六十九話
タイトル変更をいたしました。
旧 : シング・ソング・ライト
「で、何だよ。聞きたいことって」
すみれが部屋を出た後、少し時間が経ったことを確認した上で自分は口を開いた。
「座りませんか? 立ち話じゃなんですし」
どうやらハクは、自分に長話を求めているらしい。
「ああ」
言われるがまま、陸はドラムセットが置かれてある台の上に腰を下ろす。一方のハクはそのまま地べたに座る形で腰を下ろした。
「その――」
「智也のことだろ?」
正直、ハクが聞きたいことは何となく察していた。だから、彼がしぶしぶ言葉にするのを待っているよりも、こちらから先にそのことを口にする。
「はい………」
予想していた範疇の答えが返ってくる。
「何が知りたいんだ? 別に躊躇わなくていい」
あいつとの関係に関しては、もう何も隠すことはない。すべてはもう、時効と化したのだから。
「じゃあ……」
息を吐くように、ハクは小さくそう囁いた。
「陸さんはすみれさんのこと好きですよね? 恋愛的に」
「―――!」
(は……? なんで……なんで今そんなこと………。は? 意味がわからない………)
不自然に見られるのが怖くて、自分は慌てて言葉を探そうとした。
一体、なんて答えたらいいんだ。なんて言ったら正解なんだ……。
「ちょっと待て……。さっき智也の話するって言ったよな? それとは全然関係ないだろ?」
「……その、関係があるから聞いてるんです」
「は?」
「陸さん」
そう呼びかけられた時、自分は思わず後ろに手をついていた。あたかも逃げているみたいに。さも、ハクを怖がっているかのように。
「どうなんですか?」
四方八方が得体の知れない何かに包まれて、逃げ場なんてどこにもように思えた。
そう、前から不思議だった。なぜ自分は、この男に対してこんなにも『恐怖』を抱いているのか。いつから? きっかけは? 一体何に……?
(………怖い)
何もわからないのが怖い。自分のことなのに理解できないのが怖い。
視界に映る彼の瞳。それはまるで、自分のこころ奥深くまでをすべて見据えられているような――そんな闇を中に宿した瞳だった。
彼は所詮他人のはずなのに………本当に自分以上に自分のことを知られているような感覚になるのは、一体なぜなんだろう。
〈何なんだよ……さっきから。
さっきからおれは、なんでこんなに怯えてるんだ?
………そうだ。一旦冷静になれ。
一旦冷静になって考えるんだ………今の状況を。
見た限りハクは怒ってない。
むしろ感情一つ見えないというか……。
だとしても、なんでこの内容なんだ
おれがすみれのことをどう思ってるか………。
………!?
いや……違う。もしかしてハクは――〉
「もしかしてお前………好きなのか? すみれのこと」
鳥肌が立つのを感じながら、自分は答えを言わずにそう尋ねた。
「違います。ぼくはすみれさんに対して恋愛的な感情は抱いてません」
何も迷ったり躊躇したりする様子も一切見受けられず、ハクはそう断言した。
否が応でも、それが真実なのだと思わされてしまう。
「で、どうなんですか? 陸さん。すみれさんのことが好きなんですか?」
(ほんとに、意味わかんねぇこいつ)
「好きだよ」少し呆れ気味に、陸はようやく口にした。「……それがどうしたんだ?」
「そうですか……」
ハクのその反応はまるで独り言のようで、どこか残念がった言い様だった。
「もう一ついいですか? 確かめたいこと」
こちらが考える隙を一切与えるつもりはないのか。また一つ、質問があると言ってきて、再びぞっとする。
「………何だよ」
「智也さんが退部した後、陸さんは話をしたんですか? 智也さんと」
今度は想定内の質問。少しこころが軽くなった気がした。
「したな、一回だけ」
「何を話したんですか?」
「そんな大層な話はしてない。ただ確認しただけだ。あいつがした選択は、ほんとに自分自身で選んだことなのかを」
