第19話 使い魔契約の儀①
「師長、もっと優しくやってくださいよ……。」
教室にルキオラの声が響く。
「消毒と目薬は痛い方がキくものです。我慢しなさい。」
応じるのは、アズキの声だ。ルキオラの正面に置かれた椅子に腰かけた彼女は、ピンセットで摘まみ上げた綿球をルキオラの額に無遠慮にはたき込んでいく。
「いっ……! ひっでぇ! 」
不服そうな顔のルキオラを無視したアズキは、どろりとした目つきでアルデアを見た。
「……あなたは、また『やった』わけですね……。」
「ごめんなさい! 怪我させるつもりはなかったんです……! 」
俯いたアルデアはスカートの裾をギュッと握りしめる。
「魔法を使わないようにきちんと言わなかった私が悪い。」
対するはミルヴァス。
「何でもいいですが、説明責任だけは果たしてくださいね。」
アズキが小さく切ったガーゼをルキオラの額に当てた時、扉がノックされる。
「失礼いたします。」
現れたのは、セネシアだ。思いがけない人物の登場に、アルデアの胸がどくんと脈打つ。
(偉い人だ……どうしよう、怒られる……! )
「あの……セネシア……ほ、補佐官さん……。」
「セネシアさんで結構ですよ。」
アルデアに穏やかな笑みを浮かべて見せたセネシアは、ミルヴァスの方を向き直ると凛とした調子で問う。
「それで、今度は何が? 」
「魔力暴走……とまではいきませんが、彼女が魔法を行使した結果、クラスメイトが怪我を……。」
説明しようとするミルヴァスの言葉尻を、アズキが遮る。
「本当に、困りますね。こう連日怪我人を出されては。」
アズキの言葉に、セネシアはピクリと眉を上げた。
「あら、医療部はそういう時のための部署ではなくて? 困るという意味が分かりかねますね。」
アルデアに対するのとは全く違う、棘のある声音だ。
「これは失礼。咀嚼が足りませんでしたか。共鳴者は貴重な戦力です。いざと言う時に内輪の事故で動けませんでしたなどというのは、機関の信用に関わるのではないか、と思いましてね。」
アズキはいつもと変わらない口調で言うが、その目はしっかりとセネシアを見据えている。
「それを何とかするのが、医療部の責務では? 最先端の技術を揃えておきながら、怪我人の1人でそこまで嘆かれるとは……随分繊細でいらっしゃるのですね――師長殿。」
セネシアは一歩も引かず、アズキの鋭い目線を正面から受け止めていた。
「これはこれは失礼いたしました。総帥棟にこもりきりで現場をご存知ない補佐官殿には難しいお話でしたね。」
2人の間に火花が散っているかのような緊迫した空気が、教室を支配する。
(どうしよう……私のせいで喧嘩してる……? )
アルデアの頬を冷や汗が伝ったその時だ。2人の間に体を滑り込ませたミルヴァスが口を開いた。
「生徒の前です。ご配慮願いたい。」
小さなくしゃみの音。天井にぶら下がって眠っていたコウモリが、自らのくしゃみに驚いて羽をばたつかせる。
「失礼いたしました。」
その様子に毒気を抜かれたようなセネシアは、再び穏やかな笑顔を湛えアルデアに向き合った。
「魔法を使われたとのことですが、体に障りはありませんか? 」
「は、はい。大丈夫です。」
「それは良かったです。」
「あの……私……。」
弁解しようとするアルデアを、セネシアは手で制する。
「悪気があってではないのですよね? それは、分かっていますよ。」
胸ポケットから取り出した手帳を開いた彼女は、ゆっくりと静かな調子で話を続けた。
「私はあなたを叱りに来たわけではありません。ただ、お話を聞かせていただきたいのです。昨日、あれから何があったのかを。 」
ーーー
時は、昨日へと遡る。
食堂で昼食を摂ったアルデアは、教室で予習をしてから帰るというルキオラと別れて寄宿舎へと戻った。
小さく「帰りました」と言って玄関を開けた彼女に、セダムは少し驚いたような表情を浮かべた。
『おかえり。早かったのね。』
『もう授業終わりなの? 』
「急に会議になったから、お昼食べて帰るようにって……。」
セダムは、はたと首をかしげた。
