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リラ・ヴェルノアの選択  作者: 夜の現在地
名を失った均衡世界
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残された選択肢

 黒の光は、猛威(もうい)を振るい続けていた。


 丘を中心に再編された前線は、わずかに内側へと丸みを帯びている。

 半円は崩れ、隊列は厚みを増した(いびつ)な四角形のような形へと変容していた。


 後方には、包帯の山。

 血に濡れた布が高く乱雑(らんざつ)に積まれている。


 前線は、かろうじて(たも)たれていた。

 圧もまた、維持されている。


 ラセルトは地図の前に立っていた。


 兵は交代制を取り、前列と後列を適度に変更しつつ戦っていた。

 だがラセルトという存在だけは、換えが効かない。


 その顔には疲労の色が濃く浮かび上がっていた。


 副官が駆け込んでくる。


「総司令、報告を致します。重症者およそ四千。

 死者は現在確認できているだけで一万を超えています」


 副官から、後ろを向くラセルトの顔は確認できない。

 続けるべきか、躊躇(ちゅうちょ)する。


 だが彼の指示なくして、戦況は動かない。


「……動ける兵は約四万。

 補給・医療を除けば、即応はさらに減ります」


 後ろ姿のまま、ラセルトが口を開く。


「今の最大戦力で敵を叩く場合。

 ──動ける兵の、数は」


「約……二万です。

 ですが、総司令……」


 副官が続ける前にラセルトが振り向き、続く言葉を(さえぎ)った。


「分かっている。……忘れてくれ」


 マグナレオール側も甚大(じんだい)な被害を受けている。

 半分は既に、落ちた。


 だが残るたった五千の兵が、崩せない。

 人員が補充される様子も無い。あちらも限界が近いはずだった。


 それでも黒の魔法を前に、同盟軍ばかりが死を積み上げていく。


 それが同盟軍の兵たちに、更なる恐怖感を与えていた。


「前線は持つか」


「……現状維持ならば、可能です」


 現状維持。

 このままでは、勝てない。


 丘の上の敵は動かない。


 削られ続けている。


 同盟軍は消耗戦に持ち込む腹づもりだった。

 人員に余裕の無いマグナレオール側が崩れるその瞬間を待ち続けた。


 黒の魔法が、その前提を崩していく。


 ──もう、限界が近い。


 ラセルトは地図に指を置いた。


 東、西と交互に指す。


 そして、丘の側面。


(はさ)むぞ」


 副官が顔を上げた。


「正面は圧を維持。

 五千を東へ。五千を西へ回す」


「一万を抜きますか」


「抜く」


 迷いはない。


「この丘を動かす。これ以上は、耐えられん者も出てくる」


「……ここで決め切る。部隊長を呼んでくれ」


 副官は一瞬だけ息を呑んだ。

 だがすぐに(うなず)く。


「……承知しました」


 *


 部隊長たちの(よろい)がぶつかり合い、音を立てる。

 狭い指揮所は、鎧と屈強な男たちの息遣いで埋め尽くされていた。


「東西に五千ずつ。

 軽装で出ろ、機動を優先。

 黒の魔法の射線を()って突撃する」


迂回(うかい)距離はどのように?」


「地形を利用する。ここだ、この道を使え。

 二日以内に側面へ回ってくれ」


 副官が続ける。


「補給、治療部隊も前線近くに待機させ、敵に(さと)らせないようにします。

 継続して、敵の前線への圧を落としません」


 部隊長の一人が問う。


「合図は」


「二日後、夜明けと共に出る。それ以上の合図は無い」


「……頼んだぞ」


 部隊長たちは何も言わない。

 ただ、(こぶし)を胸に当てただけだった。


 しばらくして鎧の音は遠ざかり、戦場の音だけが響く。


 残されたラセルトは、揺れる(あかり)を眺めた。


 投石器の音が鳴る。

 黒の光が、断続的に丘を裂く。


 ラセルトは机の前に腰を下ろした。


 静かに手袋を外す。


 副官が怪訝(けげん)そうな顔を向けた。


「総司令……?」


「筆を」


 短い言葉。


 すぐに羊皮紙と筆が差し出される。

 インク(つぼ)の蓋が開く。


 ラセルトは目を閉じた。


 戦場の地図ではなく、遠い記憶を思い出すように。


 燃える都市。

 崩れ落ちる旗。

 剣を振るう一人の男。


 そして──終戦。


 ラセルトは筆を走らせた。



 薄明花(はくめいか)の丘にて、敵前線を崩す。

 国境にて決する覚悟。

 お前の刃が必要だ。


 ラセルト・バルドレイン



 無駄も、敬語もない。

 

