十三
十三
時計が十八時半を指す。
「よし、そろそろ行くか。S、K,準備しろ。ここにはもう戻ってこない。荷物は全部まとめろ」
いよいよこの時がきてしまった。緊張で自分の鼓動が聞こえる。荷物をまとめ、車へ向かおうとすると、鶴留かが僕にあるものを渡してきた。
真っ黒なL字型は、今までゲームでしか見たことがなく、手に取ると僕の想像よりも軽かった。
「これは……」
と、僕が聞くと
「これくらい見たことあるだろ。まさか知らないっていうのか?」
知らないわけではない。ただ、急に目の前に出されたという事実に驚いているのだ。紛れもなく、僕の手の上にあるのは拳銃だった。
「安心しろ。弾は入ってない。まあ、弾が入っていないというより、それは模造品だ。そいつはピストルの形をした発信器になっている。引き金を引けば俺とSのインカムに連絡されるようになっている。何かあればそれを使って俺らに伝えろ。まあまず、適当に『動くな』とか言ってそれを向ければ相手は勘違いしてこっちの言うことを聞いてくれるさ」
思っていたよりも軽いのはこれが本物ではなく発信器だからだろう。
いくら田舎といっても道で大きな音がすれば住民も気づき通報する。こちらの逮捕に繋がるのは間違いない。閑静な住宅街で拳銃を使うならサイレンサーは必須だろう。いや、この静かさならサイレンサーがあったとしても厳しいかもしれない。
「ここまで護身術をいろいろ覚えてもらったが、あれはあくまでも最終手段だ。お前に実際に手を下すようなことがないのが一番だ。練習ではうまくいっても本番ではそうとも限らない。もう外も暗くなってくる。視界も良くない」
自分で手を下す確率が減っただけ一安心と言うべきだろうか。それとも現場に居合わせた人が殺される確率が上がったということになるだろうから責任を感じるべきだろうか。そんな考えが頭をよぎるが、これから起こることに集中しなくてはならない。
拳銃型発信器のホルスターを受け取ると腰につけ、上着で隠す。多少の重みは感じるものの、走ったりするのに支障は無い。
鶴留が昨日車から出していたアタッシュケースを車に戻そうと外へ向かう。部屋の中では僕と菅沼の二人きりとなった。鶴留と二人になるよりかは気まずく無いが、特に会話もなく立っていると
「どうだ、緊張するか?」
と声をかけられた。
「はい、かなり」
と答えると
「まあ、初めては誰にでもあるもんだ。俺も初めては緊張してもんだぜ」
と言いながら僕の顔をのぞき込む
「だが、いい顔をしている。きっとうまくいくさ。初心者は自分のやるべきことをやればいい」
「ありがとうございます」
そう答えると菅沼は笑顔を見せた。まるで小さい子を相手にするような笑顔だった。
「行くぞ」
荷物を入れ終わった鶴留が言うと「了解」と菅沼が短く返す。僕も続いて「了解です」と答え、外に出る。
最後に鶴留が電気を消し、鍵を閉める。ここに来ることはもう無い。もしかしたら明日の朝は塀の中かもしれない。
車の時計は十八時四十五分を指している。「今日の現場はここだ」鶴留が連れてきた場所は想像より暗く、静かだった。
「今いるのは東側で、お前の持ち場だ。あそこに茂みがあるだろ。そこに膝立ちの状態になって通行人を観察する。車はここに止めておく。俺がまず持ち場まで歩いてからインカムで連絡を入れる。そうしたら各自持ち場につけ。その後はインカムを通して連絡する」
と言って鶴留は車から出て行ってしまった。
また、菅沼と二人きりになった。菅沼は助手席に座り、僕は運転席の後ろに座っている。
すると突然菅沼がどこから取り出したか分からないナイフを取り出し、僕に向けてきた。急なことで全く動けなかった。裏切られたのか。刃先は僕の首元に触るか触らないかくらいの位置にある。
自分の死を悟った。思わず目をつぶる。死の直前には走馬灯が見えると言うが、一向にそれらしき物は見えてこない。思いのほか頭は冷静だった。
