【第1話】ポンコツ女神と異世界転生
「――起きてください」
遠くから、聞き覚えのない声が聞こえる。
「……ん?」
大地は目を擦りながら、ゆっくりと目を開けた。
ぼやけていた視界が、少しずつ鮮明になっていく。
そこには――何もなかった。
床もない。
天井もない。
壁もない。
ただ、どこまでも続く真っ白な空間が広がっている。
「……なんだ、夢か……」
どうやら仕事の途中で寝てしまったらしい。
まあ、よくあることだ。
「……早く仕事の続きをしないとな」
一人で呟きながら、大地は再び目を閉じる。
「起きてください!」
「うわっ!」
突然の大声に驚き、大地は飛び起きた。
声のした方へ視線を向ける。
そこには――
眩い光に包まれた、美しい女性が立っていた。
長い白銀色の髪。
透き通るような白い肌。
そして、純白の衣。
頭上には、いかにも神様らしい光の輪まで浮かんでいる。
「……どちら様ですか?」
大地は眩しそうに目を細めながら尋ねた。
女性は胸を張った。
「女神です」
「そうなんですか」
大地は一度頷いた。
そして――
「そろそろ仕事しないと納期に間に合わないので、失礼します」
「えっ?」
大地は女神を無視して、再び目を閉じた。
「ちょっと待ってください!」
目を開ける。
「…………」
閉じる。
「起きてください!」
開ける。
「…………」
閉じる。
「大地さん!」
「……なんだこれ」
何度目を閉じても、夢から醒める気配がない。
「……おかしいな」
大地は額に手を当てる。
「最近、疲れすぎてるからな……。幻覚まで見えるようになったのか……」
「幻覚じゃありません!」
「うるせぇな!! 仕事間に合わねぇっつってんだろうが!!」
「ひっ……!」
女神の肩がビクッと跳ねた。
そして――
ポロポロ。
大粒の涙が、その瞳からこぼれ落ちる。
「……ご、ごめんなさい……」
「…………」
大地は固まった。
「…………ええと…こちらこそ、大声出してすみません」
自分としたことが。
どうやら過労によるストレスで、人に当たってしまったらしい。
自律神経に異常をきたしているのか、感情のコントロールがうまくできていないようだ。
働きすぎは良くない。
「……コホン」
女神は涙を拭うと、何事もなかったかのように姿勢を正した。
「気を取り直して、説明させていただきます」
どうやら先程のやり取りは、彼女の中では無かったことになったらしい。
大地としても、その方がありがたかった。
「まず、ここは夢の中ではありません」
「…………」
「現実です!」
「…………」
「まあ、厳密に言えば、現実と死後の世界の狭間なんですけどね」
「……え?」
大地の顔が引きつった。
「死後……?」
「はい」
女神はニコッと笑った。
「大地さんは――」
そして。
「死にました!」
「…………」
「見事にポックリと!」
「…………」
満面の笑みだった。
「……そんな笑顔で元気に言われても、全然実感ないんですけど……」
そう言った瞬間。
頭の中に、あの光景が蘇った。
薄暗いオフィス。
パソコンの画面。
机に突っ伏す自分。
そして――
力の抜けた身体。
「…………」
大地は黙り込んだ。
「……あれ、現実だったのか」
「思い出していただけたみたいですね」
女神が優しく微笑む。
大地は改めて、彼女を見る。
美しく長い銀色の髪。
陶器のような透き通った肌。
純白の衣。
そして、その衣装から覗く女性らしい身体のライン。
「……女神様って」
「はい?」
「ずいぶんと、えっちな格好なんですね」
「…………」
大地の目が輝く。
視線が上から下へ、そしてまた上へ。
「…………」
女神の顔が、みるみる赤くなる。
「大地さん……」
「はい」
「女神に向かって不敬ですよ」
女神は慌てて自分の身体を隠すように腕を組んだ。
「そ、そういう目で見ないでください!」
「いや、だって死んだんですよ?」
「はい?」
大地は堂々と言った。
「死ぬ間際に決めたんです」
「…………」
「次は、自分らしく生きようって」
大地は拳を握る。
「もう、自分を抑えるのはやめました!」
「…………」
女神はしばらく大地を見つめた。
「……ま、まあいいでしょう」
若干引きつった笑顔を浮かべながら、女神は話を続ける。
「私は運命の神――クレア」
「運命の神……」
「はい。大地さんの死の間際に生まれた強い願いが、運命力となって私を呼び寄せたんです」
「俺の願いが……?」
「はい」
クレアは頷いた。
「そして大地さんには特別に、今の意識と記憶を持ったまま、もう一度人生をやり直していただきます」
「…………!」
「つまり――」
クレアは両手を広げた。
「異世界転生です!」
「こ、これは……!」
