【第48話】一番の証明
テントへ戻ったエレナは、なかなか眠りにつくことができなかった。
毛布に包まり、目を閉じる。
けれど――。
眠れない。
先ほどまでの出来事が、頭の中を何度も駆け巡っていた。
ミレッタと大地。
二人が温泉で交わした言葉。
ミレッタの艶かしい声。
そして――。
自分が、それを受け入れたという事実。
「…………」
エレナは、胸元に手を当てる。
心臓が、まだ少し速い。
淫猥と嫉妬とが胸の中でぐちゃぐちゃになっている。
それは間違いない。
けれど、それだけではなかった。
ミレッタが幸せになれたことへの安堵もある。
そして何より――。
自分自身が、今まで知らなかった感情を知ってしまったことへの戸惑い。
「……私、どうしてこんなに……」
小さく呟いた、その時だった。
テントの外から、足音が聞こえてきた。
「……?」
エレナが身を起こす。
入口の向こうから、大地の声がした。
「エレナ、まだ起きてるか?」
「……ダイチさん?」
エレナは慌てて毛布を整える。
「はい。起きています」
「入ってもいいか?」
「もちろんです」
入口が開く。
そこに立っていた大地は、先ほどより酒が抜けたような顔をしていた。
「……どうしたんですか?」
「ちょっと話したくて」
「私と……ですか?」
「ああ」
大地はテントの中へ入ると、エレナの前に座った。
そして、少しだけ困ったように笑う。
「ミレッタに言われたんだ」
「……何をですか?」
「エレナのところに戻れって」
「…………」
エレナの胸が、わずかに跳ねた。
「そう……ですか」
「うん」
大地は頷いた。
「だから戻ってきた」
その言葉だけで、エレナの胸の奥が少し温かくなる。
けれど。
「……それだけですか?」
エレナは、少しだけ視線を逸らした。
「はい?」
「いえ……」
自分でも何を聞きたいのか分からない。
ただ。
今夜、自分が選んだことが正しかったのか。
それだけが、怖かった。
「……大地さん」
「ん?」
「少し……外を歩きませんか?」
「今から?」
「はい」
エレナは立ち上がる。
「ここでは、少し話しにくいですから」
「分かった」
二人はテントを出た。
◇
夜の森は静かだった。
宴会の喧騒も、もう遠い。
木々の間から月明かりが差し込み、二人の足元を淡く照らしている。
しばらく歩いたところで、エレナが足を止めた。
「この辺りなら……誰もいませんね」
「ああ」
大地も立ち止まる。
「それで?」
エレナは少しだけ俯いた。
「……温泉でのことです」
「やっぱり、その話だよな」
「はい」
大地は小さく息を吐く。
「正直に言うと、俺もまだ頭の中が整理できてない」
「……そうですよね」
「でも」
大地はエレナを見る。
「ミレッタの気持ちは、ちゃんと受け止めたいと思ってる」
エレナは黙って聞いていた。
「だから……今夜、ミレッタと話をした」
「…………」
「ミレッタは、自分の気持ちを伝えてくれた」
「そうですか」
「それで――」
大地は少しだけ言葉を選んだ。
「エレナのところへ戻ってくれって言われた」
「……はい」
エレナは小さく笑った。
「ミレッタらしいですね」
けれど、その笑顔は少し震えていた。
「私は……本当に、それでいいと思っています」
「エレナ」
「大地さんがミレッタを受け入れたことを、責めるつもりはありません」
「…………」
「私自身が、そう決めたんですから」
エレナは顔を上げる。
月明かりの下で、大地をまっすぐに見つめた。
「……ああ」
「ですから、大地さんも……その気持ちを大切にしてください」
大地は黙ってエレナを見つめる。
そして――。
「ありがとう」
そう言った。
エレナは少しだけ目を伏せる。
「……でも」
「ん?」
「一つだけ、お願いがあります」
「何?」
エレナは、大地の胸元へそっと手を置いた。
「私は……大地さんの一番でいたいです」