ロングが僕をさらったあの日から僕を殺すことは決まっていたのかもしれない。死んだはずの人による犯行となれば、迷宮入りは確実だ。千葉県での事件からロング死亡のニュースまで殺人事件は起こっていなかった。次に殺されるのはあの夜道での僕だったとしてもタイミング的におかしくなかったはずだ。しかし何かの手違いで僕は殺されず、生かされた。利用しようとしたがいらなくなったのだろう。今、終わりの時が来てしまった。
そろそろ僕は死んだだろうか。ゆっくりと目を開ける。目の前に広がる光景は車で、目の前には菅沼がナイフを持ったままこちらを向いている。どうしたのだろうか。あっけにとられていると目の前の菅沼が
「ほう。覚悟はできているらしい。今の今まで確認のしようが無かったからなんとも言えなかったが、見事だ。高校生の割に肝が据わっているようだ」
ナイフを手元に収めながらそう言う菅沼は怪しげな笑みを浮かべていた。どうやら僕は死んでないらしい。僕の根性を試したかっただけだったのか。
「驚かせてすまなかったな。特にこの行動に深い意味は無いんだ。これで逃げ出そうものなら殺してただろうが、お前は逃げなかった。それが知れたから良かったよ」
驚きと恐怖で動けなかった故に助けられたのか。今回で二度目の死を人生で体験した。こんな経験、一般人はしない。
そうしているうちに、耳につけていたインカムから「こちらT、持ち場に着いた。これから実行に移る。Kは東側、Sは道の中央あたりに場所をとれ。以上」
鶴留が持ち場に着いたらしい。「うまくいくことを願っている」という菅沼の一言で僕らは一斉に車を出た。
車から出て前ほど鶴留が指定した場所に向かう。その場所には腰より少し高いくらいの茂みがあり、暗いこともあって屈めば道の方から僕の姿は見えないだろう。
しかし僕の方からはうまく葉の間を掻い潜り、道がよく見える。だが、田舎道ということもあって近くに街灯がない。少しばかり見にくかったが、仕方ない。
車での出来事がどうしても頭から離れない。これからああいったことが往々と起こる世界に足を踏み入れなくてはならないのか。いや、既に片足を突っ込んでいるのだ。あれが本番だったら、あの時菅沼が躊躇せずに一思いに僕の喉を突いていたら。そう思うと怖くなった。
逆にいえばあの技術を持ってすれば殺人は容易なことなのだろう。だからこその今日の実行犯に選ばれたのだと思った。
「こちらS、持ち場に着いた。現在周りに人はいない模様」
とインカムに連絡が入った。僕も慌てるように
「こちらK、持ち場につきました」
と連絡する。
「ではこれより作戦開始。通行人を発見し次第報告、殺害に移れ」
いよいよ始まってしまった。田舎特有の何処かで鳴く虫の声でさえ、平和な心を取り戻させてはくれない。気持ちを落ち着かせようと、空を見上げると視界いっぱいに星が輝いていた。都会の日常ではなかなか見慣れないそんな風景に一瞬心を奪われたが、これから起こることを思うと優雅な気持ちにない長くは浸っていられなかった。
「西側より、男一人接近。会社員の模様。スーツ姿に右手にバッグをもっている」
鶴留からインカムで全体にそう伝えられた。
「了解」
菅沼がそう返す。まずは西から来たようだ。
数分後だった。靴のコンクリートに当たる音が忙しなく聞こえたかと思うと、静かになった。一人目が完了した。その証拠だろう。
そこから数分間、西側からしか人は来なかった。僕からしてみればありがたかった。僕の報告により人が殺されてないと考えられるだけ気持ちは軽い。
「次の人間で最後にしよう」
その鶴留の指示まで東側からは人は来なかったが、そう思ったのも束の間だった。すぐ近くに一人、更には少し離れたところにもう一人が来ているではないか。急いで報告をする。
「東側より男性一名接近。その後方、目測三十メートルにもう一人発見しました」
躊躇している暇はなかった。
「二人か。しかも微妙な距離にいるもんだな」
