六十八話
二日目である今日、場は昨日と同様神妙な空気に包まれていた。三人それぞれが腰を下ろし、話し合うために輪っかを作っている。
陸とすみれ、二人ともに緊張の表情が伺えた。しかし同じなのはそれだけ。彼らには、それぞれ別の表情が見えた。
すみれには、不安と疑念――
そして陸には、恐怖と自信が。
「……今日は何するの?」
すみれが、ハクに向かってそう尋ねる。
「曲の練習に移るつもりです」
「………」
やはりまだ少しの不安が残っているすみれの表情。
そんな彼女の顔に気づいてないのか、それとも気づいてか、ハクは平然と質問を口にし始めた。
「昨日言った曲、聴いてきましたか?」
ハクが二人に向けてそう尋ねると、
「うん。聴いてきたよ、もちろん」
すぐさま返事を返すすみれ。同時に陸は、無言のまま頷いて見せた。
昨日の帰り際、ハクは二人にとあるお願いごとをした。
――明日までに、これからメールに送る曲を聴いてきてほしい。
帰宅したころには、すでにグループメールに合で計三つの曲が送られてきていた。
二人は、一体それが何を意味するのかまったくわからないままだった。
「まさか、デモ音源を送ってくるとは思わなかったけどな」と、陸。
「そうだよ。それにあれ、海外の人のだったし……」
今自分たちがやっているものとは関係ないんじゃないかと、すみれは自分の中にある疑念を今にも言葉にしたがっていた。
「二人とも、あれを聴いてどう思いました? 何か気づいたこととか」
「……気づいたこと?」すみれは眉を上げた。
「何でもいいです。気づいたことがあれば」
少しの沈黙は、やがて陸の声によって破られる。
「三つとも、おれたちと楽器の編成が同じだった。ボーカルにピアノにドラム」
するとハクは、まるでファインプレーを讃えるかのように、「その通りです」と口にした。
笑顔と言うにはほど遠いが、陸の口元が微かに緩む。
「……ああ、たしかにそうだったかも」顎に手をやったまま、すみれが口を開く。「曲調も、三つとも全部似てた気がする」
「そうだな」陸は言った。
「それで……なんで私たちにこれを聴かせたの?」
すぐに答えを知りたいとばかりに、すみれはハクに問う。
「今から説明します」
ハクは正座に座り直し、再び口を開けた。
「すみれさんと陸さんには、聴いてもらった三つの曲と同じ感じの曲のアレンジをお願いしたいんです」
「「………?」」
当然それだけで理解に及ぶはずもなく、すぐに二人の頭に疑問符が浮かび始める。
「例えばピアノ」
ハクはすみれに視線を向ける。
「もしすみれさんが、あのデモ音源であったピアノの感じを《今の曲》に取り入れるとしたらどう演奏しますか?」
「……………」
「やってみてください、今ここで」
すみれが返答に悩んでいる間、ハクは視線を陸の方に移した。
「陸さんも。あのデモのドラムの感じをそのまま《今の曲》に移行してほしいんです。もちろんそっくりそのまま、というわけじゃなくて自分なりの解釈ですけど」
「……………」
普通、これを言葉で説明したところで何も浮かんでこないだろう。
だが、今の二人は違う。何となくではあるが、彼らは頭の中で淡い音の輪郭のようなものをすでに掴み始めていた。
そして思う。
今すぐにでも演奏したい、早く試してみたい――そんないても立ってもいられない欲望が、すでにこころの中を支配していた。
無言のまま、自分の楽器がある方に向かいだす。音はすぐに聞こえ始め、二人はやがてのめり込むようにして、それぞれが練習に夢中になっていった。
△△
「ほんとに、終わった………。ほんとに今日中に全部終わったよ」
ピアノの前、椅子に座ったままの状態ですみれは呟きを放った。ガチャガチャと、向こう側から楽器を片づける音が聞こえてくる。
――陸と違って私はそんなにやることないし。
そんなことを一人思いながら、自分だけは片づけを怠っていた。
やがてマイクスタンドを片づけ終えたハクが、こちらに近づいてくる。
「この演奏を、本番でもできるようにならなきゃですね」
