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リラ・ヴェルノアの選択  作者: 夜の現在地
名を失った均衡世界
55/60

白の影、午後の光

時間は動き続けています。


静かな午後も、戦火の午後も。同じ時間です。

 兵たちの動きが鈍い。


 ……当然か。


 昨夜、門の灯りが消えることは無かった。

 兵たちは休む暇もなく人を通し続けていたのだ。


 予想よりかなり早く進んで、良かったけど。

 

 おかげでまともな睡眠は取れなかった。


 みんな、目の下にくまを作っていた。

 私もきっと……同じ顔をしている。

 

 門前まで来るのに、丸一日はかかったと思う。


 相当な人数がいたはず。

 恐らく、数万に届くほどに。


 前に来た時も思っていたけど、ヴァルデンの兵士は優秀ね。

 理衡教(りこうきょう)本部のあるこの街の兵士は、なおさら。


 でも、人間である限り疲労は隠せない。

 

 正面に、四人の疲れた顔をした兵たちが見えた。


 ……ずっと、観察してた。睡眠を捨てて。


 兵の交代の周期、

 列から視線が()れる数秒間。


 ──ここ。


 人波の外側へ抜け、門脇の石壁へとピタリと張り付いた。


 ざらついた感触が指先に伝わってくる。


 大丈夫、気付かれてない。


 後ろを振り向いて、石壁の上を見上げる。

 思った通りそこまで高く無い。侵入者避けの柵も、ついていない。


 兵士が優秀だからこそ、か。

 侵入者なんて想定していない。


 それってすごく──ヴァルデンらしい。


 頭を切り替える為に、息を軽く吸って壁に向き合う。


 少しだけ後ろに引いた右足。

 そこに力を込めると同時に右手を伸ばして、体を一気に引き上げた。


 あっさりと上まで登ってから、ふと後ろを見ると。


 縮んだはずの列が、また遠くまで伸びているのが見えた。


 私たちは最後尾にいたはずなのに。

 知らない顔が増えている。


 ……終わらないんだ。


 人は、まだ流れてきている。


 (なか)ば無意識に、ため息が出てしまった。


 集中しよう。

 下に降りるための経路を探さないと。


 丁度、下に荷車があった。


 音を立てないように。


 そこへ(あざ)やかに着地、したつもりだった。


 荷車がギシリと音をたてた。


 ──そんなに重かった?私。

 むしろ少し痩せたくらいなのに……。

 

 思わず息を呑む。

 首をギィ…と回し周囲を確認した。動きは無い。


 ……大丈夫、行こう。


 地面へと静かに降り立つ。


 たった一枚の壁を越えただけなのに。 

 

 列の喧騒(けんそう)が、遠く感じる。

 尖塔(せんとう)は、まだ少し遠くに見えていた。


 *


 ……石畳の上を歩く音だけが通りに響いてるみたい。


 以前のヴァルデンとは、どこか少し違っていた。


 ヴァルデンは合理で動いている連合国家だ。

 感情で動くものはいない。それでも、街の人々には活気があった。


 今は違う。


 道ゆく人々は挨拶をしない。無駄な会話もない。

 みんな、大切な何かを失ったような顔をして足早に通り過ぎていく。


 誰とも目が合わない。それは好都合だけど、どこか寂しい気もした。


 もう一つ、変わったところがある。


 至る所に配置されている、兵士たち。

 揃って目の下に濃い影を作り、疲れた顔をしていた。


 私はその中を、(うつむ)いたまま歩き続けた。

 特徴的な白い髪は、フードの中にしまっている。


 白に近い髪の色は珍しい。

 今、目を引くのは避けたい。


 呼吸を浅くして。

 歩幅を周囲と揃えるように。


 少し歩いてから。


 尖塔が近づいていることを確認するために、顔を上げた。

 フードの端を右手で(つま)んで、隙間から覗き込むように。


 ……まずい。


 少し先に立っていた兵士と、思い切り目が合った。

 

「おい」


 やっぱり、声かけるよね。

 自分でも分かる。今の私、怪しい。


「そこのお前、身分は?」


 少しだけ顔を上げると、若い兵がこちらを見ていた。


「……ヴァルデンの者ではないな?

