七十四話
(人おお……)
道端を歩く途中、由依は思った。
まだ校門にも入っていないというのに。これはもう、お祭り同然の人盛りである。
地域住民と思われるおじいちゃん、子どもを連れ歩く家族ら。いろんな人が来ていたが、やはり高校の文化祭ということもあってか学生が一番多い印象だ。制服を着ているのは極少数で、明らかに私服の方が多い。彼らはおそらくここの生徒だろう。
それもこれも、ここの学生の人たちにとってはお祭りと同じ感覚で来られる、実にラフなイベントということなんだろう。今日が自由登校の日というのは、当の息子から聞かされたことである。
さすがは都会。まるで規模感が違う。田舎の小さな学校の文化祭にはこんなに人が集まるなんてことはないから。
人の波に流されるがまま歩いていると、やがて校門前に辿り着いた。
校門の両端には案内人と思わしき若者がいて、通りすがり際声をかけられる。
「どうぞ~」と、彼は一枚の紙を渡してきた。
「……ありがとうございます」
大勢の人ごみの中、自分は歩きながら受け取ったそれを見る。
受け取る前から大体予想はしていたが、やはりそれは案内のパンフレットだった。
「さすがにまだ時間あるよね」
十一時からだと息子から聞かされていたが、パンフレットにある通りちゃんと十一時の枠に『演奏部』の文字が記されてある。嘘じゃなくてよかった。
しかし今はまだ十時を少し過ぎたばかり。時間潰しにと、由依は適当に外を回り始めることに。
奥の方に数点屋台が見られたがそれはスルー。長い行列に並ぶかと思うと、何となく気が引けてしまった。別にそこまでして屋台に行きたいわけでもない。
(やっぱお姉ちゃんも呼んだらよかったなぁ)
拍が嫌がりそうだから姉を誘わずこうして一人で来たわけだが、今さらながらやはり呼んでおけばよかったと後悔した。そしたら今ここに姉と姪の詠美ちゃんがいて少しは賑やかになっていたんだろう。
再びパンフレットを見て、結局由依は早くから会場の方へ向かうことにした。
「あの」由依はちょうど近くにいた制服の女子二人組に声をかけた。
急に声をかけられたその女子たちは今までしていた会話中断し、やがて不思議そうに自分に目を向けてきた。
「あなたたちはその、ここの生徒さん……?」
「はい、そうです」
二人の内の一人、ミディアムショートの女の子は瞬時に状況を察してくれたようで、ほか二人より率先して反応した。
「ステージを観に行きたいんですけど」由依はわかりやすいようにと思ってパンフレットを指さした。「これがあってる場所を教えてくれませんか?」
「あぁ……えぇと、あっちです」
彼女はとある方向を指さした。それは今現在もたくさんの人が出入りしている生徒玄関口。
「その……まずあそこにある玄関から右に曲がってもらって」
「……はい」
「それで……突き当りのところに階段があるんですけど、それを二階まで上ってもらったら会場の入り口があるのですぐわかると思います」
思わず感心してしまった。今の高校生はこんなにも立派なのか!
