【第38話】魅惑のソウルフード「すき焼き」
昼。
大地はアイテムボックスから肉を取り出した。
「今日はこれを使う」
「魔物のお肉ですね」
「ああ」
昨日までの討伐で手に入れた肉だ。
アイテムボックスのおかげで、まるで狩った直後のように新鮮な状態が保たれている。
大地は肉をまな板の上へ置き、包丁を入れていく。
「今日は薄く切る」
「薄く……ですか?」
「ああ」
大地は肉の繊維を確認しながら、慎重に包丁を滑らせる。
一枚。
また一枚。
できるだけ薄く。
魔物肉は普通の獣肉よりも弾力があり、包丁が少し入りにくい。
それでも、身体能力が強化されているおかげで、力加減を調整しながら作業を進めていくことができた。
「……よし」
薄く切った肉を皿へ並べる。
続いて、大地は市場で購入した調味料を取り出した。
醤油。
酒。
砂糖。
そして、みりんに似た調味料。
「今日はこれで割下を作る」
「割下?」
「肉を煮るためのタレだよ」
大地は小鍋へ調味料を入れ、火にかける。
やがて、ふつふつと小さな泡が立ち始めた。
甘辛い香りが立ち上がり、森の中へゆっくりと広がっていく。
「……いい香りですね」
エレナが鍋を覗き込む。
「だろ?」
大地は満足そうに笑った。
「今日はすき焼きだ」
「すき焼き……」
聞き慣れない料理の名前に、エレナが首を傾げる。
「俺のいた世界の料理だよ」
「どんな料理なんですか?」
「簡単に言えば、肉と野菜を甘辛い割下で煮て食べる料理だ」
「それは美味しそうですね」
「ああ。しかも――」
大地は籠の中から卵を取り出した。
「これを使う」
「卵……ですか?」
「ああ」
市場で買ってきた、新鮮な野鳥の卵だ。
大地は卵を器へ割り入れ、箸で軽く溶いていく。
「すき焼きは、こうやって卵につけて食べる」
「生のままですか?」
エレナが驚いたように目を丸くする。
「ああ。新鮮な卵だから大丈夫だ」
「なるほど……」
エレナは興味深そうに器を覗き込む。
その表情には、少しだけ不安と好奇心が混ざっていた。
大地は鍋へ肉を入れる。
――じゅわっ。
割下が肉を包み、甘辛い香りが一気に広がった。
「……!」
エレナの長い耳が、ぴくりと動く。
「いい匂いです……」
「もう少し待ってな」
大地は肉に火を通し、続けて野菜を鍋へ入れていく。
白菜のような野草。
キノコ。
鍋の中で具材が煮込まれ、ぐつぐつと音を立てる。
その前で、エレナがじっと鍋を見つめている。
「……エレナ」
「はい?」
「そんなに見つめられると、ちょっと緊張するんだけど」
「すみません」
エレナは恥ずかしそうに微笑む。
「ですが……とても楽しみで」
「ははっ」
大地は笑った。
「じゃあ、そろそろいいかな」
大地は煮えた肉を取り出し、溶いた卵へ潜らせる。
「はい。まず食べてみて」
「いただきます」
エレナは箸で肉をつまみ、ゆっくりと口へ運んだ。
「…………」
一瞬。
エレナの動きが止まる。
大地は思わず表情を窺った。
「どう?」
「…………おいしいです」
その声には、隠しきれない驚きが混ざっていた。
「本当に?」
「はい」
エレナはもう一口食べる。
「甘くて……でも、醤油の味もしっかりしていて……」
そして、卵の器へ視線を落とす。
「卵を絡めると、とてもまろやかになります」
「よかった」
「これ……好きです」
エレナの表情がぱっと明るくなる。
「とても好きです」
「そんなに?」
「はい」
即答だった。
大地は思わず笑う。
「じゃあ、たくさん食べてくれ」
「はい!」
普段は上品に食事をするエレナが、今日は少しだけ箸を進める速度が速い。
その様子を見て、大地の胸に小さな満足感が広がった。
「ふふっ」
「……何ですか?」
「いや。そんなに気に入ってくれたなら、作った甲斐があったなって」
「……ダイチさん」
エレナは嬉しそうに微笑む。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
そんな二人の足元から――。
「わふ?」
小さな声が聞こえた。
大地が下を見る。
そこには、ユズキがいた。
鍋を見上げている。
そして――。
「…………」
じっと大地を見る。
「……お前も食べたいのか?」
「わふ!」
尻尾がぱたぱたと揺れる。
「じゃあ、ちょっとだけな」
大地は肉を小さく切り分ける。
もちろん、ユズキには生卵は使わない。
「ほら」
「わふっ!」
ユズキが勢いよく食べる。
「…………」
一瞬、動きが止まる。
次の瞬間――。
「わふわふっ!」