『何かあった? 』
「えっと……その……。」
どこから説明するべきか……。言葉に詰まるアルデアに、セダムは「分かった」というように頷いてみせた。
『後で聞いておく。』
『夕飯は18時だから。時間になったら降りてきてね。』
部屋に戻ったアルデアは、制服のままベッドに横たわって天井を見つめた。
不規則な楕円を描く木目を観察しながら、さっきのことを思い出す。
(私……どうなっちゃったのかな……。)
ミルヴァスに言われて、魔力管に触れた。そして「スピンドラ」の名を呼んだ。そこからの記憶がどうにも曖昧で、彼女自身、何が起きたのか把握しきれていなかった。
ただ、スピンドラを呼んだ瞬間の熱を持った高揚感だけが、余韻のように体に残っていた。
(あれが、魔法を使うってことなんだ……。)
顔の前に、魔力管に触れた左手をかざしてみた。短く整えた爪も、手のひらのしわも、何にも変わっていない。いつも通りの自分の手である。
この手がルキオラの言っていたような大爆発を引き起こしたのだと、どうしても信じられなかった。
(あの糸……何だったんだろう。)
思いをはせるのは、自らに絡みついていたあの糸だ。緑色に光る、シルクのような、なめらかな糸――。
ナイフで切られたその一房を持ち帰ろうとしたアルデアを、アズキは見逃さなかった。
「ご自分で制御しきれないものを持ち帰るつもりですか? 」
何もかもを見透かしたような、けだるげな目でそう言われた彼女は、手に持った糸束をその場に置くことしか出来なかった。
(あの糸を編んだら、どういう感じになるんだろう……。)
せめて、もう一度触れてみたい。でも、どうすれば……。
悶々と考え込んだアルデアは、顔の前にかざしたままの左手を見て、無意識に呟いていた。
「スピンドラ。」
―――
「それで、『できて』しまった、というわけですね――。」
手帳にペンを走らせていたセネシアが、アルデアに視線を向ける。
「そうなんです……。目の前に変な模様?みたいなのが浮かび上がって、そこに触ったら、糸がスルスルって……。」
アルデアの話を聞いていたミルヴァスが口を開く。
「それは魔法紋だ。共鳴者は一人一人固有の紋様を持っている。」
「魔法……紋……。」
「詳しくは授業で説明する。」
「話を聞いていると、あなたがその文様から引き出したのは、糸だったのですよね? 」
セネシアが床に転がっていた緑色の縄を持ち上げる。
「それがどうしてこのようなことに? 」
「太い方がルキオラがびっくりするかと思って……。」
額にガーゼを張り付けたルキオラが何か言いたげに口を動かしたが、ミルヴァスが無言で制する。
「紋様? から糸を引っ張り出していくうちに、太さにムラがあるなって気付いたんです。それで、太い時と細い時じゃ何が違うんだろうと思って色々試しました。」
アルデアはそれまでの緊張感を忘れ、意気揚々と喋りだす。
「そしたら、分かったんです。糸を引くスピードが速いと細くなって、ゆっくりだと太くなるって。だから、家から持ってきてもらった糸車で紡いでみることにしたんです。」
「ちょっと待ってください。」
アズキが手を上げる。
「糸を引き出すスピードによって太さが変わることに気付いたのですね? 」
「はい、そうです。」
「それがどうして糸車で紡ぐことにつながるのですか? 」
「糸車なら同じ速さで糸を引き出すことが出来るから、太さが均等になるかなって……。」
アルデアの言葉を聞いたアズキは、困ったような表情でセネシアを見た後、ぽつりと呟いた。
「糸の品質管理をした……ということですか? 」
「はい! 糸の太さは均等にっておばあちゃんにいつも言われてたので。」
アルデアはタルシアから糸玉を取り出して見せた。小さな両手からはみ出すほどの大きな糸玉は、やはりほんのりと緑色の光を放っている。
「これ。紡いだ糸を糸玉にまとめてみたんですけど、結構うまくいったと思います。10玉もできたんですよ! 」
彼女の自信ありげな表情とは裏腹に、大人たちはただぽかんとその糸玉を見つめていた。




