【第98話】冬の到来と魔性の暖房器具
それから、しばらくの時が流れた。
クレーベルの外れにも、いよいよ本格的な冬が訪れていた。
朝、窓を開ければ、頬を刺すような冷たい空気が流れ込んでくる。
夜のうちに降った雪は、屋根や木々、石畳の上に数センチほど積もり、見慣れた景色を白く染め上げていた。
「……寒っ!」
自宅の縁側に出た大地は、思わず肩をすくめた。
吐き出した息が、白く染まって空気の中へ消えていく。
「とうとう冬本番って感じだな……」
日本で暮らしていた頃にも、もちろん冬は経験している。
しかし、こちらの世界には暖房設備も少なく、魔道具が普及しているとはいえ、どこにでも快適な暖房があるわけではない。
温泉旅館の中ならともかく、外に出れば冷たい風が容赦なく吹きつけてくる。
クレーベルの外れは、冬になると数センチ程度の雪が積もる地域だった。
もっとも、豪雪地帯というわけではない。
日によっては昼頃には雪が溶けてしまうこともあるが、それでも朝晩の冷え込みは厳しい。
「……こりゃ、何か対策を考えないとな」
大地は白くなった庭を眺めながら、腕を組んだ。
温泉旅館なのだから、身体を温める場所には困らない。
しかし、客室でくつろいでいる時間や、食事のあとに部屋で過ごす時間まで快適にできれば、宿泊客の満足度はさらに上がるはずだ。
そこで、大地の頭に一つのアイデアが浮かんだ。
「……そうだ。コタツだ!」
思わず声を上げる。
日本の冬を代表する暖房器具。
テーブルの下に熱源を設置し、布団を掛けて暖かい空間を作り出す、あの魔性の家具である。
「これだ……! これしかない!」
大地は、早速ミレッタのもとへ向かうことにした。
◇
旅館の敷地内では、冬の寒さにも負けず、朝から多くの人々が行き交っていた。
大地が旅館を建てた当初、周囲には森と空き地が広がっているだけだった。
しかし、今ではその景色も大きく変わりつつある。
アーベル商会の協力もあり、旅館周辺の整備は着実に進んでいた。
石畳の通路が敷かれ、街の中を水路が流れ、歩道の脇には木々や植え込みが整えられている。
建ち並ぶ建物も、どこか日本の街並みを思わせるものが多かった。
木造の建築物に、瓦を思わせる屋根。
軒先には看板が掲げられ、店先には商品が並んでいる。
その中には、旅館の宿泊客だけでなく、周辺を訪れる人々を相手にした店も増えていた。
武器や防具を扱う鍛冶屋。
日用品や生活雑貨を揃えた雑貨屋。
薬草や回復薬を販売する薬屋。
衣服の仕立てを請け負う仕立て屋。
地元の食材を使った料理を提供するレストラン。
そして、旅の思い出になる品々を扱う土産屋まである。
さらに、冒険者ギルドや商人ギルドの施設も整備されつつあった。
「……なんか、本当に街になってきたな」
大地は歩きながら、感慨深げに呟いた。
最初は温泉旅館を中心に、少しずつ人が集まってくれればいいと思っていた。
それが今では、商店が建ち並び、職人が仕事をし、行商人たちが商品を運び込むようになっている。
景観を損なわないように建物の様式や色合いも調整され、街全体に統一感が生まれ始めていた。
ただ店を並べただけの商業区画ではない。
訪れた人が歩くことそのものを楽しめる、観光都市のような街になりつつあるのだ。
「いずれは、ここを目的に旅をする人も増えるかもしれないな」
そんな未来を想像すると、自然と期待が膨らんでくる。
「おや、ダイチさん! おはようございます!」
「おはようございます。今日も冷えますねえ!」
通りですれ違う商人たちが、次々と声を掛けてきた。
「おはようございます。皆さんも、寒い中お疲れさまです」
大地も笑顔で挨拶を返す。
朝の市場には、行商人たちが次々と荷車を乗り入れていた。
野菜や果物、肉や魚、保存食に調味料。
遠方から運ばれてきた品々が並び、商人たちの威勢のいい声が響いている。
