【第28話】鉱山からの帰還
三人は坑道を抜け、地上へと戻ってきた。
久しぶりに浴びる外の空気は冷たく、鉱山特有の重苦しい匂いを洗い流してくれるようだった。
だが――大地の表情に、安堵の色はなかった。
隣では、ミレッタが大地の肩を借りながら歩いている。
「……大丈夫か?」
「平気だって……これくらい」
ミレッタはいつものように強がってみせる。
しかし、その声には明らかな疲労が滲んでいた。
足取りも重い。
一歩踏み出すたびに身体が僅かに揺れ、そのたびに大地がさりげなく身体を支えている。
エレナの治癒魔法によって、裂傷は塞がっていた。
折れていた腕も、見た目だけなら元の状態へ戻っている。
それでも――失った血液や体力まで、完全に戻ったわけではない。
大地はミレッタの様子を横目で見ながら、胸の奥で一つの決断を固めていた。
――生命力回復。
以前、自分が死にかけたときに使った温泉の効能。
あのときは、身体から急速に力が失われていく中で温泉に浸かり、生命力が戻っていく感覚をはっきりと感じた。
あれが偶然ではなかったのなら。
同じ効能を、ミレッタにも使えるはずだ。
(……試してみるしかない)
確実に効果があるとは限らない。
自分とミレッタでは身体も傷の状態も違う。
それでも――今のミレッタを見ていると、試さないという選択肢はなかった。
「ダイチさん」
後ろからエレナの声が聞こえる。
「はい?」
「ミレッタさんの顔色が、かなり悪くなっています」
「……やっぱりか」
「はい。治癒魔法で傷口は塞がっていますが、疲労もかなり蓄積しています。身体そのものが回復したわけではありません」
エレナは心配そうにミレッタの顔を覗き込んだ。
「できるだけ早く拠点へ戻りましょう」
「ああ」
大地は頷く。
「急ごう」
そのときだった。
「――おーい!」
鉱山の入口から、男たちの声が響いた。
振り返る。
待機していた炭鉱夫たちが、こちらへ向かって駆けてくるところだった。
「戻ってきたぞ!」
「おい、大丈夫だったのか!?」
「中で何があった!?」
炭鉱夫たちの視線が三人へ向けられる。
そして――。
「……ミレッタ!?」
「おい、ミレッタじゃねぇか!」
「まさか、中にいやがったのか!?」
「どうしたんだ、その怪我は!」
ミレッタの姿を見た途端、炭鉱夫たちの顔色が変わった。
「……おっちゃんたち」
ミレッタは困ったように笑った。
「はは……ちょっとヘマしちまった」
「ちょっとじゃねぇだろ!」
「そんな身体で何を言ってやがる!」
「大丈夫だから!」
エレナが手を上げ、彼らを落ち着かせる。
「傷は私が治しました。ただ、かなり消耗していますので、しばらく安静にした方がいいと思います」
「……そうか」
炭鉱夫たちは、ようやく少しだけ表情を緩めた。
「治してもらったのか……」
「ありがとうございます、お嬢さん」
「いえ。私はできることをしただけです」
エレナが微笑む。
話を聞けば、ミレッタは以前からこの鉱山へ鉱石の採取に訪れており、炭鉱夫たちとも顔馴染みらしい。
普段から採掘現場に出入りしているため、彼らにとってもミレッタは見慣れた存在なのだろう。
そんな彼女が傷だらけで戻ってきた。
心配するのも当然だった。
大地は炭鉱夫たちの様子を確認すると、坑道の奥へ視線を向けた。
「……皆さんに、伝えておきたいことがあります」
「なんだ?」
大地の声に、炭鉱夫たちも顔を引き締める。
「坑道の奥で、非常に危険な魔物と遭遇しました」
「魔物だと?」
「はい」
大地は簡潔に説明する。
「魔鉱石を身体に取り込んだ特殊個体です。俺の【鑑定】では、種族名は『魔鉱巨獣』。危険度は――Sランク級でした」
「……Sランク?」
「嘘だろ……」
「そんな化け物が、この鉱山に……?」
炭鉱夫たちの間に、ざわめきが広がる。
「最近、魔物が妙に強くなったと思ったら……」
「奥でそんなものが育ってやがったのか」
「恐らく、あいつが原因の一つだと思います」
大地は頷いた。
「魔鉱巨獣は、周囲の魔鉱石から魔力を吸収していました。その影響で、周辺の魔物たちまで強化されていた可能性があります」
「…………」
「それだけじゃありません」
大地は坑道を見る。
「戦闘の影響で、内部の地盤が崩れている場所もあります。魔鉱巨獣が倒れたことで、魔鉱石や魔力の状態がどう変化したのかも、今の俺たちには分かりません」
年配の炭鉱夫が、重々しく頷いた。
「……そりゃ、そうだな」
「はい」
大地は続ける。
「だから、しばらく採掘は止めた方がいいと思います」
「…………」
「冒険者ギルドに今回の件を報告します。ギルドには、坑道内部の調査と安全確認をしてもらった方がいい」
「そうだな」
別の炭鉱夫も頷いた。
「Sランク級の化け物が暴れた場所だ。何が残ってるか分からねぇ」
「他の魔物が潜んでいる可能性もあります」
エレナも静かに付け加える。
