【第26話】鉱山最深部の怪物
二人は慎重に歩を進めた。
坑道を抜けた先に待っていたのは、これまでとは比べものにならないほど広大な地下空間だった。
天井は遥か高く、壁から地面に至るまで、大小さまざまな鉱石が無数に埋め込まれている。
大地が生み出した光源だけでは、空間の全貌を照らしきることすらできない。
「……すごいな。これは」
大地は思わず足を止めた。
これほど巨大な地下空間が、鉱山の最深部に隠されていた。
壁面に埋め込まれた魔鉱石は、これまで見てきたものとは明らかに質が違う。
青白い光を帯びた鉱石が、まるで呼吸するように微かな明滅を繰り返している。
「こんなの……私も見たことがありません」
エレナも言葉を失ったように周囲を見渡していた。
その瞬間だった。
――グオオオオオオオオオオッ!!
地下空間の奥から、地面そのものを揺さぶるような咆哮が轟いた。
「――っ!」
二人の身体が同時に強張る。
天井から細かな砂埃が降り注ぎ、壁一面を覆う魔鉱石が一斉に青白い光を放った。
そして――。
その光に照らされ、闇の中から巨大な影がゆっくりと姿を現した。
大地は息を呑んだ。
「……何だよ、こいつ……」
巨大だった。
全長は十メートルを優に超えている。
その巨体を覆っているのは、黒々とした鉱石のような外皮。
肩から背中にかけては鋭い結晶が幾本も突き出し、四肢の先には岩盤すら容易く砕きそうな巨大な爪が備わっている。
長い尾が地面を擦るたび、石床が低く震えた。
だが――。
何より異様だったのは、その胸部だった。
そこには、赤黒い鉱石が埋め込まれている。
ドクン……。
ドクン……。
脈打つたびに赤い光が走り、それに呼応するように周囲の魔鉱石が明滅していた。
まるで――。
この巨大な魔物そのものが、鉱山と繋がっているかのようだった。
「……あれは、本当に魔物なんですか?」
エレナの声が僅かに震える。
大地にも答えは出せなかった。
これまで戦ってきた魔鉱狼やメタルリザードも、魔鉱石の影響によって異常な強さを得ていた。
しかし、目の前の存在は根本から違う。
魔鉱石を身に纏っているのではない。
魔鉱石そのものを、身体の一部として取り込んでいる。
生物と鉱石。
その境界そのものが、完全に崩れていた。
「……鑑定」
大地は目の前の怪物へ意識を集中させた。
視界に文字が浮かび上がる。
【種族:魔鉱巨獣】
【危険度:Sランク級】
【高純度魔鉱石を長期間にわたり大量摂取した特殊個体】
【全身の組織が魔鉱石化しており、極めて高い物理・魔法耐性を持つ】
【体内に蓄積された魔力によって、周囲の魔鉱石から常時魔力を吸収している】
「……Sランク級……」
大地の声が低くなる。
「Sランク……?」
エレナが息を呑んだ。
その言葉の重さは、二人にも理解できた。
これまで遭遇した魔物とは、明らかに次元が違う。
それでも大地は、鑑定結果を見つめながら眉を寄せた。
「……特殊個体って書いてある」
「はい……」
「しかも、周囲の魔鉱石から魔力を吸収してる」
大地は改めて魔鉱巨獣を見た。
「こいつ……この鉱山そのものを利用して強くなってるのか?」
「恐らく……そうだと思います」
エレナの表情が険しくなる。
「これほどの魔力を吸収し続けていたのなら、周囲の魔物まで魔鉱石の影響を受けていた理由も説明がつきます」
「つまり――」
大地は目の前の巨獣を睨む。
「こいつが、この鉱山の異常の原因かもしれないってことか」
そのときだった。
エレナが突然、視線を下げた。
「……待ってください」
「どうした?」
「何か……います」
魔鉱巨獣の巨大な前脚。
その陰に隠れるようにして――小柄な人影が倒れていた。
「……人?」
大地の心臓が跳ねる。
煤と血に汚れた衣服。
乱れたオレンジがかった赤毛。
そして――地面に広がる大量の血。
「生きてるのか……?」
大地が目を凝らす。
すると、人影が僅かに動いた。
「……っ!」
エレナが息を呑む。
「まだ生きています!」
「助けるぞ!」
大地が駆け出そうとした。
しかし――。
魔鉱巨獣が動いた。
ズズン……。
巨大な頭部がゆっくりとこちらへ向く。
濁った赤い瞳が、大地たちを捉えた。
そして巨獣は、倒れている人影を庇うように立ちはだかった。
「……こいつ」
大地は足を止める。
「守ってる……?」
「いえ」
エレナが首を横に振る。
「恐らく違います。あの方を獲物として認識しているのかもしれません」
「……だったら、なおさら急がないとな」
魔鉱巨獣が低く唸った。
「グルルル……」
その唸り声だけで、空気が震える。
大地の背中を冷たい汗が伝った。
「俺が引きつける。エレナはあの人を頼む」
「相手はSランク級ですよ!」
「分かってる」
大地は拳を握った。
「でも、あの人は今も死にかけてる」
視線をミレッタへ向ける。
「だったら、迷ってる暇はない」
大地は地面を蹴った。
「こっちだ、化け物!」
魔鉱巨獣の赤い瞳が大地を捉える。
次の瞬間――。
巨体が動いた。
「うおっ!」
巨大な前脚が振り下ろされる。
――ドゴォン!!