 副官が息を呑む。


「……あの方にですか」


 ラセルトは紙を折る。


「ヴァルデンは、戦争を知っている」


 一拍。


「終わらせ方もな」


 封蝋(ふうろう)を押す。

 双環(そうかん)の紋章が刻まれる。

 

 外では、黒の光がまた落ちた。


「ヴァルデン出身の伝令を五名、選抜してくれ」


 副官が頷く。


「西へ」


「援軍を?

 かなりの日数がかかると……到底、間に合いません」


「最終局面を見据(みす)えての応援要請だ」


 副官の表情が変わる。


 ラセルトは丘を見たまま答える。


「我らはこの前線を(くだ)し、国境へと進軍する」


 前線を崩さなければ国境には届かない。

 残された選択肢は、多くない。


 やがて伝令五名が整列した。


 鎧は軽い。

 馬も選び抜かれている。


「ヴァルデンへ伝えろ。

 前線は崩す。

 その後、国境へ進軍する」


 一人が問う。


「到達できぬ可能性も」


「誰か一人でいい」


 沈黙。


辿(たど)り着け」


 伝令五名の表情が変わる。


 五名が同時に、(きびす)を返す。

 砂煙の中へ消えていった。


 ラセルトはまた、丘を見上げる。


「……動くぞ」


 戦場は、静かに変わり始めていた。


 *


 前線を後にして、三日が経っていた。


 森の縁で、二騎が手綱(たづな)を引いて駆けて行く。


「……あの森だ」


 短い頷き。


「死ぬなよ」


「ああ。ヴァルデンで会おう」


 言葉は少ない。


 二騎は別れ、速度を上げて森へ突入した。


 舗装された街道は使えない。

 敵がどこに潜んでいるか分からない。


 枝が(ほほ)を裂き、鎧を打つ。


 更に速度を上げるために、馬の横腹を蹴った。


 腕には、書簡(しょかん)が固く括られている。


 落とすわけにはいかなかった。


 届ける。それだけを胸に抱いて森を裂くように進んでいく。


 自分が立てる音だけが周辺に響く。

 (ひたい)に嫌な汗が流れた。


 その時。


 風上で火が上がった。


 遅れて、叫び声。

 馬の(いなな)き。


 音はすぐに途切れて、また静寂が戻る。


 片方の伝令は振り返らない。


 腰の剣に手をやり、強く握りしめる。


 息を潜めた気配が、いくつもある。


 だが、こちらに追撃はない。

 火はすぐに消えたようだった。


 伝令は、木々の隙間へと消えていく。


 森は、何事もなかったように沈黙した。


 *


 少し離れた場所。


 息を殺した気配が、数十名。


「あの馬……ノクスヴァイの国章を付けてた?」


「鎧はヴァルデンの物でした」


 レオニスが静かに答える。


「速度が異常でした。訓練されています」


 リラは少しだけ目を丸くした。


「レオニス。あなた……本当に目が良いのね」


 ヴィーラが少しだけ焦った声を出した。


「リラ、後方で戦闘音もしました。

 ここは危険です。すぐに私たちも移動しましょう」


 リラは、遠くを見つめた。


「……状況は、どうなってるの」


 誰に向けたわけでもない。


 だが確信はあった。


 戦場が、次の段階へ進んだ。


「どうする、シグ?」


 シグは短く答える。


「西へ移動を続ける。ここに留まる理由はない」


「了解。ヴィーラ、レオニス。後方をお願い」


「任せて」


 足音を最小限にして。


 70名は移動を再開した。


 訓練された集団ではない。

 どうしても、音が生まれる。


 レオニスたち護衛は、いつ敵の攻撃を受けるか気が気でなかった。


「リラ。どうかしたか?」


「うん……」


 リラは歩みを緩めず、曖昧(あいまい)に答えた。


「シグ。少しルートを変更しても良い?

