレナを見る。
「それだけで、結構幸せだと思うよ」
「……大地さん」
エレナの頬が赤くなる。
「私も……幸せです」
二人はしばらく黙って歩いた。
けれど、その沈黙は気まずくない。
むしろ――。
心地よかった。
◇
その後。
二人は冒険者ギルドへ向かった。
扉を開けた瞬間。
「ダイチぃぃぃぃぃっ!」
「……」
嫌な予感がした。
「来たか!」
ギルドマスターのバルガスが駆け寄ってくる。
「温泉旅館は完成したんだな!?」
「ああ。正式オープンに向けて準備中だ」
「そうか!」
バルガスの目が輝く。
「では、俺も――」
「仕事してください」
受付職員が即座に遮った。
「まだ何も言ってないぞ!」
「言う前に分かります」
「ぐっ……!」
バルガスが悔しそうに唸る。
大地は苦笑しながら説明する。
「商人ギルドの求人も順調で、何人か希望者が集まってる。後日面接することになった」
「なるほど!」
バルガスは腕を組む。
「それなら俺も旅館の手伝いを――」
「ギルドマスター」
「はい」
「仕事してください」
「……はい」
しょんぼりするバルガス。
しかし、次の瞬間。
「……いや!」
立ち上がる。
「俺は今から旅館へ行く!」
「駄目です」
「なぜだ!」
「仕事があります」
「仕事は旅館でもできる!」
「できません」
「温泉に入りながらでも――」
「できません!」
「なぜだぁぁぁぁぁ!」
バルガスが叫ぶ。
職員たちが一斉に取り囲む。
「離せ!」
「駄目です!」
「大地! 助けろ!」
「いや、俺は何もしてないから!」
「エレナ!」
「申し訳ありません、バルガスさん」
エレナは大地の腕に自分の腕を絡めたまま、微笑む。
「今日は大地さんと一緒に街を歩く予定ですので」
「そんなぁぁぁぁぁ!」
バルガスの悲鳴がギルド中に響き渡った。
その騒ぎを――。
少し離れた場所から、一人の獣人が見ていた。
猫耳。
細い尻尾。
肩まで伸びた金髪。
そして、粗末な装備。
少女はしばらく大地たちを見つめていたが、意を決したように近づいてくる。
「あの……!」
「ん?」
大地が振り返る。
「今のお話……温泉旅館で働く人を募集しているんですよね?」
「ああ」
少女は深く頭を下げた。
「私たちも、働かせてもらえませんか!」
「え?」
「私の名前はミーナです。猫人族です」
ミーナは少し緊張しながら続ける。
「私たちは、獣人だけでパーティを組んで冒険者をしています」
少女の後ろを見る。
そこには二人の獣人の少女がいた。
だが、全員どこか疲れた顔をしている。
「正直……上手くいっていません」
ミーナは俯く。
「獣人の女ということで普通の仕事にも中々就けず、冒険者として依頼を受けても、あまり稼げなくて……装備も満足に揃えられません」
「……」
「みんなでなんとか頑張ってきました。でも……もともと戦闘は苦手で普通に働きたいんです」
大地は黙って聞いていた。
「そんな時、温泉旅館の話を聞いて……」
ミーナが顔を上げる。
「私たちにも、働ける場所があるなら……」
その目には、必死さがあった。
「お願いします!」
「……」
大地はミーナを見る。
そして隣のエレナを見る。
エレナは静かに頷いた。
「大地さん」
「ああ」
「旅館で、一度お話を聞いてみてもいいと思います」
「そうだな」
大地はミーナに向き直る。
「分かった」
「……!」
「正式な採用は面接してからになるけど、応募すること自体は問題ない」
「本当ですか!?」
「うん」
ミーナの尻尾が勢いよく揺れる。
「ありがとうございます!」
「ただし」
大地は笑う。
「旅館は忙しいぞ?」
「大丈夫です!」
ミーナは即答した。
「どんな仕事でもやります!」
「その気持ちがあるなら、十分だよ」
ミーナは何度も頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「準備もあるだろうから、明日の朝にここで待ってるよ」
「わかりました!」
獣人の少女三人組は涙を浮かべながら、手を取り合い喜んでおり、大地とエレナは顔を見合わせて笑顔を浮かべた。
◇
冒険者ギルドを出る。
「……いい子たちでしたね」
エレナが言う。
「ああ」
二人はまた並んで歩き始める。
エレナの腕は、まだ大地の腕に絡んでいる。
「最初の頃を思い出しますね」
「何が?」
「私たちも、最初は何も分からないところから始まりました」
「……確かにな」
大地は笑う。
「俺なんて、ここに来たばっかりで右も左も分からなかったし」
「私は、大地さんを疑っていました」
「ひどいな」
「ふふっ」
エレナが笑う。
「でも、そんなところから始まったからこそ……今があるんですよね」
「そうだな」
大地は足を止めた。
「エレナ」
「はい?」
「これからもさ」
「……?」
「こうやって、一緒に歩いていこう」
エレナが目を見開く。
「……はい」
そして――。
エレナは大地の腕に、もう一度しっかりと腕を絡めた。
「ずっと、一緒です」
「うん」
二人は再び歩き始める。
温泉旅館を作った。
仲間が増えた。
これから、もっと多くの人が集まってくるだろう。
けれど――。
その始まりは、ほんの小さな出会いだった。
異世界に来た大地と。
一人のエルフの少女。
あの日から今日まで。
二人は、少しずつ歩いてきた。
そしてこれからも。
同じ道を、二人で歩いていく。
「……なあ、エレナ」
「はい?」
「この後、どこ行く?」
「そうですね……」
エレナは少し考えてから、いたずらっぽく微笑んだ。
「今日はこちらに泊まることになると思うので、仕事を忘れて二人だけの時間を過ごしませんか?」
「いいな」
「では、行きましょう」
「うん」
二人は腕を組んだまま、街の中へ消えていった。
その姿は――。
初めて出会った頃よりも、ずっと自然で。
ずっと近くて。
そして、ずっと幸せそうだった。




