【第27話】傷ついた少女ミレッタ
魔鉱巨獣が倒れたことで、地下空間にはようやく静寂が戻っていた。
だが――。
その静寂の中で、大地とエレナは一人の少女を見つめていた。
先ほど魔鉱巨獣の足元に倒れていた、ドワーフの少女。
その傷の深さは、二人が想像していた以上だった。
片腕は不自然な方向へ折れ曲がり、脇腹には深い裂傷が走っている。
衣服は血で赤く染まり、顔には生気がほとんどない。
呼吸も弱い。
「エレナ……」
「はい」
「治せるか?」
大地の問いに、エレナはすぐには答えなかった。
少女の傷を一つずつ確認し、慎重に手を当てる。
「……今なら」
エレナが小さく呟いた。
「魔鉱巨獣が倒れたことで、周囲の魔力を吸い上げる力も弱まっています」
先ほどまでとは明らかに違う。
魔鉱石の明滅も弱くなり、エレナの身体から魔力が引きずり出されるような感覚も消えている。
「治癒魔法を使えます」
「頼む」
「はい」
エレナは静かに目を閉じた。
両手を少女の身体へかざす。
「どうか……間に合ってください」
祈るような声とともに、エレナの掌から淡い光が溢れ出した。
光が少女の身体を包み込む。
脇腹から流れ続けていた血が、少しずつ止まっていく。
裂けた皮膚がゆっくりと塞がり、傷口が縮んでいく。
折れ曲がっていた腕も、エレナの魔力に導かれるように正しい位置へ戻っていった。
しかし、エレナの額には徐々に汗が滲んでいく。
「……っ」
それほどまでに深い傷だった。
それでもエレナは魔法を止めない。
「もう少し……」
淡い光が一層強くなる。
やがて――。
「……はぁ……」
エレナが小さく息を吐いた。
「止まりました」
少女の呼吸も、先ほどより僅かに安定している。
「助かったのか?」
「はい。命に関わる傷は、なんとか……」
エレナは少女を見つめる。
「ただ、完全に元通りになったとは限りません」
「……どういうことだ?」
「治癒魔法は傷を塞ぐことはできます。でも、損傷した神経や細かな組織まで、必ず完全に修復できるわけではありません」
「……そうなのか」
大地は少女を見つめた。
そのときだった。
「……う……」
少女の瞼が僅かに動いた。
「……!」
エレナが顔を近づける。
「しっかりしてください!」
少女の瞼がゆっくりと開いた。
「聞こえますか?」
「……ここ……は……?」
掠れた声だった。
「もう大丈夫です」
大地が答える。
「魔物は倒した」
「……魔物……?」
「ああ」
少女はぼんやりと大地を見る。
まだ意識がはっきりしていないのか、視線が定まらない。
「……あれを……?」
「まぁ……ギリギリだったけどな」
大地が苦笑する。
その言葉を聞いた少女の瞳に、少しずつ光が戻っていく。
「……助けて……くれた……」
「当然だろ」
大地は笑った。
「目の前で困ってる人を放っておけないからな」
「……変な奴」
「よく言われる」
少女の口元が、ほんの僅かに緩んだ。
「……ありがと」
「ああ」
大地は頷いた。
「名前、聞いてもいいか?」
「……ミレッタ」
少女は一度、息を整える。
「あたしは、ドワーフの……ミレッタだ」
「ミレッタか」
大地は頷く。
「俺はダイチ。こっちはエレナ」
「……ダイチ……」
ミレッタは小さく名前を呟いた。
そして、エレナを見る。
「……エレナ」
「はい」
エレナが微笑む。
「よろしくお願いします、ミレッタさん」
「……ああ」
ミレッタは小さく頷いた。
だが――。
次の瞬間。
ミレッタの視線が、自分の右手へ落ちた。
「…………」
何かを確かめるように、指先へ意識を集中させる。
ゆっくりと動かそうとした。
「……」
動かない。
ミレッタの表情が僅かに固まった。
「……あれ?」
もう一度。
今度は力を込める。
人差し指。
中指。
薬指。
小指。
一つずつ動かそうとする。
しかし――。
指先が、ほんの僅かに震えただけだった。
「…………」
「ミレッタさん?」
エレナが声をかける。