連絡を聞く限り、今までは一人ずつ道に入っていたから突然、しかも次で最後と決めていたので、さすがの菅沼も驚いたのだろう。
二人が微妙な距離感で来られるといくら菅沼といっても一人ではうまく対処しきれない可能性がある。一人を殺している現場を見たもう一人が逃げて通報する可能性がある。二人がまとまって来ているなら菅沼の腕でなんとかできるかもしれないが今回は二人の距離が離れている。
ふと僕の頭に一つの考えがよぎった。一人目が僕の前を通過した後に僕が二人目を足止めすればいいのだ。話でもして二人の距離を空ける。一人目の処理が終わったら通せばいい。それを報告しようとした時だった。付近の草が動く音がした。風による揺れではない。ふと地面を見渡すと、長くうねる物がいた。暗くて良くは見えなかったが、詳しく確認するまでもなかった。蛇だ。確かにここは田舎であるし、もっといえばここ一帯は草むらで、そういった動物の住処には最適だ。
蛇と分かった以上、噛まれて死ぬということがあっては困る。そいつはみるみるうちに僕の足下に近づいてくる。
とりあえずこの場を離れようと。膝立ちから中腰の状態に切り替える。なるべく早く動こうとするが、音を立ててはならない。丁寧に、丁寧にと神経を集中させる。そしてとりあえず避難が先だと思い、車の陰に移動した。
そして先ほどの二人を再び確認をする。しまった。もうすでに二人は犯行現場の道に入っていて、足止めすることは難しくなってしまった。
後ろの人に声をかけたら、この静かさだ。前にいる人も多少は気にするだろう。そうすれば菅沼の殺害もやりにくくなる。
「二人はお互いの距離を詰めながらSさんの方へ向かっています」
もう遅いかもしれないが報告をしておく。後は菅沼がうまくやってくれることを願うしかない。
「ちっ。こりゃ二人同時にやるしかねぇな。T、お前はもう東側に向かってこい。うまくできなきゃとっととずらかるぞ」
歩いてくる人がもう見えたのか、かなり小さな声だったが、その後鶴留は「了解」と返した。
とりあえず僕は車には乗らずに陰に隠れておくことにした。車に乗っていても良かったが、念には念を入れてだ。
すると突然、「うわっ!」と言う男性の声が聞こえた。静かな道での犯行で大きな音がするのは基本的に好まれない。なにかあったのだろう。
するとインカムから
「まずい、一人やり逃した! そいつは東側に向かって走ってる。K、そいつは無視して車に乗ってろ!」
明らかに菅沼は焦っていた。普段の話し口調からは想像できないような棘のある言い方だった。
それと同時に、僕のミスであると考えた。蛇がいたからとっさに逃げました。と言い訳したいところだが、その現場は誰も見ていない。僕が勝手に逃げたと判断されるのが先だろう。このまま帰れば僕の命が危ない。考えすぎかもしれないが、考えすぎないよりかはましだ。
菅沼によると一人はこちらに走ってきているらしい。走りながら通報していてもおかしくはない。その後ろでは菅沼が一心不乱に殺さんと追いかけているはずだ。
何を思ったか、僕は車の陰から出て道の真ん中に立つ。深呼吸をし、冷静になる。状況を整理するにはこれが一番だ。相手はサラリーマン。スーツ姿でジャケットを羽織っている。前のボタンは閉まっていた。リュックを背負っていて、外から見たところ中身はそこそこ重そうに見えた。足下はよく見えなかったが、おそらく革靴だろう。向こうがよっぽどの体幹を持ち合わせるスポーツ選手でも無い限りバランスを崩させる事は簡単だろう。
そして相手は僕の方に思いっきり走ってきているはずだ。僕を見つけても少しよけるだけで、スピードを緩めることはしないだろう。後ろから菅沼が追ってきているならなおさらだ。
想像通り、僕の方に向かって一直線に走ってきている。幸いなことに走りながら通報はしていないようだ。手に携帯はもっておらず、背負っておるリュックを支えるために肩の辺りでショルダーハーネスを押さえている。身なりは僕の確認したとおりだった。
