【第111話】明かされる真実と新たな決意
『大地の湯宿』の食堂。
大地たちの前には、ハイデンベルク皇国の騎士、ランドルフが座っていた。
先ほどまで仲間たちの笑い声に包まれていた食堂は、今や重々しい空気に支配されている。
エレナの身に何が起きているのか。
なぜ、彼女は誰にも相談せず、たった一人で祖国へ帰ってしまったのか。
そして、ランドルフが告げようとしている重大な事情とは何なのか。
大地は、目の前の騎士をまっすぐに見つめた。
「……それで、エレナの今の状況について、詳しく聞かせてもらえますか?」
「承知いたしました」
ランドルフは一度深く頷くと、静かに口を開いた。
「まずは、エレノア殿下をお匿いくださったことに、心より感謝申し上げます」
「……匿った?」
大地は、わずかに眉をひそめた。
「いや、俺たちは別に、エレナが皇女だと知って隠していたわけじゃ……」
「もちろん、承知しております。ですが、殿下がこの地で安らげる場所を得られたこと。それだけでも、我々にとっては大きな意味がございました」
ランドルフは、仲間たち一人一人に視線を向けた。
「殿下が、皆様と共に過ごされていたことも伺っております。身分や種族に関係なく、人々が手を取り合って暮らせる場所……。そのような場所を築いてくださったことに、陛下に代わり、改めて感謝申し上げます」
その言葉に、ミレッタたちは複雑な表情を浮かべた。
エレナがこの宿をどれほど大切に思っていたのか。
そして、なぜ自分たちのもとを離れなければならなかったのか。
その理由を、これから聞くことになるのだ。
ランドルフは、わずかに表情を引き締めた。
「……では、本題に入りましょう」
彼は背筋を伸ばし、重々しく言葉を続けた。
「現在、ハイデンベルク皇国では、皇位継承を巡る権力争いが表面化しております」
「皇位継承……」
セリーナが小さく呟いた。
「はい。現在、我が国には大きく分けて二つの勢力が存在しております」
ランドルフは、指を一本ずつ立てながら説明を始めた。
「一つは、成人を迎えられたエレノア殿下を次期皇帝に据えようとする『皇帝派』。そして、もう一つは、殿下の妹君であるレイシス殿下を次期皇帝に据えようとする『教皇派』です」
「……教皇派?」
ミーナが、不安そうに首を傾げた。
「皇帝の後継者を決めるのに、教皇様の派閥が関係しているんですか?」
「ええ。ハイデンベルク皇国では、宗教と政治が深く結びついているのです」
ランドルフは頷いた。
「教皇派は、皇国で興ったクレア教の教会組織を中心とした勢力。対して皇帝派は、皇帝陛下を中心に、皇族と国政を担う者たちが集まった勢力です」
その説明に、食堂の空気がさらに重くなる。
ミレッタは腕を組み、リゼは黙ったままランドルフを見つめていた。
セリーナも、商人として各国の情勢に触れてきた経験があるのだろう。真剣な面持ちで話を聞いている。
そんな中、大地が口を開いた。
「……その辺りの事情なら、俺もエレナ本人からある程度は聞いているよ」
「……そうなのですか?」
ランドルフが意外そうに目を見開いた。
「ああ。エレナが皇国の第一皇女で、妹のレイシスが教皇派に担がれていることもな」
大地は、懐かしむように目を伏せた。
「エレナは、自分の髪の色が原因で、国の中でも苦しい立場に置かれていたって話してくれた」
「……髪の色?」
ミーナが思わず聞き返した。
「エレナお姉様の、あの綺麗な白銀色の髪が……ですか?」
「……ああ」
大地は静かに頷いた。
それを聞いた仲間たちは、驚きを隠せなかった。
彼女が皇女であることは知っていても、その髪の色が国を揺るがすほどの問題になっていたとは、ほとんどの者が知らなかったのだ。
「……エレナ、そんなことまで抱えてたのかよ」