尻尾が猛烈な勢いで左右に振られた。
「はははっ!」
大地は思わず笑い声を上げる。
「そんなに気に入ったのかよ!」
「わふっ!」
ユズキが大地の足元へ身体を寄せる。
「もっと欲しいのか?」
「わふ!」
「食いしん坊だなぁ」
大地は笑いながら、もう一切れ肉を取り分けてやった。
エレナも、その様子を見て楽しそうに笑っている。
「ユズキも、ダイチさんのお料理が好きみたいですね」
「そうみたいだな」
不格好な手作りのテーブル。
その上に並ぶ料理。
隣には大切な人。
そして、足元では嬉しそうに尻尾を振る白銀の獣。
「……なんか、いいな」
大地がぽつりと呟いた。
「はい」
エレナも頷く。
「こういう時間、私も好きです」
「俺も」
森の中で過ごす、何気ない昼食。
けれど大地にとっては――これまでとは少し違う時間だった。
ただ生き延びるためではない。
ただ仕事をするためでもない。
誰かと一緒に食卓を囲み、笑って、食事を楽しむ。
そんな当たり前の時間が、少しずつこの場所に生まれ始めていた。
◇
食事を終え、二人で食器を片付ける。
大地は手作りのテーブルを布で拭きながら、ふと顔を上げた。
「……そういえば」
「どうしました?」
「今日、妙に静かじゃないか?」
エレナも周囲へ目を向ける。
森の中には、風に揺れる木々の音だけが響いている。
いつもなら聞こえてくるはずの獣の鳴き声。
遠くから聞こえる魔物の唸り声。
木々の向こうを走り抜ける気配。
それらが、今日は妙に少ない。
「……確かに」
エレナが頷いた。
「魔物の気配が、ほとんどありませんね」
「だよな」
大地は周囲を見回す。
「昨日までは、もっといたと思うんだけどな」
「ユズキが来たことと関係があるのでしょうか?」
「……」
大地は足元を見る。
そこでは、満腹になったユズキが身体を丸め、気持ちよさそうに昼寝をしている。
「ちょっと鑑定してみるか」
「鑑定、ですか?」
「ああ」
大地はユズキへ視線を向け、【鑑定】を発動させる。
昨日は種族や状態を確認しただけだった。
今日は、ユズキ自身が持つ能力について詳しく調べてみる。
すると――。
「あった」
「何ですか?」
「これ」
大地は表示された情報を読み上げる。
【固有加護:大口真神の加護】
【効果:周囲の害意ある魔獣を遠ざける結界を形成する】
「……大口真神の加護?」
エレナが目を見開く。
「はい」
エレナはユズキを見つめた。
「大口真神は、厄除けや魔除けの神として祀られている存在ですから……その加護が影響しているのかもしれません」
「なるほど」
大地は周囲の森を見る。
「つまり、ユズキがここにいることで、周辺の魔物が近寄りにくくなってるってことか」
「おそらく、そういうことだと思います」
「……すごいな」
大地はしゃがみ込み、ユズキの頭を優しく撫でる。
「お前、そんな力持ってたのか」
「わふ?」
ユズキは何も分かっていないような顔で大地を見上げる。
そして、また尻尾を振った。
「ははっ」
大地は笑う。
「まあ、本人は分かってないよな」
「ふふっ」
エレナも微笑む。
「ですが、とても心強いですね」
「ああ」
大地は改めて周囲を見渡した。
この場所で宿を始める以上、魔物の問題は避けて通れない。
いくら温泉に価値があったとしても、宿の周囲を魔物が徘徊しているようでは、客を呼ぶことなどできない。
その問題を、ユズキが思いがけない形で解決してくれるかもしれない。
「……宿を作るなら、ユズキにも頑張ってもらわないとな」
「わふっ!」
「頼んだぞ」
大地が頭を撫でると、ユズキは嬉しそうに目を細めた。
エレナがそんな二人を見て、柔らかく微笑む。
まだ何もない。
建物もない。
看板もない。
客室すらない。
それでも――。
昨日まで何もなかった森には、少しずつ「暮らし」が生まれ始めている。
手作りのテーブル。
二人で囲む食卓。
足元で眠る白銀の獣。
そして、隣で笑ってくれる大切な人。
大地は、出来上がったばかりの不格好なテーブルへ視線を向けた。
「……少しずつでいい」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
「こうやって、作っていけばいいんだよな」
「はい」
エレナが隣で頷く。
「一緒に、作っていきましょう」
その言葉に、大地は静かに笑った。
何もないところから始まった二人の生活は――。
少しずつ。
確実に。
一つずつ形を増やしながら、「夢」と呼べる場所へ変わり始めていた。




