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異世界温泉宿経営♨️ 〜「戦闘スキルをください!とお願いした女神がくれたのは、まさかの“銭湯スキル”でした〜  作者: 回胴めぐり


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【第95話】帰る場所と変わらぬ想い


温泉旅館へと戻る馬車の中。


窓の外には、見慣れた景色が少しずつ広がり始めていた。


辺境伯との会談を終えた大地たちは、ようやく帰路についていた。


「……もうすぐ着きますわね」


セリーナが窓の外を眺めながら、ぽつりと呟いた。


「ああ。みんな、どうしてるかな」


大地は懐かしさを覚えながら、街道の先へと視線を向けた。


約一ヶ月、旅館を離れていた。


その間にも営業は続いているはずだが、やはり自分たちがいない間のことは気になる。


エレナやミレッタ、リゼたちは元気にしているだろうか。


ミーナたちも、仕事に慣れてきただろうか。


そんなことを考えていると、隣に座っていたセリーナが、そっと大地の腕に自分の腕を絡めてきた。


「……ふふっ」


「ん? どうした、セリーナ?」


「いえ……こうしてダイチ様と二人で一緒に過ごせる時間も、もう終わってしまうのだと思いまして」


その声には、いつものからかうような響きとは違う、少し寂しげな感情が滲んでいた。


「終わるって……。別に、これから会えなくなるわけじゃないだろ?」


「もちろんですわ。でも、今回は約一ヶ月にわたって帰省できました」


「そうだな」


「その間、ずっとダイチ様と一緒にいられました」


セリーナは大地の肩に頭を預け、幸せそうに目を細めた。


「お父様ともお話しできましたし、商会の用事も済ませられました。それに……何より、ダイチ様を独り占めできたようで、とても嬉しかったのですわ」


「……セリーナ」


大地は思わず彼女の顔を見つめた。


普段のセリーナなら、こうした言葉も冗談めかして口にすることが多い。


けれど、今の彼女は違った。


頬をわずかに赤らめながらも、真っ直ぐに大地を見つめている。


「私、欲張りなのかもしれませんわね」


「どうして?」


「ダイチ様と一緒にいると、もっと一緒にいたいと思ってしまいますの。少し離れているだけでも寂しくなりますし、こうして隣にいられると、つい甘えたくなってしまいます」


セリーナは小さく笑った。


「商会の仕事をしているときは、こんな気持ちになることなどありませんでしたのに。不思議ですわね」


「……俺も、セリーナと一緒に過ごせて楽しかったよ」


「本当ですか?」


「ああ。今回の会談だって、セリーナがいてくれたから上手くいった。お父さんとも話せたし、街づくりも大きく前進した。本当に感謝してる」


「……もう。ダイチ様ったら」


セリーナは嬉しそうに微笑んだ。


そして、絡めた腕に少しだけ力を込める。


「そういうところも、大好きですわ」


「っ……!」


不意に告げられた言葉に、大地の胸が跳ねた。


セリーナはそんな彼の反応を見て、くすりと笑う。


「……ねえ、ダイチ様」


「な、何だ?」


「帰る前に、一つだけお願いしてもよろしいかしら?」


「お願い?」


「はい」


セリーナはゆっくりと顔を上げ、大地の目を見つめた。


「……キスをしてくださいませ」


「えっ?」


「一ヶ月間の旅路の締めくくりですわ」


「いや、締めくくりって……」


大地が戸惑っていると、セリーナはそっと目を閉じた。


その仕草があまりにも愛らしくて、大地は思わず言葉を失う。


そして――。


「……分かった」


大地は彼女の頬に手を添え、ゆっくりと顔を近づけた。


唇が触れる。


最初は優しく、確かめ合うような口づけだった。


けれど、セリーナが大地の胸元に手を添え、離れまいとするように身を寄せると、そのキスは次第に熱を帯びていった。


「……んっ」


セリーナは幸せそうに目を細め、大地の背中に腕を回した。


二人はしばらくの間、互いの温もりを確かめるように口づけを交わした。


やがて唇が離れると、セリーナは頬を真っ赤に染めながらも、満足そうな笑みを浮かべた。


「……ふふっ。幸せですわ」


「……改めてすると照れるもんだな……」


大地が小声で言いかけた、そのとき。


「……あの、お二人とも」


向かいの席から、控えめな声が聞こえた。


「そろそろ、旅館が見えてまいりました」


「「……っ!」」


大地とセリーナは、同時に声のした方へと顔を向けた。


そこには、同行していたミレイが座っていた。


アーベル商会の支店で受付を務める彼女は、困ったような、それでいて何とも言えない表情を浮かべている。


「も、申し訳ございません! お邪魔をするつもりはなかったのですが……」


「い、いや! ミレイさんは何も悪くないから!」


大地は慌てて手を振った。


一方のセリーナは、少しも悪びれる様子がない。


「ふふっ。ミレイ、気にしなくてよろしくてよ」


「セリーナ様……」


「それに、ダイチ様と私が仲睦まじいことは、隠すようなことでもありませんもの」


「せ、セリーナ……!」


大地が顔を赤くすると、彼女は楽しそうに笑った。


「さあ、ダイチ様。皆さんがお待ちですわ。早く帰りましょう?」


そう言って、再び大地の腕に寄り添うセリーナ。


大地は小さくため息をついた。


(……帰ったら、絶対に何か言われるだろうな)