 フードを取って顔を見せろ」


 沈黙。


 私の頭は、既に別の計算を始めていた。


 左の路地まで8歩。

 右は恐らく袋小路で、使えない。

 こっちに気付いてる兵は二人。


 疲れているし、重装だ。追走は長くない。

 逃げられる。


「おい、聞いているのか」


 もう一度、声が飛んだ。


 答えない。代わりに、息を大きく吸った。


 次の瞬間、兵の視線が書類の束へ落ちるのが見えた。


 その一瞬を捉える。


 身体が動いた。


 石畳を蹴り、路地へ滑り込む。


「あ……おい!!待て!」


 怒号が背後で響く。


 勢いをつけ過ぎて、壁に両手をつく。

 手を踏ん張るようにして、曲がる。

 

 兵士たちの足音が遠ざかる。

 ひたすらに走った。


 ──ヴェルナの元へ。


 やがて呼吸が荒くなり、壁に背を預ける。


「……はぁ……」


 ここが、尖塔の下。


 正面は、多分無理。

 身分を明かさないといけないし、警備も頑丈(がんじょう)だ。


 視線を上げる。

 理衡教本部のごつごつした壁をじっと見つめたまま考える。


 この時間帯。


 ヴェルナは、東向きの執務室にいるはず。


 以前、共に行動したときの記憶が(よみがえ)る。

 彼女は、午後の光を好んだ。

 窓は高く、外からは死角が多い。


 色んな角度から壁を観察する。


 ……いける。登れる、きっと。


 視線の先で。


 窓が、わずかに開いていた。


 やっぱり。あそこにヴェルナはいる。

 幸い死角になっているし、ぐずぐずしなければ見つからずに登れるかもしれない。


 ──やってみたかったのよね。王女を奪い去る王子みたいじゃない?


