【第14話】温泉スキルの検証します
カタカタカタ――。
終わらない。
一つ仕事を終えれば、また新しい仕事が追加される。
「弓守くん、これ今日中にお願いね」
上司の声が聞こえた。
「……今日中って、もう二時ですよ」
「だから?」
「…………」
「若いんだから、それくらいできるでしょ」
まただ。
いつもそうだった。
残業。
休日出勤。
サービス残業。
眠る時間を削って働いて。
それでも――。
「もっと頑張ってくれないと困るよ」
「…………」
大地は何も言えない。
言ったところで、何も変わらない。
ただ、パソコンの画面を見つめる。
目が痛い。
頭が重い。
身体が動かない。
「……もう、無理だ」
そう呟いた瞬間。
「……ダイチさん?」
誰かの声がした。
「…………」
大地はゆっくりと顔を上げる。
そこには――。
真っ暗な画面があった。
「…………え?」
次の瞬間。
身体から力が抜ける。
ドサッ。
「……あ」
床が近づいてくる。
視界が暗くなる。
「まだ……仕事……」
最後にそう呟いた。
――その瞬間。
「……はっ!」
大地は勢いよく身体を起こした。
「…………」
見慣れない天井。
静かな部屋。
窓から差し込む朝の光。
「…………」
しばらく呆然と天井を見つめる。
「……夢か」
胸に手を当てる。
心臓が早鐘のように鳴っている。
「…………」
大地はゆっくりと息を吐いた。
そして――。
「……そうだ」
ここは日本じゃない。
会社もない。
あの上司もいない。
そして何より――。
「俺……異世界に来たんだった」
大地はベッドに倒れ込む。
「……あのクソ上司、夢にまで出てくるのかよ……」
苦笑する。
けれど。
不思議と、嫌な気分ではなかった。
あの生活から解放された。
そう実感できるからだ。
「……もう、戻りたくないな」
大地は窓の外を見る。
クレーベルの朝。
鳥の鳴き声。
街を行き交う人々。
日本とは違う、穏やかな朝の風景。
「せっかく生まれ変わったんだ」
大地はベッドから立ち上がる。
「今度は、自分のために生きよう」
そして――。
「まずは温泉だ!」
◇
「おはようございます、ダイチさん」
一階へ降りると、エレナがすでに席についていた。
「おはようございます」
「……あの」
エレナが大地の顔を覗き込む。
「少し顔色が悪いですが……大丈夫ですか?」
「え?」
大地は自分の頬に触れる。
「そうですか?」
「はい。少し疲れているように見えます」
「ちょっと嫌な夢を見まして」
「夢……ですか?」
「はい」
大地は苦笑した。
「昔の仕事の夢です」
「……お仕事」
エレナが心配そうに眉を下げる。
「……大変だったのですね」
「まあ……今となっては昔の話です」
大地は一度だけ窓の外を見る。
そして、すぐに笑顔を浮かべた。
「でも、朝から天使の顔を見られたので、もう元気です!」
「て、天使……?」
エレナの長い耳が、みるみる赤く染まっていく。
「もう……朝から何を言っているんですか」
「いや、本当にそう思ったんですけど」
「……知りません!」
エレナはぷいっと顔を背ける。
その反応がおかしくて、大地は思わず笑った。
「それより朝食ですよっと」
「……はい」
二人の前には、焼きたてのパンと温かなスープが並んでいる。
「いただきます」
大地はパンを手に取る。
「……うん」
「美味しいですか?」
「はい」
大地は頷いた。
「こういう普通の朝って、いいですね」
「普通の朝?」
「起きて、朝飯を食べて」
スープを一口飲む。
「今日は温泉に行く」
「……それが普通なのですか?」
「俺にとっては、今後そうしたいんです」
大地が笑う。
「仕事に追われて、朝も夜も関係ない生活より、ずっといいでしょう?」
「……ふふっ」
エレナは優しく微笑んだ。
「ダイチさんらしいですね」
「でしょう?」
そんな穏やかな会話を交わしながら、二人は朝食を終えた。
「では、そろそろ出発しましょう」
「はい」
大地が立ち上がる。
その頃――。
宿の外。
通りの向こう側に、一人の男が立っていた。
フードを深く被り、宿の入口をじっと見つめている。
「…………」
しばらくして。
宿から大地とエレナが出てくる。
男は二人の姿を確認すると、ほんの少しだけ顔を上げた。
「……あれか」
小さく呟く。
だが、それ以上は何もせず、人の流れに紛れるようにその場を離れていった。
◇
「今日は昨日の温泉に戻るんですよね?」
「はい」
大地は歩きながら答える。
「昨晩、色々と仮説を立ててみたんです」
「それを今日は検証します」
「なるほど」
エレナが頷く。
「だから今日は、できるだけ条件を揃えて確認します」
「研究者みたいですね」
「こういうの、昔から好きなんですよ」
大地は少しだけ遠くを見る。
前世でも、トライ&エラーを繰り返しながら、会社やクライアントの無理難題に答えてきた。
思えば、あの頃からこういう検証作業だけは嫌いではなかった。
「まあ、色々です」
そして、再び笑う。
