【第40話】夢が形になる
――それから、一ヶ月。
土地を購入してからというもの、大地とエレナは旅館建設に向けた準備を進めていた。
とはいえ、二人だけで大規模な旅館を建てることはできない。
そこで、一ヶ月前にドワーフの国へ戻ったミレッタに、建設を任せられる職人を集めてもらっていた。
そして今日――。
「……そろそろ来る頃かな」
大地は街道の先へ目を向ける。
隣ではエレナも同じ方向を見つめていた。
「はい。ミレッタさんからは、今日こちらへ到着すると伺っています」
やがて、遠くから馬車の音が聞こえてきた。
土煙の向こうから、何台もの馬車が姿を現す。
先頭の馬車が止まり、中から見慣れた女性が飛び降りた。
「――ダイチ!」
「ミレッタ!」
ミレッタが駆け寄ってくる。
「久しぶりだな!」
「久しぶり!」
一ヶ月ぶりの再会。
大地が笑う。
その顔を見た瞬間、ミレッタの胸が大きく跳ねた。
――会いたかった。
一ヶ月前よりも、その気持ちはずっと大きくなっている。
けれど、それを顔に出すわけにはいかなかった。
「元気そうじゃねぇか」
「ミレッタもな」
「当たり前だろ。一ヶ月くらい離れてた程度で、どうにかなるかよ」
いつものように笑う。
大地の肩を軽く叩き、冗談まで口にする。
けれど、次の瞬間。
ミレッタの視線が、大地の隣へ向いた。
そこにはエレナがいる。
大地のすぐ隣で、穏やかに微笑んでいた。
その光景を見た瞬間、胸の奥がほんの少しだけ痛む。
「お久しぶりです、ミレッタさん」
「……ああ」
一瞬だけ返事が遅れた。
「エレナも元気そうだな」
「はい」
エレナが笑う。
ミレッタも笑い返した。
けれど――。
自分の頬がちゃんと笑えているのか、急に分からなくなった。
だから、少しだけ大地から離れた。
ほんの数歩。
誰にも気づかれない程度の距離。
「それじゃ、紹介するぞ」
ミレッタは振り返り、後ろに並んだ馬車を指差した。
「こいつらが、今回連れてきた職人たちだ」
「随分いるな」
「そりゃそうだろ。旅館を一から作るんだからな」
職人たちが次々と馬車から降りてくる。
大工、石工、木材加工を専門とする職人。
大地が感心したように眺めている。
「でも、どうやってこんなに集めてくれたんだ?」
その質問に、ミレッタは少しだけ表情を変えた。
「実はな……親父に話したんだ」
「親父って……族長の?」
「ああ」
ミレッタは頷く。
「ダイチたちが温泉宿を作ること。あたしがその建設を手伝いたいこと。それから――」
そこで一度、大地を見る。
「あたしの命を救ってくれたことも、全部話した」
大地は黙って聞いていた。
ミレッタは、魔鉱巨獣との戦いで瀕死になった。
あのとき大地の温泉がなければ、自分はここにいなかった。
「親父は、すげぇ感謝してた」
「……」
「族長としてじゃなくて、一人の親としてな」
ミレッタの声が、少しだけ柔らかくなる。
「あたしが生きて帰ってきたこと。それをダイチたちのおかげだって知って、親父も恩を返したいって言ったんだ」
そして、少し照れたように笑う。
「だから、族長公認だ」
「族長公認?」
「そう」
ミレッタは胸を張った。
「ドワーフ族として、温泉宿の建設に全面協力する」
「……!」
大地が目を見開く。
「全面協力って……」
「必要な職人はできる限り出す。木材加工も、石材加工も、建築も。必要な技術があれば、親父に話を通せば協力してもらえる」
「そこまでしてくれるのか」
「当然だろ」
ミレッタは笑った。
「命を救ってもらったんだ。これくらいじゃ、まだ足りねぇくらいだ」
「ありがとう、ミレッタ」
大地が笑う。
その笑顔に、また胸が熱くなる。
「……礼なんかいいって」