「はい、わかりました」由依は丁寧に落ち着きのある声で言った。「ありがとうございます。本当に助かりました~」
「あ、いえいえ……」
教えてもらったその子に感謝しながら、自分は足を進める。あの女の子の丁寧な説明のおかげで特に迷うことなく目的地まで辿り着けた。
本来ならば、親である自分はすでに入学式のときに来ているはずだが、生憎そのときは事情があって来られなかった。校内に出入りするのはこれで二度目。一度は夏休み前の三者面談のときにこの学校に来ていた。
「わぁ……」ステージを目の当たりに、由依は思わず声を上げた。
会場全体が暗かった。光はすべて遮光カーテンによって排除されてあり、天井にあるはずのライトも一切付けられていない状態。
ただステージのところだけが明るかった。眩しいとさえ感じるほどに。
それだから余計にステージが目立って見える。座っている先客たちも、その明かりにある先の光景をまるでのめり込むように夢中になって眺めていた。
(とりあえず座ろっか)
あっていたのは演劇だった。ちょうど今芝居が白熱しているところで、観ている人の邪魔をしないようにと少し空いていた一番後ろの席に一人ポツンと座ることにした。
『――演劇部のみなさんありがとうございました。芝居に熱意を感じさせるとても素晴らしい劇でしたね。……さて、この後十一時から開演されますのは『演奏部』による音楽の披露です。これから十分の休憩を挟みます。お手洗いを済ませたい方はどうぞ今のうちに――』
学生にしては上手い女子生徒のアナウンス行われている中、前列にいた数名の人たちが席を立つなり移動し始めていた。
「次、かぁ……」
我が息子の晴れ舞台を前に、少し鼓動が高鳴り始めている。別に自分が出演するわけでもないというのに、おかしなものだ。
ちゃんと顔を捉えられるよう、できるだけ前の席に行きたいのだが……。
空いたばかりの前方の席は、どうせ座れないだろう。彼らはトイレに行った後またすぐに戻ってくる。割り込むように自分が座れば、戻ってきた人はきっとがっかりしてしまうだろうし。
できるだけ前目の席に座れるよう努めたが、結局真ん中ぐらいの一番端の席になってしまった。まぁここならかろうじて息子の顔は見られるくらいだろう。
呆然と周囲を見回していた途中、唐突に「キーーッ!!」と、マイクの甲高い音が響き渡る。それを機に客全体が、そして自分も注意がステージ側へと向かいだした。
『これから披露される演奏部の紹介をします。演奏部は今年の九月に開設されたばかりの部活動で、一年生一名、二年生一名、三年生一名の合計三人で構成されています。注目ポイントとして、これから披露される曲は部長である一年の………籔島ハクさんが作詞作曲を務めたということで……』
会場がどよめく。
部長が一年生であることに対してなのか、それとも学生が曲を作ったという稀有な事実に対してなのか、それが一体どちらかであるかなどわからない。
しかし由依は、そのどちらに対しても驚愕していた。
〈え……どういうこと……?
拍が部長……? なんで?
なんで二年生も三年生もいるのに一年生が部長なの……?
今まで部活のこと全然話してこなかったけど………もっと普通の部活だと思ってた。
いや……それより――〉
――以外じゃない? 自分たちで曲作ってるのって。
「…………」
後ろから、そんな女子たちの会話が耳に届く。
ほかの人たちにとっても当然、『このこと』は珍しいと感じるくらいなのだ。
(拍が作曲………)
呆然となる。今見ているこの景色がもしかしたら現実ではないのかもしれないと疑ってしまうほどに。
それと共に鳥肌が立った。鼓動もさっきよりずっと高鳴り始めている。
そう、夢なんかじゃない正真正銘これは現実なんだ。
別に恐れてるわけじゃない。
何となくそうなるかもなっていう予兆は感じていたのだ。
彼が中学に入ったときぐらいから、密かに変化し始めていることを。そしてそれを受け入れる準備も覚悟も、自分はしていたつもりだった。
――あの子はいつか夢を持つんだ。あの人が言った通り。
(ちゃんと覚悟してたんだけどなぁ……)
思いのほか、自分は動揺していた。
この瞬間、息子が空を羽ばたける翼を手にしたことを知った自分。
あの人が言った通りの現実が、まさに今訪れ始めている。
(できるかな……ユキくん。私、ちゃんとあの子を羽ばたかせられるかな……?)
『皆様にお願いです。先ほどに続きまして、携帯やカメラなどの録音機器によるステージの動画や写真等の撮影はご遠慮ください。皆様によるご協力の程どうかよろしくお願いいたします』
そんな注意喚起が成された後、幕が閉ざされてあるステージの裏から楽器の音が一瞬だけなった。
前の方の人たちがざわめいているのもあって今だに状況がわからないが、いよいよ幕が開かれるということなのか。
時刻は現在十一時ちょうど。もういつ始まってもおかしくない。
周囲のざわめきが増し始める。
それを境に、幕はゆっくりと開かれた。
「――――!」
固唾をのみ込んだその時、なぜか周囲は静まり返っていた。
静けさに包まれた会場。すぐに舞台の上を踏みつける音が静かに響き渡る。
一体それが何だったのか――自分が状況を把握する前には、その男は去るようにステージから消えていった。
それは対峙していたもう一人の男によって。
我が息子である拍は、ただ立ち尽くしていた。




