【プロローグ】人生は何が起こるかわからない
「……終わらねぇ」
時計は午前二時。
誰もいないオフィスで、暗闇と静寂の中、大地はパソコンの画面を睨みつけながらカタカタを音を鳴らす。
机の上には冷めたコンビニ弁当。
その横には、空になった栄養ドリンクが三本。
モニターには、大量の数字と資料。
「これ、今日中って言われたんだけどな……」
時計を見るとすでに午前二時十三分。
もう「今日」は始まっている。
大地は乾いた笑いを漏らした。
「……まあ、いつものことか」
二十八歳。
大学を卒業してITベンチャーの会社に入り、気付けば毎日毎日仕事ばかりの日々。
朝起きる。
仕事へ行く。
残業する。
帰る。
寝る。
また仕事。
休日も仕事。
友人から遊びに誘われても断った。
気付けば連絡も来なくなった。
旅行にも行かなかった。
趣味に使う時間もなかった。
恋人を作る余裕など、あるはずもなかった。
「それは時間があってもそれは無理か…」
1人で苦笑する。
上司は大地を目の敵にし、パワハラ三昧。
仕事を押し付けて部下の女社員と夜の街に消えていった。
「ブラック企業のダブル役満じゃん…」
いつか仕事が落ち着いたら。
いつか余裕ができたら。
いつか――。
「……いつか、か」
大地は呟いた。
そんな「いつか」が来ることは、一度もなかった。
ふと、パソコン画面の端に表示された広告が目に入った。
山奥の温泉旅館。
雪の積もった木造の建物。
湯気の立ち込める露天風呂。
写真の中では、誰も急いでいない。
誰も怒鳴っていない。
誰もパソコンに向かっていない。
「……いいな」
大地は小さく笑った。
「一週間くらい、こういうところで何もせずに過ごしたい」
朝起きて温泉。
飯を食べて温泉。
昼寝して温泉。
夜も温泉。
「……最高じゃん」
その瞬間だった。
胸が締め付けられた。
「……え?」
呼吸が止まる。
心臓が激しく鼓動する。
「……くっ……」
立ち上がろうとした。
しかし、身体に力が入らない。
机に手をつく。
視界が歪む。
「……っ誰か……!?」
声が出ない。
そのまま、大地は床へガタガタと音を鳴らして倒れた。
「……なんでなんだよ……」
最後に見えたのは、白い蛍光灯。
ぼんやりと薄れゆく意識の中で、最後に思った。
――もっと、自分のために生きればよかった。




