【第36話】聖獣との出会い
翌朝。
森の木々の隙間から差し込む朝日が、簡素な拠点を柔らかく照らしていた。
大地は外へ出ると、大きく伸びをする。
「……よく寝たな」
昨日は色々なことがあった。
金竜王の羽で起きた騒ぎに、リゼの過去。
そして――エレナの嫉妬。
思い返すと、最後のほうは少しからかいすぎた気もする。
「………」
(昨日のエレナ凄かったなぁ…)
「何かおっしゃいましたか?」
「うおっ!」
振り返ると、エレナが立っていた。
「お、おはよう」
「おはようございます、ダイチさん」
いつもと変わらない笑顔。
ただし、昨夜のことを思い出したのか、エレナの耳がほんのり赤くなっている。
「……どうかしました?」
「いや、なんでもない」
「そうですか?」
エレナは不思議そうに首を傾げた。
「それより、朝食の準備をしますね」
「ああ。ありがとう」
二人で簡単な朝食を済ませると、今日の作業について話し合った。
「土地の件の返答が来るまではあまり、大きな工事はできないから、今日は温泉周りを少し整備しながら、日常で使う家具でも作ってアップグレードしていこう」
「簡単なテーブルや椅子が欲しいですね。……あとできればベッドも欲しいです」
「………べ、ベッド…!」
(……ゴクリ)
エレナは恥ずかしそうな顔をして、朝食の準備をはじめる。
(ナニコノカワイイイキモノ)
簡単な朝食を済ませ、エレナを労うように大地が後片付けを手伝う。
食事が終わると、街で購入した紅茶をエレナに振る舞い、ミレッタと相談した温泉計画を再確認した。
湯船。
脱衣所。
休憩所。
食事処。
客室。
水の確保。
薪や燃料。
考えれば考えるほど、やらなければならないことは増えていく。
「……まだまだ先は長いな」
「ですが、少しずつ進んでいます。こういった時間もとても大切な時間のように感じます」
エレナが穏やかに微笑んだ。
「そうだな」
大地も笑う。
「焦らず、一つずつやっていこう」
二人は温泉へ向かって歩き始めた。
――その途中だった。
「……ん?」
大地が足を止める。
「どうしました?」
「今、何か聞こえなかったか?」
エレナも足を止め、耳を澄ませる。
森の奥。
葉が擦れる音に混じって、何かが動いている。
ガサッ。
「……動物でしょうか?」
「たぶんな」
大地は周囲を警戒した。
ガサッ。
今度は、かなり近い。
「エレナ、少し下がって」
「はい」
大地が前へ出る。
その直後――。
茂みが大きく揺れた。
「……わふ!」
姿を現したのは、一匹の獣だった。
白銀にも見える淡い毛並み。
狼に似た姿。
まだ幼い身体だが、その瞳だけは不思議なほど澄んでいる。
「……魔物ですか?」
エレナが小さく呟く。
大地も警戒しながら、その姿を見つめた。
しかし――。
なぜだろう。
どこか、見覚えがある。
「…………」
大地は黙ったまま、その獣を観察した。
白い毛。
小さな身体。
少し丸みを帯びた顔と頭に生えた角。
そして、右前脚。
そこに、薄く残った傷跡。
「……あれ?」
大地の記憶の中に、ひとつの光景が蘇った。
まだ温泉を見つけて間もなかった頃。
森の奥で見つけた、小さな獣。
傷つき、怯え、今にも倒れそうになっていた。
最初は大地たちを見るだけで怯えていた。
それでも、放っておくことはできなくて。
エレナの治癒魔法で治療をした。
少しずつ警戒を解いていった小さな獣。
最後には、湯に浸かりながら気持ちよさそうに目を細めていた。
「……まさか」
大地は目の前の獣を見つめた。
獣もまた、大地をじっと見つめている。
「お前……」
一歩。
獣が近づく。
大地は動かない。
さらに一歩。
その瞳には敵意がない。
むしろ――。
懐かしそうな光が宿っているように見えた。
「……もしかして」
大地はゆっくりとしゃがみ込む。
獣との距離が縮まる。
あと数歩。
それでも、獣は逃げない。
大地はそっと手を伸ばした。
すると――。
獣はその手をじっと見つめた。
一瞬だけ迷うように瞳を揺らす。
そして。
クンクン。
鼻先を大地の手へ近づけた。
「…………」
大地の胸が、少しだけ熱くなった。
この仕草。
覚えている。
あのときも、最初はこうして手の匂いを嗅いできた。
「……お前」
大地は思わず笑った。
「もしかして……あのときの子か?」
獣の耳が、ぴくりと動いた。
「……覚えてるのか?」
大地がそう尋ねる。
もちろん、言葉が通じるわけではない。
それでも――。
「くぅん……」
小さな声。
そして次の瞬間。
獣は大地の手に顔を押しつけた。
「…………」
大地は言葉を失った。
「……やっぱり、お前か」
ゆっくりと、その頭を撫でる。
柔らかな毛が指の間を滑っていく。
以前より少しだけ大きくなっている。
けれど、撫でられると気持ちよさそうに目を細めるところは、あのときと変わらない。
「生きてたんだな」
「わふっ……」
「元気になったんだな」
「わふ……」
「よかった」
大地は自然と笑っていた。
