【第16話】エレナの謎
その後も二人は、入浴時間や身体の浸かり方を変えながら、いくつもの検証を行った。
効果が発現するまでの時間。
身体のどの部分まで浸かれば効果が現れるのか。
効果時間によって、上昇幅がどう変化するのか。
そして、効果が切れた後の身体への影響。
一つ一つを確認していく。
気がつけば、太陽は西の空へと傾いていた。
「……そろそろ戻りましょうか」
エレナが荷物をまとめる。
「そうですね」
大地も立ち上がった。
そのときだった。
「…………」
大地の表情が変わった。
「……エレナさん」
「はい?」
「ちょっと静かに」
「……?」
エレナも口を閉じる。
森の中。
聞こえてくるのは、風に揺れる木々の葉音。
遠くで鳴く鳥の声。
そして――。
「…………」
大地は眉をひそめた。
何かがおかしい。
先ほどまで聞こえていた鳥の鳴き声が、いつの間にか消えている。
「…………」
大地は周囲を見回す。
森は静まり返っている。
ただ。
森の奥から、かすかな気配がする。
一つ。
……いや。
「……複数?」
大地はゆっくりと立ち上がった。
「ダイチさん?」
「エレナさん」
「はい」
「そのまま、ここにいてください」
「え?」
「何かいます」
エレナの表情が一瞬で引き締まる。
「……魔物ですか?」
「分かりません」
大地は森の奥を睨む。
「でも、昨日までとは違う」
明らかに――。
誰かに見られている。
その瞬間。
――ヒュッ!
空気を切り裂く音がした。
「危ない!」
大地が反射的に身体を動かす。
――ガキン!
飛んできた矢が、大地のすぐ横にあった木へ突き刺さった。
「……っ!」
エレナが息を呑む。
「ダイチさん!」
「大丈夫です!」
大地は矢が飛んできた方向を見る。
木々の隙間。
そこに人影があった。
一人。
そして――。
「……二人、三人……」
さらに数人。
黒い服に身を包んだ男たちが、ゆっくりと姿を現した。
「エレノア様」
その一人が口を開く。
「お迎えに上がりました」
「……!」
エレナの顔から、血の気が引いた。
「あなたたち……」
大地はエレナを見る。
「……エレノア?」
「…………」
エレナは答えない。
ただ、その表情には明らかな動揺が浮かんでいた。
「エレノア様」
男が再び口を開く。
「抵抗はなさらないでください」
「嫌です」
エレナは、はっきりと言い切った。
「私は戻りません」
「……そうですか」
男が片手を上げる。
すると左右の木々から、さらに数人の男たちが姿を現した。
「ダイチさん……」
エレナの声が震える。
大地は一歩前へ出た。
「エレナさん」
「はい」
「下がっていてください」
「だめです! 危険です……!」
「大丈夫です」
大地は自分の拳を見る。
さっきまで検証していたステータス。
2時間に設定した温泉効能。
最後に入ってから――。
まだ効果は残っている。
ステータス画面を確認する。
【身体能力向上】
残り――。
「……まだ八十分以上あります」
大地は拳を握る。
「ちょうどいい」
「……何がですか?」
大地は不敵に笑った。
「実戦で試してみましょう」
「ダイチさん……」
エレナが目を見開く。
刺客たちが一斉に武器を構える。
「男は殺しても構わん」
その言葉を聞いた瞬間。
大地の表情から笑みが消えた。
「……そういうことですか」
一歩。
大地が前へ出る。
「なら――」
身体に力が漲る。
昨日とは違う。
何度も温泉に入り、効果を検証してきた。
そして今。
自分の力を試す相手がいる。
「俺も遠慮しません」
男の一人が剣を抜く。
「舐めるな!」
地面を蹴った。
――ダンッ!
一瞬で距離が詰まる。
「――速い!」
男が驚愕の声を上げる。
振り下ろされた剣。
――ヒュン!
大地は紙一重で身体を横へ滑らせた。
「遅い!」
――ドンッ!
拳が男の腹へ突き刺さる。
「ぐっ……!」
男の身体が宙へ浮く。
そのまま――。
――ドゴォン!
背後の木へ叩きつけられた。
「な……」
別の男が目を見開く。
「一撃だと……?」
大地自身も驚いていた。
「……やっぱり、すごい」
拳を握る。
「身体能力が上がっているだけじゃない」
視界。
反応速度。
身体の動かしやすさ。
全てが違う。
自分の身体が、自分の意思より先に動いているような感覚だった。
「これなら……!」
「ダイチさん!」
エレナの声が響く。
「後ろです!」
「――!」
大地が振り返る。
別の男が、いつの間にか背後まで迫っていた。
剣が振り下ろされる。
「――殺った!」
――ヒュン!
だが。
大地の身体は、まるで弾かれたように後方へ飛び退いた。
「なっ……!」
そのまま勢いを利用し――。
――ドンッ!
後ろ回し蹴りが男の腹部を捉える。
「ぐあっ!……ば、化物か…?」
「失礼だな!」
大地は倒れかけた男の腕を掴む。
「俺は女性を愛するただの温泉好きですよ!」
――ブンッ!
そのまま男を投げ飛ばす。
「ぐあっ!」
男は地面を転がった。
「ダイチさん……」
エレナが呆然と呟く。
「本当に……何者なんですか?」
「俺にも分かりません!」
大地は即答した。
「でも!」
残った男たちを見る。
「この温泉の力……」
大地は拳を構えた。
「めちゃくちゃ便利です!」
「…………」
刺客たちは互いに顔を見合わせる。
その表情から、明らかな動揺が見て取れた。
「……撤退するぞ!」
一人が叫ぶ。
「逃がしません!」
大地が地面を蹴った。
――ドンッ!
その瞬間。
森の中から、大地の姿が消えた。
「な――」
次の瞬間。
「ぐあっ!」
「ぎゃっ!」
次々と男たちが吹き飛んでいく。
エレナは、ただその光景を見つめていた。
そして――。
最後の一人が地面へ倒れた。
「……終わった」
大地が息を吐く。
「はぁ……」
「ダイチさん」
「はい?」
エレナが近づいてくる。
「……ありがとうございます」
「いやいや」
大地は頭を掻く。
「俺が温泉の検証をしたかっただけなので」
「それでも……」
エレナは倒れている男たちを見る。
「彼らは、私を追ってきた者たちです」
「やっぱり……」
大地の表情が真剣になる。
「エレナさん」
「はい」
「一体、あなたは何者なんですか?」
「…………」
エレナは答えなかった。
ただ、悲しそうに目を伏せる。
そのときだった。
「……!」
森の奥から、再び気配がした。
「……え?」
大地が振り返る。
倒したはずの刺客の一人が、最後の力を振り絞って身体を起こしていた。
震える手で、弓を構えている。
「……連れ帰ることができないならば……」
男の目に、狂気が宿る。
「いっそ、ここで……!」
「――!」
弓が引き絞られる。
「ダイチさん!」
――ヒュン!
放たれた矢が、エレナへ向かって一直線に飛んでいく。
「ーー危ない!」




