【第43話】魔道具技師ミレッタ
「……うぅ」
大地は腹を押さえながら、ゆっくりと身体を起こした。
「くぅん」
傍には聖獣のユズキが心配そうな顔で大地の頬を舐めている。
頭が重い。
口の中も妙に乾いている。
そして何より――腹が痛かった。
「……昨日、俺なんかしたのかな」
昨夜の記憶を辿ってみる。
ドワーフたちと酒を飲んだ。
唐揚げを食べた。
大いに笑った。
そこまでは覚えている。
だが、その先が完全に抜け落ちていた。
「……まあ、いいか」
大地は考えることを諦めた。
その瞬間。
「よくない」
背後から低い声が飛んできた。
「……え?」
振り返る。
そこには腕を組んだミレッタが立っていた。
「な、なんだよ……」
「……別に」
ミレッタはそっぽを向く。
「ただ、今日から酒は禁止だからな」
「えっ!?」
「少なくとも、あたしが見てる間はな」
「なんで!?」
「……知らない」
「いや、絶対何かあるだろ!」
ミレッタは答えなかった。
ただ、その顔は妙に赤い。
ぷんぷんと怒った様子で、テントの方へ戻っていった。
大地は首を傾げる。
「どうしたんだあいつ?」
「……まあいいか」
「それより、今日も仕事だ」
大地は立ち上がった。
二日酔いで頭は重い。
腹も痛い。
それでも――。
目の前には、これから自分たちが作り上げる温泉宿がある。
「今日も頑張ろう」
◇
朝食を終えると、職人たちはすぐに作業へ取りかかった。
昨日の時点で、建物の基礎はほぼ形になっている。
今日は、その基礎をさらに整え、建物の骨組みを組み上げていく。
そしてもう一つ。
宿の最大の目玉となる――大浴場の建設だ。
「まずは基礎の確認!」
ミレッタの声が森に響く。
ドワーフたちは木槌や測定用の道具を手に、昨日作った基礎を一つひとつ確認していった。
「こっちは問題なし!」
「こっちは二センチほど高い!」
「削れ!」
「削りすぎるなよ!」
「分かってる!」
職人たちの声が飛び交う。
大地はその様子を眺めながら、感心したように呟いた。
「やっぱり職人ってすごいな……」
「当然だろ」
ミレッタが胸を張る。
「あたし達はドワーフだぞ」
「そこ、種族で誇るところなのか?」
「誇るところだ」
即答だった。
大地は苦笑しながら、次の作業へ向かった。
◇
建物の外側では、エレナが土魔法を使って地盤の調整を行っていた。
「こちらでよろしいですか?」
「もう少しだけ奥だ!」
「はい」
エレナが両手を前へ伸ばす。
「――土よ、望む形へ」
淡い魔力が地面へ広がった。
ズズズ……。
地面がゆっくりと動き、盛り上がっていた土が均されていく。
さらに魔力を込めると、土が圧縮され、建物を支えるのに適した硬さへと変化していった。
「おお……」
大地は思わず声を漏らした。
人の手なら何時間もかかりそうな作業を、エレナは魔法によって一気に進めていく。
だが、魔法だけですべてが完成するわけではない。
「エレナさん! あと三センチ!」
「はい!」
「そこから少し右!」
「こちらですか?」
「そう! そこだ!」
エレナが魔力を微調整する。
「……完璧だ!」
職人が声を上げる。
「魔法で大まかな形を作ってもらって、最後は俺たちが仕上げる。このやり方ならかなり早いぞ!」
「よかったです」
エレナが嬉しそうに微笑んだ。
大地も笑う。