そんな予感を覚えながら、彼は窓の外へと目を向けた。


そこには、見慣れた建物が見え始めていた。


自分たちが築き上げてきた、大切な場所。


『大地の湯宿』だった。


◇


「……あっ! 馬車が戻ってきましたよぉ」


旅館の正面玄関前。


最初に馬車に気づいたのは、リリィだった。


「本当だ! 旦那様たちが帰ってきたよ!」


ミーナが嬉しそうに声を上げる。


「お帰りなさいませ!」


フォルナも笑顔で手を振った。


その声に気づき、玄関先で待っていたエレナ、ミレッタ、リゼも顔を上げる。


「……ようやく、お帰りになりましたね」


エレナはほっとしたように微笑んだ。


「まったく。一ヶ月留守にするだけだって分かってたけど、やっぱり気になるもんだね」


ミレッタも腕を組みながら、馬車の到着を待っている。


リゼはいつもの無表情のまま、静かに頷いた。


「……おかえり」


やがて馬車が停まり、扉が開く。


「ただいま! みんな、元気にしてたか?」


大地が顔を出すと、ミーナたちが一斉に駆け寄ってきた。


「お帰りなさい、旦那様!」


「お疲れさまでしたぁ」


「お帰りなさいませ!」


三人の笑顔に迎えられ、大地も自然と笑顔になった。


「おう。ただいま!」


続いて、セリーナが馬車から降りてくる。


「皆さん、ご無沙汰しておりますわ」


「セリーナ様も、お帰りなさい!」


ミーナが嬉しそうに声を上げた。


「お帰りなさいませ、セリーナ様」


リリィとフォルナも丁寧に頭を下げる。


「ふふっ。皆さん、お元気そうで何よりですわ」


セリーナは微笑みながら、出迎えてくれた面々を見渡した。


そのときだった。


「……ところで、ダイチ様」


セリーナは、ごく自然な動作で大地の腕に自分の腕を絡めた。


「帰ってきたばかりですし、少し二人でゆっくりしたいですわね」


「えっ?」


大地が振り向くよりも早く、セリーナは彼の肩に身を寄せた。


「一ヶ月ずっと一緒にいたというのに、まだまだ足りませんもの」


「ちょ、セリーナ……!」


その距離感は、出発の時よりも明らかに近い。


まるで、長年連れ添った夫婦のようである。


そして、それを目の当たりにした三人が、ほぼ同時に動いた。


「だ、駄目です!ずっと待ってたんですから!」


エレナが大地の反対側から腕を取る。


「ダイチ、帰ってきたばかりなんだから、まずはみんなに報告することがあるでしょ!」


ミレッタも大地の肩を掴んだ。


「……ダイチ。離さない」


リゼは無言で大地の服の裾をつまんだ。


「えっ、ちょっ……みんな!?」


左右から引っ張られ、大地の身体がぐらりと揺れる。


「まあ、皆さん。そんなに慌てなくてもよろしくてよ?」


セリーナは余裕たっぷりに微笑んだ。


「私とダイチ様は、一ヶ月の間ずっと一緒に過ごしていたのですから。一分一秒でも離れてしまうと、どうにかなってしまいますわ」


「なっ……!」


エレナの頬がぴくりと動いた。


「ずるいです!セリーナさん!」


「そうそう! ここは旅館なんだから、節度ってものがあるでしょ!」


ミレッタも負けじと声を上げる。


「……仲良しなのは、分かった」


リゼがぼそりと呟いた。


「でも、ダイチはみんなのダイチ」


「リゼ!?」


思わぬ言葉に、大地は目を丸くした。


一方、セリーナはますます楽しそうに笑う。


「あらあら。皆さん、本当にダイチ様がお好きなのですわね」


「わ、私が一番愛してますから……!」