それは、魔物を警戒するときの笑顔でも、宿のことを考えているときの笑顔でもなかった。
純粋に。
以前助けた小さな命が、元気に生きていることへの喜びだった。
エレナも二人の様子を静かに見つめていた。
「……覚えていたんですね」
「ああ」
エレナがしゃがみ込む。
「私のことも覚えていますか?」
獣はエレナを見る。
少しだけ首を傾げる。
「……ふふ」
エレナが微笑む。
「忘れてしまいましたか?」
すると獣は、ゆっくりとエレナのほうへ近づいた。
そして――。
鼻先をエレナの手へ押しつける。
「……まあ」
エレナの表情が柔らかくなる。
「ちゃんと覚えていてくれたんですね」
獣はエレナの手をぺろりと舐めた。
「ふふっ」
エレナが嬉しそうに笑う。
「可愛いですね」
「だろ?」
大地も笑う。
しばらく二人でその獣を撫でていた。
すると、大地はふと疑問を抱いた。
「……でも、なんでここに来たんだ?」
獣は大地を見る。
「森に帰っていったはずなのにな」
あのときは、傷が癒えたことを確認して森へ戻っていった。
無理に引き留める理由もなかった。
自然の中で生きる存在なのだから、それが一番いいと思った。
それなのに。
今、目の前にいる。
しかも――。
「……俺たちを探してきたのか?」
「わふ」
モフモフの尻尾がぱたぱたと揺れた。
「……まさか」
大地は苦笑する。
「本当にそうなのか?」
獣は大地の足元へ身体を寄せる。
まるで答えるように。
「…………」
大地はしばらく黙っていた。
そして、頭を撫でる。
「そっか」
「くぅん……」
「会いに来てくれたのか」
その言葉に反応するように、獣が顔を上げた。
大地は少しだけ照れくさそうに笑う。
「……嬉しいよ」
エレナも、その横で微笑んでいる。
「ダイチさんが助けた子が、わざわざ会いに来てくれたんですね」
「そう考えると、なんか嬉しいな」
「はい」
穏やかな時間が流れる。
だが、そのときだった。
大地は改めて獣の身体を見た。
「……そういえば」
最初に見たときから、普通の魔物とは何かが違うと感じていた。
敵意がない。
妙に落ち着いている。
そして何より――。
どこか神秘的な雰囲気がある。
「ちょっと鑑定してみるか」
大地が【鑑定】を発動する。
表示された情報を見て――。
「…………え?」
思わず声が漏れた。
「どうしました?」
エレナが覗き込む。
大地は表示を読み上げる。
【種族:大口真神】
【分類:聖獣】
【状態:健康】
【年齢:幼体】
【敵意:なし】
「……大口真神?」
「聖獣……?」
エレナの目が大きく見開かれる。
「はい」
「これって……」
「神様の一種として、祀られている存在です」
エレナが獣を見る。
「大口真神は、狼の神様で厄を払い、災いから人々を守る神聖な存在だと聞いたことがあります」
「…………」
大地はもう一度、目の前の小さな獣を見る。
「……こいつが?」
大口真神。
神様の一種。
それが――。
今、大地の足元で尻尾を振っている。
「わふっ」
「…………」
大地は思わず苦笑した。
「なんか、全然そんな感じしないな」
「ふふっ」
エレナも笑った。
「まだ子供ですから」
「そうだな」
大地はもう一度、頭を撫でる。
「でも……」
聖獣だろうが、神様だろうが。
大地にとっては、今はただ――。
以前助けた小さな子だった。
「名前、つけてやるか」
「名前ですか?」
「ああ」
大地は少し考えた。
そして、ふと頭に浮かんだ名前を口にする。
「……ユズキ」
「ユズキ……」
エレナが優しく繰り返す。
「どうかな?」
獣は大地を見つめている。
「今日から、お前はユズキだ」
「わふわふ!」
元気な声が返ってきた。
そして、尻尾が勢いよく揺れる。
「ははっ」
大地は笑った。
「気に入ったみたいだな」
エレナも嬉しそうに微笑む。
「はい」
大地はユズキの頭を撫でる。
「よろしくな、ユズキ」
ユズキは大地の手に顔を押しつける。
まるで――。
「よろしく」
そう返しているようだった。
「……それで?」
大地が立ち上がる。
「ユズキはこれからどうする?」
ユズキは大地を見る。
「森に帰るか?」
一瞬。
ユズキの尻尾が止まった。
そして――。
大地の服の裾を、口でくわえた。
「……ん?」
そのまま、ぐいぐいと引っ張る。
「おいおい」
エレナが笑う。
「帰りたくないみたいですね」
「……そうみたいだな」
大地はユズキの頭を撫でる。
「じゃあ……うちに来るか?」
ユズキが顔を上げる。
「ここなら、温泉もあるぞ」
「わふ!」
今までで一番元気な声が返ってきた。
「……お前、もしかして」
大地は苦笑する。
「温泉目当てだったりしないよな?」
「わふ!」
ユズキは嬉しそうに尻尾を振った。
「……まあ、いいか」
エレナが笑う。
「新しい仲間ですね」
「だな」
大地はユズキを撫でながら、穏やかに笑った。
ユズキはただ、大地に撫でられながら嬉しそうに尻尾を振っていた。
こうして――。
大地たちのもとに、一匹の小さな聖獣が加わった。