「エレナの土魔法、完全に建設現場の重機だな」
「じゅうき……?」
「いや、こっちの話」
エレナは首を傾げた。
◇
そして――。
大浴場の建設も始まった。
「ここだな」
大地は設計図を広げる。
「昨日までの浴槽より、もっと広くする」
「かなり大きくするんだな」
ミレッタが設計図を覗き込む。
「せっかくの温泉宿だからな」
大地は笑った。
「泊まった人が入った瞬間に、『うわぁ……』ってなるくらいの大浴場にしたい」
「なるほどな」
ミレッタも頷いた。
「なら、湯量もしっかり確保しないとな」
「そこはどうする?」
大地が尋ねると、ミレッタは待っていたとばかりに笑った。
「それこそ、あたしの出番だ」
そう言って、近くに置いていた木箱を開く。
中には複雑な形をした金属製の魔道具がいくつも収められていた。
魔石。
細かな配管。
複雑な魔法陣。
そして、見ただけでは用途すら分からない装置。
大地は目を丸くする。
「……これ、全部温泉用?」
「ああ」
ミレッタは得意げに頷いた。
「温泉を汲み上げる装置だ」
一つの魔道具を取り出す。
筒状の金属の中央には、大きな魔石が埋め込まれている。
「地下の温泉を、これで汲み上げる」
ミレッタが魔石へ魔力を流す。
ゴォォォ……。
低い音が響いた。
しばらくすると、地下から温泉が引き上げられ、設置された配管の中を流れ始める。
「おお……!」
職人たちから歓声が上がった。
「湯が来たぞ!」
「流量も安定してる!」
ミレッタはさらに別の装置を取り出した。
「次はこいつだ」
「何?」
「原湯槽」
「原湯槽?」
「汲み上げた温泉を、一度ここに貯める」
ミレッタが説明する。
「地下から直接浴槽へ送ると、湯量や温度が安定しない。だから一度ここに溜めて、そこから必要な分だけ送るんだ」
「なるほど」
大地は頷いた。
「じゃあ、その次は?」
「これだ」
今度は魔法陣の刻まれた金属箱を取り出す。
「浄化装置」
「浄化?」
「ああ」
ミレッタは装置を配管へ接続する。
「温泉に混じった砂や土、細かな鉱物なんかを取り除く。ただし――」
ミレッタは大地を指差した。
「温泉の成分そのものは残す」
「そこ重要なんだな」
「当たり前だろ」
ミレッタは胸を張る。
「温泉から成分まで抜いたら、ただの湯じゃねぇか」
「確かに」
魔道具が淡く光った。
内部を通った湯から細かな不純物が分離されていく。
その様子を見て、エレナも感心したように覗き込んだ。
「本当に綺麗になりますね……」
「さらに湯温も調整できる」
「そこまで?」
「当然」
ミレッタは得意げに別の装置を指した。
「これで湯の流量を調整して、浴槽に適した温度にする」
「……」
大地は呆然と魔道具を眺めた。
「ミレッタって、すごいんだな」
「見直したか?」
「ああ!まだ子供なのにすごいよ」
「……ど、どういう意味だ!」
「違ったのか?」
「あたしはこれでももう成人してるんだぞ!」
ミレッタが拳を振り上げる。
「痛っ!」
大地は昨日から痛む腹を押さえた。
「……すみません…」
「……」
ミレッタは一瞬だけ気まずそうに目を逸らした。
「……ったく!昨日のことは忘れろ」
「だから何があったんだよ!」
◇
温泉設備が整ったところで、大浴場そのものの工事が始まった。
「ここを掘る!」
エレナが両手を掲げる。
「――土よ、道を開け!」
ズズズズズ……!
