【第37話】初めての大工仕事
「……なんか、賑やかになったな」
朝の森を見渡しながら、大地はぽつりと呟いた。
「そうですね」
隣に立つエレナも、穏やかな笑みを浮かべながら頷く。
その視線の先には、一匹の白銀の獣がいた。
「わふっ!」
ユズキだ。
昨日までほとんど人の気配がなかった森の中を、まるで自分の庭であるかのように駆け回っている。
白銀の毛並みが朝日に照らされ、木々の隙間から差し込む光を受けるたび、淡く輝いていた。
時折、思い出したようにこちらを振り返り、尻尾を大きく振る。
「……モフりてぇ」
「はい?」
エレナが首を傾げ、大地の顔を覗き込む。
「いや、なんでもない」
「……?」
大地は誤魔化すように視線を逸らした。
しかし、その視線の先でユズキと目が合う。
「…………」
「わふ?」
「……ユズキ!」
「わふっ!」
呼ばれたユズキが、嬉しそうに駆け寄ってくる。
そのまま大地の周囲をぐるぐると回り始めた。
「お、おい。ちょっと待て!」
大地が声を上げると、ユズキはぴたりと足を止める。
そして、何を思ったのか、大地の足元へ近づき、その身体を擦り寄せた。
「…………!」
その瞬間、大地の理性が切れた。
――がばっ!
「……これや……これがしたかったんやぁ……!」
「ダ、ダイチさん!?」
――もふもふもふもふもふ!
白銀の毛並みに顔を埋め、両手で思う存分撫で回す。
「わふぅん!」
ユズキも嫌がるどころか、気持ちよさそうに目を細めている。
「……最高だ……」
「ダイチさん……」
エレナが少し呆れたような、それでいて微笑ましそうな表情を浮かべていた。
「エレナもやってみな!」
「わ、私もですか?」
「もちろん!」
エレナがおそるおそる手を伸ばす。
すると――。
「わふっ」
ユズキは待っていたとばかりに身体を転がし、お腹をエレナへ向けて寝転がった。
「あら……」
エレナの表情が緩む。
「ふふっ」
その小さなお腹を優しく撫でると、ユズキは完全に身を委ね、恍惚とした表情を浮かべた。
「まあ……これは可愛いですね」
「だろ?」
「はい。とても気持ちよさそうです」
「…………」
その光景を眺めながら、大地は何かを思いついたように目を見開いた。
(……待てよ)
エレナがユズキのお腹を撫でている。
ユズキは気持ちよさそうにしている。
ならば――。
大地は無言のまま、ユズキの隣へ並ぶように寝転んだ。
そして――。
「…………」
仰向けになり、両手を胸の前に置く。
お腹を見せる。
エレナを見つめる。
「…………」
「…………」
数秒の沈黙。
「……あ、あの……ダイチさん?」
「…………」
「何をしているんですか?」
大地は何も言わず、子犬のような目でエレナを見つめる。
「…………」
「…………」
「……やりませんよ?」
「ですよね」
大地は素直に起き上がった。
そして何事もなかったかのように立ち上がる。
「じゃあ、温泉入ってくるか」
「ふふっ」
背後からエレナの小さな笑い声が聞こえた。
◇
朝の日課となった温泉に浸かり、大地はいつものように【身体能力向上】の効能を設定した。
効果時間は8時間――480分。
身体がじわりと温泉の力を取り込み、全身に力が満ちていく。
以前なら、この感覚だけでも「とんでもない能力だ」と驚いていた。
しかし、今となってはすっかり慣れてしまった。
「……よし」
温泉から上がった大地は、自分のステータスを確認する。
例の鉱山の依頼をこなしたことでレベルも大きく上がり、現在ではエレナと比べても遜色のないほどになっている。
【ステータス】
氏名:ユモリ ダイチ
種族:人間
LV:42
HP:7,650(1,530 + 6,120)
MP:308
力:610(122 + 488)
防御:585(117 + 468)
素早さ:645(129 + 516)
魔力:60
魔法防御:68
運:30
「……さて」
大地はステータスを閉じ、周囲を見渡した。
朝の森には、柔らかな風が吹いている。
少し前までは、ただの「温泉が湧いている森」だった。
けれど今は違う。
小さな拠点があり、食料があり、道具があり、そして――ユズキまでいる。
少しずつではあるが、ここが「暮らす場所」になり始めていた。
「今日は、さらに生活を充実させよう」
「何をするんですか?」
「今日は家具作りに挑戦だ」
「家具、ですか?」
「ああ」
大地は森の中に生い茂る木々を指差した。
「今日はテーブルを作る」
「テーブル……」
エレナは周囲を見渡した。
「確かに、今まではまともな机がありませんでしたね」
「だろ?」