「べ、別に、そういう意味じゃ……まぁ…好きだけど!」


エレナとミレッタが同時に言いよどむ。


リゼは何も答えず、つまんでいた大地の服を離そうとしなかった。


「ふふっ。皆さんのお気持ちはよく分かりましたわ」


セリーナは大地の腕を抱き直すと、にっこりと微笑んだ。


「ですが、私も負けるつもりはございませんので」


「セリーナさん!」


「……セリーナ、もう!」


エレナとミレッタの声が重なる。


その様子を見ていたミーナたちは、顔を見合わせた。


「……なんだか、すごいことになってるね」


「うん……」


リリィが小さく頷く。


「でも、皆さんが仲良しなのは、いいことだと思います」


フォルナが微笑ましそうに言った。


「いや、仲良しっていうか……」


大地は苦笑いを浮かべながら、左右から引っ張られている自分の腕を見下ろした。


(……帰ってきた途端、これかよ)


けれど、不思議と嫌な気持ちはしなかった。


こうして騒がしく迎えてくれる人たちがいる。


自分の帰りを待っていてくれる人たちがいる。


それが、何よりも嬉しかった。


「……みんな、ただいま」


大地が改めて口にすると、エレナたちは一瞬だけ動きを止めた。


そして――。


「……お帰りなさいませ、ダイチさん」


エレナが優しく微笑んだ。


「お帰り、ダイチ」


ミレッタも照れくさそうに笑う。


「……おかえり」


リゼも小さく頷いた。


その温かな声に、大地の胸がじんわりと熱くなった。


「ただいま!」


今度は、心からの笑顔で答えた。


◇


その後、大地たちは食堂へと集まった。


昼食の準備が始まる前の時間を使い、今回の帰省と会談について報告することになったのだ。


テーブルを囲むのは、大地、エレナ、セリーナ、ミレッタ、リゼ、ミーナ、リリィ、フォルナ。


ミレイも商会支店の業務に差し支えない範囲で同席していた。


「それで、辺境伯様とのお話し合いは、どうなったのですか?」


エレナが尋ねると、大地は嬉しそうに頷いた。


「それがな、かなり良い結果になったんだ」


「本当ですか?」


「ああ。まず、俺たちが開発しているこの地域を、正式な街として認める方向で進めてもらえることになった」


「……っ!」


エレナの目が大きく見開かれた。


「本当ですか、ダイチ様!?」


「ああ。もちろん、正式な認定には手続きが必要だし、街の名前もこれから決めることになる。でも、辺境伯様本人が前向きに進めてくれることになったんだ」


「まあ……!」


ミーナが思わず声を上げた。


「それって、すごいことですよね!?」


「もちろんだよ。だって、この旅館の周りに街ができるってことでしょう?」


リリィも興奮した様子で身を乗り出した。


「私たちの働いている場所が、街になるんですね……!」


フォルナも目を輝かせている。


「そういうことだな」


大地は三人の反応を見て、嬉しそうに笑った。


温泉を掘り当てたときには、こんな未来が待っているとは思いもしなかった。


それが今では、旅館を中心に人が集まり、商人たちが店を構え、冒険者ギルドの拠点まで設けられている。


そして、ついに街としての認定が現実味を帯びてきたのだ。


「さらに、税制面についても相談してきましたの」


セリーナが説明を引き継いだ。


「街ができたばかりの時期は、商人や職人たちにとっても負担が大きくなりがちです。そこで、一定期間、事業税や商業関連の税負担を軽減していただけないかとお願いしましたの」


