【第42話】酔いの向こう側
夜もすっかり更けていた。
昼間は職人たちの声と、木材を打ち鳴らす音が森中に響き渡っていたというのに、今ではすっかり静まり返っている。
聞こえてくるのは、焚き火が薪を弾く小さな音と、すっかり出来上がったドワーフたちの豪快な笑い声くらいだった。
その焚き火を囲み、大地は真っ赤になった顔でグラスを掲げていた。
「ダイチ! まだ飲めるだろ!」
「飲める!」
大地は勢いよくグラスを掲げる。
――たぶん。
正直なところ、もう何杯目なのか本人にも分からない。
目の前にいるドワーフの顔も、さっきから妙に増えたり減ったりしている気がする。
「……なあ」
「なんだ?」
「お前、さっき三人いなかったか?」
「俺は一人だ!」
「そうか……」
大地は真剣な顔で頷いた。
「じゃあ、俺の目がおかしいな」
「今さら気づいたのかよ!」
周囲から一斉に笑い声が上がる。
何がそんなに面白いのか、大地自身にもよく分からない。
ただ――楽しかった。
朝から身体を動かし、職人たちと汗を流して、夕方には皆で食卓を囲む。
そして今は、冷たいビールを片手に馬鹿みたいに笑っている。
日本にいた頃には、こんなふうに大勢で酒を飲みながら笑うことなんて、ほとんどなかった。
「……いいな、こういうの」
「何がだ?」
「こういうのだよ」
「だから、何がだよ!」
「……なんか、いいんだよ」
「酔っ払いの話は分からねぇな!」
再び笑い声が弾ける。
大地もつられて笑いながら、グラスを傾けた。
冷えたビールが喉を通っていく。
「……うまい」
「だろ!」
「もう一杯!」
「おう!」
注がれた。
飲んだ。
そして――また注がれた。
◇
どれくらい経っただろう。
気がつけば、周囲ではドワーフたちが次々と眠り始めていた。
「……おい、起きろ」
「……ぐぅ」
「寝るなよ。まだ飲んでるだろ」
「……もう無理だ……」
「無理って言った奴から寝るな!」
大地が肩を揺すると、ドワーフは完全に力を抜いた。
「……寝た」
「お前も寝ろよ」
「いや、俺はまだ……」
そこまで言ったところで、大地の視界が大きく揺れた。
「……あれ?」
地面が傾いている。
いや。
違う。
地面は傾いていない。
自分が傾いている。
「……なるほど」
大地は一人で納得した。
「俺が酔ってるのか」
――今さらの発見だった。
立ち上がろうとする。
しかし、身体が思った方向へ動かない。
「よっ……と」
一歩。
「……」
二歩。
「……」
三歩目。
大地は近くの木に抱きついた。
「危なかった……」
木は何も答えない。
「……お前、いい奴だな」
当然、木も何も答えない。
大地はしばらく木を見つめていた。
そして、ぽんぽんと幹を叩く。
「明日もよろしくな」
木はやはり何も答えなかった。
◇
「寝よう……」
ようやくそう決めた大地は、千鳥足で歩き始めた。
エレナが待っている。
……たぶん。
「エレナ……もう寝てるかな」
自分では真っ直ぐ歩いているつもりだった。
だが、実際には右へ。
左へ。
また右へ。
まるで酔っ払い専用のジグザグ道でもあるかのように、蛇行している。
「……おかしいな」
右へ寄る。
「こっちだったか?」
左へ戻る。
「……いや、違う」
また右へ。
「……まあ、着けばいいか」
酔っ払いの思考は実に大らかだった。
そして、しばらく歩いたところで――。
「あった」
見慣れたテントが目に入った。
「……ここだ」
大地は安心した。
入口の布を持ち上げる。
「……ただいま」
返事はない。
「……寝てるのか」
暗いテントの中へ入る。
すると、奥に人影があった。
大地は目を細める。
「……いた」
細い身体。
間違いない。
「エレナだ……」
人影がもぞりと動いた。
「……ん?」