「今朝入ったばかりの新鮮な野菜だよ!」
「こっちは隣町で仕入れた干し肉だ! まとめ買いなら安くするぞ!」
「薬草の新しい入荷だ! 冒険者の皆さん、見ていってくれ!」
雪がちらつく寒い朝だというのに、市場は活気に満ちていた。
人が集まり、物が集まり、仕事が生まれる。
街が少しずつ成長していることを、こうした光景が何よりも雄弁に物語っていた。
「……よし。俺も頑張らないとな」
大地は気合を入れ直し、目的地へと歩き出した。
◇
『大地の湯宿』。
旅館に戻ると、そこにはまた違った冬の景色が広がっていた。
屋根には薄く雪が積もり、庭の木々も白い化粧をまとっている。
木造の建物と雪の組み合わせは、どこか懐かしく、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
「……これは、いいな」
大地は玄関先で立ち止まり、旅館の外観を見上げた。
日本の温泉旅館を思わせる建物に、冬の雪景色。
それだけでも十分に風情がある。
そして、何よりも魅力的なのは露天風呂だった。
庭園の木々や岩に雪が積もり、湯船からは白い湯気が立ち上っている。
その湯気の合間を、細かな雪がふわりふわりと舞っていた。
冷たい空気に包まれながら、温かな湯に身体を沈める。
想像するだけで、思わず頬が緩んでしまう。
「雪見風呂か……。これは絶対に人気が出るぞ」
もっとも、実際に入る客の立場になれば、浴場までの移動で身体が冷えないように工夫する必要もある。
だが、雪景色を眺めながら温泉に浸かるという体験は、この旅館ならではの魅力になるはずだった。
「……よし。冬の温泉も売りにしていこう」
大地は頷くと、再び歩き始めた。
ただし。
彼の頭の中には、雪見風呂とは別に、もう一つの冬の名物が浮かんでいた。
そう。
コタツである。
◇
「……というわけで、ミレッタ。頼みたいものがあるんだ」
温泉の管理施設。
大地は作業中のミレッタに、コタツの概要を説明していた。
「コタツ?」
「ああ。簡単に言うと、低いテーブルの下に暖房用の魔道具を取り付けて、その上から布団を掛けるんだ」
大地は近くにあった木箱を使い、簡単な形を作ってみせた。
「こんな感じで、テーブルの周囲から布団を垂らす。そうすれば、布団の中に暖かい空気がたまるだろ?」
「ふむ……」
ミレッタは腕を組み、真剣な顔で木箱を眺めた。
「つまり、熱を逃がさずに一定の空間を温める仕組みってことか?」
「そうそう! ただし、熱くなりすぎないように温度調整は必要だ。布団に直接触れる部分も、安全に作ってほしい」
「なるほどね。魔力を使った熱源と温度制御、それに熱を逃がさない構造……」
ミレッタの目が、みるみる輝き始めた。
「面白いじゃないか!」
「おっ、興味を持ってくれたか?」
「持つに決まってるだろ! こんな発想、今まで考えたこともなかったよ!」
ミレッタは勢いよく立ち上がった。
「よし! ちょっと待ってな!」
「え? あ、おい、ミレッタ!」
しかし、大地の声は届かなかった。
彼女はすでに工具と魔道具の部品を取り出し、作業台へ向かっていた。
「熱源は小型化できるね。あとは熱の拡散を抑えて……いや、布団の中だけを効率よく温めるなら、魔力の流れをこうして……」
ぶつぶつと独り言を呟きながら、部品を組み合わせていく。
「……相変わらず、すごい集中力だな」
大地は苦笑した。
天才魔道具技師ミレッタ。
彼女の前では、普通なら試作と調整を繰り返すような代物でさえ、あっという間に形になってしまう。
そして、それからしばらくして――。
「できたぁっ!」
ミレッタの元気な声が響いた。
「……え?」
大地は目を丸くした。
作業台の上には、木製の低いテーブルが置かれていた。
その下には、魔力式の小型熱源が取り付けられている。
