【第51話】商人ギルドと商会令嬢
朝食を終えた大地は、エレナとミレッタに見送られ、一人でクレーベルへ向かっていた。
今日の目的は、いくつかある。
まずは、温泉宿の宣伝。
そして、宿で働いてくれる従業員の募集。
さらに、宿が完成した後に必要となる食材や日用品、寝具などの流通についても、商人たちと話をしておきたい。
建物が完成したからといって、それだけで宿を始められるわけではない。
料理を作る人間がいる。
客を迎える人間がいる。
部屋を掃除する人間がいる。
食材を仕入れ、料理を提供し、客室を整え、設備を維持する。
考えれば考えるほど、必要なものは増えていく。
「……宿って、建てるだけじゃ終わらないんだな」
大地は苦笑しながら街道を歩いていた。
以前の世界では、会社に雇われて働いていた。
与えられた仕事をこなしていればよかった。
だが、今は違う。
自分で決めて、自分で動かなければ何も始まらない。
それは大変ではあるが――不思議と嫌ではなかった。
むしろ、充実している。
「さて……まずは冒険者ギルドだな」
大地はクレーベルの街へ入り、そのまま冒険者ギルドへ向かった。
◇
「おう! ダイチじゃねぇか!」
ギルドへ入るなり、聞き慣れた豪快な声が響いた。
カウンターの奥。
大柄な男が、こちらへ向かって手を上げている。
「バルガスさん」
「今日は一人か?」
「ああ。エレナとミレッタは建設現場に残ってる」
「ほう」
バルガスがニヤリと笑う。
「いよいよ宿作りも本格的になってきたか」
「かなり進んできたよ」
「そりゃ楽しみだな」
大地は受付の前まで歩くと、さっそく本題を切り出した。
「今日は温泉宿の宣伝をお願いしたくて来たんだ」
「宣伝?」
「完成したら、冒険者にも利用してもらいたいからな。温泉がどんなものなのか、まだ知らない人も多いだろ?」
「確かにな」
バルガスは顎に手を当てた。
「だが、冒険者には受けるだろうな」
「そう思う?」
「身体が資本だからな」
バルガスは豪快に笑う。
「疲れを癒やせる温泉なんて聞いたら、興味を持つ奴は多いだろうよ。特に高ランクの冒険者なんかは、長期の依頼から帰ってくるたびに身体を酷使してるからな」
「じゃあ、ギルドの掲示板に宣伝を出してもらえるか?」
「任せろ」
「あと、従業員の募集もする予定なんだ」
「従業員?」
「ああ。受付や料理、給仕、清掃なんかだな。もし仕事を探している人がいたら、声をかけてもらえると助かる」
「分かった。求人のほうも掲示しておこう」
「ありがとう」
大地が頭を下げる。
すると、バルガスがふと思い出したように口を開いた。
「そういや、お前、例の鉱山なんだが、視察の時に付いてきてほしいんだがどうだ?」
「………ああ、別に構わないが」
「なら、その時に俺も行く」
「バルガスさんも?」
「ああ」
バルガスは腕を組んだ。
「あの鉱山は、今後の冒険者ギルドにも関わってくる可能性があるからな。魔鉱石の採掘が本格的に始まれば、冒険者を派遣することになるかもしれん。現地の状況くらいは見ておきたい」
「それなら視察の日、鉱山に行く前に温泉宿に寄ってくれ」
「よし!帯同感謝する!」
二人で鉱山視察の予定日を相談し終わった。
「そういえば――」
バルガスの表情が少しだけ引き締まった。
「一つ気をつけろ」
「何を?」
「あの辺りの土地だ」
「土地?」
「そうだ」
バルガスは大地を指差した。
「お前が所有してる土地だろ」
「ああ」
大地は頷く。
鉱山周辺の土地は、商人ギルドを通して購入した。
温泉宿の拠点として使う土地も含め、あの一帯はすでに大地の所有となっている。
「冒険者が勝手に採掘したり、素材を持ち出したりしないように、ギルドからも注意しておく」
「なるほど」
「特に魔鉱石は価値が高いからな。採掘許可が出るまでは、勝手に手を出させるなよ」
「分かった。俺も立ち会うよ」
「それがいい」
バルガスは頷いた。
「自分の土地なんだから、所有者としてちゃんと見ておけ」
