七十二話
一階へと降り、ここでも人通りの多い生徒玄関前を移動する。その先――部室のある方に行くに連れ、辺りは段々と静かになっていく。
いつも音が鳴っている印象がある部室からは、何も聞こえてこない。戸を開けても尚、朝と同様読書をしているすみれの姿が視界に映るのだろうと勝手な想像を抱いていた。
が、そんな想像はいとも簡単に打ち砕かれることに。
目の前の引き戸に触れようとしたその瞬間に、向こう側から引き戸が開かれた。
「あ………」驚くすみれの顔が視界に映る。「いたんだ……」
「………ちょうど今、来たところです」
「そっか……。陸と会ったりした?」
「会いましたよ、ちょうど図書室を出るときに。……陸さんに会ったんですか?」
「あ……うん。ちょうどさっきね。図書室行くって言ってた」
「…………」
「それよりさ」すみれは部室から出るなり、すぐに施錠をし始めた。「行こ。出店の方」
やがて彼女は先導するように、自分よりも少し前を歩き始めた。自分も追いついて、彼女のすぐ横を歩く。
「出店って、どんな感じかなぁ」
移動している最中、すみれはそんなことを口にする。さも、文化祭に参加するのが初めてだというように。自分はその発言に思わず眉を上げていた。
「文化祭、去年もあったんですよね?」
「そうだよ」
すみれは自分を見ずにそう答えた。
「てことは――」
「うん、行くのは今回で初めて」彼女は自分に顔を向けた。「去年はずっと本読んで過ごしてた」
「文化祭、好きじゃないんですか?」
「うん。あんまりこういうの得意じゃないかも」
「……正直よくわかんないですよね、文化祭みたいなノリって」
「うん。私もよくわかんない」
そう言いながらも、今自分たちは文化祭を楽しもうと外に出向こうとしている。何だか、少し不思議な感じだ。
「でもよかった」と、すみれ。「私てっきり、今年も一人で過ごすって思ってたから」
「別に無理に参加しなくても――」
「うんん」すみれはすぐさま顔を横に振った。「私はハクとこうして一緒にいれれば楽しいんだ。ただそれだけ」
「…………」
それが嫌いな文化祭であったとしても……。
言っていることは理解できても、正直共感までには至らなかった。
自分といて本当に楽しいのかという疑念はもちろんあるが、『楽しくないものは楽しくないのだ』という自身の理念の方がどこか勝っている気がする。
でもまぁ、そう思うのも仕方ないのだろう。自分は今まで何をするにしても一人だったから。こうしてすみれと行動を共にしているのも、何だか違和感を覚えてしまう。
玄関口に着き、それぞれ学年が違うため一旦別々になる。やがて靴に履き替えてから再び合流した。
「あ……」
何かに気づいたように、急にぼかんと口を開けるすみれ。
「どうしたんですか……?」
彼女の目は、たくさんの人で賑わっている出店の方を見ていて、
「チケット……」ぼそり、そう呟くすみれ。
「……?」
「捨てちゃった……ゴミ箱に」
「あぁ、それなら今から取りに行きますか」
「もう粉々に破っちゃった……」
「…………」
(この人、文化祭行く気なんて全然ない……)
おかしな人だなと思いながら、自分はバックから例のチケットを取りだす。雑に入れていたのもあって、チケットは少しぐしゃぐしゃになっていた。
「はい、すみれさん」さっそくそのチケットを彼女に見せる。「別にいいじゃないですか。ぼくが持ってるチケット、二人で使いましょう」
「……うん、ありがと」
担任にチケットの譲渡はしないように言われていたが、これは別であると割り切る。正確に言えばこれは、譲渡ではなく共有。全然違う。
「足りるかな? これで」すみれは言った。
「足りなかったらぼくがお金出しますから、気にしないでいいですよ」
「……いやぁ、お金くらい自分で出すよ」
そんなやり取りをしながら、自分たちは出店を回り始めた。
すみれが言った通り、チケット分だけでは全然物足らなかった。
ちゃんとした祭りの屋台ならまだしも、これは単なる高校生の屋台だ。量も味も、想定より物足らないというか。どれもこれも一口、二口でぱくりと食べ終えてしまうものばかりだった。初めて本格的に参加した文化祭ということもあって、多少期待を裏切られた気持ちになる。
「一旦飲み物でも買って座りますか」
「うん」と、頷くのを聞いてすみれを見る。彼女はゴミの入った袋を片手に持ったまま歩いていた。まだ捨てていなかったのかと、自分はすみれを見るなり無言のまま彼女が持つその袋を後ろ側から取り上げた。そしてすぐに、近くにあるゴミ箱にポイと捨てに行く。
再びすみれの元へ駆け寄ると、彼女は驚いたような顔でこちらを見ていた。
「……捨ててくれたの?」すみれは目を丸くしながら言った。
「………はい」
「ありがとう。ハクはやさしいね」
そう言われ、恥ずかしいと思っている自分に気づく。そんなことないと言うつもりが、自分は黙ったまますみれを見ずに歩くばかりだった。何だか、こんなやり取りをするのは少し懐かしい。
どうかこの気まずい気持ちを払拭すべく、自分は首を俊敏に左右へと動かしながら座れる場所を探した。そんな自分を見てか、今横にいる彼女が「ふふっ」と、おかしそうに笑ったのは気のせいだろうか。いや、きっと気のせいに違いない。
「まともに座れるところないですね」
「そうだね。人でいっぱい」
普段座れるであろうベンチも石畳も、もうすでにたくさんの人だかりができていた。
「部室にでも行く?」すみれは言った。
「ああ」そう言えば、その手があったかと今に思い至る。「そうしましょう」