「智也さんは、何て?」
「自分で決めたことだって言ってたよ、あいつは」
答える度に思い出す。思い出す度、あの時に抱いたものと同様の怒りが込み上げてくる。まるで自分の周りを熱風が渦巻いているように、体全身が熱かった。
「陸さんは……智也さんに手を差し伸べたんですか………?」
「もちろん止めようとはしたさ。文化祭にも出ないまま、このまま急にここを去ってみんなに申し訳なく思わないのか、自分は後悔しないのかって……言いはしたさ。……でもあいつはもう、完全に諦めてた。何もかもな。今まであった熱意も、根性も、プライドも……あいつは全部捨て去ったんだ」
「そんなわけないです」
強めな口調で、ハクはそれを否定した。
「智也さんの夢……。あの人は音楽がしたいって、こころの底から思ってました。だからきっと、少なからずあの人の中にはまだ、『音楽がしたい』って気持ちは残ってたと思うんです。陸さんはその時、ちゃんと智也さんに手を差し伸べたんですか……? 諦める必要なんてないって……自分は悪くないんだって」
「それは違う」
きっぱりそう断言する。ハクはこちらの気持ちなど、何もわかっていない。
「音楽がしたい? あいつがそんなこと思ってるはずない。むしろあいつは音楽を愚弄してた。おれに『将来一緒に音楽しよう』なんてほざいて……散々こっちに期待させておきながら急にあいつは裏切ってきたんだぞ? そんな奴が、まだ音楽を続けたいだなんて大層なこと思ってると思うか?」
少々感情が荒ぶってきているのを感じながら、「それに……」と、自分は続ける。
「智也はおれにこのことを一度も相談してこなかった。一番信頼のおける親友であるはずのおれにすら……。誰にも言わないで、ただ問題を自分一人で背負い込もうだなんて……ほんと馬鹿にもほどがある。結果この様だ。少なくとも、早い段階でおれたちに相談してればまだ何とかなったかもしれなかった。なのにあいつは…………本当に馬鹿だ。クズ野郎だ」
「…………」
呆然と口を開けながら、こちらを見るハク。
今やっとわかっただろう。あいつは音楽がしたいんじゃなくて、ただそれをカッコつけの道具としか思ってなかったと。
だから彼は、今にも失望しているはずだ。そんなわけないと、自分に嘘をつきながら。
「もういいだろ、この話は」
文化祭の練習も明日で最後だというのに、なぜ今ごろハクはこんな話をしてきたのか。そんなにも智也のことが気にかかっていたのだろうか。今さら、もう終わった話をしてもしょうがないというのに。
「……わかりました」
ハクは自分を見ずに、少し俯き気味に返事をする。
「ほら、施錠済ませるからここ出るぞ」
「はい……」
部室を出るころには、最終下校の時間をもうとっくに過ぎていた。まぁ文化祭のこともあるし、先生たちも今日に限っては少し多めに見てくれるだろう。
くるりと手を回すと同時、カチャンと鍵が閉まる音が鳴る。
「ハク、おれも一ついいか? 聞きたいことがある」
後ろを振り向く。自分を見ていたハクに目を合わせつつ、そう口にした。
「何ですか?」
重く、かつ感情が消えたような声でハクは言った。
「昨日した練習。例のジャムのことでな」陸は一呼吸置いた。「あの練習の後、おれは何でもできる気がした。演奏も全部、自分の感覚で一から作り出せるくらいに。なのに……どうしておまえはあの練習を最初からやろうとしなかったんだ? もし最初からあれをやってたら、おれたちはここまで苦しむ必要はなかったかもしれない。おまえは始めからそれを知っていながらやろうとしなかったのか?」
「それは……」
今思い出せて本当によかったと、こころから思った。
智也が辞める辞めない――それ以前に知っていながらに最善策を打たなかったとしたら、それはかなり問題だと言える。もしそうだとしたら、ハクの方がずっと質が悪い。もはや、智也のことで自分を責め立てる権利すらない。