さらに、テーブルの周囲には厚手の布団が垂らされ、外へ熱が逃げにくい構造になっていた。
「……マジでできたのか?」
「試作品だけどね! 温度調整もできるようにしてある。熱くなりすぎたら自動で出力を落とす仕組みだ」
ミレッタは得意げに胸を張った。
「どうだい? これなら安全性も十分に確保できるはずだ!」
「すごい……! さすがミレッタだ!」
大地は思わず拍手した。
「へへっ。まあ、あたしにかかればこんなもんさ!」
ミレッタは満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、早速試運転してみようぜ!」
「そうだな! ちょうど空いている客室があるから、そこに運ぼう!」
こうして、コタツの試運転が始まることになった。
このときの大地は、まだ知らなかった。
自分が持ち込んだ日本の発明が、旅館の営業を脅かしかねないほどの恐ろしい魔性を秘めていることを。
◇
空いている客室。
そこには、試作品のコタツが設置されていた。
畳の上に置かれた木製のテーブル。
その周囲には、ふかふかの布団が広がっている。
「おお……。見た目も、ちゃんとコタツだな」
大地は感心しながら、布団の端を持ち上げた。
中から、じんわりとした暖かさが伝わってくる。
「温度はどうだい?」
ミレッタが尋ねる。
「うん。ちょうどいい感じだ。熱すぎないし、足元がすぐに暖かくなる」
「よし。じゃあ、しばらく使ってみて、問題がないか確認しよう」
「そうだな」
大地は座布団に腰を下ろした。
そして、何気なくコタツの中へ脚を入れる。
――その瞬間。
「…………」
大地の動きが止まった。
「……ん?」
ミレッタが首を傾げる。
「どうしたんだい?」
「……いや」
大地は、ゆっくりと息を吐いた。
暖かい。
とにかく、暖かい。
冷え切っていた足先から、じんわりと熱が広がっていく。
その心地よさが、身体の力を少しずつ抜いていった。
「……はぁぁ……」
気づけば、大地の口から深いため息が漏れていた。
「……これは、いいな……」
「だろ? 温度調整も問題なさそうだね!」
ミレッタは満足げに頷き、自分もコタツへ入った。
「じゃあ、あたしも……」
そして。
「…………」
ミレッタもまた、動かなくなった。
「……あれ?」
大地が横を見る。
ミレッタは両手をコタツの布団の中へ入れたまま、うっとりとした表情で天井を見上げていた。
「……な、何だい、これ……」
「いや、俺に聞かれても……」
「暖かい……。足が……もう、出したくない……」
「……だよな」
二人は顔を見合わせた。
そして、同時に頷く。
「……もう少しだけ」
「……そうだな。もう少しだけだ」
その言葉を最後に、二人は再び沈黙した。
それから、どれくらい時間が経っただろうか。
客室の外から、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「ダイチさん? ミレッタ? こちらにいらっしゃいますか?」
エレナだった。
扉を開けて入ってきた彼女は、部屋の中央にある見慣れない家具と、その前で動かない二人を見て首を傾げた。
「……あの、お二人とも?」
「……エレナ」
大地が、ゆっくりと顔を向けた。
「……ちょっと、こっちに来てみないか?」
「え? 何でしょう?」
「いいから、ここに座ってみてくれ」
エレナは不思議そうにしながらも、大地の隣に腰を下ろした。
「……わあ。暖かいですね」
コタツの中へ脚を入れた瞬間、エレナの表情がふわりと緩んだ。
「……あったかい……」
そして、数秒後。
「…………」
エレナは目を細め、幸せそうに微笑んだ。
「……ダイチさん」
「ん?」
「……これ、とても素晴らしいものですね」
「ああ……。そうだろ?」
「……はい。できれば、今日はこのままここで過ごしたいです」