ミレッタは視線を逸らした。
「でも、本当に助かる」
「だったら、完成したときに美味い飯でも食わせてくれ」
「ああ。いくらでも」
「約束だからな?」
「もちろん」
「……そっか」
ミレッタは笑った。
本当は――。
もっと話したかった。
一ヶ月の間、どんなことをしていたのか。
温泉はどうだったのか。
大地は自分がいない間、少しでも自分のことを考えてくれただろうか。
聞きたいことはいくらでもあった。
けれど。
「じゃあ、さっそく土地を見せてもらうぞ!」
自分から話を切り上げる。
大地が先に歩き出す。
その隣へエレナが並ぶ。
ミレッタは一瞬、その二人を目で追った。
それから――。
「……」
手にしていた図面を、胸元へ抱き寄せる。
「仕事だ、仕事」
誰に言うでもなく呟き、二人より少し後ろを歩き始めた。
◇
三人と職人たちは、購入した土地を歩いて回った。
約二平方キロメートル。
温泉を中心に、広大な森が広がっている。
「……改めて見ると、本当に広いな」
ミレッタが周囲を見渡す。
「旅館はこの辺りを中心に作りたい」
大地が図面を広げる。
「本館、客室、食事処、厨房。それから温泉」
「温泉は?」
「男女別の大浴場を作る」
「それだけか?」
ミレッタが尋ねる。
「いや。大きな露天風呂だけじゃなくて、小さな露天風呂もいくつか作りたい」
「小さい露天風呂?」
「ああ。場所ごとに景色を変えて、いろんな温泉を楽しめるようにしたい」
「それ、いいじゃねぇか」
ミレッタの表情がぱっと明るくなる。
「この辺りなら森を眺められるし、あっちなら空が開けてる。夜になれば星も見えるだろ」
「じゃあ、いくつか作ろう」
「任せろ」
ミレッタは図面を受け取る。
大地の手と、自分の手が一瞬触れた。
「……っ」
ほんの一瞬。
それだけなのに、心臓が跳ねる。
反射的に手を引きそうになった。
けれど、それでは不自然だ。
だから何でもない顔をして図面を広げる。
「こ、ここは……湯船を少し深くしてもいいな」
「いいな、それ」
大地が身を寄せて図面を覗き込む。
距離が近い。
胸がまた騒ぎ始める。
けれど――。
「……」
ミレッタは、ほんの少しだけ身体を横へずらした。
大地との距離を空ける。
その代わり、図面を大地の方へ差し出した。
「ほら。ここなら、もっと大きくできるだろ」
「本当だ」
大地が図面を見る。
「さすがミレッタだな」
「……!」
その一言だけで嬉しくなる。
けれど、ミレッタはすぐに笑って誤魔化した。
「これくらい、職人なら当然だろ」
「いや、助かってるよ」
「……そうか」
顔が緩みそうになる。
だから、すぐに職人たちへ向き直った。
「おい! この辺りの測量、頼めるか!」
「ああ、任せろ!」
仕事を振ることで、自分の気持ちから逃げる。
大地に褒めてもらえた嬉しさを、誰にも見られないように。
◇
そして――。
旅館建設が始まった。
最初に行われたのは、建設予定地の伐採だった。
「ダイチ、この辺りの木を頼めるか?」
「分かった」
大地は森へ入り、斧を握る。
身体能力向上の効果によって強化された身体に力を込める。
――ザンッ!
一撃。
――ザンッ!
二撃。
太い木が大きく揺れる。
「倒れるぞ!」
大地が声を掛ける。
ドォォン――!
木が地面へ倒れた。
「相変わらず、すげぇ力だな……」
ミレッタが笑う。
「温泉の効果だからな」
「分かってるけどよ。普通はそんな簡単に倒せねぇんだよ」
そう言いながら、ミレッタは倒れた木へ近づいた。
そして、大地が使っていた斧を拾う。
「……あたしもやる」
「え?」
「これくらいなら、あたしにもできる」
ミレッタは斧を握る。
大地の隣に立ち、同じように木へ振り下ろす。
――ザンッ!