「それで、どうなったんだ?」


ミレッタが尋ねる。


「辺境伯様からは、前向きに検討するとのお返事をいただきましたわ。具体的な期間や対象となる税目については、これから財務担当者の方々と協議することになりますけれど」


「なるほど……。それなら、新しく店を出す人も増えそうだね」


ミレッタは感心したように頷いた。


「そうだな。街が発展するためには、俺たちだけじゃなく、いろんな人に来てもらわないといけないからな」


大地はそう答えた。


「それから、辺境伯様ご自身が、近いうちにこの旅館を訪問してくださることにもなったんだ。実際に街の様子を見て、正式な認定に向けた話を進めてくれるらしい」


「辺境伯様が、こちらに……?」


エレナが驚いたように呟く。


「うん。温泉にも興味を持ってくださったみたいでな。食事や宿泊も含めて、実際に体験していただく予定だ」


「それは、しっかりとおもてなしをしなければなりませんね」


エレナはすぐに表情を引き締めた。


「女将として、皆さんと一緒に準備を進めます」


「頼りにしてるよ、エレナ」


「はい、お任せくださいませ」


エレナは嬉しそうに微笑んだ。


「私も、お客様をお迎えする準備をお手伝いします!」


ミーナが元気よく手を挙げる。


「私も頑張ります」


リリィも続いた。


「私も、できることを頑張ります!」


フォルナも笑顔で頷く。


「みんな、ありがとう。辺境伯様がいらっしゃるまでには、まだ少し時間があると思う。それまでに、できることを一つずつ進めていこう」


「はい!」


三人の返事が、食堂に明るく響いた。


その後も、今後の街づくりについて簡単な話し合いが続いた。


新しい商店の誘致や、冒険者向けの施設の充実。


街の名前についても、いずれ皆で考える必要がある。


まだまだ決めなければならないことは多い。


それでも、誰もが未来に期待を膨らませていた。


「……なんだか、本当に大きなことになってきたな」


ミレッタが、しみじみと呟いた。


「最初は、温泉を作るって話だったのにさ」


「そうだな」


大地は笑った。


「でも、みんながいてくれたから、ここまで来られたんだと思う」


エレナ、ミレッタ、リゼ。


ミーナ、リリィ、フォルナ。


そして、セリーナやアーベル商会の人々。


一人では決して実現できなかったことも、仲間たちと力を合わせれば、少しずつ形にしていける。


それを、今の大地は実感していた。


「これからも、よろしく頼むよ。みんな」


「もちろんですわ」


セリーナが優雅に微笑む。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


エレナも頷いた。


「ま、あたしも手伝ってあげるよ」


ミレッタは照れくさそうに顔を逸らす。


「……私も」


リゼも短く答えた。


その言葉に、大地は改めて笑顔を浮かべた。


こうして、久しぶりの再会と報告の時間は、温かな空気に包まれながら過ぎていった。


◇


夜。


旅館の営業が終わり、従業員たちもそれぞれの部屋へ戻った頃。


大地は、自宅の縁側に腰を下ろしていた。


夜風が庭の木々を揺らし、池の水面に月明かりが淡く映っている。


数日間、慌ただしい時間を過ごした。


辺境伯との会談も無事に終わり、街づくりも大きく前進した。


それでも、帰ってきてからようやく実感できたことがある。


やはり、自分にとって一番落ち着く場所はここなのだ。