「……分かる」
大地が頷く。
ミレッタも、うっとりした表情のまま口を開いた。
「……あたしも、もう動きたくない……」
「……ふふっ。ミレッタもですか?」
「……うん」
こうして、三人はコタツの暖かさにすっかり心を奪われてしまった。
それから、さらにしばらくして。
厨房での仕事を終えたリゼが、客室を訪れた。
「……ダイチ。ここにいた」
「……リゼか」
大地が力なく手を振る。
「……何してるの?」
「……コタツ」
「……コタツ?」
リゼは首を傾げながら、三人の前に置かれた不思議な家具を見つめた。
「……何、それ」
「暖房器具だよ。とりあえず、入ってみな」
「……うん」
リゼは迷うことなく腰を下ろし、布団の中へ脚を入れた。
そして――。
「…………」
しばらくして、彼女の目がとろんと細くなった。
「……暖かい」
「……だろ?」
「……うん」
リゼはこくりと頷き、そのまま大地の肩へ頭を預けた。
「……ここ、好き」
「……そっか」
もはや、誰もコタツから出ようとはしなかった。
試作品の安全性を確認するという、本来の目的など、すっかり忘れ去られている。
ただひたすらに、暖かさを味わっていた。
そして――。
「……あれ? そういえば、もう昼前じゃないか?」
大地が、ふと壁の時計を見て呟いた。
「……え?」
ミレッタが顔を上げる。
「……本当ですね」
エレナも時計を見る。
リゼはというと、目を閉じたまま動かなかった。
「……リゼ?」
「……あと五分」
「いや、それ絶対に出ないやつだろ!」
大地は思わず突っ込んだ。
しかし、自分自身もコタツから脚を出す気にはなれない。
「……いや、でも、試運転は大事だからな。もう少しだけ、様子を見よう」
「……そうだね。安全性の確認は必要だからね」
ミレッタも真面目な顔で頷いた。
「……ふふっ。お二人とも、研究熱心ですね」
エレナが微笑む。
「……ん」
リゼも頷いた。
その場にいる全員が、もっともらしい理由をつけてコタツに居座っていた。
◇
一方、その頃。
アーベル商会の支店では、セリーナが書類の山と格闘していた。
「……よし! これで午前中の分は終わりね!」
最後の書類に署名を入れ、セリーナは勢いよく顔を上げた。
「ミレイ! 少し休憩を取ったら、午後の打ち合わせを……」
「セリーナ様。そういえば、ダイチ様たちは朝から何をなさっているのでしょう?」
ミレイが、ふと思い出したように尋ねた。
「え?」
「先ほどから旅館に顔を出しているのですが、ダイチ様もミレッタ様も見当たらないそうです。エレナ様やリゼ様も、お姿が見えないとか……」
「……何ですって?」
セリーナの眉がぴくりと動いた。
大地。
エレナ。
ミレッタ。
リゼ。
その四人が、揃って姿を消している。
「……まさか、何かあったんじゃ……!」
セリーナは椅子から立ち上がった。
「ミレイ! 少し旅館を見てくるわ!」
「えっ? ですが、午後の打ち合わせが……」
「すぐに戻るわ! 何かあったら大変でしょう!」
そう言い残し、セリーナは支店を飛び出した。
雪の残る石畳を駆け抜け、旅館へ向かう。
玄関でスタッフに尋ねても、誰も四人の居場所を知らないという。
「……一体、どこにいるのよ!」
セリーナは焦りながら、館内を探し回った。
客室。
食堂。
温泉の管理施設。
どこにも姿がない。
そして、最後にたどり着いたのが、普段は使われていない客室だった。
「……ここかしら?」
扉の向こうから、何やら幸せそうな声が聞こえてくる。
「……ああ、暖かい……」
「……もう、ここから出たくないね……」
「……ふふっ。最高です……」
「……ん……」
「…………」
セリーナは、しばらく扉の前で固まった。
「……何をしているのかしら、あの人たち」
そして、勢いよく扉を開けた。
