【第13話】安宿でのひと時
「この素敵なレディと、二人一部屋でお願いします」
宿へ到着するなり、大地が受付の主人に告げた。
「ちょ、ちょっとダイチさん!」
エレナの顔が一瞬で真っ赤になる。
「一人一部屋で大丈夫ですよ!」
「……残念です」
大地が肩を落とす。
その様子を見て、宿の主人が呆れたように笑った。
「二人とも、部屋は別々だね」
「はい」
主人は二人に、それぞれ部屋の鍵を手渡した。
「二人で銀貨二枚だよ」
(一人銀貨一枚……日本円なら二千円ってところか)
大地は頭の中で日本円に換算しながら、料金を支払う。
「朝食を食べたら、すぐ温泉へ向かいましょう」
「分かりました」
「そこで、スキルの検証です」
「はい」
二人は階段を上りながら、明日の予定を確認していく。
「まず温泉の状態を確認して、それから――」
「……あの、ダイチさん」
「はい?」
「ダイチさんの部屋、あっちですよ?」
エレナが指差した先には、大地に割り当てられた部屋がある。
「はい」
大地は何食わぬ顔で答えた。
「このままエレナさんの部屋に入れるのかなと思って」
「…………」
エレナの顔が引きつる。
「明日も早いんですから!」
「はい」
「ふざけてないで、もう寝てください!」
「……はい」
さすがに観念した大地は、自分の部屋へと入っていった。
◇
「……ふぅ」
ベッドへ横たわる。
柔らかな布団に身体を預けると、今日一日の疲れが一気に押し寄せてきた。
「今日は……色々あったな」
薬草採取。
スライムの群れ。
そして、自分の中に眠っていた力。
大地はふと、ステータス画面を開いた。
薄い光が、暗い部屋の中に浮かび上がる。
そこに表示された、自分の能力。
「……絶対に使いこなしてみせる」
この世界で生きていくために。
そして――。
いつか、自分の温泉宿を作るために。
大地は改めて決意を固めた。
そのときだった。
……トントン。
ドアを叩く、小さな音。
「ダイチさん?」
エレナの声だった。
「どうかしましたか?」
大地はステータス画面を閉じ、ドアへ向かう。
扉を開けると、そこには少し照れたようなエレナが立っていた。
「言い忘れてました」
「はい?」
エレナは少しだけ視線を逸らしてから、
「……おやすみなさい」
「……」
大地は一瞬、きょとんとした。
そして、思わず笑みを浮かべる。
「エレナさんも、おやすみなさい」
「はい」
エレナは小さく笑うと、自分の部屋へ戻っていった。
今日最後の挨拶。
たったそれだけのことなのに、不思議と心が温かくなった。
◇
【エレナside】
今日、不思議な人に出会った。
世の中のことを、何も知らない人間の男性。
この世界の常識すら知らないのに、なぜか妙に堂々としている。
私のことを見ても、怖がらない。
それどころか、まるで普通の人間と同じように接してくる。
「……本当に、不思議な人」
そして――面白い人。
今日一日、一緒にいただけなのに、何度笑っただろう。
少しだけ、えっちなところもあるけれど……。
「……でも、本当に優しい人」
エレナはベッドへ腰を下ろす。
今日の出来事を思い返すと、自然と口元が緩んだ。
「……楽しかったな」
こんな時間を過ごしたのは、いつ以来だろう。
誰かと一緒に笑って。
くだらない話をして。
ただ普通に、一日を終える。
そんな当たり前の時間が――今は、とても大切なものに感じられた。
けれど。
「…………」
エレナの表情から、少しずつ笑みが消えていく。
窓の外へ目を向ける。
夜のクレーベル。
静かな街並み。
遠くから聞こえる、誰かの笑い声。
――この時間が、いつまでも続くわけではない。
自分の立場を考えれば、ここに長く留まることはできない。
いや。
本当は、長居してはいけないのだ。
「……私のせいで、誰かが犠牲になることだけは……絶対に避けないと」
小さく呟く。
その言葉には、昼間には決して見せなかった不安が滲んでいた。
ダイチには、まだ話せない。
自分が何者なのか。
なぜ、この街にいるのか。
そして――。
自分を追っている者たちのことも。
「……ごめんなさい、ダイチさん」
エレナは胸元で手を握りしめる。
それでも、今だけは。
この穏やかな時間を、大切にしたかった。
窓から差し込む月明かりが、淡く部屋を照らす。
月の光を受けたエレナの髪が、静かにきらめいた。
「……どうか、この人だけは巻き込みませんように」
誰にも聞こえないほど小さな声。
それを最後に、エレナは静かに目を閉じた。
◇
――その頃。
クレーベルから遠く離れた場所。
ハイデンベルク皇国。
その王都にある、とある屋敷。
「……まだ見つからないのか?」
薄暗い部屋の中。
一人の男が苛立ったように机を叩いた。
「申し訳ありません。足跡は掴んでおります。クレーベルでの目撃情報をもとに、すでに刺客を向かわせています」
「一体いつまで時間をかけるつもりだ」
男の前には、数人の騎士が跪いている。
「第一皇女殿下が生きている限り――」
男はそこで言葉を止めた。
そして、周囲を確認するように視線を巡らせる。
「……レイナス様の即位はない」
「はい」
「ならば、分かっているな?」
騎士の一人が静かに頭を下げる。
「……はい」
男は懐から一枚の肖像画を取り出した。
そこに描かれていたのは――白銀の髪を持つエルフの少女
そして、その下にはこう記されている。
――ハイデンベルク第一皇位継承者。
「見つけ出せ」
男の声が低く響く。
「エレノア皇女殿下を、生かして皇都へ連れ戻す必要はない」
「…………」
「いや」
男は肖像画を火の中へ放り込んだ。
燃え上がる炎の向こうで、肖像画のエルフの少女の顔が歪んでいく。
「――二度と、皇位を望めぬようにしろ」
やがて肖像画は完全に燃え尽きた。
男は立ち上がる。
「忌み子の髪を持つ者が、ハイデンベルクの玉座に座るなど――」
冷たい笑みを浮かべる。
「絶対に認めるわけにはいかん」
「失礼いたします!ご報告がございます!」
足早に部屋に入ってきた別の騎士が、恐る恐る口を開いた。
「クレーベルで、気になる情報が一つ」
「何だ?」
「殿下が、冒険者と思われる男と行動を共にしているとの報告が」
男は報告書を握り潰した。
「構わん」
低い声が響く。
「エレノアを追え」
そして――。
「その男も、邪魔になるようなら消せ」
クレーベルの夜。
誰も知らないところで、一人の皇女を巡る陰謀が動き始めていた。