「了解」
大地が頷くと、バルガスはニヤリと笑った。
「しかし、お前も随分と話が大きくなったな」
「そうかな?」
「最初は温泉を見つけたって話だっただろ?」
「ああ」
「それが今じゃ、宿を建てて、土地まで持って、従業員を募集してる」
「……言われてみればそうだな」
「ははは!」
バルガスの笑い声がギルド内に響く。
「完成したら、俺も一度入りに行くからな!」
「もちろん。ぜひ来てくれ」
「楽しみにしてるぞ!」
冒険者ギルドを出た大地は、そのまま商人ギルドへ向かった。
◇
商人ギルドに入ると、冒険者ギルドとは違った空気が漂っていた。
冒険者たちの活気とは対照的に、こちらはどこか落ち着いている。
商談をする者。
帳簿を確認する者。
商品について話し合う者。
そんな人々が、忙しそうに行き交っていた。
大地は受付へ向かう。
「今日はどのようなご用件でしょうか?」
「温泉宿の宣伝と、従業員の募集をお願いしたくて」
「温泉宿……ですか?」
受付の女性が首を傾げる。
「はい。街の外で建設中なんです」
「以前お話に出ていた、温泉のある場所でしょうか?」
「そうです」
「なるほど」
女性は書類を取り出した。
「求人でしたら、商人ギルドの掲示板に掲載できます。仕事内容と条件を教えていただけますか?」
「受付、料理、給仕、清掃……それから宿の管理をしてくれる人も必要になると思う」
「それなりの人数が必要になりそうですね」
「そうなると思う」
「分かりました。では、詳しい内容を――」
その時だった。
「……温泉宿?」
背後から、静かな声がした。
大地が振り返る。
そこに、一人の女性が立っていた。
サラサラとした栗色の長い髪。
端正な顔立ちに、本来の魅力を活かした厚すぎない化粧。
淡い色合いの上質な衣服。
華美な装飾はない。
それでも、仕立ての良さが一目で分かる。
背筋は自然に伸び、立ち姿には一切の無駄がない。
その物腰には、商人というより貴族の令嬢を思わせるような優雅さがあった。
女性は大地に向かって、柔らかく微笑む。
「突然お声をかけてしまい、申し訳ございません」
「いや、大丈夫だけど」
「ありがとうございます」
女性は小さく頭を下げた。
その仕草さえも、どこか洗練されている。
「先ほど、温泉という言葉が聞こえましたので」
「温泉を知ってるのか?」
「ええ」
女性は頷いた。
「ただ……実際に入ったことはございません」
「そうなのか?」
「はい」
女性は少しだけ微笑んだ。
「温泉というものが非常に珍しいことは存じております。地中から湧き出る温かな湯で、身体の疲労を和らげる効果があるとか」
「へえ」
「それだけではありません」
女性の表情が柔らかくなる。
「肌にも良く、美容にも効果がある――そのような噂も、商人たちの間では時折耳にいたします」
「なるほど」
「ですが、どれも人から聞いた話ばかりです」
女性は大地を見る。
「実際に温泉へ入ったことのある者は、そう多くありませんから」
そして――。
「その温泉が、クレーベルの近くにあるのですね?」
「ああ」
「そして、あなたがそこに宿を?」
「そう」
大地が答えた瞬間だった。
女性の目が、わずかに変わった。
驚きではない。
何かを見つけた時の目。
大地には、その変化の意味までは分からなかった。
女性は資料へ視線を落とす。
「……それは、とても興味深いですね」
「温泉宿に?」
「はい」
女性は微笑んだ。
「珍しいものには、価値が生まれます」
「……」
「まして、それを利用できる場所を、宿という形で提供するのであれば――」
そこで、女性は一度言葉を止めた。
「多くの方が興味を持つ可能性がございます」
大地は少し考える。
「そんなに珍しいものなのか?」
「はい」
女性は静かに頷いた。
「少なくとも、私の知る限り、誰でも利用できる温泉施設というものはほとんど聞いたことがありません」
「なるほど」
「それがクレーベルの近くにある」
女性は大地を見る。