ミレッタが、悔しそうに呟いた。
ランドルフは、静かに目を伏せた。
「……はい。殿下が背負ってこられたものは、皆様が想像されている以上に重いものなのです」
そして、再び顔を上げた。
「エレノア殿下は、幼い頃から並々ならぬ才覚を発揮されておりました。政治に関する理解も早く、国の将来について考える力も、同年代の者とは比べものにならないほどでした」
その声には、深い敬意が込められていた。
「何より、殿下は常に民のことを考えておられた。貧しい者の声にも耳を傾け、身分の低い者に対しても、決して見下すような態度を取られませんでした」
ランドルフは、少しだけ表情を和らげた。
「私のような、決して高貴とは言えない出自の者に対しても、殿下は分け隔てなく接してくださいました。あの方は……まるで女神のようなお方でした」
「……エレナらしいな」
大地は、小さく笑った。
宿で働く者たちにも、街の住人たちにも、エレナはいつも優しかった。
誰かが困っていれば手を差し伸べ、差別を受ける者がいれば、その不当さを真剣に訴える。
それは、彼女が皇女だったからではない。
エレナ自身が、そういう人間だったからだ。
「……ですが」
ランドルフの表情が、再び曇った。
「殿下には、たった一つだけ、政治的な立場を危うくする要因がございました」
彼は、言葉を選ぶように一度口を閉じた。
「……白銀色の髪です」
食堂に沈黙が落ちた。
「大陸全土に多くの信徒を抱えるクレア教では、白銀色の髪は異端の象徴とされております。特にハイデンベルク皇国では、その教義が強く根付いており、白銀色の髪を持つ者は忌み嫌われてきました」
「……そんなの、ただ髪の色が違うだけじゃないですか」
ミーナが、怒りを滲ませて声を上げた。
「エレナ様が何をしたっていうんですか……!」
「……その通りです」
ランドルフは、苦しげに頷いた。
「髪の色が違う。それだけの理由で、殿下は長年、理不尽な偏見にさらされてきたのです」
そして、さらに重い事実を口にした。
「クレア教は、もともとハイデンベルク皇国で興った宗教です。そして現在、その教会組織を実質的に運営しているのが教皇派なのです」
「……つまり」
セリーナが、慎重に言葉を継いだ。
「エレナさんが皇帝になれば、クレア教の教義そのものが問われることになる……ということですか?」
「その通りです」
ランドルフは、はっきりと頷いた。
「民を思い、優れた才覚を持つ殿下が皇帝に即位すれば、白銀色の髪を異端とする教義と、皇帝の存在そのものが矛盾することになります。教皇派にとって、それは決して看過できない事態だったのでしょう」
彼は、深く息を吐いた。
「教皇派は、殿下の髪の色を利用して世論を味方につけました。そして、レイシス殿下こそが皇帝にふさわしいと主張し、皇国を二分するほどの争いへと発展させてしまったのです」
「……国を、二分……」
リリィが、震える声で呟いた。
「そんなことになってたなんて……」
大地は、強く拳を握りしめた。
エレナがこの宿で過ごしていた頃、彼女は時折、寂しそうな表情を見せることがあった。
それでも、皆の前では気丈に振る舞い、自分の悩みを必要以上に語ろうとはしなかった。
きっと、ずっと考えていたのだろう。
自分が皇帝になれば、国が割れてしまうかもしれない。
自分が即位することで、さらに多くの人々が傷つくかもしれない。
そんな未来を、彼女は誰よりも恐れていたのだ。
「……エレナは、国が割れるくらいなら、自分が皇帝になることなんて望んでいなかった」
大地は、低い声で言った。
「俺と一緒にいたときも、差別のない国にしたいって話していたんだ。髪の色や種族なんかで、人を決めつけない国にしたいって」