まるで明日の練習の重要性を強調するようなことを言ってきた。
練習、と言っても一を十に近づけるようなもの。これまでやってきた練習の困難さからすれば、大分程遠く思える。
「そう言えば、練習できるのは明日で最後か」
奥でアンプの処理をしていた陸がそう口にする。
「早かったね、ここまで来るの」
「遅いようで、早いような感じだったな」
「何それ?」おかしそうに問う自分。
「いや、色々あったからな」
その『色々』の中にはもちろん、智也が脱退したことも含まれているんだろう。それだけじゃない。
文化祭出場を決めてからの演奏のスランプは、数こそ少ないがあれは本当に苦労した。今考えてみれば………自分で思うのもなんだが、よくも自分たちはこんなに難しいことをやってのけたなと思う。吹奏楽でいくらピアノの演奏を褒められようが、どれだけの賞を取ろうが、今のこの満足感には決して勝ることはない。
「そういえばさ。……陸はこの文化祭が終わったら、部活はもう辞めるんでしょ? 受験あるし」
ほんの出来ごころのつもりでそう聞いた。『辞める』と言われても、別に仕方がないかと思いながら。
「…………」
陸はすぐに答えを示さなかった。まだここにいたい、そんな気持ちが少なからずあるのだろうか。
「……そうだな」と、陸。「受験があるから毎日顔を出すのは無理だと思う。でもここを完全に辞める気持ちには、今はなれない。少なくとも週に一回くらいはここに顔を出したいな」
「それは何のため……ですか?」突然ハクが会話に入り込んでくる。
「………」
少し戸惑いを見せる陸。
「もちろん、音楽を続けたいって思ってるからだ」
自分の奥底にある意思を確信したように、陸は言った。
自分としても、陸が部に残ってくれることはうれしい話だった。何せもし陸が抜けたならば、演奏部の部員は足りなくなる。最低でも三人はいないと、部が残り続けることはできないのだ。
今まで、それが少し心残りではあった。
智也と陸が抜けた後(すでに智也は抜けてしまったが)、部員は自分とハクの二人になって一人メンバーが必要となる。そのためにまず自分たちは血眼になって部員を探さなければならない。
だが、自分たちは知っている。この部活の部員を補充するのはあまりに困難であると。
そもそもこの部は、とても《普通》の部活とは言えない。ハクと言う一人の創造者がいて、ゼロから曲を作っていく。本当にミュージシャンのようなことを、たかが高校生ごときがやっているのだ。ただ音楽がしたいという熱意を胸に。
そんな熱量を持っている生徒、一体どこにいようものか。受験受験と騒がしい、殺伐とした校内にいる気がまったくしない。
(まぁどちみち陸も卒業しちゃうけど)
持って三月まで、か。その後はわからない。
ぼちぼち新入部員を探すための行動を取らなくては。まぁ少なくともまだ時間はあるから、それは文化祭が終わった後、ゆっくり動けばいいだろう。
「……陸さん」
どことなく会話が少ない今日。少しばかり気まずい空気になってきたと思い始めたそのタイミングで、ハクはぎこちなく陸を呼びかけた。
陸は荷物を漁っていた手を止め、振り返りハクの方を見る。
「…………」
何やらハクは、言葉に出すのを思わず躊躇している様子。
「なんだ?」
それを不思議に思ったのか、陸は思わず目を丸くした。
「もし………」
「もし?」
その瞬間、ハクは自分を見てきた。彼は目を見開くと同時に、すぐさま視線を元の方に戻した。
なぜだろう。その彼の一連の行動がものすごく不自然に思えてならない。
「なんだよハク。さっきから」
「陸さん」
ハクは真剣な目をして、
「この後、少しいいですか? 聞きたいことがあるんです」
「……?」
陸が思わず目をひそめているうちに、ハクはまた自分に目を向けてきた。少しぎょっとする。
「すみれさんは、先に帰ってていいですよ」
「……ああ、うん。わかった」
何となくここから消えた方がいいと察していたから、自分は迷わず荷物を持って部室を出ることに。
「またね、二人とも」
部屋を出ると同時に、ハクだけが無言のまま頭を下げた。




