第20話 踊り、踊らせ①
「次の授業だが、君には他の2人とは違う科目を受けてもらう。」
ピコットとの契約を終えたアルデアに、ミルヴァスが言った。
(また2人って言った……。)
心の中で首をかしげる。教室にいるのはルキオラだけのはずだ。まさか本当に、あの人形のことを言っているんだろうか――。
「そこの更衣室でこれに着替えて来てくれ。」
ミルヴァスは思案に暮れるアルデアにそう言うと、キャビネットから取り出したジャージを手渡してきた。
「10分あればいいか? 」
「は、はい。行ってきます。」
数分後、ジャージに着替えたアルデアは、ミルヴァスの後ろをついて歩いていた。彼はアルデアをグラウンドへ連れ出すと「ここだ」と言って立ち止まる。
「ミルヴァス教官、何をするんですか……? 」
「お、やっと来たじゃね。待ちくたびれて死ぬかと思ったわ。」
不意に、声が聞こえた。
アルデアはミルヴァスの背後からそっと覗き込む。
顔の右側にまとめた長い金髪、黒ぶちのメガネから覗く猛禽類のように鋭い目、勝気な笑みをたたえる口元。そこにいたのは、よく言えば『強面』、悪く言えば『悪人面』という表現がぴったりの風貌をした女だ。
「アンタがアルデア? へぇ、そげん感じなんねぇ。」
その見た目に反して、甘やかでしっとりとした、美しい声。
体に沿った黒いハイネックの服を身につけたその人は、腰に手を当ててアルデアの頭のてっぺんからつま先までをじっくり観察する。
「あ、あの……教官……? 」
その様子に戸惑うアルデアにミルヴァスは無表情に告げた。
「彼女は戦闘教官のルスキニア。君たちに戦いを教える担当だ。」
「戦闘……? 」
仕立て屋の娘にとってはあまりにも耳に馴染まない言葉だ。
「何ね。あんた、まーた説明しちょらんの……。」
ルスキニアは呆れた様子で言う。美しい声と独特の訛りが妙に噛み合って、何とも言えない迫力がある。
「アンタの魔力出力があんまりデカすぎっでね、体がバテんように魔法より先に体術の訓練から始めよってことになったんよ。」
「え! そ、そうなんですか!? 」
「タハッ! びっくりして。アンタも苦労すっねぇ、担当教官がこげんポンコツ……。」
言いかけたルスキニアに向かって何かが飛んでいく。黒い石のようだ。
石が飛んで行った方向を振り返ると、ミルヴァスがルスキニアに向かって指を向けていた。
「おっと。ヤダわぁ、すーぐ実力行使に出る人は……。」
それを片手でキャッチした彼女は挑発的に笑って、ビスケットでも割るかのような軽やかさで粉砕して見せる。
(い、石を手で……!? )
「ちゃんと説明しちゃり。そのおちょぼ口は何のためについとんのよ? 」
「誰がおちょぼ口だ。」
無表情は変わらないが、ミルヴァスの声は少しだけ不機嫌そうだ。
その様子を見てニヤリと笑ったルスキニアは、アルデアに手を差し伸べてきた。
「改めて、私はルスキニア・メガリンコス。『ストレニア』っちゅうジェムの共鳴者で魔法学校の戦闘教官じゃ。よろしく。」
「アルデア・ヘロディアスです! よろしくお願いします! 」
厚みのある、しっかりした手を取る。ルスキニアは刃物のような目をふっと細めると、ぽつりと呟くように言う。
「そっかぁ、ホントなんじゃね……。」
(何の話だろう? )
その言い方が、なんだか胸に引っかかった。
「では、そういうことなので私は戻る。ルスキニア教官の言うことをよく聞くように。」
「え……行っちゃうん……ですか……? 」
2人が握手を交わすのを見届けたミルヴァスは、踵を返して魔法学校の建物へ歩いて行ってしまった。初対面の大人と取り残された緊張と心細さに、アルデアがジャージの裾を掴んだ時――