「ダイチ様! エレナ様! ミレッタさん! リゼさん! 皆さん、いったい何を――」
セリーナの声が止まった。
部屋の中央。
そこには、見たこともない奇妙な家具が置かれていた。
その周囲を囲むように座っている、大地、エレナ、ミレッタ、リゼ。
四人とも、目がとろんとしている。
頬は緩み、身体からはすっかり力が抜けていた。
まるで、温泉に長時間浸かりすぎた人たちのようである。
「…………」
セリーナは、ゆっくりと口を開いた。
「……皆さん?」
「……ああ、セリーナか」
大地が、ぼんやりと顔を上げる。
「……どうしたんだ?」
「どうしたんだ、ではありませんわ!」
セリーナは思わず声を上げた。
「朝から皆さんの姿が見えないと聞いて、心配して駆けつけてみれば……! いったい、これは何なのですか!?」
「……コタツ」
「コタツ?」
セリーナは首を傾げた。
「……何ですの、それ?」
「まあまあ。セリーナも入ってみなよ」
ミレッタが、気の抜けた声で言った。
「……そうだな。せっかくだし、試してみてくれ」
大地も頷く。
セリーナは四人をじっと見つめた。
どう考えても、まともな状態ではない。
しかし、これほどまでに全員が夢中になっているものなら、何か理由があるはずだ。
「……分かりましたわ。少しだけですわよ?」
セリーナは警戒しながら、空いている場所に腰を下ろした。
そして、そっと布団の中へ脚を入れる。
次の瞬間。
「…………っ!」
セリーナの目が、大きく見開かれた。
「……な、何ですの……これ……!」
足元から広がる、優しく包み込むような暖かさ。
冷え切っていた身体が、ゆっくりとほどけていく。
ただ暖かいだけではない。
布団の中に包まれているという安心感。
外の冷たい空気を忘れさせてくれる、心地よい空間。
それらが一体となって、セリーナの心をつかんで離さなかった。
「…………」
彼女はゆっくりと背もたれに身体を預けた。
「……す、素晴らしい……」
「……だろ?」
大地が、得意げに笑う。
「……こんなものが、この世に存在するなんて……」
セリーナの瞳が、きらりと輝いた。
そして。
「……待ってくださいませ」
彼女は、勢いよく身体を起こした。
「ダイチ様! このコタツというもの、量産は可能ですの!?」
「……え?」
「製造費用は? 一台当たりの販売価格は? 魔道具部分の製造はミレッタが担当できますわよね!? 木工部分は街の職人に依頼して、布団は仕立て屋に発注すれば……!」
セリーナは懐から小さな算盤を取り出した。
そして、猛烈な勢いで計算を始める。
「本体の製造費用を抑えつつ、魔道具の品質を維持して……。一般家庭向けの小型モデルと、宿泊施設向けの大型モデルを用意するのも良いですわね! さらに、布団の柄や素材を選べるようにすれば、高級品としての販売も可能……!」
「……お、おい。セリーナ?」
「ダイチ様! これは大発明ですわ!」
セリーナは大地の両手を握りしめた。
「さすがです! さすがはダイチ様ですわ! 温泉だけではなく、冬の暮らしまで変えてしまうなんて……! その発想力、その先見性、その常人には思いもつかない着眼点! 私は改めて、ダイチ様の素晴らしさを実感いたしました!」
「い、いや……そんな大げさな……」
「大げさなものですか! このコタツが広まれば、冬場の生活は一変します! 旅館の客室に設置するだけでも大きな魅力になりますし、街の商店で販売すれば、住民の皆さんにも喜んでいただけるはずです!」
セリーナの勢いは止まらない。
「しかも、アーベル商会の流通網を使えば、周辺の街や王都にも販路を広げられますわ! これは単なる暖房器具ではありません! 新たな冬の文化を生み出す商品です!」
「……おお」
大地は思わず感心した。
さすがは商会の令嬢。
コタツを体験した直後だというのに、すでに商売の構想を組み立てている。