これまでは、適当な木箱や板を台の代わりにして食事をしていた。
食べるだけなら、それでも困ることはない。
しかし、これから宿を経営していくのであれば、いつまでもこのままというわけにはいかない。
「宿をやるなら、こういうところからちゃんと整えていきたいんだ」
大地は木々を眺めながら続ける。
「テーブルがあるだけでも、食事の雰囲気は変わるだろ?」
「はい。きっと、とても暮らしやすくなると思います」
「それに、仮にここから移動することになっても、アイテムボックスがあるから持ち運べるしな」
「なるほど」
エレナは嬉しそうに微笑んだ。
「ダイチさんらしいですね」
「そうか?」
「はい」
エレナは小さく頷く。
「今あるものを大切にしながら、少しずつ先のことを考えているところが」
「…………」
大地は少し照れくさそうに頬を掻いた。
「まあ……せっかくなら、快適に暮らしたいからな」
「私も、お手伝いします」
「もちろん。頼むよ」
二人は並んで森の奥へと歩き始めた。
◇
「……この木なんか、いいんじゃないか?」
大地が足を止めた。
目の前には、まっすぐ伸びた太い幹の木が立っている。
テーブルを作るには、ちょうどよさそうな大きさだった。
「これなら天板も作れそうですね」
「よし」
大地は手斧を構える。
「じゃあ、いくか」
エレナが少し離れたところへ下がる。
大地は木の幹へ狙いを定め――。
「ふっ!」
――ズンッ!
斧が幹へ食い込む。
一度。
二度。
三度。
何度か斧を振ると、木は大きく揺れ始めた。
そして――。
――バキバキッ!
轟音とともに、大木がゆっくりと倒れていく。
「……」
大地は倒れた木を見つめた。
「温泉効果で作業も楽なもんだな」
「……さすがに、もう驚かないと思っていたんですが」
エレナが苦笑する。
「やっぱり凄いですね……」
普通なら、これほど太い木を切り倒すだけでもかなりの重労働だ。
まして、その後に木材を運び、加工するとなれば相当な体力を必要とする。
以前の大地なら、一本運ぶだけでも苦労していただろう。
しかし――。
「よっ」
大地が木材を持ち上げる。
「…………」
エレナの目が丸くなる。
大地は何事もなかったかのように、それを肩へ担いだ。
「そういえば、こういう作業で使うのは初めてかもしれないな」
「何がですか?」
「温泉の【身体能力向上】」
「ああ……」
エレナも納得したように頷く。
これまで、この力は主に魔物との戦闘で使ってきた。
攻撃力。
防御力。
素早さ。
どれほど自分の身体が強化されるのか――。
大地はこれまで、戦うための力として検証してきた。
けれど、今こうして木材を運んでいると、その力が別の意味でも便利であることに気づく。
「戦うときだけじゃなくて、普通の生活でも結構便利なんだな」
「そうですね」
「身体が軽いんだ。力だけじゃない。歩くのも、持ち上げるのも、身体を動かすこと自体が楽になってる」
「以前、魔物と戦ったときにも感じましたが……改めて見ると、本当に凄いですね」
「だろ?」
大地は木材を作業場所へ運び、ゆっくりと地面へ置いた。
「これなら作業もかなり早く終わりそうだ」
「私も運びます」
「いや、エレナは無理しなくていいよ」
「でも――」
「大丈夫」
大地は笑う。
「今の俺なら、これくらい何本でも運べる」
「……何本でも、ですか?」
「たぶん」
「ふふっ」
エレナが小さく笑った。
「頼もしいですね」
「こういうときくらい、頼ってくれ」
「はい」
エレナは嬉しそうに頷いた。
◇
木材の加工が始まった。
「じゃあ、まずは天板からだな」
大地は木材を固定し、ノコギリを入れる。
ギコ、ギコ、ギコ――。
木屑が舞い、森の静けさの中に乾いた音が響く。
「……これも、思ったより楽だな」
「そうなんですか?」
「ああ」
大地はノコギリを引きながら答える。
「前だったら、もっと腕に力を入れないと切れなかったと思う」
ギコッ。
少しずつ木材が切れていく。
「力を入れすぎてもダメだし、弱すぎても切れない。こういう作業も結構コツがいるんだな」
「なるほど……」
エレナは興味深そうに作業を見つめている。
「でも、ダイチさんは器用ですね」
「そうか?」
「はい」
「いや、俺は素人だぞ?」
「それでも、楽しそうに作っていますから」
「……まあ、それは否定しない」
大地は笑った。
木材を切断し、表面を削る。
削っては触り、また削る。
「……このくらいかな」
続いて脚を作る。
四本の木材を切り揃え、接合部分を調整していく。
「ここを合わせて……」
釘を当てる。
「よし」
――カンッ!