「ってことで、授業開始じゃ。」
すくめた肩がルスキニアにがっしりと掴まれ、思わず『ひぃっ』と声が漏れる。
「ちょっとヤダわぁ。そげん緊張せんでな。取って食ったりせんよ。」
彼女はアルデアをからかうように言った。
「アンタ、見た感じおしとやかお嬢って感じじゃけど、運動は得意? 」
「あんまり得意じゃないです……。」
「そか。なら、踊ってみ? 」
一瞬何を言われているのか分からなかった。運動が得意ではないと何故踊らなくてはいけないのだろうか……。
「踊るって……どうしたらいいですか? 」
「どんなんでもよか。ただ踊るだけじゃ。ほれ、やってみ。」
「え……。」
「はい! 1、2、1、2、1、2、1、2! 」
戸惑うアルデアなどお構いなしに、ルスキニアは大声で言いながら手拍子をし始める。
「はい! 体動かして! 」
踊りなんてやったことはない。体をどう動かしたらいいかも分からない。しかしルスキニアの強すぎる圧の前にやらないという選択は出来ず、アルデアは手拍子に合わせて手足をジタバタと動かしてみた。
――ものすごく、恥ずかしい。
「OK〜。ようけ分かったわ」
しばらく手拍子をしてアルデアを躍らせ続けたルスキニアは、息を切らしてしゃがみ込むアルデアに向かって言い放つ。
「アンタは踊りが下手! 」
「え……えー!? 」
静かなグラウンドに、アルデアの裏返った声が響いた。
ーーー
昼を告げる鐘が鳴る。
ジャージ姿のまま廊下を歩いていたアルデアは、ふらふらと壁にもたれ、そのままずるずると座り込んだ。
「つ……疲れた……。お腹……空いた……。」
汗で湿った髪の中から、ピコットがひょっこりと顔を出す。彼女の頬を伝う汗をひと舐めしたピコットは、驚いたように目をぱちくりさせると、また髪の中へ戻っていった。
あの後、彼女はルスキニアの前でひたすら踊らされ続けた。
「上半身をメインに動かせ」「足を上げて」などとルスキニアは細かく動きを指定してきて、その通りに体を動かしているうちに、いつの間にか授業は終わりの時間を迎えていた。
アルデアの9年という人生の中で、こんなに体を動かしたのは、多分初めてのことであった。
「お前……何してんだよ……。」
後ろから聞き覚えのある声がする。
振り向いた先に立っていたのは――明るい茶髪とアメジストの瞳。ルキオラだ。
「ルスキニア教官の授業を受けてきたんだけど、疲れちゃって……お腹空いて……。」
「だからってそんなとこで座んなよ……。」
「だって……。」
言い返す気力もない。うつむいたアルデアを見て、ルキオラはガシガシと頭をかく。
「……ったく、しょうがねえなぁ……。」
彼はアルデアの腕を自らの肩に回させるようにすると、反対側の脇を支えて彼女をゆっくりと立ち上がらせる。ふわりと、やわらかなキンモクセイのような香りがした。
「食堂着くまでだからな。着いたら後は自分で歩けよ。」
「あ……ありがとう……。」
服越しに伝わってくる体温、自分とは違うがっしりとした体つき――それに気づいたアルデアは、何とも言えない恥ずかしさを覚えて唇を噛んだ。
ーーー
「ほら、着いたぞ。後は自分でどうにかしろよ。」
食堂が近付いてくると、ルキオラは何故かキョロキョロとあたりを見回した。
そしてアルデアから体を離し、よれた制服を整えてさっさと中に行こうとする。
「え? 一緒に食べようよ。」
急に距離を取られた気がして、アルデアは思わず彼の袖をつかむ。
「ヤダよ。あんまベタベタすんな。」
ルキオラはやはりぶっきらぼうに言うと、アルデアの手を軽く振り払う。