地面が大きく沈み込んでいく。
大浴場の浴槽部分が、見る見るうちに形になっていった。
「すごい……」
大地は思わず見入る。
「ここまで一気に掘れるのか」
「まだです!」
エレナがさらに魔力を込める。
浴槽の底が整えられ、周囲の地面も滑らかに固められていく。
「ここからは俺たちの仕事だ!」
ドワーフたちが一斉に動き出した。
石を運ぶ。
並べる。
固定する。
浴槽の縁を整える。
さらに、温泉を流し込むための配管を設置する。
「配管、ここ!」
「了解!」
「こっちに固定!」
「よし!」
「湯の流れを確認するぞ!」
ミレッタが魔道具を操作する。
ゴォォ……。
地下から汲み上げられた温泉が、原湯槽へ送られる。
そこから浄化装置を通り、湯温を調整されて――。
浴槽へ。
「湯が来たぞ!」
温泉がゆっくりと浴槽へ流れ込む。
湯気が立ち上った。
「おお……!」
職人たちから歓声が上がる。
「温度、問題なし!」
「湯量も安定してる!」
「浄化も正常!」
ミレッタが頷く。
「よし。これで温泉設備は問題ない」
大地は湯気を見つめながら、嬉しそうに笑った。
「……本当に温泉宿になってきたな」
◇
一方、建物本体の作業も順調に進んでいた。
大地は木材の集積場所へ向かう。
「よいしょっと!」
太い木材を肩に担ぐ。
一本。
二本。
三本。
「まだいける!」
身体能力向上の効果によって強化された身体なら、この程度の木材はもはや大した重さではない。
「ダイチ!」
職人から声が飛ぶ。
「次はそっちの柱だ!」
「分かった!」
大地は木材を運び、指定された場所へ置いていく。
「よし、立てるぞ!」
ドワーフたちが柱を持ち上げる。
大地も加わる。
「せーの!」
ズンッ!
柱が立った。
「固定!」
カンッ!
カンッ!
木槌が打ち鳴らされる。
一本。
また一本。
昨日まで地面にしかなかった建設予定地に、少しずつ建物の輪郭が生まれていく。
「梁を上げるぞ!」
「任せろ!」
大地が梁を担ぐ。
「重くないのか、お前?」
「全然!」
「便利な身体してるな……」
「これも温泉効果だからな」
「温泉ってすげぇな!」
「だろ?」
大地は笑った。
◇
昼を過ぎても、作業は止まらなかった。
エレナが土を整え。
ミレッタが魔道具を調整し。
ドワーフたちが石と木材を組み上げ。
大地が材料を運び、骨組みを組み立てていく。
それぞれの得意分野が噛み合い、工事は驚くほどの速度で進んでいった。
「ここ、少しだけズレてます!」
「どこだ?」
「この柱です!」
「任せろ!」
大地が柱を押さえる。
職人が位置を調整する。
「あと少し!」
「ここか?」
「よし!」
カンッ!
固定。
「完璧!」
「次!」
誰かが叫ぶ。
また別の場所へ向かう。
そんな作業を何度も繰り返した。
◇
そして――。
気づけば、空が赤く染まり始めていた。
「今日はここまで!」
ミレッタの声が森に響く。
職人たちは一斉に手を止めた。
「ふぅ……」
大地も大きく息を吐く。
身体は疲れている。
それでも、不思議と気分は軽かった。
目の前には――。
昨日とは明らかに違う光景が広がっている。
建物の骨組み。
形を成した大浴場。
そして、そこへ温泉を送り込むための魔道具と配管。
まだ壁も屋根も完成していない。
宿としては、まだまだ工事の途中だ。
それでも――。
「……形になってきたな」
大地が呟く。
「はい」
隣に立ったエレナが微笑む。
「昨日よりも、ずっと宿らしくなりました」
「うん」
大地は建物を見上げた。
「明日も頑張ろう」
「はい!」
その横で、ミレッタが魔道具の最終確認をしている。
「汲み上げ、問題なし」
魔石の状態を確認。
「浄化も正常」
配管を確認。
「湯温調整も問題なし」
最後に大浴場を見つめる。
「……よし」
ミレッタは満足そうに頷いた。
「明日から、こいつはちゃんと温泉として使えるぞ」
その言葉を聞いた大地の顔が、一気に明るくなった。
「本当か!?」
「ああ」
「じゃあ――」
大地は完成した大浴場を見つめる。
「明日は温泉に入れるんだな」
「建設途中なのを忘れるなよ?」
ミレッタが呆れたように笑った。
「分かってるって!」
大地も笑う。
夕暮れの森に、三人の声が響いた。
まだ宿は完成していない。
けれど――。
確実に、夢だった温泉宿は形になり始めていた。
そして明日は。
完成したばかりの大浴場で、初めて皆が湯に浸かる日になる。