「安全が確認されるまでは、入らない方がいいでしょう」
「分かった」
炭鉱夫たちが頷く。
「じゃあ、俺たちはここで待機しておく」
「お願いします」
大地は頭を下げた。
「こちらからギルドへ報告します。調査と安全確認が終わるまでは、絶対に作業を再開しないでください」
「ああ」
「頼んだぞ」
そして、一人の炭鉱夫がミレッタへ視線を向けた。
「……ミレッタのことも、頼む」
大地は一瞬だけミレッタを見る。
青ざめた顔。
それでも気丈に振る舞おうとしている表情。
「ああ」
短く答える。
「任せてください」
炭鉱夫たちは道を空けた。
「行こう」
大地がミレッタへ声をかける。
「……おう」
三人は鉱山を後にした。
◇
森へ入ってしばらくすると――。
ミレッタの足取りが、さらに遅くなった。
「…………」
大地は何度目か分からない確認をする。
「ミレッタ」
「……なんだ?」
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫だって……」
ミレッタは笑おうとした。
だが――。
その直後、身体が大きく傾いた。
「っと!」
大地が咄嗟に身体を支える。
「……悪い」
「もう無理だろ」
「……まだ歩ける」
「歩けてない」
「…………」
ミレッタが悔しそうに唇を噛む。
「……これくらい」
もう一度、歩こうとする。
一歩。
二歩。
そして――。
膝から力が抜けた。
「……っ!」
大地が抱き止める。
「ほら」
「…………」
ミレッタは何も言い返せなかった。
エレナがすぐに近づく。
「ミレッタさん。もう無理をしないでください」
「……でも」
「大丈夫です」
エレナは優しく微笑む。
「ダイチさんに任せましょう」
「……え?」
ミレッタが顔を上げる。
その前には、すでに大地が背を向けていた。
腰を落とし、背中を向けたまま一言。
「乗れ」
「…………は?」
「早く」
「いやいやいや!」
ミレッタが慌てる。
「待て待て! あたしはドワーフだぞ!?」
「知ってる」
「ドワーフは他の種族より筋肉が多いんだぞ? 見た目以上に重いんだからな!」
「だから?」
「だからって……!」
大地は振り返る。
「今のお前に歩かせる方が問題だろ」
「…………」
「ほら」
再び背中を向ける。
「遠慮するな」
「……でも」
「俺なら平気だ」
ミレッタは黙って大地の背中を見つめた。
しばらく迷った末――。
「…………分かった」
ゆっくりと、大地の背中へ身体を預ける。
「……よいしょ」
大地が立ち上がる。
「……軽いな」
「嘘つけ!」
ミレッタが顔を赤くする。
「……これでもドワーフの中じゃ軽い方なんだからな! あたしが太ってるわけじゃないぞ!」
「本当だって」
「絶対嘘だろ!」
ミレッタが恥ずかしそうに大地の肩を軽く叩く。
だが――。
しばらくすると、その手から力が抜けていった。
「…………」
ミレッタは大地の背中へ頬を預ける。
張り詰めていた身体から、少しずつ力が抜けていく。
大地の背中は温かかった。
一定の足音が、静かな森の中へ響いている。
「……なあ、ダイチ」
「ん?」
「……ありがとな」
「またそれか」
「何度言っても足りねぇんだよ」
「そうか」
大地は小さく笑った。
「じゃあ、元気になったら好きなだけ言ってくれ」
「……おう」
ミレッタも小さく笑う。
その声からは、先ほどまでの苦しさがほんの少しだけ和らいでいた。
少し後ろを歩くエレナは、そんな二人の姿を黙って見つめていた。
「…………」
やはり――何かあった。
それは分かる。
ミレッタが坑道の奥で何を言われたのか。
大地が何を約束したのか。
エレナには分からない。
だが、大地がミレッタを助けようとしていることだけは分かっていた。
それは、大地らしいことでもある。
困っている人がいれば手を差し伸べる。
危険な場所で誰かが傷つけば、自分の身を顧みず助けようとする。
だから――。
大地の行動を責めることなどできない。
今は、ミレッタの身体を心配するべきだ。
「…………」
それでも。
大地の背中に身を預けるミレッタを見ていると、胸の奥が小さく痛んだ。
ズキッ――。
エレナは僅かに胸元へ手を添えた。
だが、その表情には何も出さない。
今は、この痛みよりも大切なものがある。
「ダイチさん」
「ん?」
「拠点まで、できるだけ急ぎましょう」
「ああ」
大地は頷き、歩調を速めた。
背中には、傷ついた少女。
その先には――。
彼女を救うための、温泉が待っている。
◇
やがて――。
木々の隙間から、拠点が見えてきた。
「……見えた」
大地が呟く。
「……本当か?」
ミレッタが大地の肩越しに顔を上げる。
「ああ。もう少しだ」
「……よかった」
ミレッタは小さく息を吐いた。
大地は背中のミレッタを支え直す。
「もう少しだけ我慢してくれ」
「……おう」
三人は、そのまま拠点へと戻っていった。




