第8話 魔王・ゴヴァ
魔王・ゴヴァも転生した男だった。前世の名前は火土山北彦という。
彼は生前、大学を中退して引きこもりになっていた。中学高校と壮絶ないじめを受けていた彼は、スポーツ万能で周囲の人気者でもあった弟と比べられてばかりで親からも見捨てられているという環境で育ったのだ。
その生活は壮絶。仮に家を飛び出して警察に逃げ込めば保護してもらえていただろうと思えるほど。両親から出血を伴う暴力を振るわれるということなど日常茶飯事だった。
おまけに通学していた小学校から高校に至るまで、ずっと酷いイジメを受けていた。だが周りの大人達は見て見ぬふりをして、まったく助けてくれないという悲惨な状況。
それでも北彦は「この環境を変えるには自分が努力するしかない」と懸命に勉学に励んだ。
こうして苦労に苦労を重ねて優秀な大学へと進学でき、地獄のような実家から出ることもできたのだが……。しかしようやく辿り着いたキャンパスライフというものにはまったく馴染めなかった。
じきに一人暮らしをしている古いアパートからほとんど出なくなった北彦。だがある日、食料品を買おうと珍しく外出した時に命を落としまったのだ。
その原因は道路に飛び出した犬を庇って轢かれてしまったこと。
飼い主の手から離れ、道路に飛び出した子犬。その様子を見た北彦は何かを考えることなどなくすぐに飛び出して犬のことを庇った。
車と接触した直後、彼の体中には言い表せないほどの痛みが走り、味わったことのない血の流れを感じた。さらに段々と肉体の体温が下がっていく中でありながら、生まれて初めて「何かに役立てた」と感じた火土山北彦は息を引き取った。
最期には犬の飼い主が放つ感謝と懺悔の感情が入り混じる大声が耳に届いたが、死ぬことを覚悟した北彦はその言葉の全ては理解できなかった。
そして死後、静かな世界を彷徨っていた彼の魂だが……。
「よくぞこの世に生を受けた。貴様は次代の魔王となる男だ」
気づけば何故だか先代魔王の息子・ゴヴァへと転生。北彦は魔族軍トップの正式な後継者という、前世とはあまりにも正反対な生涯を歩むことになったのだ。
大きな期待を受けて成長していく彼は先代魔王である、こちらの世界の父親からの帝王学も欠かさず学び、周囲からの評価も高かった。
レザと同じように前世の記憶を引き継いだまま転生したゴヴァ。彼は火土山北彦時代の両親とは異なり、自分ことを見捨てず、暴力も振るわず、期待をかけて丁寧に育ててくれていることに恩義を感じていた。
ゴヴァが成人を迎えてしばらくして、高いカリスマ性を発揮していた父親の先代魔王が病死すると、遂に彼は新魔王として即位した。
そして即位記念式典にて、「吾輩達の手で人間の時代を終わらせよう!この世界は魔族のものだ!人間との争いを、さらに激しくするのだ!」と大勢の魔族達の前で高らかに宣言したのだが。
「どうしよう……。大変なことになってしまった……!」
しかし先ほど放った魔族を鼓舞する宣言は嘘だった。
記念式典を終え、先ほどのゴヴァの言葉に感化された魔族達が思い思いの雄たけび越えを上げていく中、当の魔王本人は自室でぶるぶると震えながら頭を抱えていたのである。
そもそも思い返してみて欲しい。
このゴヴァというのは前世である北彦時代に犬を庇って命を落としたほどの男。それに自分が長きにわたりイジメられていた経験がある分、本当は優しさに満ち溢れる人物なのである。
しかし、いかんせん。
「魔族達は怖いし今更『争いはやめましょう』とは言えない……。もしここで先ほどの宣言を撤回でもしたら……。ダメだ考えるだけでも怖いよ……」
メンタルが弱い男であったのだ。
前世で命を落としたきっかけとなった、犬を庇った時というのは強い正義感によって勝手に体が動いた。
だが基本的には考えてから行動に移すタイプであるゴヴァは、もしも急に方針を転換して人間との融和を訴えたらと想像すると、無闇にその本心を露わにするということなどできなかった。
「目の前にいる大勢の魔族が、自分に向かって反旗を翻したらどうしよう」
頭に浮かぶのは最悪の妄想。これにはまるで酷い風邪を引いた時のように体が震えてしまう。
それに彼は幼い頃から叩き込まれていた帝王学の中でも『人間との戦い方』という項目の成績だけは良くなかった。どうしても前世のこと、つまり自分が人間でもあったということを思い出してしまい足がすくんでしまったのだ
それでも争いの休止を提言することなくズルズルと魔王職に勤しんでいったゴヴァ。それどころか、先代魔王の悲願であった魔族による世界征服という目的を達成するため、人間との戦争をさらに進めるゴヴァ。
その果てにとうとう彼は、女神に選ばれし存在である、勇者レザと対峙することになってしまったのである。
◇◇◇
時は現在。
「おい勇者。……吾輩、妻に愛想をつかされて出て行かれてしまったんだ。ちょっと相談に乗ってくれるか?」
魔王ゴヴァは宿敵であるはずの勇者レザを目の前にして、目に大粒の涙を溜めてこう口にしていたのだ。