その声には、次第に力がこもっていく。
「エレナは、国の現状を変えたいと思って帰ったんだ。自分が皇帝になりたいからじゃない。これ以上、誰かが理不尽な理由で傷つけられるのを見たくなかったからだ」
大地は、ランドルフをまっすぐに見つめた。
「……違いますか?」
ランドルフは、すぐには答えなかった。
その沈黙が、何よりも雄弁に答えを物語っていた。
やがて彼は、重々しく口を開いた。
「……おそらく、殿下は」
一度、言葉を切る。
「……死ぬおつもりでしょう」
「……っ!」
大地の息が止まった。
ミレッタが目を見開き、セリーナは口元を押さえる。
リゼの表情からも、すっと血の気が引いていった。
「……どういう、意味ですか……?」
フォルナが、かすれた声で尋ねた。
ランドルフは、苦しげに目を伏せた。
「殿下は、ご自身が皇帝になることで国が分裂することを望んでおられません。かといって、教皇派に皇国の民を任せることもできない」
彼は、ゆっくりと顔を上げた。
「その両方を避けるために、殿下ご自身が身を引く……。それが、最も手っ取り早い解決策だと考えてしまわれたとしても、不思議ではありません」
「……ふざけんなよ」
ミレッタが、低く呟いた。
「そんなの、解決でも何でもねえだろ……!」
怒りに震える声だった。
大地は、何も言えなかった。
エレナの手紙が、脳裏に浮かぶ。
――あなたを巻き込みたくなかった。
――どうか、私のことは心配しないでください。
彼女は、自分の身に何が起きるのかを覚悟していたのかもしれない。
だからこそ、何も告げずに去った。
自分が死ぬことで争いが収まるのなら、それでいい。
そう考えていたのだとしたら。
「……エレナ……」
大地の手が、震えた。
リゼは俯き、セリーナは唇を噛みしめる。
ミーナたちも、言葉を失っていた。
いつも穏やかに笑い、誰にでも優しく接してくれたエレナ。
その彼女が、たった一人で死を覚悟するほどの事情を抱えていた。
誰もが、その事実に打ちのめされていた。
ランドルフは、そんな一同を見つめながら、静かに話を続けた。
「……ただ、皇帝陛下は、決して殿下を見捨てておられるわけではありません」
「……皇帝が?」
大地が、顔を上げた。
「はい。陛下のお名前は、フェルキア様。殿下の父君にあたるお方です」
ランドルフは、慎重に言葉を選びながら続けた。
「陛下は、長い歴史の中で続いてきた白銀色の髪を持つ者への迫害を、どうにかして是正しようと尽力されてきました。教皇派との対立を避けながらも、少しずつ制度や世論を変えようと……」
「……だったら、どうして」
大地の声には、抑えきれない悔しさが滲んでいた。
「どうして、エレナがあんな思いをしなきゃならないんだよ……」
「……私にも、すべてはわかりません」
ランドルフは、苦しげに首を横に振った。
「ですが、陛下はご自身の代で、この問題に決着をつけたいと考えておられるのだと思います。娘である殿下に、これ以上、厳しい運命を背負わせたくない。そのような親心も、おありなのかもしれません」
彼は、深く息を吐いた。
「しかし、長年にわたって根付いた教義と偏見は、陛下お一人のお力で覆せるほど簡単なものではございませんでした」
そして、白銀色の髪を巡る歴史について語り始めた。
「白銀色の髪を持つエルフは、始祖から始まり、長い歴史の中で、存在していたと伝えられています。彼らは、他の者にはない強大な魔力と、並外れた才覚を持つことが多かったそうです」
「……強大な魔力?」
大地が聞き返した。
「はい。その力を恐れた者たちは、白銀色の髪を持つ者を異端と決めつけました。やがて、クレア教の一部の者たちは、彼らを魔女と呼び、迫害するようになったのです」
ランドルフの声が、わずかに低くなる。