「…………」
「ミレッタを受け入れることと、私が大地さんに愛されなくなることは……別ですよね?」
「当たり前だ」
大地は即答した。
その迷いのない言葉に、エレナの瞳が揺れる。
「……本当に?」
「ああ」
「でしたら――」
エレナは少しだけ頬を赤らめた。
「証明してください」
「証明?」
「………」
エレナは大きな木を背にして、恥ずかしそうに、ゆっくりと自身のスカートを両手でたくし上げる。
「言葉だけでは……今夜の私は、少し不安なんです」
「………ッ!」
エレナは何も履いておらず、下腹部からは、艶やかな雫が太腿をつたっており、むせ返るような発情した女の香りが漂う。
「……二人のこと考えていると……エレナはこんなになってしまいました…」
大地は、しばらくエレナを見つめた。
そして――。
優しく、その手を包み込む。
「分かった」
「……大地さん?」
「ちゃんと証明する」
大地はエレナの手を引き寄せた。
そのまま、そっと抱きしめる。
「俺が一番大切にしたいのは、エレナだ」
「…………」
「ミレッタの気持ちも大切にする。でも、それでエレナへの気持ちが変わるわけじゃない」
エレナは大地の胸に顔を埋める。
「……はい」
「一番に愛してくれますか?」
「当たり前だ」
大地は木に押し付ける形でエレナを押し付け、強引に唇を奪う。
「……んっ……」
エレナは、大地の背中へ腕を回して、受け入れる。
互いの唾液が激しく混ざり合い、淫靡な音が静寂を破ってゆく。
「……っん…はぁ…はぁ」
しばらく、二人は何も言わなかった。
何度も何度も唇を貪り合うだけの二人。
「………俺が他の女とすると興奮するのか?」
「…………ッ!」
大地の質問に鼓動が跳ねる。
こんな淫らな私を彼は受け入れてくれるのだろうか。
「エレナ答えるんだ」
「……は、はい……興奮しました」
ーー耳元での質疑応答。
大地を信じ、自分の淺ましい内面を曝け出す。
「変態だな」
「……そ、そんな…ちがっ!……ぁん!」
大地の手はエレナの下腹部へ伸びてゆく。下腹部は甘ったるい蜜で濡れそぼる。
「……そんなエレナも受け入れるよ」
「……あっ……ぁあ……は…ぃ」
誰もいない森、絡み合う男女は月明かりも届かない静寂の闇という二人だけの世界へと消えていった。
◇
夜の森を、静かな風が通り抜ける。
大地の背中にはエレナ。
果てて気を失ったエレナを大地がおぶさってテントに向かっている。
「……あれ?…私…」
「目が覚めたか?」
大地の背中から伝わる鼓動に耳を傾けながら、心地よい余韻に浸っている。
やがて、大地の声にエレナが顔を上げる。
その瞳には、先ほどまでの迷いが少しだけ薄れていた。
「大地さん」
「ん?」
「もう一つだけ……」
「何?」
エレナは照れたように微笑む。
「私を……ちゃんと見ていてください」
「ああ」
「これからも?」
「これからも」
「ずっと?」
「ずっと」
「……約束ですよ?」
「約束する」
その言葉を聞いて、エレナはようやく笑った。
そして――。
大地の胸にもう一度、そっと身を寄せる。
「……これなら、少し眠れそうです」
「少し?」
「はい」
「まだ眠れないのか?」
「……だって」
エレナは顔を上げ、悪戯っぽく微笑む。
「今夜は色々ありすぎましたから」
「それは……俺も同じだな」
「ふふっ」
二人の間に、穏やかな笑い声が落ちた。
その夜。
エレナは、ミレッタを受け入れた。
けれど、自分の愛まで手放したわけではない。
むしろ――。
大地の腕の中で、その想いを改めて確かめていた。
自分は、この人を愛している。
そして、この人も自分を愛してくれている。
それだけは――。
誰にも譲らない。
「……大地さん」
「ん?」
「おやすみなさい」
「ああ。おやすみ、エレナ」
静かな森を歩いていく。
月明かりが、寄り添う二人の影を長く地面へ落としていた。




