第7話 魔王城にて
「よく来たな勇者。これは吾輩からの挨拶だ。とくと味わうが良い」
魔王ゴヴァは邪悪な笑みを勇者でるレザに向ける。そしてさらに魔力の放出を始めた。
ゴヴァの攻撃を受け続けているレザは体中に走る苦痛に歯を食いしばり、今は痛みを堪えることしかできない。何とか立ち上がろうと四肢に力を入れるものの、しかし地面に膝をついたままで立ち上がることなど不可。
レザにとってこのような感覚は転生してから、いや前世も含めてまさに生まれて初めての感覚だった。
それでもようやく魔王による攻撃に体が慣れてきた頃、彼は息も絶え絶えにこう呟く。
「若い頃に色々とミスをしてしまった結果、吐くほど怒ってきたお客様からもこのような攻撃をされませんでしたね・・・」
これは当たり前のことである。
しかしそんな状態の勇者だったが、油断したのか一瞬隙を見せた魔王の目をかいくぐって体勢を整えることができた。
そして同時に部屋の内部をぐるりと見渡すと、ある物が彼の視界に入る。
「絵・・・?」
それは金色の立派な額縁に入れられた、大きな絵画。描かれていているのは美しい女性だ。
「魔王様、あれは何ですか?ええ。あの大きな絵画です。あの女性はご家族の方ですか?」
場違いとも言えるようなレザの問いかけに対し、魔王ゴヴァはなおも魔力による攻撃を続けながら淡々とした口調で答える。
「あれは吾輩の妻だ」
「そうですか!とても美人な奥様ですね」
ゴヴァの返答を聞いたレザは、その強力な魔力攻撃を体全体で受け続けている人物とは思えないほど満面の笑みで答えた。
彼はこういうことにとても敏感だったのだ。
経験上、いくら大事な商談もいきなり本題から入ると相手は身構えてしまう。
例えば「マイホームが買いたい」と来店した顧客とひざを突き合わせて話すとしても、よーいドンで資金の話をするだなんてもってのほかだ。まずは相手との心理的距離を近づけるためのアクションを取らなければならない。軽い話から始めることが定石だ。
こういう考えもあってかこの勇者は魔王城への旅の道中にて、もらった書物を読み込み、そこからくみ取れる限りの魔王情報については全て頭に叩き込んでいた。しかしいざこういう時となるとアドリブが肝心。
実際の商談でも、山ほど事前に用意したことよりも、その時に気づいた話題で話した方が盛り上がって場が温まることはザラ。
そして勇者はそのような準備と柔軟性が対魔王においても重要だと思っており、このタイミングで実践に移した。
今、魔王と距離を詰めるために使える話題は、絵画に描かれている女性についてだ。
「もう結婚して長いのですか?」
「・・・そうだな。150年は経つ」
「それは羨ましい。私の方はまだ独身ですから・・・」
まだこの世界では18歳でもあるにもかかわらず、思わずレザはこう口にしてしまう。前世の頃でも勇者レザは独身だった。
過酷な労働環境下で働く不動産会社の営業マンだった前世のレザー前世の名は真留村富士夫ーには、もちろん異性とデートなどをするという暇はない。
と言っても女性と2人で出かける経験が無かったという訳ではなく、まだ20代の頃は積極的に出会いを求めることもあった。
不動産業という職業柄、土曜や日曜、祝日も会社は開いていることがほとんど。それでも富士夫は何とか日程を調整し、一般の多くの会社が休みである日に有休を取得して女性と出かけることはあったのだが。
しかしそうして辿り着いたデートの最中でも鳴り響くのが彼の社用携帯。
「今度の契約に必要な書類をもう一度教えてください」だとか。
「先日仲介したお客様から会社に連絡が来ているから今から休日出勤お願いします」だとか。
「何かよく分からないけど社長が呼んでいるので今すぐ会社に来てください」だとか。
真面目な彼は本当に緊急の連絡が来た時のためにと社用携帯の電源を切ることができず、電話やメッセージが来るたびにそれの対応をしていた。
しかしそんなことを繰り返していれば、当然のようにデート相手の機嫌は損なわれる。
学生時代からモテなかった彼は社会人になり、一念発起して努力したことがあるにもかかわらず、このようにわずかに存在していた他者との交際のチャンスをことごとく潰していった。その結果として、40手前まで結婚どころか恋人もできないという悲しき現代日本サラリーマンになってしまったのである。
こういうこともあってか、レザは絵画として描かれているような美しい女性と結婚できた魔王ゴヴァのことを本当に羨ましがっていた。
ちなみに転生後、レザはそれなりに異性からアプローチを受けていたのであるが、どう対応していいのか分からずここでも幾度もチャンスを逃したことは余談として記しておく。
悲しき中年童貞の性なのである。
そして勇者レザの「それは羨ましい。私の方はまだ独身ですから・・・」という本心から来る言葉を聞いた魔王は、ここで自らが放ち続けてきた魔力の嵐を止めた。
ゴヴァは勝利を確信したというわけではない。
レザに見せたその表情は暗く、恐らく高級な大理石のようなもので作られたであろう床の方に視線を落としている。
「・・・ただ。今はこの城の中に妻はいない」
「そうですか。ご旅行にでも行かれたのですか?」
すると魔王はその玉座から腰を上げると、ゆっくりとした足取りで勇者の下へと歩みを進める。
これまでに感じたことのないオーラ。思わず身構えるレザだが、しかし彼の目の前で立ち止まったゴヴァはその冷酷な瞳に大粒の涙を溜め、震える声でこう言い放った。
「おい勇者。・・・吾輩、妻に愛想をつかされて出て行かれてしまったんだ。ちょっと相談に乗ってくれるか?」
人間達の恐怖の対象。魔族軍のトップ。レザを転生させた女神も「人間と魔族との醜い争いはその魔王が引き起こしている」と言及したほどの存在。
しかしそんな魔王・ゴヴァは、実はメンタルが弱い男だった。