「今日は温泉を徹底的に調べますよ」
「ふふっ。分かりました」
二人は森へ入っていった。
◇
「……ここですね」
しばらく歩くと、見覚えのある場所へ辿り着いた。
木々の間。
苔むした岩場。
そして、そこから立ち上る白い湯気。
「昨日と同じ温泉です」
大地は嬉しそうに笑った。
「やっぱり落ち着くなぁ……」
「まだ二回目ですよ?」
「温泉というものは、そういうものなんです」
「そういうものですか?」
「そういうものです」
エレナは苦笑する。
「では、始めましょう」
「はい」
大地は温泉の前に立つ。
「まずは入る前のステータスを確認します」
ステータス画面を開く。
【ステータス】
氏名:ユモリ・ダイチ
種族:人間
LV:1
HP:30
MP:10
力:5
防御:5
素早さ:5
魔力:2
魔法防御: 4
運:10
「昨日のステータスと、大きな変化はありません」
「それが温泉に入ると変わる、と」
「はい」
――ピコン。
『泉質――身体能力向上』
「やっぱり……」
大地が表示された文字を確認する。
「昨日と同じ効能です」
「では、入ってみましょう」
「はい」
大地は服に手をかける。
「……あ」
エレナの表情が固まった。
「ちょ、ちょっとダイチさん!」
「はい?」
「服は脱がないって言ったじゃないですか!」
エレナは慌ててしゃがみ込み、両手で顔を覆う。
「だって、昨日と同じ条件で試さないと……」
「もう……!」
エレナは顔を赤くしたまま、ため息をつく。
「……分かりました。検証のためですからね」
「ありがとうございます!」
――ザブン!
大地は勢いよく温泉へ身体を沈めた。
「…………あぁぁ……」
思わず大地の口から、気の抜けた声が漏れる。
「……最高です」
「……検証してください」
「もちろんします」
大地は苦笑しながらステータス画面を確認する。
――ピコン。
『温泉効能強化LV:EXを発動します』
『対象者ユモリ・ダイチの温泉効能強化を最大効率で適用します』
「スキルが発動したみたいです!」
大地の目が輝く。
「ステータスを確認します!」
【バフ効果】
★身体能力向上 残り3分/3分
HP・力・防御・素早さの能力値極大UP
HP:3,000(30 + 2970↑)
MP:10
力:500(5 + 495↑)
防御:500(5 + 495↑)
素早さ:500(5 +495↑)
魔力:2
魔法防御:4
運:10
「……すごい」
エレナが思わず息を呑む。
「昨日も驚きましたが、改めて見ると異常ですね」
「やっぱり温泉効能強化で、大幅な能力上昇が起きたということなんですね」
大地は画面を眺めながら考え込む。
「ただ……」
「何か問題が?」
「効能時間が三分しかありません」
「確かに……」
「これじゃあ、戦闘で使うにしても短すぎます」
「温泉に入ってから戦う、という条件もありますからね」
「そうなんですよ」
大地は腕を組む。
「……でも、このスキル。もしかしたら――」
大地はステータス画面の『温泉効能強化LV:EX』をタップした。
すると――。
「……あれ?」
画面が切り替わった。
そこには、見慣れないゲージが表示されている。
「何かありましたか?」
「効果時間を調整できそうです」
「調整?」
「はい」
ゲージを確認すると、効果時間は3分から最大480分――つまり8時間まで自由に変更できるようになっていた。
「……8時間?」
「そんなに長くできるんですか?」
「みたいです」
大地は試しに、効果時間を120分に設定する。
「2時間で試してみます」
設定を変更した瞬間――。
――ピコン。
『温泉効能強化の設定を変更しました』
『身体能力向上――120分』
「よし」
大地はステータス画面を開く。
【バフ効果】
★身体能力向上 残り120分/120分
HP・力・防御・素早さの能力値大UP
HP:900(30 + 870↑)
MP:10
力:150(5 + 145↑)
防御:150(5 + 145↑)
素早さ:150(5 + 145↑)
魔力:2
魔法防御:4
運:10
「……やっぱり!」
大地が声を上げる。
「エレナさん! 効果時間を伸ばすと、それに応じて強化されるパラメーターが下がるようです!」
「なるほど……」
エレナも画面を覗き込む。
「つまり、三分なら極端に強くなりますが、二時間ならそこまで強くならない」
「そういうことですね」
「それでも、十分すぎるほど高い数値ですが……」
「確かに」
大地は苦笑する。
「でも、これなら戦闘以外にも使えそうです」
「例えば?」
「長時間歩くとか、重いものを運ぶとか。使い道は色々ありそうです」
「すごいです……」
エレナは目を輝かせる。
「こんなスキル、私も見たことがありません」
「俺もです」
大地はステータス画面を見つめながら、思わず笑った。
「……本当に、温泉ってすごいな」
「ダイチさんの場合、温泉そのものよりスキルがすごいんだと思いますけど……」
「それは言わない約束で」
「ふふっ」
――ザバン!