「智也さんがいたから、できなかったんです」
「――――」ハクの言葉に、思わず自分は絶句していた。「智也がいたから、できなかった………」
「そう、です」
「……もしかして、あれか?」そして自分は、あえて確信に迫ることを口にする。「ジャムをしてしまったら、それが智也にとっての理想の音楽じゃなくなるからか?」
「……そうですね」やや驚きを見せるハク。「そうかもしれませんね」
ハクは少し微笑みながらそう答えた。その瞬間本当に腹立たしくて、一瞬自分はハクをこの手で殴ってやろうかと思った。そのくらいに腹の底から怒りが込み上げてきた。
ここまで来たら、こいつはもう利他的とは言えない。完全なるエゴイストだ。おれやすみれのことなんて露も考えることなく、こいつは智也の理想を叶えようとしていたことになる。
だが殴るのは駄目だ。いくら何でもそれは行き過ぎていると理性が教えた。
代わりにと言うのもなんであるがこんな無責任なやつには、せめて言葉の暴力くらい振りかざしておかなければ。それくらいに重い。こいつが犯した罪は。
「おまえなッ――」
「でもそれは本当の理由じゃないです」
ハクの声は、一瞬にして陸の声をばさっとかき消した。
「…………」
「陸さんは知ってますよね? 智也さんは、ああ見えて結構不器用なこと」
言われ、「……そうだな」と発した言葉と共に共感する。
「結構どころじゃない。ほんとにとんでもなく不器用な奴だよ」
「もしそのときジャムセッションをやっていたら、智也さんだけがこころに傷を負う結果になりました。だからぼくはやろうとしなかった――」
「傷を負う……?」
言っている意味がわからなかった。なぜ智也が――智也だけが傷つくことになる?
たしかにあいつは不器用だ。けれど、あいつは楽器に関しては不器用じゃない。むしろそれだけは器用と言える。たとえジャムセッションであったとしても、智也なら難なくこなせられるはずだ。
「わかりませんか?」
自分の思考を遮るように、ハクは急にそんな問いかけをしてきた。
「不器用な智也さんは『ぼくたち』と違って、感覚的に器用な人じゃないです。だから智也さんは、陸さんやすみれさんみたいにアドリブの演奏はできないんです。一人だけ演奏に着いていけなくて、一人だけ置いてきぼりにされた智也さんは、当然苦しむでしょうね」
「……いや、それはいくら何でも考えすぎだろ? 智也もそれくらい――」
「それくらい……ですか」
まるで呆れたようにハクは言った。
「陸さんは自分がしてることを当たり前のように思ってるみたいですけど………少し自分の能力を当たり前に思い過ぎですよ。全然当たり前なんかじゃありません。できて当たり前なことなんてないです、この世に一つも。……陸さんは今までそうやって智也さんと接してたんですね」
「……………」
諦観した彼の本音を前に、自分は口にする言葉を完全に見失っていた。
もちろん苛立っていた。今までとはまるで違う彼の態度。それはいかにも挑発的で、少し舐められている気さえする。
それでも尚、何も言えなかったのは――。
(おれは今まであいつに………)
その怒りを打ち消すくらいの罪悪感がいつしか現れていたから。
ハクの言い方は自分を舐めているようでムカつく。けれど、ハクの言っていることは正しいように思えてならなかった。
「もう終わりにしましょう。この文化祭で」
と、急に口にするハク。思わず動揺を隠せなかった。
「は………?」
放課後の暗闇の中にいるハクに目を凝らす。
「終わりにするって………何をだ?」
凝らしていたその目に、彼の諦めが宿った瞳が映りだした。
「こんな青春ごっこ、もううんざりです……」
つかの間ハクは自分を一ミリたりとも見ずに、こちらの背中を通り越して自分の元を去っていった。