「……おかしい」
ミレッタは呟いた。
「腕は……治ってるのに」
肘を曲げる。
腕そのものは動く。
手首も動く。
だが――指だけが、思うように動かない。
「……指が」
ミレッタは何度も指を動かそうとする。
それでも、結果は変わらない。
「……なんで……」
先ほどまでの強がった口調が、少しずつ消えていく。
「なんで……動かないんだよ……!」
エレナがミレッタの手をそっと取る。
「ミレッタさん……」
「……何でだよ……」
ミレッタの声が震える。
「治ったんじゃ……ないのかよ……」
「傷そのものは塞がっています」
エレナは言葉を選びながら答える。
「ですが……神経が損傷しているのかもしれません」
「……神経?」
「治癒魔法でも、完全に修復できない損傷があります」
「…………」
ミレッタは自分の手を見つめ続けていた。
やがて――。
「……そっか」
小さく呟く。
そして、無理やり口元を持ち上げた。
「ま……仕方ねぇか!」
「ミレッタさん?」
「腕は動くんだろ?」
ミレッタは笑った。
「生きてるだけでも十分じゃん!」
そう言って、自分の胸を軽く叩く。
「それに片手がまともに動かなくても、あたしの腕が一本ありゃ、その辺のドワーフよりよっぽどいいもん作れるぜ!」
明るい声だった。
だが――。
その笑顔が、あまりにも不自然だった。
「……」
大地は何も言わなかった。
ミレッタの目が笑っていないことに、気づいていた。
「助けてくれてありがとな!」
ミレッタは立ち上がろうとする。
「ちょっと魔鉱石でも取って帰るから、先に戻っててくれよ」
「ですが……」
「大丈夫だって」
ミレッタはエレナの言葉を遮った。
「ほら」
ふらつきながら、なんとか立ち上がる。
「歩けるし」
「無理をしてはいけません」
「平気、平気!」
ミレッタは笑う。
「それに、あたし職人だからさ」
自分に言い聞かせるように、言葉を続ける。
「こんなことで、へこたれてられないんだよ」
「……」
「じゃ……ちょっと行ってくる」
そう言って、ミレッタは背を向けた。
「ミレッタさん!」
エレナが呼び止める。
しかし、ミレッタは振り返らない。
「大丈夫だって!」
その声だけが――妙に明るかった。
そしてミレッタは、二人から離れるように、薄暗い坑道の奥へ歩いていった。
その背中が闇に溶けていく。
「…………」
大地は無言で見つめていた。
「……エレナ」
「はい」
「……あれ、大丈夫だと思うか?」
エレナはすぐには答えなかった。
ただ、心配そうにミレッタが消えていった方向を見つめている。
「……私も、少し気になります」
「だよな」
大地は眉を寄せた。
先ほどの笑顔。
あれが本心からのものではないことくらい、大地にも分かっていた。
「ちょっと様子を見てくる」
「お願いします」
大地はミレッタの後を追った。
◇
しばらく歩く。
薄暗い坑道には、二人の足音だけが響いていた。
やがて――。
「……?」
前方から、僅かな物音が聞こえてきた。
何かを引きずるような音。
そして、小さく震えるような呼吸。
「……ミレッタ?」
返事はない。
大地は足を止めた。
「……?」
嫌な予感がした。
さらに奥へ進む。
すると――。
「……っ!」
大地は息を呑んだ。
薄暗い坑道の隅。
ミレッタが、壁にもたれかかるように座り込んでいた。
その手には――鋭く尖った鉱石が握られている。
「……ミレッタ!」
大地が駆け寄る。
「来るな!」
ミレッタが叫んだ。
その声は、震えていた。
「……頼むから、来ないでくれ」
「何してるんだよ!」
「見れば分かるだろ!」
ミレッタは鉱石を握り締めたまま、大地を睨む。
だが――。
その頬には、涙が流れていた。
先ほどまでの強がりは、もうどこにもない。
「……あたしは……」
声が震える。
「あたしは……もう職人には戻れない」
「そんなこと――」
「戻れないんだよ!」
ミレッタが叫んだ。
声が坑道の奥へ響き、やがて虚しく消えていく。