「……確かに、そう考えるとすごいな」
「でしょう!?」
セリーナはさらに身を乗り出した。
「それに、ダイチ様が考案されたという点も重要ですわ! 大地の湯宿発祥の新商品として売り出せば、旅館の知名度向上にもつながります! 温泉とコタツを組み合わせた冬季限定宿泊プランも……!」
「……待って。冬季限定宿泊プラン?」
ミレッタが、ぴくりと反応した。
「そうですわ! 雪見風呂を楽しみ、湯上がりにコタツでくつろぐ……。温泉旅館ならではの贅沢な冬の過ごし方です!」
「……それ、最高じゃないか!」
ミレッタも勢いよく顔を上げた。
「雪見風呂のあとに、暖かいコタツでくつろぐなんて……! これは設備を改良する価値があるね!」
「ミレッタさん、ぜひお願いしますわ!」
「任せておきな!」
二人の間で、早くも新商品の企画会議が始まっていた。
エレナも、うっとりした表情で頷く。
「……確かに、コタツのある客室は、とても魅力的だと思います。寒い冬でも、ゆっくりとお部屋で過ごせますから」
「エレナ様まで! ありがとうございます!」
セリーナは感激したように胸元で両手を握りしめた。
「ダイチ様……。あなたという方は、本当に……!」
彼女は大地を見つめた。
尊敬。
感動。
そして、深い敬愛。
そのすべてが入り混じった眼差しだった。
「……私は、ダイチ様と出会えて幸せですわ……」
「……セリーナ?」
「これほどの発想を持ちながら、決して驕ることなく、いつも私たちのことを考えてくださる……。ああ、ダイチ様……!」
セリーナは、すっかり自分の世界に入り込んでいた。
そのまま、再び算盤を弾き始める。
「……製造数は月に百台から始めて、需要に応じて増産。魔道具の生産体制を整えれば、さらに……。ふふっ、ふふふっ……!」
「…………」
大地は、そっと隣を見た。
エレナも、ミレッタも、同じようにセリーナを見つめている。
三人の目が合った。
「……セリーナ、すごいな」
「……はい。もう完全にお仕事のことしか見えていませんね」
「……あたし、そろそろ作業に戻ろうかな」
「……私も、厨房に戻る」
それぞれが、静かに立ち上がった。
「え? お、おい。みんな、もう出るのか?」
大地が尋ねる。
ミレッタは布団から脚を抜き、軽く伸びをした。
「試運転は十分できたからね。温度調整も問題なさそうだし、あとは細かい調整をするだけさ」
「そうですね。私も、そろそろ仕事に戻らないと」
エレナも立ち上がる。
リゼは大地をじっと見つめたあと、名残惜しそうにコタツから出た。
「……あとで、また入る」
「……ああ。いつでもな」
「……約束」
「分かった、約束だ」
リゼは満足そうに頷き、厨房へと向かっていった。
大地、エレナ、ミレッタも、それぞれの仕事へ戻る。
ただし。
部屋の中央では、セリーナだけが算盤を弾きながら、まだ熱弁を振るっていた。
「……そして、コタツの布団にはアーベル商会の商標を刺繍して……。いえ、旅館限定モデルは別の意匠にした方が……。ダイチ様の監修という形にすれば、さらに付加価値が……!」
「……セリーナ、もう行くぞ!」
扉の外から大地が声を掛ける。
「……え?」
セリーナは、はっと顔を上げた。
「……あっ! お、お待ちくださいませ!」
慌てて算盤を懐にしまい、コタツから飛び出す。
「ダイチ様! 先ほどの企画について、ぜひ詳しくお話を……!」
「分かった、分かった! まずは仕事に戻ろうな!」
「はいっ!」
こうして、セリーナもようやく現実へと帰還した。
もっとも、彼女の頭の中では、すでにコタツの販売計画が動き始めていたのだが。
◇
それから一時間ほどが経過した頃。
午前中の仕事を終えたミーナ、リリィ、フォルナの三人は、休憩を取ることになった。
「ふぅ~! 今日も忙しかったね!」
ミーナが両腕をぐっと伸ばす。
