六十六話
「あぁ~、ほんとによかったなぁ新曲」
やはり子どもっぽい。いや、この反応はもう子どもそのものな気がする。三時のおやつを大はしゃぎで喜ぶ子ども。そしてそれを口にし、至福のご褒美に泥酔しきった感じは、まさに今の状態と何ら変わらぬように見える。
しかしそれにしても、理解しきれないというか……。
素人が作った曲を、こんなにまでも幸せそうに聴けることがどうしても腑に落ちないし、あまりに不思議過ぎる。
「前から思ってたんですけど」ハクは言った。「そんな……絶賛されるほどですか? ぼくの曲って」
「そうだよ!」
嘘偽りのない純粋無垢な瞳のまま、すみれは答える。
「その……ぼくには、すみれさんは大げさに評価してるようにしか見えません」
「じゃあハクは自分のこと過小評価し過ぎだよ」
「え………」
無垢だったその顔は、いつしか真剣で大人びた表情に移り変わっていた。
「すごいからすごいの。私はほんとにそう思ってる」
「だとしてもそれが本質的にいいとは限らないじゃないですか?」
「それは関係ない。私がただそう思っただけのことだから」
「それは、たしかに………」ハクは顎を手にやったまま答えた。「すみれさんだけですよね、そう言ってくれるのは」
「それは違うと思う」すみれはきっぱり、それを否定した。「みんなハクのことすごいって言ってたよ。陸も智也も……みんな私と同じくらい驚いてた」
「………!」
(そんなわけ……!?)
「ハクの曲を聴いてからだよ、みんなの見方が変わったのは。それでも信じられない? まだ自分の価値を疑っちゃう?」
「…………」
意外感と少しの嬉しさを感じながら、思考に耽る。
「いや……自分は…………」
〈おれは……本当にすみれさんの言ってることを信じていいんだろうか。
信じたい――そんな気持ちがまったくないと言ったらそれは多分嘘。
『特別なんだ』『もしかしたら自分には才能があるのかもしれない』
そう思う自分も、絶対にいる。
でも、湧いてきた自信をすぐに否定したがる自分もいる。いわゆる、自己嫌悪ってやつ。
それはある種の《ブレーキ》なのかもしれない。怖さが故の。
それを信じて……妄信して、結果現実に裏切られることになれば……
その時自分は、もう何も『勇気』を持てなくなっているんじゃないか。
そうなる気がして、そうなることがすごく怖いからきっと、
おれはおれという人間のことを、完全に信じられないんだ〉
「わかんないんです、自分の価値なんて……。やっぱりどうしても自分のこと、疑っちゃいます」
「そう……」すみれの声は、少し悲しみを含んでいた。
「でも」
そんなすみれの瞳を見て、ハクは――
「うれしいです。ほんとにうれしいです、すみれさんがそう言ってくれるのは。おかげで、ぼくは前よりも少しだけ自信が持てるようになった気がします。だから……ありがとうございます、すみれさん。いつもぼくのことをそうやって褒めてくれて。本当に感謝してます」
「……………」
言葉を失うすみれ。彼女はただただ呆然としていて、
「ふふっ」
すみれは自分に背を向けるなり、急に楽器がある方へと歩きだす。
「なんか私もうれしくなってきちゃった」
そんなことを言うものだから、
(なんで……?)
