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異世界温泉宿経営♨️ 〜「戦闘スキルをください!とお願いした女神がくれたのは、まさかの“銭湯スキル”でした〜  作者: 回胴めぐり


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【第113話】遠ざかる距離と近づく運命


『湯の都ドーゴ』を出発してから、二日が経過した。


大地とランドルフは、ハイデンベルク皇国へ続く街道をひたすら進んでいた。


二人が乗る馬は、道中で何度も休息を取らせているものの、疲労の色を隠せなくなっている。


それでも、大地は少しでも早く皇国へたどり着くため、先を急いでいた。


「……ダイチ殿。少し休憩を取りましょう」


先を走っていたランドルフが馬の速度を落とし、声をかけてきた。


「ですが……」


「お気持ちはわかります。しかし、馬が倒れてしまえば、かえって到着が遅れてしまいます。ここは焦らず、馬を休ませるべきです」


ランドルフの言葉に、大地は唇を噛んだ。


一刻も早くエレナのもとへ向かいたい。


その気持ちばかりが先走り、気づけば馬に無理をさせてしまっている。


「……そうですね。すみません、ランドルフさん」


「いえ。私も同じ気持ちですから」


二人は街道脇の木陰で馬を止めた。


ランドルフが馬の手綱を緩め、水袋を取り出している間、大地は道の先をじっと見つめていた。


この道を進んでいけば、やがてハイデンベルク皇国にたどり着く。


そこには、エレナがいる。


今頃、彼女は何をしているのだろう。


無事に皇国へ着いただろうか。


それとも、すでに教皇派の者たちに見つかってしまっているのだろうか。


考えれば考えるほど、不安が膨らんでいく。


「……ランドルフさん」


「はい」


「エレナは……無事ですよね?」


思わず口をついて出た言葉だった。


ランドルフはすぐには答えず、馬の首筋を撫でながら、静かに口を開いた。


「……殿下は、強いお方です」


「……はい」


「どれほど苦しい状況に置かれても、決して他人を見捨てない。ご自身が傷つくことになろうとも、誰かを守ろうとなさる。私は、そんな殿下をずっとおそばで見てきました」


ランドルフは、ゆっくりと大地へ視線を向けた。


「ですが……だからこそ、心配なのです」


大地は黙って頷いた。


エレナは、自分の身を守ることよりも、他人のことを優先してしまう。


自分が犠牲になれば誰かを救えるのなら、迷わずその道を選んでしまうような人だ。


だからこそ、あの手紙を残して旅館を去ったのだろう。


大地を巻き込まないために。


旅館の皆を危険にさらさないために。


そして、自分一人ですべてを背負おうとしている。


「……もう、そんなことはさせません」


大地は、拳を握りしめた。


「エレナが何を考えていたとしても、今度は俺も一緒に考えます。勝手に一人で決めて、一人でいなくなるなんて……もう、絶対にさせません」


その声には、強い決意が込められていた。


ランドルフは、そんな大地をしばらく見つめたあと、静かに頷いた。


「……頼もしいお言葉です」


「……そうでしょうか」


「はい。殿下があなたを大切に思われる理由が、少しわかった気がします」


「……え?」


「いえ、こちらの話です」


ランドルフは、わずかに口元を緩めた。


そして、水袋をしまうと、再び手綱を握った。


「そろそろ出発しましょう。ここから先は、さらに道が険しくなります」


「……わかりました」


大地は馬にまたがり、手綱を握り直した。


腰には、ミレッタから渡された黒いグローブ。


アイテムボックスには、温泉ポーションが二十本。


そして、リゼから託された古い御守りも、確かにそこにある。


出発の朝、皆が自分を送り出してくれたときの顔が、脳裏に浮かんだ。


セリーナ。


リゼ。


ミレッタ。


ミーナたち。


そして、エレナの帰りを待つユーノ。


彼女たちが守ってくれている場所へ、エレナを連れて帰る。


それが、今の自分にできることだった。


「……行きましょう、ランドルフさん」


「はい、ダイチ殿」


二頭の馬が、再び街道を駆け始めた。


◇


それから、さらに三日が経過した。


ハイデンベルク皇国へ続く街道は、次第に人通りが増え始めていた。


荷馬車を引く商人たち。


旅装束に身を包んだ冒険者たち。


そして、皇国の紋章を掲げた馬車。


行き交う人々の様子からも、この先に大きな国があることが感じられる。


「……もうすぐですね」


大地が前方を見つめながら呟いた。


「はい。順調に進めば、明日には皇国の領内へ入れるでしょう」


「明日……」


その言葉を口の中で繰り返し、大地は小さく息を吐いた。


旅館を出発してから、五日。


ランドルフの話では、通常なら十日前後はかかる道のりだという。


それを考えれば、かなり順調な行程だった。


しかし、それでもエレナより先に着ける保証はない。


エレナは冒険者ギルドを通じて馬車を手配し、皇国へ向かったと聞いている。


馬車での旅は、乗り合いの状況や道中の休憩によって日数が変わる。それでも、彼女が自分たちより先に皇都へ到着していても不思議ではなかった。


「……ランドルフさん」


「はい」


「もし、エレナが先に皇国へ着いていたら……俺たちは、どう動けばいいんでしょうか」


ランドルフの表情が、わずかに険しくなった。


「まずは皇宮へ向かいます。皇帝陛下に直接お会いし、殿下の所在を確認する。それが最優先です」


「皇帝陛下に……」


「はい。陛下は殿下を大切に思われているお方です。事情を説明すれば、必ず力になってくださるはずです」


「……わかりました」


大地は頷いた。


だが、心のどこかでは、別の不安が消えずに残っていた。


もし、皇宮にエレナがいなかったら。


もし、彼女がすでに敵の手に落ちていたら。


そのとき、自分は間に合うのだろうか。


「……ダイチ殿」


ランドルフの声に、大地は顔を上げた。


「今は、悪い可能性ばかりを考えても仕方がありません。私たちにできることは、一刻も早く皇国へ到着すること。そして、どのような状況であっても、殿下をお救いすることです」