 よし。行こう。


 次の瞬間、現実が指に食い込んだ。


 石のざらつきを感じる。

 体重をかけると、想像していたより痛い。


 足場を探す。


 足を固定して、身体を引き上げる。


 もっと軽々と登れる予定だった。


 だが、すぐに腕が悲鳴を上げる。

 爪も痛い。


「……っ」


 歯を食いしばる。


 まだ明るい。

 誰かに見つかったら終わりだ。


 もう一度やり直す体力は、残っていない。


 一段。

 また一段。


 腕が震える。

 下は見ない。見たら、動けなくなるから。


 窓枠まで……あと少し。


 指先が届いた。


 コン、と小さく叩く。


 返事はない。


 もう一度、コンコン、とさっきより大きく叩いた。


 仕方ない、入ろう。

 ……もう限界。


 窓枠に腕をかけ、身体を引き上げようとする。


 だが、力が入らない。

 腕が震えてる。握力もほとんど残っていない。


 まずい。


 その瞬間、上から手が伸びた。

 強く、腕を掴まれる。


 見上げる。


「──(ひど)い顔ね、リラ」


 息を乱したまま、かすれた声で返す。


「……そっちこそ」


 ヴェルナはわずかに口角を上げ、一気に引き上げてくれる。


 室内に転がり込んだ。

 しばらく床に突っ伏したい気分だったけど、ギリギリで思いとどまった。


 手で示された椅子に腰掛ける。

 横目で見た机の上には書類が山積みになっていた。


 ヴェルナは何も言わず、棚から茶器を取り出した。


「……お茶、飲む?」


 控えめな声。

 ヴェルナは少しだけ目を細めている。


「冷めているけれど」


「……ありがとう。いただくわ」


 湯気の消えた茶が目の前で注がれる。


 手が、まだ少し震えていた。

 落とさないように、両手で器を包む。


 一口。


 息を整える。


 少しの静寂。正面に座るヴェルナと、目が合った。


「……状況は?」


 *


 ヴェルナは少しリラの顔を眺めてから、

 机上の書類を一つ引き寄せた。


「戦線は、薄明花(はくめいか)の丘を中心に展開しているわ」


 地図を広げる。


 赤と青の印が、丘を囲むように描かれていた。


 リラは身を乗り出すようにして地図を眺める。


「同盟軍はおよそ六万。

 半円を描くように包囲していたが、一度前線を下げて厚みを持たせた」


 リラが眉間(みけん)にしわを作る。


「なぜ?敵の兵力とはかなりの差があったのよね。

 それほどまでにマグナレオールは強かったの?」


「黒の魔法。報告書には、そうあった」


 リラの指先が、器を持つ力をわずかに強めた。


「黒の魔法……?そんなの、聞いたこともない」


(よろい)を貫通。直撃すれば即死。射程は頂上から前線全域」


 二人は一瞬、沈黙する。


「……それ、おかしいよ。現代魔法の範疇(はんちゅう)を超えているわ」


「空気と(ちり)を利用している可能性が高い。こちらはそう(にら)んでいる」


 リラはゆっくりと頷く。


「無からは生まれない……なら、環境依存の範囲で可能かも。

 マグナレオールは隠していたってことかな」


「恐らく」


 ヴェルナは続ける。


「奴らが丘に留まり続けているのは、そのためだ。動けば弱まる」


 リラの視線が鋭くなる。


「……敵は崩せない。

 だから、増援を?」


「違う。戦場は(すで)に動いた」


 短い答え。


「東西に別部隊を回して、前線を(くだ)すと。

 続く国境での決戦に向けて、ヴァルデンからの新規部隊派遣を要求してきた」


「およそ三万が、先日出発している」


「三万……」


「マグナレオールは、推定一万を前線に投入してきたらしい。人口約四百三十万の国家だ。まだ余力はある」


 開いた窓から入った風が、静かに(ほほ)を撫でる。


「この挟撃(きょうげき)が成功すれば、前線は崩壊する」


「でも、被害は」


「既に甚大(じんだい)よ」


 すぐに答えが返る。


「六万の同盟軍のうち、既に死傷は一万を超えている。医療も補給も緊迫(きんぱく)している」


 リラは目を伏せた。


「……決め切るつもりね」


「ラセルトはそういう男よ」


 そこで、リラが顔を上げる。


「ラセルト?ラセルト・バルドレイン?」


「そう。あの人が同盟軍の総司令官として動いている」


 少し間が開いた。

 互いの目線が交わり、すぐに()らす。


「そっか……なら、安心だね……」


 ヴェルナは、リラを見つめる。


「リラ。あの人が指揮を取っている。

 ……それがどういう意味か分かる?」


 リラが、顔を上げた。


「あの人は、私を──ヴァルデンを救ってくれた」


「今回も、きっと」


 その声は、ほんのわずかに(かす)れていた。


「……うん、信じてるよ、大丈夫」


 そう発した声が、少しだけ落ちる。


「ただ……ラセルト様まで失ってしまったら……」


「リラ」


 ヴェルナは息を吸った。


「戦争は、あらゆる可能性を(はら)んでいる。

 だから……覚悟は、しておきなさい」


「……うん」


 その声は、ひどく小さかった。

 リラは赤らんだ自分の指を(さす)った。


「ところで。

 今後……あなたはどう動く?」


「うん……難民の受け入れをしている街があるでしょ。

 そこに滞在しようと思う。先のことはわからないけど……」


 リラは器の中に残る液体を見つめる。

 不安げな表情をした自分と、目が合った。


「守らなきゃいけない人たちがいるの。みんなを、放って置けない」


 少しの間の後、ヴェルナの目が細められる。


「そう。今は、それでも良い」


「だけど、リラ。あなたは──きたるべき時に動けるようにしておきなさい」


 リラは息を軽く吐いた。


「……きたるべき時?」


「戦争を、終わらせる時よ」


 ヴェルナはまっすぐにリラを見据えた。

 逃げるように視線を落とそうとして、できなかった。


「戦争を終わらせるのに、私の力なんて……」


「必要よ」


 リラの喉が大きく鳴った。


「あなたの選択の先に、未来があるの」


「──それ、前に言われた」


「そうでしょうね」


 一瞬、沈黙が降りた。


「あなたが動いた場所は、何かが変わる」


「それが必ずしも良い方向とは限らないけれど」


「……うん」


 ヴェルナは視線を逸らさない。


「だからこそよ」


 その言葉のあと、二人はしばらく何も言わなかった。


 やがて、途切れ途切れに近況を()わす。

 難民の流入、物資の不足、理衡教内部の動き。


 窓の外では、午後の光がゆっくりと傾いていく。

 影が机の上を滑り、書類を(おお)った。


 時間は、止まることを知らない。


 器の底が乾いたころ、リラは静かに立ち上がった。


「そろそろ、行かないと」


 ヴェルナは(うなず)くだけだった。


 窓辺に歩み寄り、外を確かめる。

 下に人気(ひとけ)はない。


 リラが窓枠に手をかけた、そのとき。


「リラ」


 背中越しに、声が落ちた。


「あなたのことを思って言ったつもりだったけど……」


 わずかな間。


「私にも、覚悟なんてまだできていないのかもしれない」


 リラは振り返った。


 ヴェルナは、俯いている。

 その肩がほんの少しだけ震えていた。


 一瞬、迷う。


 だが次の瞬間、リラは窓辺から戻り、ヴェルナに歩み寄った。


 そして、そのまま強く抱きしめる。


「ヴェルナ……大丈夫よ」


 胸にヴェルナの頭を押しつけるようにして。


「きっと、大丈夫だから」


 しばらくして、腕の中で小さな声が返る。


「……ありがとう」


 抱擁(ほうよう)は短かかった。


 離れたあと、ヴェルナはいつもの顔に戻っていた。


 リラは再度、窓の前に立って外を見下ろす。


「多くは出せないけれど、報告は送るわ」


 一拍。


「後は……リラ。あなたの判断に任せる」


 リラは静かに頷いた。

 その目に、迷いはなかった。


 窓枠に足をかける。


 外気がそっとリラの頬を撫でた。

 ヴァルデンの夕日は、変わらず美しい。


 ふと、振り返る。


「ロープとか、ある?」


 ヴェルナはかすかに口角を上げた。


「祈ることならできるわ」


 リラは小さく笑った。


「それで十分」


 そして、身を(ひるがえ)した。


 白い影が、午後の光の中へと消えていった。

リラの指の赤みは、数日間消えませんでした。

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