「もう一回」
――カンッ!
「あと少し」
――カンッ!
小気味よい音が森の中へ響いた。
エレナはその様子を眺めながら、楽しそうに微笑んでいる。
「順調ですね」
「今のところはな」
大地は笑う。
木材を持ち上げ、脚を取り付ける。
位置を調整し、釘を打つ。
身体能力が強化されているおかげで、重い木材を扱うこと自体は苦にならない。
けれど――。
「……意外と細かいな」
「何がですか?」
「家具作り」
大地は脚の位置を微調整する。
「木材を切るだけなら力で何とかなる。でも、ちゃんとした形にするとなると、別の技術がいる」
「確かに……」
「長さを揃えるだけでも結構難しい」
「職人さんは、こういうことを毎日やっているんでしょうね」
「そう考えると、すごいよな」
大地は感心しながら作業を続けた。
それでも、一つずつ形になっていく工程は楽しかった。
「……これなら、思ったより簡単に作れそうだな」
「ダイチさん、楽しそうですね」
「まあな」
「職人さんみたいです」
「そう?」
「はい」
エレナが微笑む。
「とても楽しそうです」
「だって、自分で家具を作るなんて初めてだからな」
大地は最後の釘を手に取る。
「よし……これで最後だ」
――カンッ!
最後の一打を打ち込む。
そして、大地は額の汗を拭った。
「よし――完成!」
二人の前に、一台の木製テーブルが出来上がった。
「…………」
「…………」
二人で眺める。
シンプルな四角いテーブル。
飾り気はない。
天板には削った跡が少し残っている。
脚も微妙に長さが違う。
見れば見るほど、素人が作ったものだと分かる。
大地は恐る恐る天板へ手を置いた。
「…………」
軽く押す。
ぐらっ。
「…………」
もう一度押す。
ぐらっ。
「…………」
大地は無言になった。
エレナが首を傾げる。
「……少し揺れますね」
「うん」
「ですが、壊れてはいません」
「まあ……」
大地は腕を組んだ。
「使う分には問題ない」
「はい」
「でも、なんというか……」
大地はテーブルをじっと見つめた。
「職人って、すごいな」
「ふふっ」
エレナが思わず笑う。
「何がおかしいんだよ」
「いえ」
エレナは笑いながら首を横に振った。
「ダイチさん、あれだけ簡単に木材を加工していたので、もっと完璧なものができるのかと思っていました」
「俺も思ってた」
大地は苦笑した。
「力があれば何とかなると思ってたけど、全然違うな」
木材の厚み。
切断面の角度。
脚の長さ。
接合部分。
ほんの数ミリのズレが、完成したときには大きな歪みになる。
「身体能力が上がってても、家具作りの技術までは上がらないんだな」
「それは、職人さんが長い時間をかけて身につけた技術ですから」
「だな」
大地はもう一度、テーブルを見た。
不格好ではある。
それでも――。
「……まあ、ひとまずはこれでいいか」
「はい」
エレナがそっと天板へ手を置く。
「私は好きですよ」
「本当?」
「はい」
エレナは穏やかに微笑んだ。
「ダイチさんと私で作ったテーブルですから」
「…………」
その言葉に、大地は少しだけ照れくさそうに笑った。
「そうだな」
立派な家具ではない。
完璧でもない。
けれど――自分たちの手で作った。
その事実だけで、妙な愛着が湧いてくる。
「じゃあ――」
大地はテーブルを軽く叩いた。
「今日は、このテーブルで飯を食おう」
「楽しみですね」
「今日は俺が作る」
「まあ」
エレナが目を丸くする。
「ダイチさんがですか?」
「ああ」
「何を作るんですか?」
「それは……」
「食べてからのお楽しみ」
大地は少しだけ口元を上げた。