「朝からお客様がいっぱいでしたからねぇ。でも、最近は街から来るお客様も増えましたよね」
リリィが笑顔で答えた。
「はい。市場も賑わっていましたし、街全体が活気づいている気がします」
フォルナも頷く。
旅館の周囲に商店が増えたことで、宿泊客だけでなく、買い物や食事を目的に訪れる人も多くなっていた。
それに伴い、旅館の知名度も少しずつ高まっている。
「ところで、休憩はどこで取ろうか?」
ミーナが尋ねた。
「食堂でもいいですけど……」
リリィは少し考えたあと、ふと思い出したように顔を上げた。
「そういえば、さっき旦那様たちが、空いている客室に何か運び込んでいたような……」
「何か、ですか?」
フォルナが首を傾げる。
「うん。見たことのない家具みたいなものだったよ」
「……気になりますね!」
ミーナの耳がぴんと立った。
「ちょっと見に行ってみようよ!」
「えっ? でも、勝手に入っても大丈夫でしょうか?」
フォルナが不安そうに尋ねる。
「大丈夫、大丈夫! 空いている客室なんでしょ?」
「……それもそうですねぇ」
リリィも興味をそそられたらしい。
こうして三人は、例の客室へと向かうことになった。
◇
「……あれ?」
客室の扉を開けると、そこには奇妙な家具が置かれていた。
木製の低いテーブル。
その周囲を覆う、分厚い布団。
テーブルの下には、何やら魔道具らしき装置が取り付けられている。
「……何でしょう、これ?」
フォルナが不思議そうに首を傾げた。
「テーブル……かな?」
ミーナは周囲をぐるりと回り込んだ。
「でも、なんで布団が付いているんだろう?」
「……もしかして、これも旦那様の考案されたものですかねぇ?」
リリィが布団の端をそっと持ち上げた。
その瞬間。
「……わっ! 暖かい!」
「本当ですか!?」
ミーナが身を乗り出す。
「はい。中がぽかぽかしていますよ」
「す、すごい……!」
ミーナは目を輝かせた。
「ねえねえ! ちょっと入ってみようよ!」
「えっ、でも……」
フォルナがためらう。
「大丈夫だよ! 少しだけ、少しだけ!」
ミーナはそう言うと、さっそく座布団に腰を下ろした。
そして、布団の中へ脚を入れる。
「…………」
次の瞬間。
ミーナの表情が、ふにゃりと崩れた。
「……はぁぁ……」
「ミーナ?」
フォルナが声を掛ける。
「……あったかい……」
ミーナは、うっとりと目を細めた。
「……すごい……。足がぽかぽかする……。身体まで、ぽかぽかしてきた……」
「……そんなにですか?」
リリィも、恐る恐る隣に腰を下ろした。
「じゃあ、私も……」
布団の中へ脚を入れる。
「…………」
リリィの口元が、ゆっくりと緩んだ。
「……ああ……これは……」
「……でしょう?」
ミーナが、すっかり蕩けた顔で頷く。
「……出たくなくなりますねぇ……」
「……はい……」
二人は顔を見合わせた。
そして、同時に頷く。
「……もう少しだけ」
「……もう少しだけですねぇ」
最後に残ったフォルナは、二人の様子を見て困惑していた。
「え、ええと……そんなに気持ちいいんですか?」
「フォルナも入ってみなよ!」
ミーナが手招きする。
「……で、では、少しだけ……」
フォルナはおそるおそる腰を下ろし、布団の中へ脚を入れた。
そして――。
「…………っ!」
フォルナの頬が、一瞬で赤くなった。
「……あ、あたたかい……!」
「でしょう?」
リリィが微笑む。
「……すごく……気持ちいいです……」
フォルナは両手を膝の上に置き、目を細めた。
普段は少し控えめで、緊張しやすい彼女。
そんなフォルナも、今は完全にコタツの虜になっていた。
三人は、しばらく無言で暖かさを味わっていた。
そして、やがて――。
「……ミーナ?」
リリィが隣を見る。
「……すぅ……すぅ……」
「……寝てる!?」