「見つかれば捕らえられ、火炙りにされる。磔にされ、民衆の前で惨たらしく殺されることもあったと聞いております」
「……そんな……」
リリィが、小さく息を呑んだ。
「何も悪いことをしていないのに……?」
「……はい」
ランドルフは、目を伏せた。
「白銀色の髪を持つ者が何をしたのかは、問題ではなかったのでしょう。ただ、その存在そのものが教義に反するとされた。それだけで、多くの者たちが命を奪われてきたのです」
食堂に、沈痛な空気が広がった。
大地は、奥歯を強く噛みしめた。
エレナの美しい白銀の髪。
彼女自身が、何度も忌まわしいものとして扱われてきた色。
そんな理不尽な理由で、彼女は幼い頃から苦しんできたのだ。
そして今もなお、その呪縛から逃れられずにいる。
「……殿下も例外ではありません」
ランドルフは、静かに告げた。
「もし教皇派に捕らえられれば、殿下は異端の魔女として処刑される可能性がございます。皇女であろうと、第一皇位継承者であろうと……彼らがそれを許すとは限りません」
「……っ!」
大地は、拳を握りしめた。
「……だから、エレナを迎えに来たのか」
「はい。陛下より、殿下のお命をお守りするよう命を受けております」
ランドルフは、真剣な表情で頷いた。
「殿下を皇国へ連れ戻すことだけが目的ではありません。何よりも、殿下が無事でいらっしゃること。それが陛下の願いであり、私の務めなのです」
その言葉に、大地は深く息を吸い込んだ。
エレナは、危険を承知で帰国した。
自分の命を犠牲にしてでも、国を変えようとしている。
そう考えると、じっとしてなどいられなかった。
「……ランドルフさん」
「はい」
「実は、エレナがここを出ていったきっかけになった事件があるんです」
大地は、先日ドーゴで起きた出来事を語り始めた。
魔物の大群が街道を埋め尽くし、湯の都ドーゴへと侵攻してきたこと。
その魔物たちを率いていた者たちの中に、ディルムッドという騎士と、スレイルというエルフがいたこと。
そして、彼らが人々を煽動し、街を襲わせようとしていたこと。
「……俺たちは、仲間たちと協力して魔物の群れを撃退した。ディルムッドたちも、俺たちが直接倒したよ」
「……何ですと?」
ランドルフの表情が、一変した。
「ディルムッドとスレイル……。その二人を、ダイチ殿たちが?」
「ああ。間違いない」
大地は、はっきりと頷いた。
「それだけじゃない。あいつらは、魔王軍に属する魔族とも手を組んでいた。人間の国の街を襲うために、魔族まで利用していたんだ」
「魔王軍の魔族と……?」
ランドルフは、思わず言葉を失った。
「……信じられません」
「……知っている人物なんですか?」
大地が尋ねると、ランドルフは険しい顔で頷いた。
「ディルムッドもスレイルも、教皇派と深い関わりを持つ人物です。特にスレイルは、教皇派の中枢にいる枢機卿と親密な関係にあると聞いております」
「……枢機卿?」
セリーナが、緊張した面持ちで尋ねた。
「教皇派で最も大きな権力を持つ者たちです。教皇の側近として教会組織を動かし、政治にも強い影響力を及ぼしております」
ランドルフは、厳しい表情を崩さなかった。
「ディルムッドもまた、教皇派の陣営に属する騎士です。その二人が、魔王軍の魔族と協力していたとは……」
彼は、深く息を吐いた。
「これは、単なる皇位継承争いでは済まされない問題かもしれません」
「……やっぱり、そうか」
大地は、先日の戦いを思い返していた。
あの魔物の大群は、偶然ドーゴに現れたわけではなかった。
背後には、人間の意思があった。
そして、その人間たちは、エレナを巡る争いと深く関係している。