「助けてくれたことには感謝する……」
涙を拭おうともせず、ミレッタは続けた。
「でもな……あたしたちドワーフにとって、手は命なんだ!」
震える指先を、大地へ見せる。
「鉱石を叩くのも、削るのも、細工するのも……全部この手なんだよ!」
「…………」
「この指が動かなきゃ……」
ミレッタは自分の手を見つめる。
「……あたしは何も作れない」
涙が一粒、手の甲へ落ちた。
「何年も……何年も鍛えてきたんだ」
声が震える。
「親父に教えてもらって……何度も失敗して……それでも、いつか一人前の職人になるって……」
ミレッタは唇を噛み締める。
「なのに……」
声が途切れる。
「こんなところで……全部……」
肩が震えた。
「生きてたって……意味ないんだよ……」
「ミレッタ……」
「死にたくなんかない!」
叫びだった。
今まで押し殺していた感情が、一気に溢れ出す。
「本当は、生きたい……!」
涙が次々と頬を伝う。
「まだ作りたいんだよ……!」
握り締めた鉱石が震える。
「もっと……もっと凄いものを作りたい……!」
それでも。
動かない指先を見つめる。
「でも……職人として生きられないなら……」
ミレッタの声が小さくなる。
「あたしが生きてる意味なんて……」
「ある」
大地が即座に言った。
ミレッタが顔を上げる。
「…………」
「……何がだよ」
「俺には分からない」
大地はゆっくりと近づいた。
だが、一定の距離は保ったままだ。
「職人じゃない俺には、ミレッタがどれだけ辛いのか、本当の意味では分からない」
「……だったら……」
「でも」
大地はミレッタの目をまっすぐ見た。
「諦めるのは、まだ早いんじゃないか?」
「……え?」
「治癒魔法で駄目だったからって、それが全部って決まったわけじゃない」
大地は言葉を選ぶ。
「俺は、この世界のことをまだ何も知らない」
「…………」
「だから、治せるなんて無責任なことは言えない」
ミレッタの瞳が揺れる。
「でも――」
大地は手を差し出した。
「可能性まで捨てる必要はないだろ」
「…………」
「俺は、まだ諦めたくない」
大地はミレッタの目を見つめる。
「だから……」
差し出した手を、そのまま動かさない。
「黙って俺を信じて、ついてきてくれるか?」
「……えっ?」
ミレッタが目を丸くする。
予想もしなかった言葉だった。
しかも――。
大地は真剣な表情で、自分だけを見つめている。
「…………」
ミレッタの顔が、徐々に赤くなる。
(……何だよ、こいつ……)
胸が妙に騒がしい。
(そんな顔で……そんなこと言うなよ……)
まるで――。
まるで、これから先も自分のことを守ってくれると約束されたような気がした。
ミレッタは戸惑いながら、大地の差し出した手を見る。
「……う、うん……」
小さく頷いた。
「……だったら……信じる」
大地は静かに頷く。
「ありがとう」
そして、ミレッタの手を取った。
「……ちょ、ちょっと!」
ミレッタの顔がさらに赤くなる。
「ど、どこへ行くんだよ!?」
「戻るぞ」
「え?」
「拠点だ」
大地はそれだけ言うと、ミレッタの手を引いて歩き出した。
「ちょ、待てって!」
ミレッタは慌てて後を追う。
だが――。
繋がれた手を、振りほどこうとはしなかった。
◇
「ミレッタさん! ダイチさん!」
二人が戻ると、心配そうに待っていたエレナが駆け寄ってきた。
「大丈夫でしたか?」
「エレナ……」
大地はミレッタの手を繋いだまま答える。
「急いで拠点に戻るぞ」
「……っ! は、はい!」
エレナはミレッタの様子を確認する。
泣いた跡。
赤くなった目。
そして――。
ミレッタの手をしっかりと握っている大地。
「…………」
エレナは何かを察したように、ほんの少しだけ目を細めた。
だが、何も言わない。
「行きましょう」
「……ああ」
三人は坑道を戻り始めた。
先頭を歩く大地。
その隣にミレッタ。
少し後ろをエレナが追いかけていった。