「……そうですね」


大地は、もう一度前を向いた。


「必ず、間に合わせます」


その言葉を合図にするように、二人は再び馬を走らせた。


遠くの空には、夕暮れの色が広がり始めていた。


皇国への距離は、確実に縮まっている。


だが、大地にはまだ知る由もなかった。


その頃、エレナがすでに皇国の門を目前にしていることを。


そして、彼女を待ち受けているものが、決して歓迎だけではないことも。


◇


ハイデンベルク皇国へ向かう、一台の馬車。


その車内には、一人の女性が座っていた。


白銀の髪を丁寧に結い上げ、頭から深くフードを被っている。


顔立ちは隠れているものの、フードの隙間から覗く横顔は、気品に満ちていた。


エレノア・フォン・ハイデンベルク。


ハイデンベルク皇国の第一皇女であり、次期皇帝の座を継ぐ立場にある女性だった。


もっとも、馬車を操る御者は、彼女の正体を知らない。


エレナは旅館を出たあと、近隣の冒険者ギルドを訪れ、皇国まで向かう馬車の手配を依頼した。


身分を明かすことはせず、長距離の移動に慣れた御者を探してもらったのだ。


御者にとって、彼女は少々高額な報酬を支払った、物静かな依頼人にすぎない。


道中、御者は何度か彼女に話しかけたものの、エレナは必要なことだけを答え、それ以上は自分の事情を語らなかった。


御者も、客の詮索をするつもりはなかったらしい。


そのおかげで、ここまで大きな問題もなく旅を続けることができた。


だが、旅館を出てから、すでに十日近くが経過している。


馬車の揺れで身体は疲れ、慣れない環境で眠りも浅い。


それでも、エレナは弱音を吐かなかった。


もうすぐ、皇国に着く。


父であるフェルキア皇帝のもとへ戻り、自分の立場を明らかにしなければならない。


教皇派がどのような動きを見せるのかはわからない。


それでも、自分が逃げ続けるわけにはいかなかった。


「……お父様」


エレナは、そっと目を閉じた。


父の顔が思い浮かぶ。


そして、その次に浮かんできたのは――。


「……ダイチさん」


愛する人の顔だった。


大地の湯宿で過ごした日々。


朝、目を覚ますと隣にあった温かな気配。


食堂で交わした何気ない会話。


温泉に浸かりながら、皆と笑い合った時間。


そして、月明かりの下で交わした約束。


『もう、一人で抱え込まなくていい』


あの言葉が、今も胸の奥に残っている。


エレナは、胸元に手を添えた。


本当なら、彼のそばにいたかった。


これからも、ずっと一緒に過ごしたかった。


けれど、自分が皇国に戻らなければ、教皇派の勢力はさらに強まってしまうかもしれない。


白銀の髪を持つ者が皇帝となることを認めない者たち。


その者たちが権力を握れば、これまで以上に多くの人々が苦しむことになる。


自分が皇帝になることで、その流れを変えられるのなら。


たとえ、どれほど辛い道であっても。


「……私は、もう逃げません」


エレナは、小さく呟いた。


それは、自分自身に言い聞かせるための言葉だった。


大地に会いたい。


今すぐ、あの温かな場所へ帰りたい。


その気持ちに嘘はなかった。


それでも、彼女は顔を上げた。


自分には、果たさなければならない責任がある。


そして、いつか胸を張って大地のもとへ帰るためにも、今は前に進まなければならない。


そのとき、馬車がゆっくりと速度を落とした。


「お客さん、見えてきましたよ」


御者の声が、車内に響く。


