七十六話
今回で《一部》は終了となります。
「あの……ちょっといいですか? 一つだけ」
すみれの顔が少し強張る。「うん……」
「あの……えっと…………その」
「何だよ――」
「これで終わりにしていいですか?」
「………終わりって何を?」すみれが問いかけた。
「演奏部、辞めたいんです」
「え……」
すみれがそう反応するのはわかり切っていた。
けれど、今回は彼女に用があるのではない。
「陸さん」
「――ちょっと待って……!」
自分が言葉を発した矢先、すみれが割り込むように口を挟んだ。
「………」
「なんで………なんでいきなりそうなったの? 辞めるなんて急に……」
それは焦るような、それでいて何かを恐れているような物言いだった。
ハクはすみれの瞳を見ながら口を開く。
「もうこれ以上、この部活を続ける意味なんてないからです」
「意味……? 意味はあるよ……? 私たちは音楽を――」
「音楽ですか……。そうですね。たしかにぼくたちは、音楽をやってます」
口を割る隙もなく、ハクはすぐに続ける。
「でも……今やってるこれは、青春を謳歌するだけの単なる部活でしかないじゃないですか?これを続けたところで何も変わることなんてない。だったらもう、ぼくはここにいる意味はないです」
「別にそれでいいじゃん……毎日楽しく音楽さえできれば。たかが部活だよ?」
ハクはすみれに反応することなく、「陸さん」と彼がいる方へ静かに体を向けた。
「………」
唖然とする陸。彼はただハクが口にする言葉を待っていた。
「陸さんは、音楽をするために部活をやってるんですよね?」
ハクの質問を前にして、思わず陸は目を丸くした。
「あぁ……。それがどうした?」
「本当にそうですか? 陸さんは本気でそう思ってますか?」
「だから言ってるだろ。そうだって」
いちいち確認を取ってくるハクに、陸は少し口を尖らせた。
「ぼくはそうは思いません」
「は? ……なんでそんなわかったようなこと言えるんだよ? おまえはおれのこと何も知らないだろ」
彼は一層、怒りの感情をあらわにした。
「あなたは全然、《音楽》のために部活をやってませんよ」
「おまえいい加減に――!」
「だってそうじゃないですか? 陸さんはすみれさんのことが好きなんですよね?」
「―――!」
急なハクの暴露に、陸は思わずすみれの方を見た。言われた本人であるすみれは、さぞかし驚いているはずだ――そんな陸の予想は外れた。
「………!」
すみれはなぜか、自分を見ず顔をしかめていたのだ。
「陸さん」
間髪なきタイミングでハクは再び口を開いた。
「あなたは《青春》のために……すみれさんに好かれるために部活を続けてるですよね?」
「違う……! おれは音楽のために――」
「あのー……」
突然、知らない誰かに声をかけられた。
女性のスタッフが気まずそうにこちらを伺っている。
その瞬間、自分たちは周囲を見回す。完全に情緒を丸出しにしていた自分らは、彼らから白々しい目で見つめられていた。
「もうそろそろ時間なんですけど……」スタッフは言った。
はっとなった陸は、慌ててそのスタッフに対して「わかりました」と告げる。
しかし、ハクは違った。
「一つだけ、質問していいですか?」
「………」
「ちゃんと正直に答えてくださいね。大事な質問ですから」
お構いなしに話を続けようとするハクに、陸は唖然となる。
「もしすみれさんがこの部活を去ったら、それでも陸さんは卒業するまでここにいようって思いますか?」
「…………」
間が空いても尚、陸の乾ききったその唇は動くことはなかった。
「ぼくは智也を何度も止めようとしました。あなたは間違ってない。だから辞める必要はどこにもないって」
その静粛な時間を埋めるように、ハクは何を語り始めだす。
「でもどうしても、あの人には響かなかった。ぼくがどう声をかけても、智也さんは何も応えようとしてくれなかった……。あなたはどうですか? 陸さんは……智也さんに何度声をかけたんですか?」
冷静にいられるよう努めていたのハクの情緒は、熱湯に溶ける砂糖よりも何十倍、何百倍と速く溶け込んでゆく。
「あなたなんですよ!! あなたしかいなかったんです!! あの人のこころに響かせることができたのは!! 智也さんが唯一特別で信頼できたあなたしか!!」
「……あいつが、おれに………信頼?」
「陸さんはその時どうしたんですか? 智也さんに寄り添う言葉をちゃんと言ってあげたんですよね!?」
「…………おれは」
陸の顔がますます灰色に染まっていく。それは希望を失った顔――己の過ちに気づき、絶望した顔――後悔を身に染みて感じる顔――今まで信じていたものが、すべて嘘だと理解した顔――意味を忘れ、再び見出せなくなってしまった顔。
内に閉じ込まる陸は、何かを悟った後、すぐに顔を俯かせた。
今まで彼の瞳に宿っていた小さな光が消え去る。瞳の一面が限りなく黒に近い灰色へと移り変わった。
――おまえは頑張れよ。これから夢に向かって。
「………………」
〈ああ、そんなことも……。
おれはとんでもない過ちを犯してしまったんたんだ……。
二度と取り返しのつかない過ちを。
あれだけ常識ぶっといて………おれは………
なんにも………なんにも見えてなかった〉
「――ねぇって!」
耳元で、すみれの高い声が響いた。彼女のつぶらな瞳が自分を捉える。
「………」
「始まるよ!? もう」
その光に満ちた瞳を見て、自分が彼女からどんどん遠ざかっていく感じがした。
灰色に染まった視界――彼女のことが、もうどうでもよく見えてきて。
「ごめん」陸は言った。「おれ、部活辞める」
「―――え……。ちょっと陸!! どこに………」
それは幕が開かれて間もないころ。何十、何百という観客たちを目の前にし、一人颯爽と自分たちに背中を向けステージを去っていった。
ステージ裏を抜けた陸は有象無象の群衆たちに見つめられながら、さらに会場の端を歩き続ける。
そしてついに、彼は会場から完全に姿を消し去った――
前述した通り、これで第一部目は終わりました。
まずは一言。
これまで読んでくださった読者の皆さん、本当にありがとうございました。皆さんのおかげで、たくさんの元気と活力をもらえました。本当に感謝でいっぱいです。
続く《二部》つまり第三幕は、内容の整理も兼ねて少し時間が空くと思います。できるだけ早く投稿できるよう尽力しますが、どうかこれからも読んでもらえると幸いです。