だんだんと姿がはっきり見えてくると向こうが僕の存在に気づいた。
「おい、そこのあんた早く逃げろ!」
そうは言ってきたものの、僕は聞く耳を持たない。
そいつは僕の五メートルほど手前で少し進路をずらした。しかしスピードはさほど弱まっていない。都合が良かった。
すかさず進路を塞ぎ、技をかける準備をする。まずは相手との距離をつかんで、自分の上体を倒す。そしてショルダーハーネスをつかむ手をそのままつかんだ。相手の勢いがあるため持ち上げるのにそこまで力は必要では無かった。そのままへその下に右足の靴底を向けるようにして入れる。後は勢いのままに後ろに投げる。相手の勢いがあった分、かなり遠くまで飛び、空中に投げ出された男の身体は車の停まっている位置を超えた。
「いやーよくやったな! ありゃ見事だ。実践経験がないのにあれだけできれば大したもんだよ!」
帰り道での菅沼は、一仕事終えた後ということもあり、いつも通りリラックスした様子だった。
「なあ、鶴留。よくやったよな。お前もあの身のこなし見たよな! 柔術に限ってはお前より上なんじゃないのか」
菅沼は僕の犯行を自分の事のように喜んでいるようだった。
僕は走ってくるサラリーマンを綺麗に巴投げした。かなり遠くまで飛ばせたこともあり、時間の余裕が生まれた。本来ならば、動きを封じた後、菅沼が殺す算段だったのだろうが、車に乗り逃げるほうが早いと判断をし、今に至る。
「だが、あの状況で巴投げを選択するのはいい判断とはいえなかったかもな。何度も言っているようにあれは失敗リスクが大きい。あの場面なら拳銃を出して相手の動きをその場で封じてから後ろから……。いや、なんでもない」
「ほらみろお前も本当はこいつの活躍に嫉妬してんだろ。よく現場の状況を見て判断した」
鶴留から何か言いたそうな雰囲気を感じ取ったが、何も聞かないことにした。それにしても菅沼はよく褒めてくれている。ナイフを突きつけられた時と気とは別人のように思えた。
今はうまくいったと思っても、すぐに通報が入り警察が犯人逮捕に向けて動き始める。今までの犯行によりこいつらが警察に捕まっていないのが不思議に思えた。今回も逮捕が遅れることを願うしかなかった。
いつものコンビニに着く頃には時間は二十二時になろうとしていた。
「じゃあ今日はここで解散する。数日の間は召集はないかと思うが常に携帯は確認しておけ。あと、くれぐれもこれからの生活には気をつけろ。特にこの辺の警察には目をつけられていると思え。何か聞かれても余計な事言うなよ」
と、鶴留から警告を受けた。確かに今まではロングら犯罪者と関わりを持っていただけだったが、今は実行犯になっているのだ。菅沼のように殺してはいないものの、巴投げはしている。しかも練習を積んだ上で、故意的に行っているからゆえに傷害罪などの法には触れている。
「今日はよく休むといい。今後も使うと思うから技のやり方とかは忘れるなよ。あと渡した拳銃はとりあえずお前が保管しておけ。日常生活で使うことはないだろうがある程度の脅しくらいには使えるだろ。年頃の男ならモデルガンくらい持っていても不思議じゃない」
菅沼は相変わらず優しい言葉をかけてくれた。模造品とはいえ、銃を僕が管理するとなると不安だったがうまくやれるだろう。今の僕にはその自信があった。
車から荷物を持って降り、ドアを閉めると車は逃げるようにしてコンビニの敷地を出てしまった。
ふと空を見上げるが、先ほどのような星空は見えない。街灯や建物の光で星の光が遮られてしまっているのだ。もっとも、僕にはこちらの方が見慣れた景色であった。二度と星空は見たくない。そう思ったが、もう戻れないに違いない。
ここでゆっくりしてはいられない。あまり遅くに帰ると母さんや父さんに怒られてしまう。明日には学校がある。僕はまた普通の高校生に戻らなくてはならない。不自然に周りを確認して、家へ向かい歩き始めた。