「……ダイチさん」


背後から、聞き慣れた優しい声がした。


振り返ると、エレナが立っていた。


白銀の髪が月明かりを受け、淡く輝いている。


「エレナ。どうしたんだ?」


「少しだけ、ご一緒してもよろしいでしょうか?」


「ああ。もちろん」


大地が隣を空けると、エレナは嬉しそうに微笑み、そっと腰を下ろした。


二人の間に、穏やかな沈黙が流れる。


「……お帰りなさいませ、ダイチさん」


エレナが改めて口にした。


「ああ。ただいま、エレナ」


大地は彼女の顔を見つめた。


「一ヶ月旅館を任せてしまって悪かったな。何か困ったことはなかったか?」


「いいえ。皆さんのおかげで、問題なく営業できました。お客様の評判も上々です。次回の予約もいただいてるんですよ」


「そっか。それならよかった」


「それに……」


エレナは少しだけ俯いた。


「私は、ダイチさんがお帰りになるのを、ずっと楽しみにしておりました」


「……エレナ」


「お仕事だと分かっていましたし、セリーナさんとご一緒なのも承知していました。それでも……やっぱり、少し寂しかったです」


その言葉を聞き、大地の胸が締めつけられた。


エレナはいつだって、自分の気持ちを押し殺して周囲を気遣ってくれる。


だからこそ、こうして素直な気持ちを打ち明けてくれることが嬉しかった。


「ごめんな。寂しい思いをさせて」


「いいえ。謝らないでください。ダイチさんが頑張っていらっしゃることは、私もよく分かっていますから」


エレナは顔を上げ、優しく微笑んだ。


「ただ……今夜は、少しだけ甘えてもよろしいでしょうか?」


「もちろんだよ」


大地が答えると、エレナはそっと彼の肩に頭を預けた。


大地も彼女の肩に腕を回し、優しく抱き寄せる。


互いの温もりが伝わってくる。


その瞬間、ようやく帰ってきたのだという実感が、胸の奥に広がった。


しばらく二人で夜空を眺めていると、大地はふと思い出したように口を開いた。


「……なあ、エレナ」


「はい?」


「少し、真面目な話をしてもいいかな」


エレナは顔を上げた。


「もちろんです。どうかなさいましたか?」


大地は一度息を吐き、言葉を選ぶように視線を落とした。


「……セリーナのことなんだけど」


その名前を聞いた瞬間、エレナの表情がわずかに揺れた。


けれど、彼女は何も言わず、大地の次の言葉を待っていた。


「今回、一緒に過ごしてみて、改めて思ったんだ。セリーナは本当にすごい人だって。商会の仕事もできるし、俺にはない知識や交渉力も持ってる。今回の会談だって、彼女がいなかったら、あそこまで話を進められなかったと思う」


「……はい。セリーナさんは、本当に優秀な方ですものね」


「うん。それに……俺のことを大切に思ってくれているのも、伝わってきた」


大地は苦笑した。


「今日なんて、帰りの馬車の中で、ずっと一緒にいられて嬉しかったって言ってくれてさ」


エレナは静かに頷いた。


「……そうですか」


その声には、ほんの少しだけ寂しさが滲んでいた。


大地はそれに気づき、慌てて彼女の手を握った。


「でも、だからこそ、ちゃんと話しておきたいんだ」


「……ダイチさん?」


大地はエレナの瞳を真っ直ぐに見つめた。


「俺は、セリーナのことも大切に思ってる。いや、セリーナだけじゃない、ミレッタだってリゼだってそうだ。これから先、彼女たちとの関係がどうなっていくのか、今すぐ全部を決められるわけじゃない」