ミーナは、コタツの布団にすっぽりと包まれ、身体を丸めていた。
まるで、猫のように。
「……ミーナさん、起きてください!」
フォルナが慌てて声を掛ける。
「……んにゃ……」
「……にゃ?」
リリィが目を丸くした。
「……もう、ここから出ない……」
ミーナは布団をぎゅっと抱きしめた。
「……冬は……コタツで丸くなるの……」
「いや、猫ですか!?」
リリィが思わず突っ込む。
しかし、ミーナは目を閉じたまま、幸せそうに頬を緩めていた。
「……ごろごろ……」
「……えっ、また!?」
フォルナが驚いてミーナを見つめる。
その喉元からは、いつものご機嫌な音が漏れていた。
「ごろごろごろ……」
「……もう、完全に駄目ですねぇ」
リリィは苦笑した。
けれど、自分自身もコタツから出る気はまったくない。
フォルナも、布団の中で両手を温めながら、幸せそうに目を細めている。
「……あの、旦那様に報告した方がいいのでは……?」
フォルナが小さく呟いた。
「……そうですねぇ」
リリィは頷いた。
「……でも、もう少し暖まってからにしましょうか」
「……はい」
こうして三人は、しばらくその場に留まることになった。
なお。
このとき、彼女たちの頭からは、休憩時間という概念がすっかり消え去っていた。
◇
その頃。
旅館の廊下を歩いていた大地は、ふと足を止めた。
「……あれ?」
何かがおかしい。
ミーナたち三人が、休憩に入ってから姿を見せていない。
普段なら、休憩が終わる頃には受付や厨房へ戻ってくるはずだ。
「……まさか」
大地の脳裏に、嫌な予感がよぎった。
先ほどまで、自分たち四人もコタツから出られなくなっていたのだ。
あの心地よさを考えれば、三人が同じ状態になっていても不思議ではない。
「……いや、まさかな」
大地は額に手を当てた。
しかし、どう考えてもあり得る。
「……ミレッタ! 大変だ!」
大地は、温泉の管理施設へ向かって駆け出した。
「ん? どうしたんだい、ダイチ?」
「コタツだ! コタツが危険かもしれない!」
「……は?」
ミレッタは、ぽかんと口を開けた。
その直後。
二人は顔を見合わせた。
そして、同時に客室へ向かって走り出した。
――コタツの魔力に魅入られた者たちを救出するために。
もっとも。
走りながら大地の頭には、ある一つの考えが浮かんでいた。
「……いや、待てよ」
「……何だい?」
「これ、売り出したら絶対に大ヒットするんじゃないか?」
ミレッタは、一瞬だけ考えた。
「……間違いないね」
二人は顔を見合わせ、力強く頷いた。
そして、客室の扉を開ける。
そこには――。
コタツに包まれ、幸せそうに丸くなったミーナ。
とろけた表情で頬杖をつくリリィ。
両手を温めながら、うっとりと微笑むフォルナ。
三人の姿があった。
「…………」
大地は、しばらく沈黙した。
そして、深く息を吐く。
「……やっぱりかぁぁぁっ!」
旅館に、大地の叫び声が響き渡った。
しかし、コタツの中の三人は、誰一人として動こうとしなかった。
「……んにゃ……」
ミーナは、丸くなったまま呟く。
「……あと五分……」
「……いや、だから、それ絶対に出ないやつだろぉぉぉっ!」
大地の悲痛な叫びが、冬の旅館に響き渡った。
こうして。
『大地の湯宿』に、新たな問題が誕生した。
それは、魔物でも、盗賊でも、ましてや教会の刺客でもない。
冬の寒さを吹き飛ばし、人々を幸せにし、そして――。
一度入った者を、なかなか外へ出してくれない魔性の暖房器具。
その名も、コタツ。
後にこの発明は、旅館の冬季営業を大きく変えるだけでなく、アーベル商会を通じて周辺地域へ広がっていくことになる。
ただし、その販売が始まる前に。
大地たちはまず、コタツから出てこない仲間たちを、どうやって仕事へ復帰させるかという難題に取り組まなければならなかったのだった。