 ……理衡教(りこうきょう)本部のある街へ行きたいの」


 シグは眉間(みけん)(しわ)を寄せて、思案(しあん)しているようだった。


「ルート変更には危険が(ともな)う。それでもか?」


 リラは答えない。

 代わりに、シグの目をまっすぐに見つめた。


「分かった。ヴィーラたちにも伝えてくるよ」


 シグが足早に後方へと下がっていった。

 静かに、全員に指示が回る。


 列は向きを変えて、森の奥へと進路を取った。


 木々の密度が、次第に薄くなる。

 やがて視界が開けた。


 高台の上。もう日が昇っていて、空は明るい。


 眼下(がんか)に、巨大な街が広がっていた。

 白い外壁。真っ直ぐに伸びる通り。

 理衡教の尖塔(せんとう)が、空へと突き刺さっている。


 肺に入る空気が、森とは違う。

 乾いている。


 ──懐かしい。


 そこまで遠い過去ではないはずなのに。

 もう、手の届かない時間のように思えた。


「……あれが、理衡教本部のある街よ」


 リラが小さく呟く。


「なんて大きな街……」


 ヴィーラが息を呑む。


 だが、街そのものよりも目を引くものがあった。


 門前から外へと延びる、人の列。

 幾重(いくえ)にも折れ曲がり、道を埋め尽くし、さらにその先まで続いている。


「何、あの数……?」


 レオニスが目を細めた。


「服装、荷物の量、年齢層……恐らく難民でしょう。

 難民申請をかけて、保護を受ける列かと」


 列の中には、明らかに異なる文化(けん)の者たちが混じり合っていた。


 戦争は、もう一点の戦場ではない。


 広がっている。


 リラは静かに観察を終えた。


「……あの列に(まぎ)れましょう」


 シグが頷く。


「正規ルートは使えない。列に混ざれば、全員通過できる可能性が高い。

 70名で固まれば、個人にまで詮索(せんさく)(およ)ばないだろう」


「時間はかかりますが、安全性は高いですね」


 ヴィーラも同意する。


「では、下りましょう。音を立てないように」


 高台を下り、列の最後尾へと向かった。


 近づくにつれ、ざわめきが濃くなる。


 兵たちが門前で列の整理をしている。

 顔には疲労の色が浮かび、声も枯れている。


「押すな!順番だ!」


「次!一人ずつ通れ!」


 列は少しずつ進んでいく。


 リラは周囲を見渡した。


 ノクスヴァイから来た者。

 南方の村から逃げてきた者。

 商人らしき者。


 みんな、同じ目をしている。


 “逃げ延びたい”という目。


 やがて、門が見える距離まで近づいたとき、リラは小さく息を吸った。


「……シグ」


「どうした」


「少し、単独で動きたい。

 シグたちはこのまま難民申請をして、先に進んで欲しい」


 四人は自然と顔を寄せる。


「リラ、本当に一人で行くのですか?

 何をしに?……危険すぎると思います」


「理衡教の、ヴェルナ・アリキュールに会ってくる」


 ヴィーラは何か言いかけて、飲み込む。

 シグとレオニスは、ただ黙っていた。


「……無理はしないで」


「うん。約束する」


 ヴィーラの目が、不安そうにリラを見つめた。


 不意に、シグがリラの肩を引いた。


 強く抱き寄せる。


 驚く間もなく、リラの顔はシグの胸に埋まった。


「気を付けて」


 短い声。


 リラは一瞬だけ目を閉じる。


「……シグもね。みんなのことをお願い」


 シグは何も言わない。


 ただ、彼女の頭を優しく撫でた。


 リラはそっと離れる。


「みんな、後で会いましょう」


 軽い口調でそう言って、列の隙間へと身体を滑り込ませた。


 すぐにリラの姿は見えなくなった。


 ふと、足元から声がした。

 

「リラお姉ちゃん、どこ行っちゃったの?」


 子供が、シグの右手を掴んでいた。


 一瞬だけ目を伏せ、しゃがみ込む。


「……すぐに戻るよ」


 それだけ言って、子供の頭を撫でた。

次回。理衡教本部。


──正面突破は、諦めました。

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