【エレナside】一ヶ月分の想いーその1
深夜に差し掛かる頃
廊下を歩く二人の間に、会話はほとんどなかった。
けれど、それは決して気まずい沈黙ではない。
時折、隣を歩くエレナが大地の顔を見上げては、嬉しそうに微笑む。
大地もまた、そんな彼女の表情を見るたびに、自然と口元が緩んでいた。
一ヶ月。
セリーナの帰省に同行していた間、エレナとは離れて暮らしていた。
もちろん、旅先での出来事は充実していたし、セリーナと過ごした時間にも意味があった。
それでも、夜になって一人で過ごす時間には、どうしてもエレナのことを思い出してしまった。
今頃、何をしているだろう。
ちゃんと食事を取っているだろうか。
寂しい思いをしていないだろうか。
そんなことを考えながら、何度も彼女の笑顔を思い浮かべていた。
そして今、その本人がすぐ隣にいる。
「……ダイチさん」
「ん?」
「……手を、繋いでもいいですか?」
エレナは少し恥ずかしそうに尋ねた。
大地は一瞬だけ目を丸くし、それから優しく笑う。
「もちろん」
差し出した手を、エレナが両手で包み込む。
指と指が重なり、手のひらから温もりが伝わってきた。
「……温かいですね」
「エレナの手も温かいよ」
「……ふふっ」
彼女は嬉しそうに笑うと、繋いだ手をそっと胸元へ引き寄せた。
その仕草があまりにも愛おしくて、大地は彼女の髪を優しく撫でる。
「……ただいま、エレナ」
改めて告げると、彼女はゆっくりと顔を上げた。
「……お帰りなさい、ダイチさん」
その声が、ほんの少しだけ震えていた。
「……ずっと、お待ちしていました」
「うん。待たせてごめんな」
「いいえ。お仕事だったのですから、仕方ありません。でも……」
エレナは一度言葉を切り、繋いだ手に力を込めた。
「……やっぱり、寂しかったです」
その言葉を聞いた瞬間、大地の胸が締めつけられた。
彼女も、自分と同じだったのだ。
会いたくても会えない。
声を聞きたくても、すぐそばにはいない。
そんな日々を、二人とも過ごしていた。
大地はエレナの手を握り直す。
「……俺もだよ」
そして、そっと彼女を抱き寄せた。
エレナは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに大地の胸へ顔を埋めた。
「……ダイチさん」
「うん」
「……もう少しだけ、このままでいさせてください」
「いくらでも」
大地は彼女の背中に腕を回し、優しく抱きしめた。
エレナの銀色の髪から、ほのかに甘い香りが漂う。
懐かしい香りだった。
ずっと会いたかった人の香り。
大地はその髪に頬を寄せ、静かに息を吐いた。
ようやく帰ってこられた。
ようやく、彼女を抱きしめられた。
その実感が、胸の奥へゆっくりと染み渡っていく。
◇
寝室へ入ると、二人はしばらく向かい合って立っていた。
いつもなら、何気ない会話を交わしながら寝る準備をする時間だ。
けれど、今夜は少し違った。
大地が見つめると、エレナもまた、じっとこちらを見つめ返してくる。
その瞳には、隠しきれない喜びと、少しの照れが浮かんでいた。
「……どうしました?」
エレナが小首を傾げる。
「いや……やっぱり、綺麗だなと思って」
「……えっ?」
彼女の頬が、見る間に赤くなった。
「も、もう……急に何をおっしゃるんですか」
「本当のことだよ」
「……ダイチさんは、そういうことを平気でおっしゃいますね」
そう言いながらも、エレナの口元には嬉しそうな笑みが浮かんでいる。
大地は彼女の頬に手を添えた。
白く柔らかな肌。
指先に伝わる温もり。
そのすべてが、今はとても愛おしい。
「……キスしてもいい?」
尋ねると、エレナは一瞬だけ目を伏せた。
それから、ゆっくりと頷く。
「……はい」
大地は彼女の顔をそっと近づけ、唇を重ねた。
最初は、触れるだけの優しいキスだった。
けれど、一度離れて目を合わせると、エレナの方からそっと距離を縮めてきた。
「……もう一度」
小さな声だった。
大地は微笑み、再び彼女に口づける。
今度は、先ほどよりも少し長く。
離れたあとも、二人の額は触れ合ったままだった。
「……会いたかったです」
エレナが囁く。
「……本当に、ずっと」
「うん」
「ダイチさんの声を聞くと、安心するんです。お顔を見ると、もっと嬉しくなって……こうして触れられると、夢ではないのだと思えて」
彼女は恥ずかしそうに微笑んだ。
「……私、ダイチさんのことが好きで好きで仕方ないみたいです」
「……そんなに?」
「はい。自分でも驚くくらいに」
大地は思わず笑った。
「それは、俺も同じだよ」
「……本当ですか?」
「本当」
そう答えると、エレナは嬉しそうに目を細めた。
そして、自分から大地の首に腕を回す。
「……では、今夜は」
「うん?」
「……一ヶ月分甘えてもいいですか?」
その言葉に、大地の胸が熱くなった。
「もちろん。今日はずっと一緒にいよう」
エレナは安心したように微笑む。
そして、今度は彼女から大地へと口づけた。
触れ合う唇。
そっと重なる腕。
一ヶ月の間、心の中に積もっていた寂しさが、少しずつ溶けていく。
もちろんセリーナが不満だった訳ではない。何か大切なものが欠落していた反動か、それを埋める為に、余計にセリーナを求めてしまったのだろう。
大地は彼女を抱きしめながら、髪を撫で、頬にキスを落とした。
エレナもまた、大地の胸元に頬を寄せ、嬉しそうに目を閉じる。
「……ダイチさんの匂いがします」
「えっ、匂い?」
「はい。……なんだか、落ち着くんです」
「そ、そうか」
「ふふっ。変でしょうか?」
「いや。そう言ってもらえるのは、嬉しいよ」
エレナは小さく首を横に振った。
「変ではありません。私にとっては、大切なことですから」
そう言って、もう一度抱きついてくる。
大地は彼女の背中をゆっくりと撫でた。
その手に合わせるように、エレナもまた彼の服をそっと握りしめる。
離れていた時間が長かった分、触れ合う一瞬一瞬が、いつも以上に大切に思えた。
欠落していた重要なパーツが満たされていく感覚を覚える。
やがて、二人はベッドに腰を下ろした。
エレナは大地の肩に寄りかかり、彼の手を両手で包んでいる。
「……明日になったら、またお仕事ですね」
「そうだな」
「……少しだけ、残念です」
「ははっ。明日も一緒にいられる時間はあるよ」
「……今夜が終わってしまうのは寂しいです。私が独り占めする訳にはいきません…ミレッタやリゼさんも寂しかったはずですから」
大地は彼女の顔を覗き込んだ。
「……エレナの悪い癖だな。そうやっていつも遠慮してきたんだろ?」
「………」
エレナは胸に手を当てながら頷いた。
そして、しばらく迷うように視線を揺らしたあと、そっと大地の頬に手を添える。
「……ダイチさん」
「ん?」
「……今夜は、独り占めさせてくださいね」
その言葉に込められた想いを、大地は十分に理解していた。
彼はエレナの手を取り、その甲に優しく口づける。
「……約束するよ」
エレナは安心したように微笑んだ。




