【第59話】新たな商機
鉱山を出る頃には、すっかり日が傾き始めていた。
森の木々の間から差し込む夕陽が、長く伸びた影を地面へ落としている。
大地たちは来た道を戻り、温泉宿へ向かって歩いていた。
その途中。
バルガスが、大きく息を吐いた。
「……疲れたな」
「調査だけだったはずなんですけどね」
リディアが淡々と返す。
「Bランク級の魔物に続いて、Sランク級と推定されるダンジョンまで見つかったんです。むしろ、これだけで済んだことを喜ぶべきでしょう」
「分かってるよ」
バルガスは肩をすくめる。
「だからこそ――」
ちらり。
彼の視線が、大地たちの向こうへ向いた。
「温泉でリフレッシュをだな……」
「……」
リディアの眉がぴくりと動く。
「バルガスさん」
「なんだ?」
「先ほどの話、聞いていましたか?」
「もちろん聞いてたぞ」
「なら、なぜそんなことを?」
「いや、だってよ」
バルガスは真剣な顔で言った。
「こんな命懸けの調査の後だぞ? 温泉が目の前にあるんだぞ?」
「報告が先です」
「分かってるって」
「本当に?」
「ああ」
バルガスは力強く頷いた。
そして――。
温泉宿が見えてくる。
その瞬間。
バルガスの歩く速度が、わずかに上がった。
「……」
リディアが目を細める。
「バルガスさん」
「なんだ?」
「今、歩く速度が上がりましたよね?」
「気のせいだ」
「明らかに速くなっています」
「気のせいだって」
さらに速度が上がる。
「……温泉、入りたいんですね?」
「違う」
「では、なぜ宿の方向へ一直線に?」
「帰る方向が同じだからだ」
「……」
リディアは無言になった。
そして――。
温泉宿へ到着。
「じゃあ、俺はひとっ風呂――」
「駄目です」
「即答かよ!」
バルガスが叫ぶ。
その直後。
後ろから、別の声が飛んできた。
「バルガスさん!」
ギルド本部から同行していたガレスだった。
「大至急、クレーベルへ戻ります!」
「……」
バルガスの顔が固まる。
「報告書の作成と、本部への緊急報告があります。ダンジョン発生の可能性だけでも重大案件ですが、今回は周辺への影響も大きい。できるだけ早く戻らなければなりません」
「……いや」
バルガスは温泉宿を見る。
「五分だけ」
「駄目です」
「三分」
「駄目です」
「一分!」
「不可」
「なんでだよ!」
バルガスが頭を抱える。
すると――。
リディアが無言でバルガスの背後へ回った。
「……バルガスさん」
「なんだ?」
「帰りますよ」
「いや、ちょっと待て」
「報告が先です」
「分かった! 分かったから!」
次の瞬間。
「うおっ!?」
リディアがバルガスの後ろ首を掴んだ。
「おい! リディア!」
そのまま――。
ずるずるずるずる。
「ちょ、待て! せめて温泉を一目――!」
「さようなら、大地さん、エレナさん!」
リディアは微笑みを崩さず、二人に挨拶をさて、バルガスを片手で引きずってゆく。
引きずられながら、バルガスが叫ぶ。
「次こそ絶対入るからなぁぁぁ!」
「はいはい」
大地が苦笑しながら手を振る。
「また今度な」
「ギルドを抜け出す口実が中々ねぇんだよぉぉぉ!」
バルガスの叫び声が、森の中へ遠ざかっていった。
「……」
大地はしばらく、その姿を見送る。
「元気だな……」
「元気というより、温泉への執念がすごいですね」
エレナが苦笑する。
「ふふっ」
二人は顔を見合わせると、温泉宿へ戻っていった。
◇
「――ダンジョン?」
宿へ戻るなり、ミレッタへ事情を説明した。
そして。
「鉱山の奥に、新しいダンジョンができた」
その言葉を聞いたミレッタは、目を丸くした。
「……ほんとか?」
「ああ」
大地が頷く。
「岩壁の向こうに空間がある。そこから魔力と瘴気が漏れ出していた。ガレスさんの測定でも、かなり高い反応が出ていた」
「へぇ……」
ミレッタは腕を組む。
「そりゃ、鉱山の魔鉱石が増えてたのも、魔物が変になってたのも納得だな」
「そういうことみたい」
大地は頷いた。
「今後、ギルド本部が正式に調査することになると思う」
「なるほどな」
ミレッタは少し考え込んだ。
「……ってことは」
「ん?」
「これから、あの辺に冒険者が増えるんじゃない?」
「……」
大地とエレナが顔を見合わせる。