「……この街を、ハイデンベルクの事情で危険に晒してしまったこと、陛下に代わってお詫び申し上げます」
ランドルフは、椅子から立ち上がると、深く頭を下げた。
「本来であれば、我が国の問題を他国の街に持ち込むべきではありませんでした。皆様に多大なご迷惑をおかけしたこと、心よりお詫び申し上げます」
「……頭を上げてください」
大地は、静かに告げた。
「あなたが謝ることじゃない。そもそも、俺たちは自分たちの街を守っただけです」
そして、真剣な表情で続けた。
「でも……だからこそ、エレナを一人でそんな危険な場所に行かせるわけにはいかない」
大地の声に、強い決意が宿った。
「俺は、必ずエレナを連れ戻します」
「……ダイチ殿」
「どんな事情があっても、どれだけ危険な相手がいようとも関係ない。エレナが一人で命を捨てるようなことだけは、絶対にさせない」
大地は、ランドルフをまっすぐに見据えた。
「……帰るんだろ? 俺も連れて行ってくれ」
そう言うと、大地は深く頭を下げた。
「頼む。エレナのいる場所まで、俺を連れていってほしい」
ランドルフは、困惑したように眉を寄せた。
「……お待ちください、ダイチ殿」
「……何ですか?」
「お気持ちは、よくわかります。しかし、これ以上あなた方を巻き込むわけにはまいりません」
ランドルフは、真剣な眼差しで大地を見つめた。
「殿下をお守りするのは、我々の務めです。陛下の命を受けた私が、責任を持って殿下をお救いします。ですから、ダイチ殿はこの街でお待ちください」
「……そんなこと関係ねぇよ!」
大地の声が、食堂に響き渡った。
ランドルフが、思わず息を呑む。
「俺がエレナを絶対に死なせない!」
その声には、一切の迷いがなかった。
「……俺は、もう二度と後悔したくないんだ。あいつが一人で苦しんでいることを知りながら、何もできずに待っているなんて、もう嫌なんだよ!」
大地は、胸の内に溜め込んでいた思いを吐き出すように続けた。
「エレナは、ずっと一人で抱え込んできたんだ。国のことも、髪の色のことも、自分の命のことさえも……。それなのに、俺はあいつが苦しんでいることに気づきながら、何もしてやれなかった」
声が震える。
けれど、視線だけは逸らさなかった。
「だから今度は、俺がそばにいる。あいつが何を背負っていようと、一緒に考える。逃げるんじゃなくて、一緒に立ち向かうんだ!」
ランドルフは、しばらく言葉を失っていた。
やがて、彼は不思議そうに大地を見つめながら尋ねた。
「……ダイチ殿。失礼ながら、一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
「……何ですか?」
「あなたは、なぜそこまで殿下を心配されるのですか?」
ランドルフは、戸惑いを隠せない様子だった。
「先ほど、あなたは殿下を旅館の女将と呼ばれました。私が伺った話では、あなたは殿下を雇っていた旅館の主人……いえ、従業員のお一人だったのでは?」
「……ああ」
大地は、一瞬だけ目を伏せた。
そして、すぐに顔を上げる。
「エレナは、うちの旅館の女将だ」
その声は、穏やかだった。
「俺たちと一緒に働いて、宿を支えてくれた大切な仲間だ。あいつがいたから、今の『大地の湯宿』がある。俺たちにとって、エレナはかけがえのない家族なんだ」
大地は、胸に手を当てた。
「そして……」
ほんの一瞬、頬が赤くなる。
けれど、今度は恥ずかしがることなく、はっきりと言い切った。
「俺の、最愛の女だ!」
「…………」
ランドルフは、ぽかんと口を開けた。
一瞬、食堂の時間が止まったかのようだった。
だが、次の瞬間。
「……ふふっ」
セリーナが、目元を拭いながら微笑んだ。
「そうです。エレナさんは、私たちにとっても大切な仲間ですから」