「……ダイチ?」
その声を聞いて、大地は安心したように笑った。
「なんだ。まだ起きてたのか」
「いや……あたしは……」
何か言っている。
だが、酔いきった大地の耳にはまともに届いていない。
「まあいいや」
大地はふらふらと人影へ近づいていく。
「寝に来たんだよ」
「……そうなのか?」
「うん」
「……」
「もう寝るだろ?」
「……ああ」
「じゃあ、俺も寝る」
大地は満足そうに頷いた。
しかし、身体を横にしようとした瞬間――。
「おっと!」
足がもつれた。
「きゃっ!……ちょ、ダイチ!」
そのまま二人は寝床へ倒れ込む。
「ごめんごめん……ちょっと飲みすぎたみたいだ」
「……ちょっと?」
「うん。ちょっと」
どう見ても「ちょっと」ではない。
大地はそのまま人影に覆い被さるような形になった。
「あー……疲れた」
今日一日の疲労が一気に押し寄せてきた。
それでも、なぜか口だけはよく動く。
「今日は……楽しかったな」
「……そ、そうだな」
「みんな喜んでくれたし」
「うん」
「唐揚げも美味かったし、ビールも美味かったし……」
大地は満足そうに笑った。
「明日も頑張らないとな」
「……ああ」
「宿、ちゃんと作ろうな」
「……そうだな」
大地は薄く目を開けた。
目の前の女性は、なぜか妙に困ったような顔をしている。
「どうした?」
「……いや」
「眠いのか?」
「……まあ、な」
「……かわいいなぁ」
大地は完全に酔っ払いの目をしていた。
そのまま女性を抱き寄せる。
「ちょ、ちょっと待て、ダイチ……」
「大丈夫、大丈夫」
「何が大丈夫なんだ!」
女性の声には、明らかに焦りが混じっていた。
だが、酔っ払いにまともな制止が届くはずもない。
(エレナ……今日はなんだか、いつもより体が小さいな……)
(それに、声も少し違うような……)
「…………」
大地は目の前の女を抱きしめて首元に顔を近づけていく。
「ーーーーっひゃ!」
女は体をビクンと震わせて、硬直している。
「ん?なんだ緊張してるのか?はじめてでもないのに可愛いやつだな」
大地は自分の上着を脱ぎ捨て、女の衣服を強引に脱がせてゆく。
「…ちょ、ちょっと待って!ダイチ!」
「待てませーん」
裸になった女は手で自身の胸を隠して、恥ずかしそうに節目がちになっている。
「隠してたら見えないだろ?」
「……やっ!は、恥ずかしいよ…ダイチ」
無理やり手を押し退けて、両手を掴んで頭の上で大地の手で固定させた。
「………!」
(なんかエレナ縮んだか?)
大地は女の胸に視線を落としながら呟く。
「こ、こんな格好!は、恥ずかしいって」
胸も脇も丸出しにしながら、声を震わせて、熱っぽい視線をこちらに向けてくる。
(なんかいつもと違う気がするけど、そういうプレイってことか?)
(ーーーーーそれならっ!)
ーーーぺろ
「………ひゃぁん!」
顕になった脇を大地は舌で少し舐める。
ーーーぺろぺろ
「……やぁん…そ、そんなとこ……き、汚いよ」
恥ずかしがって抵抗する体を片手で押さえつけ、構わず脇をゆっくりと舐め上げてゆく。
「……ぁ……やぁ…あぁん」
女の顔は普段から想像もできないような、目の焦点が合っておらず、顔は赤く染まり、次を期待しているように見える。
「じゃあエレナ…そろそろ……」
大地は女の下半身にゆっくり手を伸ばす。
女性のこめかみに、ぴくりと青筋が浮かんだ。
それでも大地は気づかない。
次の瞬間。
大地がさらに距離を詰めようとしたところで――。
「調子に乗るなぁぁぁぁぁッ!」
――ドゴォン!!
強烈な一撃が大地の腹へ突き刺さった。
「……ぐへぇっ!?」
大地の身体がくの字に折れる。
そのまま勢いよくテントの外へ吹き飛ばされ――。
「うおおおおおおっ!?」
ゴロゴロゴロゴロッ!
