【第30話】温泉宿の構想
ミレッタが右手を動かすたび、その顔には嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
「……やっぱり、いいな」
「何が?」
大地が尋ねる。
「この手だよ」
ミレッタは右手を握ったり開いたりしながら、満足そうに笑う。
「何度動かしても、ちゃんと動く。これなら仕事ができる」
「それはよかった」
「だからこそ――」
ミレッタは温泉へ視線を向けた。
「こいつを使った宿、絶対に面白いものにしてやんねぇとな!」
その言葉に、大地も頷いた。
「ああ。俺もそう思ってる」
「だったら、具体的な話を聞かせてくれ」
「今からか?」
「今からだ」
ミレッタは椅子へ座り直すと、持っている近くにあった紙と筆を引き寄せた。
「建物を作るなら、頭の中だけじゃ駄目だ。まずは大まかな形を書き出す」
「もう図面まで作るのか?」
「簡単にだけどな!」
ミレッタは得意げに笑う。
「職人を舐めんなよ?」
「助かるよ!素人だけで建てるには大変かなと思ってたんだ」
「で?」
ミレッタがくるくると筆を回しながら構える。
「どんな宿にしたい?」
大地は少し考える。
これまで頭の中に思い描いていたものを、どう伝えればいいのか。
前世で見た日本の温泉旅館ーー。
それを、この世界のドワーフに説明しなければならない。
「まず――温泉を宿の中心にしたい」
ミレッタが紙の中央に大きく円を描く。
「温泉が中心、と」
「ああ」
大地は頷いた。
「宿泊客は温泉に入るためにここへ来る。だから、温泉を一番の目玉にしたい」
「なるほどな」
ミレッタが温泉の位置を書き込む。
「じゃあ、その周りに宿を配置するのか?」
「そう。ただ、浴場を宿の建物に完全に囲ませるんじゃなくて、できれば自然も残したい」
「森や近くの川を見ながら入れるようにするってことか?」
「自然との調和……それが理想だ。」
「……悪くねぇな」
ミレッタがさらに線を引いていく。
「じゃあ、温泉の近くに浴場。そこから宿泊棟を繋ぐ」
「ああ」
「入口は?」
「正面に一つ」
「受付を置く?」
「そう。宿に入ったら、まず受付があって、そこで宿泊の手続きをする」
「ふむふむ」
ミレッタは入口と受付を書き込んでいく。
「その奥は?」
「広めの廊下」
「廊下?」
「ああ」
大地は少し考えてから説明する。
「俺の故郷では、木で作られた宿が多かったんだ。廊下も木張りで、部屋と部屋を繋いでいる」
「全部木か?」
「できればな」
「この森なら材料は何とかなるな」
ミレッタは頷いた。
「ただし、湿気対策は必要だぞ。温泉があるなら、普通の建物より傷みやすい」
「そこは任せる」
「おう」
ミレッタは自信満々に答えた。
「それで客室は?」
「できれば十部屋くらいから始めたい」
「十部屋……」
ミレッタは紙の端に小さく部屋を描いていく。
「一部屋に何人泊まる?」
「二人から四人くらいかな」
「ベッドは?」
「ベッドは使わない」
「……使わない?」
ミレッタが怪訝そうな顔をする。
「ああ。床に布団を敷く」
「布団?」
「寝るための厚手の敷物だ」
「床で寝るのか?」
「そう」
「……変わった故郷だな」
「俺の故郷では普通だったんだよ」
ミレッタは首を傾げながらも、図面へ「布団」と書き込む。
「じゃあ、部屋は広めに取った方がいいな」
「そうだな」
「昼間は何も置かずに広く使って、夜に布団を敷く?」
「その通り」
「なるほど……」
ミレッタの目が少し輝く。
「家具を固定しなくていい分、部屋の使い方に自由が出るわけか」
「そういうことだ」
「面白ぇな」
ミレッタは新しい発想を楽しむように筆を走らせる。
「床は?」
「畳にしたい」
「……たたみ?聞いたことねぇな」
「俺の故郷で使われていた床材だ」
大地は畳の構造をできるだけ分かりやすく説明する。
「植物の茎を編んで作った敷物でな。床一面に敷く」
「植物を編んで床にするのか」
「そう」
「……それなら、直接寝ても痛くなさそうだな」