「……当たり前だろ」
ミレッタが、呆れたように肩をすくめる。
「今さら何言ってんだよ。エレナがいなきゃ、この宿だって寂しくて仕方ねえんだからな」
「……ダイチ」
リゼも、大地を見つめながら小さく頷いた。
「……絶対に、連れて帰ってきて」
「……ああ。約束する」
「旦那様がそう言うなら、私たちは信じて待っています!」
ミーナが、涙を拭いながら声を上げた。
「エレナお姉様がいないと、やっぱり寂しいですぅ……。またみんなで一緒に、ご飯を食べたいですぅ……」
リリィも、目を潤ませながら頷く。
「……旦那様。どうか、エレナお姉様をお願いします」
フォルナも、ぎゅっと拳を握りしめた。
その言葉に、ユーノも大地の服の裾をそっと握った。
「……エレナ、かえってくる?」
「……ああ。必ず連れて帰ってくるよ」
大地が答えると、ユーノは小さく頷いた。
足元では、ユズキも尻尾を振っている。
誰もが、エレナの帰りを待ち望んでいた。
その様子を見て、ランドルフはゆっくりと目を細めた。
「……そう、ですか」
彼は、しばらく仲間たちを見渡していた。
そして、ふっと小さく笑った。
「殿下をこれほどまでに心配し、帰りを待ち望んでくださる方々が、我々の周囲以外にもいらっしゃったとは……」
その声には、驚きと、どこか安堵したような響きがあった。
「私は、殿下がどれほど苦しい立場に置かれているかを知っているつもりでした。ですが……殿下が、この地でどれほど大切なものを得られたのかまでは、理解できていなかったのかもしれません」
ランドルフは、静かに立ち上がった。
そして、大地の前で深く頭を下げる。
「……ダイチ殿。先ほどは、あなた方を巻き込むわけにはいかないと申し上げました」
「ああ」
「しかし、考えを改めます」
ランドルフは、まっすぐに大地を見つめた。
「あなた方は、殿下を単なる皇女としてではなく、一人の人間として大切に思っておられる。そして、殿下もまた、この地で皆様と共に過ごす時間を、何より大切にされていたのでしょう」
「……ああ。そうだよ」
「ならば、私がそれを拒む理由はございません」
ランドルフは、力強く頷いた。
「……いいでしょう。今日は夜も遅く、馬を休ませないとなりません。明日の早朝、ご準備ができ次第、早馬でハイデンベルク皇国へ向かいます」
「……本当か?」
大地の顔が、ぱっと明るくなった。
「はい。ただし、道中が安全とは限りません。皇国に到着してからも、何が起こるかわかりません。それでも、同行されるおつもりですか?」
「もちろんだ!」
大地は、即座に答えた。
「……そうですか」
ランドルフは、満足そうに微笑んだ。
「では、出立の際はお声がけください。私も準備を整えてお待ちしております」
「……ありがとう、ランドルフさん!」
大地は、深く頭を下げた。
ようやく、エレナのもとへ向かう道が開けた。
だが、彼女がいるハイデンベルク皇国には、教皇派という強大な敵がいる。
その背後には、枢機卿の影があり、さらには魔王軍の魔族までが関わっている可能性がある。
決して、簡単な道のりではないだろう。
それでも、大地の心に迷いはなかった。
エレナを一人にしない。
彼女が背負うものを、一緒に背負う。
そして、必ずこの宿へ連れ帰る。
「……待ってろよ、エレナ」
大地は、胸の内でそっと呟いた。
「今度は、俺が迎えに行くからな」
窓の外には、夜の帳が下り始めていた。
遠く離れたハイデンベルク皇国への道中で、エレナは今、何を思っているのだろう。
彼女が一人で背負おうとしている運命に、大地たちはまだすべてを知ることはできない。
けれど――。
もう、彼女を一人にはしない。
その決意を胸に、大地は明日の旅立ちに向けて、準備を始めるのだった。