そして、人でにぎわう注文カウンターの方に歩いて行ってしまった。
「もう、待ってよ! 」
今日は食堂がいつもよりも賑わっている。注文を終えたアルデアは、食事の乗ったトレイを持ってルキオラの前に腰掛ける。
「ベタベタすんなって言ってるだろ。」
「いいじゃん。ルキオラはいつも一人で食べてるの? 」
「別にいいだろ。」
ルキオラが不機嫌そうに頬杖をついたその時だった。
「あっれぇー? ルキオラくん、今日は1人じゃないんだぁ。」
後ろから甲高い声が聞こえた。
「最悪……。」
その声を聞いたルキオラは、眉間にしわを寄せて盛大なため息をつく。
彼の視線を追いかけて振り向いたアルデアの目に入ったのは、セミロングの金髪をお下げにした小柄な少女であった。その姿に見覚えがある気がした彼女は、ここ数日の記憶を手繰り寄せようと頭を回転させた。
「珍しいね! いつもひとりぼっちなのに! 」
オレンジがかったシトリンのような瞳の少女は、わざとらしくそう言って挑発的な笑みを浮かべる。
「関係ねえだろ……。」
よほど嫌いなのだろうか。彼女に応じるルキオラは心底嫌そうに顔をしかめた。
少女は視線をルキオラからアルデアに移し、頭のてっぺんからつま先までを品定めするように見まわした。
「あなた、この間来たルクスの新入生、だよね? 」
その視線でアルデアは思い出した。
(この子、初等部で見た子だ! )
魔法学校入学初日。ミルヴァスに案内されて初等部のフロアを歩いている時に、挨拶しようとしたアルデアを無視した子であった。
胸の奥に残っていた、あの小さな引っかかりがよみがえる。
「うん! アルデアだよ。よろし……。」
改めて挨拶しようと手を差し出しかけたとき、少女は声の端に棘を滲ませて言った。
「ってことは、やっぱワケありなの? 」
一瞬、どういう意味なのか分からなかった。固まるアルデアに少女は更に続ける。
「だって、ルクスってワケありの子が集められてるクラスなんでしょ? 」
細められた目に、片側だけ吊り上がった口元。田舎の閉じた人間関係で育ったアルデアにとって、これほど明確に悪意を向けられるのは初めてのことだった。
ワケあり――ミルヴァスも、ルキオラも、そんなことは一言も言っていなかった。どういう意味で言われているのか理解できない。何も言えないでいるアルデアなどお構いなしに少女は言葉を吐き出す。
「ワケあり同士はやっぱり気が合うんだね。」
「別にそんなんじゃねえし。」
「だって一緒にご飯食べてるじゃん。」
少女はアルデアの顔を覗き込むように視線を奪うと、笑顔を浮かべたまま問うてきた。
「アルデアちゃんって言ったよね? 何やらかしてルクスに来たの? 」
「私は……その……。」
洗礼式でのことが頭をかすめる。緑色の光、自分を飲み込もうとした黒い影、絡みつく緑色の――
「事故? 問題行動? それともぉ……。」
息が詰まった。記憶が奔流し、アルデアの額を冷や汗が伝う。胸が握りつぶされるような心持ちがして、体から温度が奪われていく。
「お前、やめろよ! 」
呼吸が早くなる。アルデアの様子を見たルキオラが焦ったように声を荒らげるのが、遠く聞こえた。
(私のせいで、喧嘩してる……。)
「あれあれ? もしかしてルキオラくん、その子のこともう好きになっちゃったとか? 可愛いもんねぇ? 」
ニヤニヤと笑いながら爪でテーブルをカツカツと鳴らす音が不快だ。
「お前……いい加減に……! 」
「何? 暴力でもする? 」
(どうしよう、止めないと……。)
心臓が早鐘を打つ。何か言わなければと口を開きかけた時、視界の端を紺色の影が横切る。
「やめなさい。」