「ハイデンベルク皇国の皇都です。いやあ、さすがに立派な城壁ですね。ここまで来れば、もうひと安心でしょう」


エレナは、窓の外へ視線を向けた。


遠くに、巨大な城壁が見えている。


その向こうには、かつて自分が暮らしていた皇都が広がっているはずだった。


懐かしい故郷。


そして、これから自分の運命が大きく動き出す場所。


エレナは、深く息を吸い込んだ。


「……ありがとうございます。ここまで運んでくださって」


「いえいえ。こちらこそ、いい報酬をいただきましたからね。さて、門のところで荷物と乗客の確認があるはずです。身分証など、必要なものがあればご用意ください」


「……はい」


エレナは短く答えた。


身分を証明するものなら、持っている。


皇族としての身分を示す紋章。


そして、彼女が第一皇女であることを証明する品も。


ここまでは、身分を隠してきた。


だが、皇都に入る以上、いつまでも隠し通すわけにはいかない。


エレナは懐に手を入れ、身分を証明する品が確かにあることを確かめた。


やがて、馬車は皇都を囲む巨大な門の前へと到着した。


門の前には、武装した衛兵たちが整然と並んでいる。


荷馬車や旅人たちが順番に呼び止められ、荷物の確認や身分の確認を受けていた。


「次の馬車、止まれ!」


衛兵の声が響く。


御者は手綱を引き、馬車を止めた。


「荷物と乗客の確認を行う。乗っている者は全員、降りて身分を証明できるものを提示しろ」


「わかりました」


御者が答え、馬車の扉を開く。


「お客さん、確認があるそうです。申し訳ありませんが、降りていただけますか?」


「……はい」


エレナは静かに頷いた。


そして、深く被っていたフードを整えながら、馬車から降りた。


衛兵の視線が、彼女へと向けられる。


「身分を証明できるものはあるか?」


「……ございます」


エレナは、ゆっくりと顔を上げた。


これ以上、隠す必要はない。


自分はハイデンベルク皇国の第一皇女なのだから。


「私は、エレノア・フォン・ハイデンベルク」


その名を口にした瞬間、周囲の空気が変わった。


「……なに?」


衛兵が目を見開く。


エレナはフードを外し、白銀の髪を露わにした。


「ハイデンベルク皇国第一皇女です。皇帝陛下への謁見を願います。速やかに騎士団へ連絡し、私を皇宮まで保護していただけますか」


衛兵たちは、しばらく言葉を失っていた。


目の前にいる女性の顔。


その白銀の髪。


そして、彼女が告げた名。


それらが意味するものを理解するまでに、わずかな時間を要した。


やがて、一人の衛兵が慌てて姿勢を正した。


「で、殿下……! し、失礼いたしました!」


周囲の衛兵たちも、一斉に膝をつく。


「すぐに騎士団へ連絡いたします!」


慌ただしく駆け出していく衛兵。


その様子を見つめながら、エレナは静かに息を吐いた。


ようやく、帰ってきた。


ここから先は、自分の責任で進まなければならない。


父に会い、皇国の未来を守るために。


そして、いつか再び大地のもとへ帰るために。


エレナは、城壁の向こうにそびえる皇宮を見つめた。


まだ、彼女は知らない。


そして、この帰還が、皇国を揺るがす大きな陰謀の始まりになることも。


ただ一つ、彼女の胸にあったのは、揺るぎない決意だった。


――私は、もう逃げない。


その決意を胸に、エレナは騎士団の到着を待ち続けた。

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