「たぶん」
「私もそう思います」
ミレッタはニヤリと笑った。
「じゃあ――」
「じゃあ?」
「商売のチャンスじゃん」
「……」
大地は一瞬、言葉を失った。
だが。
すぐに、その意味を理解する。
「……確かに」
鉱山には、すでに大量の魔鉱石が存在している。
そして、その奥には新たなダンジョン。
ダンジョンが存在する以上、そこへ挑む冒険者が集まる。
冒険者が集まれば――。
食事。
宿泊。
装備。
薬。
道具。
様々な需要が生まれる。
「今までは、温泉宿そのものを目的地にすることを考えていたけど……」
大地は机の上に地図を広げた。
「これからは、ダンジョンへ向かう冒険者たちが、ここを拠点として利用する可能性がある」
「そうですね」
エレナも地図を覗き込む。
「鉱山とこの土地の距離を考えれば、ここはかなり便利な場所になります」
「だったら――」
ミレッタが地図を指差した。
「温泉宿だけじゃ足りない」
大地も頷く。
「俺もそう思う」
「食堂とか?」
「それも必要だな」
「武器屋や防具屋は?」
「冒険者が増えるなら必要になる」
「薬屋もいるだろ」
「治癒薬や状態異常回復薬なんかを扱う店も必要だな」
三人で話しているうちに、次々と案が出てくる。
「道具屋」
「食料品店」
「酒場」
「酒場も必要か?」
「冒険者が集まる場所なら、情報交換の場にもなるだろ」
「なるほど……」
「あと、鍛冶屋」
「それは絶対いるな」
大地は地図へ次々と書き込んでいく。
気がつけば。
温泉宿を中心に、いくつもの建物が並んでいた。
「……なんか」
大地が呟く。
「街みたいになってきたな」
その言葉に、三人が黙った。
しばらくして。
ミレッタがぽつりと言った。
「……本当に、街にする?」
「え?」
「この土地」
ミレッタは地図を見る。
「ダイチが買った土地、かなり広いんだろ?」
「ああ」
「だったらさ」
ミレッタが笑う。
「温泉宿だけじゃ、もったいないじゃん」
大地も地図を見つめる。
この土地を購入したとき。
自分は、ただ温泉宿を建てる場所として考えていた。
けれど――。
今は違う。
温泉を中心に、人が集まる。
人が集まれば、店が必要になる。
店が増えれば、働く人が必要になる。
そして――。
人が暮らす場所が必要になる。
「……街」
大地が呟く。
その言葉が、妙に現実味を帯びて聞こえた。
エレナが静かに微笑む。
「素敵ですね」
「エレナ?」
「温泉宿だけではなく、そこに暮らす人たちの街ができる」
エレナは地図を見つめながら続ける。
「そして、人が集まる場所になれば……大地さんが望んでいる『みんな仲良く入湯』という言葉も、もっと多くの人へ届くのではないでしょうか」
「……」
大地は少しだけ照れながら笑った。
「そうだな」
だが。
ミレッタが腕を組む。
「ただし」
「ん?」
「問題がある」
「問題?」
「人手」
「あ……」
大地の表情が固まった。
ミレッタは指を一本立てる。
「温泉宿を運営する人員」
二本目。
「冒険者に役立つ店を運営する人」
三本目。
「街を作る職人」
四本目。
「管理する人」
そして――。
「あと、飯を作る人」
「……」
大地は黙った。
確かに。
土地はある。
資金もある。
温泉もある。
さらにダンジョンという、予想外の集客要素まで現れた。
しかし。
人がいない。
「……人材集め」
大地が呟く。
「急がないといけないな」
「そういうこと」
ミレッタが頷く。
「温泉宿が完成しても、働く人がいなきゃ営業できない」
エレナも頷いた。
「街を作るのであれば、なおさらです」
「冒険者が増える前に、最低限の受け入れ体制を整えないとな」
大地は地図を見つめる。
鉱山。
温泉宿。
そして、その周囲に広がる土地。
これまでは、ただの森だった。
けれど――。
ここには、これから人が集まる。
冒険者が。
商人が。
職人が。
そして、いつかはこの場所で暮らす人々が。
「……よし」
大地が顔を上げる。
「まずは人を集めよう」
「おう」
ミレッタが笑う。
「忙しくなるぞ、ダイチ」
「だな」
エレナも微笑んだ。
「私もお手伝いします」
こうして――。
温泉宿を作るために始まった計画は。
いつしか。
一つの宿では収まらない、大きな街づくりへと動き始めていた。