「おお」
「……どうだ?」
「すごいじゃないか」
「……!」
嬉しい。
思わず笑いそうになる。
けれど、その笑顔を見られるのが恥ずかしくて、ミレッタはすぐに顔を背けた。
「こ、これくらい当然だろ!」
「ははっ」
大地が笑う。
その声を聞きながら、ミレッタは斧を握る手に少しだけ力を込めた。
――この時間が、ずっと続けばいい。
そんなことを思ってしまう。
けれど。
大地の視線がエレナへ向く。
「エレナ、こっちは頼めるか?」
「はい」
二人が並んだ。
ミレッタは一瞬だけ、その姿を見つめる。
そして――。
「……あたしは向こうをやってくる」
大地が振り返る。
「一人で大丈夫か?」
「大丈夫だって」
笑ってみせる。
「職人の娘を舐めんなよ」
「分かった」
大地がまたエレナの方へ戻る。
ミレッタは背を向けた。
その瞬間だけ、笑顔が消えた。
胸の奥が、きゅっと締め付けられる。
けれど、振り返らない。
振り返れば、きっと顔に出てしまう。
だから――。
「……よし」
ミレッタは斧を握り直した。
「仕事、仕事だ」
そして、一人で別の木へ向かって歩いていった。
◇
午後。
伐採された木材は、職人たちによって加工されていった。
ミレッタも作業に加わり、木材の寸法を確認していく。
「ミレッタ、こっちの梁はどうする?」
「それなら少し削ってくれ。柱との接合部分を合わせたい」
「分かった」
「あと、こっちは――」
仕事をしている間は、余計なことを考えなくて済む。
大地のことも。
エレナのことも。
だからミレッタは、誰よりも忙しく動いた。
「ミレッタ、少し休んだらどうだ?」
大地が声を掛けてくる。
「平気だって」
「でも、ずっと動きっぱなしだろ」
「これくらい、なんてことねぇよ」
「そうか?」
「ああ」
ミレッタは笑う。
大地は少し心配そうに見つめた。
その視線が嬉しい。
だから――。
「……ありがとな」
小さく呟く。
「ん?」
「なんでもねぇ!」
すぐに背を向ける。
大地から顔を見られたくなかった。
今、自分がどんな顔をしているのか分からないから。
◇
夕方。
エレナの土魔法によって建設予定地が整地され、職人たちが基礎作りへ取り掛かっていた。
温泉の周囲でも、大浴場や小さな露天風呂の位置が決まっていく。
そして――。
一本の柱が立った。
「……」
大地は、その柱を見つめる。
ただの木材だったものが、旅館を支える柱になった。
夢が、少しずつ現実へ変わっていく。
「ダイチ」
ミレッタが隣に立つ。
「ここからだぞ」
「ああ」
「まだ何も完成してねぇ。でも――」
ミレッタは建設現場を見渡した。
「もう始まってる」
「……ああ」
大地は頷く。
その隣にはエレナがいる。
「私たちの温泉宿ですね」
「ああ」
二人が笑い合う。
ミレッタは、その光景を少し離れたところから眺めていた。
そして――。
「……」
自分の胸元へそっと手を添える。
痛い。
ほんの少しだけ。
けれど、不思議と嫌な痛みではなかった。
好きになった人が幸せそうにしている。
それを近くで見られるだけでも、自分は幸せなのだと思える。
だから――。
「……これでいいんだ」
誰にも聞こえない声で呟く。
そして、顔を上げる。
「おーい! ダイチ!」
「ん?」
「こっちの柱、位置が少しズレてるぞ!」
「本当か?」
「見てみろ!」
大地がこちらへ歩いてくる。
ミレッタは自然に笑った。
今度は、さっきより上手く笑えている気がした。
大地が近づいてくる。
けれど、その隣にはエレナもいる。
だからミレッタは――。
ほんの一歩だけ、横へずれた。
大地とエレナが並べるように。
自分が二人の間に入らないように。
その小さな動きに、誰も気づかない。
それでもミレッタにとっては、それが今の自分にできる精一杯だった。
「最高の温泉宿にしようぜ」
「ああ!」
「はい!」
三人の声が、広い森の中に響く。
ミレッタも笑った。
胸の奥に残る切なさを、誰にも見せないように。
好きな人の隣に立つことではなく――。
好きな人が幸せになれる場所を、一緒に作るために。
こうして、大地たちの温泉宿造りは、本当の意味で始まった。