大地の目が輝いた。
「異世界テンプレ展開じゃないですか!?」
「テンプレ……?」
「やっと俺のターンが回ってきたか!」
大地は勢いよく立ち上がった。
「剣と魔法のファンタジー世界!」
「はい」
「魔物!」
「はい」
「冒険者!」
「まあ、いますね」
「そして――」
大地は左胸の前で、右拳を強く握り締めた。
「神様から特別なスキルをもらって、俺TUEEE展開!」
「…………」
「俺の時代が、今ここに幕を開けるっ!」
「……自分に酔っているところ申し訳ないんですけど」
クレアは若干引きつった笑顔を浮かべる。
「続きを話してもいいですか?」
「はい! よろこんで!」
この男、やる気満々である。
「スキルについてですが、大地さんの適性を確認したうえで、ある程度は本人の希望に沿ったものを付与する決まりになっています」
「ほう!」
「大地さんの希望はありますか?」
「はい!」
即答だった。
「戦闘系のスキルがいいです!」
「戦闘系……」
「異世界といえば王道ですからね!」
クレアは頷いた。
「分かりました。大地さんの希望に沿ったスキルで進めさせてもらいます」
そう言うと――
いつの間にか眼鏡をかけ、どこからともなくノートパソコンを取り出した。
「…………」
カタカタカタカタ。
「…………」
カタカタカタカタ。
「クレア様」
「はい?」
「意外と形から入るタイプなんですね」
「仕事ですから!」
「その眼鏡姿も素敵です」
「……もうっ! 気が散るようなこと言わないでください!」
クレアは顔を赤くしながら画面へ視線を戻す。
「……よし」
しばらくして、キーボードを叩く音が止まった。
「準備が整いました」
クレアが立ち上がる。
大地の足元に、巨大な魔法陣が浮かび上がっていく。
「それでは、時間もありませんので転生させますよ!」
「ちょっと待ってください!」
「はい?」
「スキルはどんなものが付与されたんですか?」
「もちろん、ご希望どおりの戦闘系ですよ!」
「おおっ!」
「ご自分でステータス画面を確認してください。『ステータスオープン』と唱えれば確認できます」
「分かりました!」
大地は期待に胸を膨らませた。
「それじゃあ――」
魔法陣が強く輝き始める。
「ステータスオープン!」
目の前に半透明の画面が現れた。
そこには、自分の名前と各種パラメーター。
そして、その下にスキルの一覧が表示されている。
【ステータス】
氏名:ユモリ・ダイチ
種族:人間
LV:1
HP:30
MP:10
力:5
防御:5
素早さ:5
魔力:2
魔法防御:4
運:10
【スキル】
温泉サーチ LV1
泉質効能調整 LV1
温泉効能強化 LV EX
「…………」
大地は無言で画面を見つめた。
一度、目を擦る。
もう一度見る。
「…………」
さらに見る。
「…………温泉?」
ゆっくりと顔を上げる。
「……クレア様」
「はい?」
「なんかスキルが、温泉、温泉、温泉なんですが」
「…………」
「戦闘に関係なさそうなものが並んでるんですが」
「…………」
「何かの間違いですよね?」
クレアは忙しそうに魔法陣を組み立てながら答えた。
「今、転生処理で忙しいんですから、話しかけないでください!」
「いや、でも!」
「何を言ってるんですか? ちゃんと戦闘系って入力しましたよ!」
「本当に!?」
「もちろんです!」
クレアはそう言うと、大地の目の前にノートパソコンを突き出した。
「ほら、これを見てください!」
画面には――
『銭湯系』
という文字が表示されていた。
「…………」
「…………」
「…………」
数秒間。
完全な静寂が流れた。
そして――
「「……あっ」」
二人の声が重なった。
大地は恐る恐る口を開く。
「……ク、クレア様」
「はい……」
「これは……どういうことでしょうか?」
クレアは画面を見つめる。
そして、もう一度大地を見る。
「…………」
「…………」
クレアは小さく笑った。
「……えへっ」
そして。
舌をちょこんと出し、片目を閉じる。
「間違えちゃいました♡」
「…………」
大地の額に青筋が浮かんだ。
「…………」
「…………」
その瞬間。
大地の真下にあった魔法陣が、これまでにないほど眩く輝いた。
「えっ?」
クレアが目を見開く。
「それでは大地さん!」
「ちょ、ちょっと待――」
「異世界での第二の人生、楽しんできてくださいね!」
「いや待てぇぇぇぇぇぇ!!」
身体が光に包まれる。
「このクソ女神がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「いってらっしゃーい!」
その声を最後に。
大地の意識は、深い闇の中へと沈んでいった。