「そして、あなたはすでにそこへ宿を建て始めている」
「そうだな」
「……なるほど」
また、小さく呟く。
その声音には、わずかな興奮が混じっていた。
まだ見たこともない。
まだ入ったこともない。
それでも――。
商人として培ってきた経験が告げている。
これは、ただの宿では終わらないかもしれない。
温泉を目当てに人が集まれば、宿泊客が増える。
人が集まれば、食事が必要になる。
食材が必要になる。
酒も必要になる。
寝具も、衣服も、日用品も必要になる。
宿で働く人間も必要になる。
そして、それらを運ぶ商人も必要になる。
一つの温泉が、人の流れを生み出す。
人の流れが、金の流れを生み出す。
――ならば。
その流れを、誰より早く押さえればいい。
女性はそんな計算を、一瞬のうちに頭の中で組み立てていた。
「……一度、拝見してもよろしいでしょうか?」
「もちろん」
「まだ建設途中なのですよね?」
「ああ」
「それでしたら、なおさらです」
「完成してからじゃなくて?」
「はい」
女性は微笑む。
「完成してしまえば、すでに仕入れ先などが決まってしまっている可能性がありますから」
「確かに」
「でしたら、まだ何も決まっていない今のうちに、現地を拝見しておく価値はあるでしょう」
大地は感心した。
「商人って、そういうことまで考えるんだな」
「商売をする者として、当然のことですよ」
女性は優雅に笑った。
「それに――」
一度、大地を見る。
「視察の結果次第では、私どものほうで必要な物資をお届けすることも可能です」
「必要な物資?」
「食材、酒、寝具、食器、衣類、日用品……宿を運営するには、様々なものが必要になるでしょう?」
「まあ、そうだな」
「でしたら、ぜひ一度現地を見せてください」
女性は穏やかな口調のまま言った。
「温泉宿の規模や設備、周辺の環境を拝見した上で、どのような物が必要になるのか考えてみたいと思います」
「分かった」
大地が頷く。
「じゃあ、現地に来てくれたら案内するよ」
「ありがとうございます」
女性は嬉しそうに微笑んだ。
そして――。
「申し遅れました」
優雅に一礼する。
「セリーナ・ロア・アーベルと申します」
「アーベル……?」
聞き覚えのない名前に、大地が首を傾げる。
すると、先ほどの受付嬢が驚いたように口を開いた。
「アーベル商会の……セリーナ様」
「はい」
セリーナは少し困ったように笑う。
「そのように改めて紹介されると、少々恥ずかしいですね」
「アーベル商会って?」
大地が尋ねる。
受付嬢は大地を見て、目を丸くした。
「ご存じないのですか?」
「……そんなに有名なのか?」
「大陸最大の商会ですよ」
「大陸最大……?」
「ええ」
受付嬢が頷く。
「大陸各地に商路を持ち、様々な商品を取り扱っている、非常に大きな商会です」
大地は改めてセリーナを見る。
目の前にいる女性が、そんな巨大商会の令嬢だとは思わなかった。
「私はまだ父の商会を手伝わせていただいているだけです」
セリーナはそう言って、上品に微笑む。
「いくつかの商談を任せていただいておりますが、まだまだ学ぶことばかりです」
「いや……」
大地は苦笑する。
「さっきの話を聞いてると、十分すごそうだけど」
「ふふっ」
セリーナは小さく笑った。
「そう言っていただけると嬉しいですね」
しかし、その瞳の奥には、先ほどまでと同じ光が宿っている。
温泉。
クレーベル。
そして――温泉宿。
まだ誰も、その価値を理解していないのなら。
いち早く動いた者が、大きな利益を得る。
セリーナは、そう考えていた。
そしてもし、視察の結果が予想以上のものだったなら――。
温泉宿で必要になる物資の流通を、できる限りアーベル商会で押さえたい。
それが、セリーナの商人としての本能だった。
「それでは、お伺いする日を楽しみにしております」
「ああ」
大地は頷いた。
「じゃあ、いつでも待ってるから」
「お待ちしております」
セリーナは最後まで優雅な笑みを崩さなかった。