大地が温泉から勢いよく立ち上がる。
「きゃっ!」
エレナが慌てて顔を背ける。
「急に立ち上がらないでください!」
「すみません!」
「あと……!」
エレナは顔を赤くしながら、ちらりと大地を見る。
「ちゃんと前を隠してください!」
「あっ」
大地は慌てて手で隠す。
「す、すみません……」
「もう……」
エレナは深いため息をついた。
「それと、時間に余裕があるなら、ちゃんと服を着てください!」
「はい……」
観念した大地は、急いで服を着る。
「じゃあ、実際にどれくらい変わったのか試してみます!」
「分かりました」
二人は温泉を後にし、森の奥へゆっくりと進んでいった。
◇
しばらく歩いていると――。
大地が足を止めた。
「……ん?」
「どうしました?」
大地は木々の向こうを指差す。
「あれ……」
そこには、昨日も遭遇したスライムが三体いた。
「いましたね」
「でたな、憎きスライム共め…」
大地にとっては、憎き仇敵。
「……今度は絶対に勝ちます!」
エレナが苦笑する。
三体のスライムは、こちらの様子を窺うように身体をぷるぷると震わせている。
「私は手出ししませんので、お一人で頑張ってみてください」
「分かりました」
一体のスライムが、のそのそとこちらへ近づいてくる。
そして――。
「――!」
突然、勢いよく飛びかかってきた。
――ぶるん!
「……遅い!」
大地は反射的に身体を横へ滑らせる。
――サッ!
自分でも驚くほど軽い。
まるで身体そのものが別人になったようだった。
「すごい……!」
スライムの攻撃を避けた勢いを利用し、そのまま拳を振り抜く。
――バチンッ!
拳がスライムの身体を捉えた瞬間。
その巨体が大きく弾き飛ばされ――。
そのまま霧散した。
「……え?」
大地は自分の拳を見る。
「一撃……?」
「はい!」
エレナも驚いたように目を見開いている。
「昨日ほどではないですが……それでも、自分の身体じゃないみたいです!」
すると――。
――ぶるぶるん!
残った二体のスライムが、同時に飛びかかってきた。
前から一体。
そして、背後からもう一体。
「ダイチさん!」
「大丈夫です!」
身体能力向上の影響なのか、視界が異様なほど鮮明だった。
飛んでくるスライムの軌道が、まるでゆっくり見える。
「こっち!」
大地は身体をひねる。
――シュッ!
前方の一体をかわし、そのまま身体を回転させる。
「せいっ!」
――ドパンッ!
振り下ろした腕が、スライムを地面へ叩き落とす。
続けて、背後から迫っていたもう一体へ身体を反転させる。
「――ほぉぉ…わったぁぁ!!」
――ドゴンッ!
二体のスライムは地面に叩きつけられ、そのまま形を失って消え去った。
「お前はすでに死んでいる」
静寂。
「…………」
大地はよくわからない決めポーズをとっている。
「……すごい」
エレナの声が森に響いた。
「すごいです、ダイチさん!」
「俺も……自分でびっくりしてます」
すると――。
――ピコン。
『レベルが2にアップしました』
「おお!」
大地が思わず声を上げる。
「ありがとうございます!」
「え?」
「ついでにレベルも上がったみたいです!」
「ついで、ですか……?」
エレナが苦笑する。
大地はさっそくステータス画面を開いた。
【ステータス】
氏名:ユモリ・ダイチ
種族:人間
LV:2
【バフ効果】
★身体能力向上 残り103分/120分
HP・力・防御・素早さの能力値大UP
HP:2,550(85 + 2,465↑)
MP:30
力:240 (8 + 232↑)
防御:210(7 + 203↑)
素早さ:240(8 + 232↑)
魔力:4
魔法防御:5
運:11
「……なるほど」
大地は数値を見比べる。
「今のレベルアップで、さらに分かりました」
「何がですか?」
「レベルアップによって基礎ステータスそのものが上昇している」
大地は一つずつ確認していく。
「そして、バフによって、その基礎値がさらに大きく引き上げられている」
「つまり……」
「はい」
大地は頷く。
「120分に設定した場合、対象になっているステータスは、通常時の約30倍になるみたいです」
「……30倍」
エレナが言葉を失う。
「レベル2でこの数値……」
そして、二人は顔を見合わせる。
「これ……」
「はい」
「普通に考えたら、とんでもないスキルですよね」
「……はい」
エレナは真剣な表情でステータス画面を見つめる。
「ですが、まだ分からないことも多いです」
「そうですね」
大地も頷く。
「効果時間と能力上昇の関係。レベルアップによる影響。そして――」
大地は自分の手を握る。
「他の温泉の効能では、どうなるのか」
「……確かに」
「それに、俺以外の人が入った場合も同じ効果になるのかもしれません」
「それは……」
エレナの表情が変わった。
「かなり重要な検証になりそうですね」
「でしょう?」
大地は笑った。
「まだまだ調べることがありそうです」
こうして二人は、温泉の効能とスキルについて、さまざまな検証を重ねていった。