一度言葉を切り、彼女の手を優しく握り直す。


「だけど……もし、俺が誰かと結婚することになったら」


大地は、はっきりと告げた。


「最初に結婚するのは、必ずエレナがいい」


「……っ!」


エレナの瞳が、大きく見開かれた。


「ダイチさん……今、何と……?」


「俺は、エレナと一緒にいたい。これから先、どんなことがあっても、一番最初に人生を共にする相手はエレナであってほしいんだ」


大地は、彼女の両手を包み込んだ。


「もちろん、そんなことを簡単に約束していいのか、悩んだよ。みんなの気持ちだってあるし、これから先、いろんな問題も出てくると思う」


「……」


「それでも、これだけは曖昧にしたくなかった。エレナを不安にさせたくないし、何より、俺自身の気持ちをちゃんと伝えておきたかったんだ」


エレナは、じっと大地を見つめていた。


その瞳が、次第に潤んでいく。


「……本当に、よろしいのですか?」


かすれた声で、エレナが尋ねた。


「私で……よろしいのですか?」


「エレナがいいんだ」


大地は迷わず答えた。


「俺がこの世界に来て、いろんな人と出会って、いろんな経験をして……その中で、エレナは俺にとって特別な存在になった」


「……ダイチさん」


「俺が弱いときも、迷っているときも、エレナはいつもそばにいてくれた。だから今度は、俺がエレナを安心させたいんだ」


大地は微笑んだ。


「……約束するよ。もし結婚するなら、最初は必ずエレナと結婚する」


その言葉を聞いた瞬間。


エレナの瞳から、一粒の涙がこぼれ落ちた。


「……っ、ダイチさん……」


彼女は慌てて目元を押さえた。


けれど、溢れ始めた涙は止まらなかった。


「すみません……。嬉しくて……」


「エレナ……」


「私……ずっと、少しだけ不安だったんです」


エレナは涙を浮かべたまま、懸命に言葉を紡いだ。


「みなさん素敵な方ですし、ダイチさんのお力にもなれます。私にはできないことだって、たくさんありますから……。いつか、ダイチさんにとって、私よりもふさわしい方が現れるのではないかと……そんなことを考えてしまうこともありました」


「そんなこと……」


「分かっています。ダイチさんが私を大切にしてくださっていることは、ちゃんと分かっています。それでも……好きだからこそ、怖くなることもあるのです」


エレナは、大地の胸に顔を埋めた。


「……ですから、今のお言葉が、本当に嬉しいのです」


大地は彼女を強く抱きしめた。


「ごめんな。もっと早く、ちゃんと伝えるべきだった」


「いいえ……」


エレナは首を横に振った。


「ありがとうございます、ダイチさん……。私を一番に選んでくださって……」


「……当たり前だろ」


大地は、彼女の髪を優しく撫でた。


「これからも、一緒にいてほしい。楽しいことも、苦しいことも、全部一緒に乗り越えていきたいんだ」


「……はい」


エレナは顔を上げた。


涙に濡れた瞳には、今まで以上に強い想いが宿っていた。


「私も……ダイチさんと一緒にいたいです。これから先、どんなことがあっても、ずっとおそばにいさせてください」


「ああ。約束だ」


「……約束、です」


エレナは小指を差し出した。


大地は少し驚いた後、笑顔で自分の小指を絡める。


「指切りなんて、久しぶりだな」


「ふふっ。こういう約束は、きちんと形にしておきたいのです」


「そっか。じゃあ、破ったら大変だな」


「……絶対に、破らないでくださいね?」


エレナは涙を拭いながら、少しだけ不安そうに見つめた。


大地は、彼女の額にそっと自分の額を寄せた。


「破らないよ。約束する」


「……はい」


エレナは安心したように目を閉じた。


そして、そっと顔を上げる。


二人の視線が重なった。


大地は彼女の頬に手を添え、優しく唇を重ねた。


短く、けれど確かな想いを込めた口づけ。


唇が離れると、エレナは頬を真っ赤に染めながら、幸せそうに微笑んだ。


「……大好きです、ダイチさん」


「ああ。俺も大好きだよ、エレナ」


エレナは再び大地の胸に身を寄せた。


その頬には、まだ涙の跡が残っている。


けれど、もう不安に震える涙ではなかった。


大切な人から想いを伝えられた喜びと、これから先も一緒に歩んでいけるという確かな希望。


それらが混ざり合った、温かな涙だった。


夜風が、二人の髪を優しく揺らす。


遠くからは、温泉の湯が流れる微かな音が聞こえていた。


『大地の湯宿』を始めた頃、大地はこんな未来を想像していただろうか。


多くの仲間に囲まれ、温泉を中心に人々が集まり、やがて街が生まれようとしている。


そして、自分には何よりも大切にしたい人がいる。


これから先、乗り越えなければならない問題は、きっといくつもあるだろう。


街づくりも、商会との関係も、他の愛する女性たちとのことも。


すべてが思いどおりに進むとは限らない。


それでも――。


「……エレナ」


「はい?」


「これからも、よろしくな」


大地が微笑むと、エレナも柔らかく笑った。


「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします」


二人は再び身を寄せ合い、静かな夜のひとときを過ごした。


その温もりを確かめるように、互いの手を握りながら。


大地が帰ってくる場所。


それは、温泉の湯気が立ち上るこの旅館であり、仲間たちが待つこの場所であり――。


何よりも、大切な人が笑顔で迎えてくれる場所だった。

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