夜の森を転がっていった。
やがて――。
「…………」
大地は地面に仰向けになったまま、ぴくりとも動かなくなった。
静寂が戻る。
テントの入口から、ゆっくりと女性が顔を出した。
「……はぁ……はぁ……」
その正体は――ミレッタだった。
「……誰がエレナだ、この馬鹿……!」
ミレッタは真っ赤な顔で吐き捨てる。
そして、地面に転がる大地を見下ろした。
「……ったく」
その声には呆れが混じっている。
「……明日、全部覚えてなかったら……」
ミレッタは拳を握った。
「……もう一発だ」
◇
翌朝。
「…………」
大地は目を覚ました。
頭が痛い。
ものすごく痛い。
「……うぅ」
二日酔いだ。
完全な二日酔いだった。
「飲みすぎた……」
額を押さえながら、ぼんやりと空を見上げる。
昨夜の記憶を辿ろうとする。
唐揚げ。
ビール。
ドワーフたち。
宴会。
笑い声。
そして――。
「……あれ?」
大地は眉を寄せた。
「その後……何してたっけ?」
必死に思い出そうとする。
だが、まるで濃い霧がかかったように何も思い出せない。
「……記憶がねぇ」
大地は頭をぽりぽりと掻いた。
「まあ……飲みすぎたんだし、仕方ないか」
あっさり諦めた。
そして、自分のテントへ戻る。
入口の布をくぐると、エレナが寝息を立てていた。
「……寝てるか」
起こさないよう、そっと外へ出る。
そこで大地は、自分の格好に気づいた。
「……ん?」
自分の身体を見る。
「……なんで俺、上半身裸なんだ?」
しかも、腹のあたりが妙に痛い。
「……?」
昨日の酒で転んだのだろうか。
それとも、何かにぶつかったのか。
「全然覚えてないな……」
そのときだった。
テントの入口が開いた。
「……あ」
出てきたのはミレッタだった。
「おはよう! ミレッタ」
「……あ、ああ……おはよ」
妙に歯切れが悪い。
しかも、どこか落ち着かない様子で、もじもじしながら大地を見ている。
「なんだ?」
「……別に」
「お前も二日酔いか?」
「…………!」
ミレッタの肩が跳ねた。
「どうした?」
大地は心配そうに顔を近づける。
「顔色悪いぞ」
「……お、覚えてないのか?」
「何を?」
「……昨日のこと」
「ああ」
大地は腕を組み、真剣に考えた。
「昨日は皆で酒盛りして……」
「うん」
「その後の記憶が綺麗さっぱりない」
「…………」
ミレッタの拳が、ぎゅっと握られた。
「……こ、こここ、この……!」
「こここ?」
大地は首を傾げる。
「鳥かなんかの真似か?」
「…………」
「そうだな。朝食は鳥でも使って――」
「バッカ野郎ぉぉぉぉぉ!!」
――ドゴォン!!
「……ぐへぇっ!」
大地の身体が前のめりに折れ曲がる。
そのまま地面へ崩れ落ちた。
「な、何するんだミレッタ……」
「知るかぁ!」
「腹……昨日から痛いんだけど……」
「自業自得だ!」
「……?」
大地は涙目になりながらミレッタを見上げる。
ミレッタは顔を真っ赤にしたまま、ぷいっと顔を背けた。
「……ほんっと、最低だ……」
「俺、何かした?」
「……」
「したなら謝るけど」
「……覚えてないくせに……」
「うん」
「そこは覚えとけよ!」
「無茶言うな!」
朝の森に、二人の声が響き渡る。
その少し離れた場所では――。
「…………」
テントの入口から、エレナがそっと顔を出していた。
状況を見つめること数秒。
「……何をしているのでしょうか、あの二人は……?」
エレナは首を傾げた。
そして――。
「……まあ、仲が良いのはいいことですね」
何も知らないエレナは、にこやかに微笑んだ。
一方その頃。
地面に突っ伏した大地は――。
「……俺、昨日何したんだ……?」
人生最大級の謎を抱えたまま、二日酔いの頭を抱えていた。