大地がいた場所の地面が陥没した。
大地は紙一重で飛び退く。
「……まともに受けたら終わりだな」
温泉の効果で強化された身体能力がなければ、今の一撃を避けることすらできなかっただろう。
だが、魔鉱巨獣は止まらない。
巨体が大きく旋回する。
次の瞬間、巨大な尾が横薙ぎに振り抜かれた。
大地は身を沈める。
頭上を尾が轟音とともに通過し、そのまま背後の岩壁を粉砕した。
――ガガガガガッ!!
「速い……!」
巨体からは想像もできない速度だった。
大地は必死に攻撃をかわしながら、魔鉱巨獣を少女から引き離していく。
その隙に、エレナが魔物の死角へ回った。
「大丈夫ですか……!?」
エレナが少女へ駆け寄る。
しかし――。
魔鉱巨獣が突然、大地への攻撃を止めた。
「……え?」
エレナが顔を上げる。
赤い瞳が、自分を捉えていた。
「……っ」
背筋が凍る。
「エレナ、逃げろ!!」
大地の叫びが響く。
魔鉱巨獣がエレナへ向かって突進した。
「きゃっ……!」
エレナは咄嗟に杖を構える。
「疾き風よ――」
だが、その瞬間。
周囲の魔鉱石が一斉に輝いた。
「――っ!」
練り上げた魔力が、まるで何かに引きずり出されるように吸い取られていく。
「魔力が……!」
詠唱が途切れた。
魔鉱巨獣が迫る。
「エレナ!」
大地は全力で駆けた。
間に合わない。
そう思った瞬間――。
大地がエレナの前へ飛び込んだ。
「――ぐっ!」
巨大な前脚が大地の身体を掠めた。
衝撃だけで身体が吹き飛び、地面を何度も転がる。
「ダイチさん!」
「……っ、平気だ!」
大地は痛みに顔を歪めながら立ち上がった。
服は裂け、身体には鈍い痛みが走っている。
それでも――まだ動ける。
「俺から……離れるな!」
魔鉱巨獣が再びこちらを向く。
大地は荒い息を吐きながら拳を握った。
「……こいつ」
視線が魔物の胸部へ向かう。
赤黒い鉱石が、脈打っている。
「やっぱり、あそこが弱点だ」
「ダイチさん、分かるんですか?」
「魔力が全部、あそこに集まってる!」
大地は構える。
「エレナ!」
「はい!」
「一瞬でいい。あいつの動きを止められるか?」
エレナは胸元を押さえた。
魔力は乱れている。
周囲の魔鉱石に吸われ続け、思うように力を練ることができない。
それでも――。
「……やってみます!」
エレナが杖を構えた。
「紅蓮よ、燃え盛る焔の意志を刃とし――」
魔力が弾ける。
「一点に集いて、敵を貫く槍となれ!」
杖の先に炎が集まっていく。
しかし、炎は安定しない。
周囲の魔鉱石に魔力を吸われ、炎の穂先が激しく揺らめいている。
それでもエレナは詠唱を止めなかった。
「――フレイム・ランス!」
巨大な炎の槍が放たれる。
――ズドォォン!!
炎が魔鉱巨獣へ直撃した。
爆炎が巨体を包み込む。
だが――。
煙が晴れた先にあったのは、ほとんど傷のついていない魔鉱巨獣だった。
「……やっぱり、効きにくい……!」
エレナが歯を食いしばる。
だが、その直後。
魔鉱巨獣の動きが――一瞬だけ止まった。
「今だ!」
大地が駆ける。
魔物が大地に気づく。
巨大な前脚が振り下ろされる。
「遅い!」
大地は踏み込んだ。
前脚を紙一重でかわし、そのまま巨体へ取りつく。
黒い外皮から突き出した結晶を足場にして、一気に駆け上がる。
「これで――!」
胸部へ迫る。
赤黒い核が、目の前にあった。
「終わらせる!!」
大地は拳を握り締めた。
全身の力を一つに集め、赤黒い核へ拳を叩き込む。
――バキィィィン!!