彼女のことがまたより一層わからなくなる。
いつの間にか、すみれは楽器のあるところまで移動していて、やがて彼女はキーボードの音を鳴らし始めた。まさに今の彼女の気分を表しているような、どこかルンルンな演奏で。
(………これって)
ルンルンな曲調を保ったまま、メロディを奏でだすすみれ。
ハクはその旋律に聴き憶えを感じた。
それはまさに、今自分が歌ったばかりの曲の旋律をなぞったものだった。
(憶えてたんだ……)
なんだか、それが異様にこころをくすぐってくる。
普通、たかが一回聴いただけの曲はすぐに忘れて当たり前なのに。
演奏は徐々にぎこちなさをなくし、やがては伴奏のようなものまで聴こえてくるようになった。ここまで来れば、さすがに思う。
(やっぱりおれ、いらないな)
楽譜を見ずに、感覚で演奏できるというのは天才が故の特殊技能なのか。それともピアノが弾ける人にとっては、このくらいできて当たり前のことなのか。もし後者が正解だったとしたら少しぎょっとするが。
「こんな感じ、どうかな?」
そうやって考えている間にも、すみれは独自で伴奏を開拓しているようだった。
少し集中して耳を傾けてみる。
「んん……。すごくいいかもです」
「ほんと!?」
「はい。すごく曲に合ってると思います」
「………」
そう言われたことがうれしかったのか、すみれは少し顔を赤らめる。
「歌ってみますか?」
「うん!」
その後、二人はホームルームが始まるぎりぎりまでセッションを続けた。楽しさのあまり、気づいたころにはもう一時間以上時間が経っていて、それには驚かずにはいられなかった。まだ全然、三十分程度しかやってない感覚だったのに。
それを経験した今、ハクはこころの中で少し不思議な感覚を味わっていた。
少し前、すみれが言っていた《同じ音楽で休憩する》というのはある意味間違いではないかもしれないと。
やはり、文化祭の練習のために列記とした目標を掲げてやる音楽と、こうして何も目的を持たずにただ音楽をするのとでは確実に何かが違う。
「すみれさん」
すみれが急いでここを出る準備をしていたそのさなか、ハクは声を上げる。
「よかったら明日もしませんか? これ。曲もまだ途中ですし、ほかにもやりたい曲があるので」
彼女がどう答えるのか、少し不安はあった。が、この原始的な『楽しさ』をまた味わいたいという気持ちの方が遥かに勝っていた。
「いいよ」落ち着いた声音で、すみれは言った。「でも、いいの? 文化祭、ほんとに出るんだよね?」
「出ますけど……」
「間に合うの? ほんとに。もう後二日だよ?」
「大丈夫ですよ、そう心配しなくても。絶対間に合わせますから」
すみれは顔をしかめた。
「思ってたんだけど、ハクがどうしてそんなに自信を持って言えるのかわからないだよね私。昨日の練習だって、何もしてなかったわけじゃないけど全然曲とは関係なかったじゃん。……ほんとに、間に合うから言ってるんだよね? 単に嘘とかじゃなくて」
「嘘じゃないですよ。ほんとに間に合うから言ってるつもりです」
「理由は? なんで?」
(理由、か……)
「感覚です」
「へ?」
すみれは予想の斜め上の答えを言われ唖然とした。
そんなすみれを差し置いて、ハクはすぐに話を続けだす。
「今日の放課後の練習。それが終わるころには、きっとわかると思います。それまで待ってもらえませんか?」
「え……!? どういうこ――」
――キーンコーン
「―――っ!」
「え……!? もしかして今ホームルーム始まった!!」
ドタバタ音を立てながら部室を出る。鍵を持っていたすみれが施錠しているのを見て、思わずはっとなるように口を開いた。
「鍵はぼくが返しておきます!」
「いいよ、私が返しておくから。ハクは早く教室に――」
閉め終えたすみれを見計らっていたかのように、ハクは彼女から強引に鍵を奪い取った。
「―――ッ!!」思わず目を見開くすみれ。
そこに会話の隙もなかった。ハクは荷物を盗み去る泥棒のごとく、その場を走り去っていった。
「すみれさんは先に教室に行ってくださーい!!」
約一秒後、彼は角を曲がり姿を消した。こちらの返答などお構いなしというように。
おかしさが喉の奥に詰まったような微笑を浮かべるすみれ。
そして少しご機嫌に、踵を返し三階にある教室へと歩き始めた。