「結構快適だぞ」
「なら、試作品を作ってみる価値はありそうだ」
ミレッタは紙の端に畳の構造を書き始めた。
「ただ、温泉の湿気が問題だな」
「そこは?」
「床下に風を通す。あと、浴場と客室を直接隣接させない方がいい」
「なるほど」
「職人としては、その辺りを考えておかないと、数年後に床が腐る」
「じゃあ、浴場と客室の間に何か置くか」
「食事処か休憩所を挟むといい」
「それだ」
大地が頷く。
「食事処も作りたい」
「どんな料理を出す?」
「そこは……こっちの食材に合わせて考えるしかないな」
「それなら料理人も必要だな」
「そうだな」
ミレッタは食事処を書き込む。
「客室から食事処。そして、その先に浴場」
「そう」
「でも、食事をした直後に風呂へ入る客もいるだろ?」
「ああ」
「だったら、浴場へ向かう途中に休める場所も必要だ」
「湯上がりに座れる場所が欲しい」
「椅子か?」
「椅子もいいけど、床に座れる場所も欲しい」
「……なるほど」
ミレッタはまた書き込む。
「ここは広めの休憩所にしよう」
「ああ」
「湯上がりに水を飲んだり、話をしたりできる場所か」
「そういうこと」
「それなら窓を大きくして、森が見えるようにするのもいいな」
「それ最高だ!」
大地の顔が明るくなる。
ミレッタも笑った。
「だんだん形になってきたな」
「ああ」
大地は図面を覗き込む。
そこには、まだ簡単な線だけではあるものの、一つの宿の形が出来上がり始めていた。
「次は浴場だ」
ミレッタが筆を握り直す。
「ここが一番重要なんだろ?」
「ああ」
大地は頷いた。
「男女で分けたい」
「当然だな」
「それぞれに脱衣所を作る」
「浴場とは別に?」
「ああ。服や荷物を置く場所だ」
「なら、鍵のかかる収納もあった方がいい」
「それも欲しい」
ミレッタは収納スペースを書き込む。
「浴場は?」
「大きな湯船を一つ」
「一つだけ?」
「基本は一つ。ただ、できれば小さな湯船も欲しい」
「温度を変えるのか?」
「そういう使い方もできる」
「なるほど」
ミレッタは少し考える。
「湯船は石造りでいいか?」
「できれば石がいい」
「分かった」
「それから――露天風呂も作りたい」
「露天?」
「外に湯船を作る」
ミレッタの筆が止まった。
「……外で風呂に入るのか?」
「ああ」
「雨が降ったら?」
「それも含めて楽しむ」
「雪が降ったら?」
「最高だ」
「…………」
ミレッタは大地をしばらく見つめた。
「お前の故郷、風呂に対する執念がすげぇな」
「好きだったんだよ、温泉が」
「なるほどな」
ミレッタは呆れたように笑いながら、露天風呂の位置を書き込む。
「じゃあ、外から丸見えってわけにはいかねぇな」
「ああ。目隠しは必要だ」
「でも、完全に囲うと景色が見えない」
「だから、木の塀を低くして、その向こうは森が見えるようにしたい」
「なるほど」
ミレッタは考え込む。
「それなら、湯船を少し高い位置に作るか?」
「どうして?」
「地面と同じ高さだと、目隠しを高くしなきゃならねぇ。浴槽を少し高くして、その周囲に低い塀を作れば、外から見えにくくしながら景色も確保できる」
「……それ、いいな」
「だろ?」
ミレッタが得意げに笑う。
「あと、温泉の湯はどうする?」
「どうするって?」
「源泉から浴槽まで、どうやって運ぶ」
「……」
大地は少し考える。
「できれば、温泉をそのまま引き込みたい」
「流しっぱなし?」
「そう」
「なら、湯の流量や温度を調整する仕組みが必要だな」
「頼めるか?」
「魔道具でなんとかやってみるか…そこはあたしが1番得意なところだ」
ミレッタは胸を張る。
「石と金属を組み合わせれば、湯量を調整する仕組みくらい作れる」
「それなら助かる」
「ただし、温泉の成分によっては金属が傷む可能性がある」
「そこも調べないとな」
「だな」
ミレッタは真剣な顔になる。
「それと排水も重要だ」
「排水?」
「使った湯をどこへ流す?」
「あ……」
「温泉宿を作るなら、湯を入れるだけじゃ駄目だ。排水路を作って、建物の基礎に水が溜まらないようにする」