凄まじい衝撃が地下空間を駆け抜けた。
核に亀裂が走る。
「――っ!」
だが、砕けない。
魔鉱巨獣が咆哮した。
「グオオオオオオッ!!」
次の瞬間、巨体から凄まじい衝撃波が放たれる。
「うわっ――!」
大地の身体が吹き飛ばされた。
地面へ叩きつけられ、何度も転がる。
「ダイチさん!」
「……一発じゃ足りないか」
大地は痛みに顔を歪めながら、ゆっくりと立ち上がる。
魔鉱巨獣が再び動き出した。
そして今度は――。
エレナと少女へ向かって突進した。
「……まずい!」
大地は走った。
魔物の足元にはエレナ。
その腕には、負傷した少女。
「間に合えぇぇぇぇっ!!」
エレナが少女を抱きしめる。
「ダイチさん!」
「伏せろ!!」
大地が二人の前へ飛び込んだ。
振り下ろされた前脚を――真正面から受け止める。
「――ぐあああああっ!!」
地面が砕ける。
膝が沈む。
腕が軋む。
全身の筋肉が悲鳴を上げる。
それでも――大地は退かなかった。
「……ここで……!」
魔物の重量に押し潰されそうになりながら、歯を食いしばる。
「……退いてたまるかぁぁぁっ!!」
全身へ力を込める。
温泉によって強化された身体能力の限界まで、力を振り絞る。
そして――。
僅かに。
ほんの僅かに。
魔鉱巨獣の前脚を押し返した。
その瞬間だった。
胸部の核が、大きく脈打った。
ドクンッ!!
「……見えた!」
大地の目が鋭くなる。
先ほど刻んだ亀裂。
そこから赤い光が漏れ出している。
亀裂は――確実に広がっていた。
「そこだぁぁぁっ!!」
大地は魔物の前脚を弾き飛ばす。
そして、そのまま懐へ飛び込んだ。
残された力をすべて右腕へ集める。
「これで……!」
踏み込む。
腰を捻る。
全身の力を拳へ乗せる。
「終わりだぁぁぁぁっ!!」
拳が赤黒い核へ突き刺さった。
――ドォォォォォン!!
地下空間を揺るがすほどの衝撃が走った。
赤黒い鉱石に無数の亀裂が走り――。
次の瞬間。
核が完全に砕け散った。
――パキィィィン!!
砕けた鉱石の欠片が宙へ舞う。
それと同時に、魔鉱巨獣の全身を覆っていた魔力が一気に霧散していく。
「グ……オ……」
巨獣の巨体が大きく揺れる。
赤い瞳から光が失われていく。
そして――。
――ズゥゥゥン……。
地響きを立てながら、魔鉱巨獣はその場へ崩れ落ちた。
巨大な身体が地面へ倒れた衝撃で、周囲の砂埃が一気に舞い上がる。
「…………」
大地は荒い息を吐きながら、その場に立っていた。
拳からは血が滲んでいる。
腕も震えている。
それでも――。
「……終わった……?」
エレナが呟く。
大地は倒れた魔鉱巨獣を見つめる。
動かない。
胸部にあった赤黒い核も、完全に砕け散っていた。
「……ああ」
大地はようやく肩の力を抜いた。
「たぶん……終わった」
だが――。
次の瞬間。
「ダイチさん!」
エレナの声が響いた。
「……そうだ!」
大地は振り返る。
魔鉱巨獣が倒れたことで、先ほどまでその陰に隠れていた小さな身体がはっきりと見えていた。
煤と血にまみれたオレンジがかった赤毛。
年端もいかない可愛らしい少女。
その身体は、ほとんど動いていない。
「急ごう!」
二人は少女のもとへ駆け寄った。
大地が膝をつき、少女の顔を覗き込む。
「……生きてる」
僅かだが、胸が上下している。
しかし――。
傷はあまりにも深かった。
「エレナ……」
「はい」
エレナも少女の状態を確認する。
その表情が、徐々に険しくなっていく。
「かなり危険な状態です」
「助けられるか?」
「……まずは傷の処置をしなければ」
エレナは少女の身体をそっと抱き起こした。
「ここでは……」
大地は周囲を見渡す。
倒れた魔鉱巨獣。
崩れかけた岩壁。
そして、まだ青白く明滅を続ける無数の魔鉱石。
戦いは終わった。
だが――。
少女の命は、まだ終わっていない。
「……急いで処置しよう」
大地はそう言って、少女の身体を支えた。