「なるほど……」
「あと、雨水も別に逃がした方がいい」
ミレッタは図面に細かな線を加えていく。
「温泉、排水、雨水。この三つはちゃんと考える」
「ミレッタ」
「ん?」
「本当に頼りになるな」
「今さら気づいたか?これでも国じゃそこそこ名が知れてるんだぜ?」
ミレッタは笑った。
「こういうのを考えるのが職人なんだよ」
そして、図面を見下ろす。
「でも、まだ足りねぇな」
「何が?」
「宿の顔だ」
「顔?」
ミレッタは入口の部分を指差した。
「客が最初に見る場所だ。ここを普通の宿にしたら面白くない」
「……それなら」
大地は少し考える。
「入口は大きな木の扉にしたい」
「木の扉か」
「その上に宿の名前を書いた看板を置く」
「どんな名前だ?」
「それは……これから考える」
「まだ決まってねぇのかよ」
「今思いついたばかりだからな」
ミレッタは呆れたように笑った。
「まあいい。看板を作るなら、文字を彫れるようにしておく」
「ああ」
「それから、入口までの道も整えよう」
「道?」
「森の中からいきなり宿が現れるより、木々の間を抜けて宿へ向かう方が雰囲気が出る」
「……それもいいな」
「玄関の前には庭を作る」
「庭?」
「石と木を配置して、自然を残した庭だ」
「それ、俺の故郷の宿にもあった」
「へぇ」
ミレッタが笑う。
「なら、再現してやるよ」
大地は図面を見ながら頷いた。
そこには――。
森へ続く道。
木造の玄関。
受付。
廊下。
十室ほどの客室。
食事処。
湯上がりの休憩所。
男女別の脱衣所。
内湯。
露天風呂。
温泉を引き込む設備。
排水路。
そして庭。
少しずつではあるが、宿の全体像が形になっていた。
「……これなら」
大地は図面を見つめる。
「温泉旅館として、かなり形になってきたな」
「温泉旅館?」
「俺の故郷では、こういう宿をそう呼んでた」
「温泉旅館……」
ミレッタはその言葉を口の中で転がす。
「まあ、こっちじゃ聞いたことのない形だな」
「ああ」
「でも――」
ミレッタは図面を見ながら、楽しそうに笑った。
「面白い」
「そうか?」
「ああ。普通の宿を作るだけなら、こんなに考えることはねぇ」
ミレッタは右手を握る。
「けど、これは違う」
その瞳に、職人としての熱が宿る。
「建物そのものが温泉を楽しむために作られてる」
「そうだ」
「客が来て、温泉に入って、飯を食って、部屋で休んで……また温泉に入る」
「そういう宿にしたい」
「なら――」
ミレッタは紙を机に押さえつけた。
「絶対にいいものを作ろうぜ」
「ああ」
大地も笑う。
「頼むよ、ミレッタ」
「任せろ!」
ミレッタは勢いよく立ち上がった。
「なんだか急に仕事がしたくなってきた!」
「もう?」
「もうだ!」
ミレッタは拳を握る。
「こんな面白い仕事、他の奴に取られてたまるか!」
「でも、その前に準備が必要だろ?」
「……あ」
ミレッタが固まる。
「そうだった」
大地は苦笑する。
「材料も人手も必要なんだろ?」
「そうだ。木材、石材、金属……それに職人も集めなきゃならねぇ」
ミレッタは真剣な表情に戻る。
「一度、国へ戻る」
「分かった」
「そこで必要な材料を調べて、職人仲間にも声をかける。それから、こっちへ戻ってくる」
「ああ」
「戻ってきたら、すぐに現場を見て、正式な図面を引く」
「頼む」
「任せろ」
ミレッタは右手を高く掲げる。
「今度は、この手で最高の宿を作ってやる!」
「期待してるよ」
「おう!」
ミレッタは満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、そろそろ行くわ」
「気をつけてな」
「二人ともな!そっちはそっちで色々準備もあるだろう」
ミレッタは一瞬だけ大地を見る。
そして――。
「……またな」
「ああ。また」
ミレッタは拠点を後にした。
森の中へ消えていく小さな背中を、大地とエレナは見送る。
やがて、その姿が完全に見えなくなった。




