六十五話
「今日を入れなかったら………えっと、二日か。じゃあ土曜は明後日……」
ベッドの上で携帯をいじりながら、ハクはぼそぼそ独り言を呟く。
携帯を触るのはそれこそ当たり前の習慣であるが、ここ三日に至ってはまったく触っていなかった。
故に三日ぶりに扱う携帯というのは、実に刺激的だ。
「あ、充電」
画面を見ればすでにバッテリーは二十パーセントになっていて、赤色の警告が左上に表示されている。
「充電してればよかった」
そう言ったものの、結局充電ケーブルを差し込むことはなかった。
すぐにメールを開き、慣れた手つきでメッセージを入力していく。
『明日、早朝に学校に来れますか?』
すぐに既読がついた。
『練習?』
『練習じゃないです。ちょっと、すみれさんと二人でやりたいことがあって』
『陸はいいの?』
『はい。二人だけで』
『わかった』
『いつごろ学校にいればいいかな?』
(ホームルームが八時四十分だから……)
『早いですけど、七時でもいいですか?』
『うん! 全然いいよ』
『ありがとうございます』
△△
早朝、職員室前。
「失礼します」
一礼をした後にここに入るのは、この学校の決まりだ。
といっても今はまだ朝の六時台。来ている職員も少なく、いつものような殺伐とした雑務の音は聞こえない。
「おー! 籔島」
足を踏み入れて早々、担任と偶然ばったり遭遇する。
「……おはようございます」
「おはよう」
挨拶を交わしたところ。何となく会話が始まる気がして、ハクは担任に近寄った。
「部活か?」
担任は少し興味ありげにそう聞いてくる。
「………」一瞬口ごもるも、「はい。文化祭に向けての」
「そうかそうか。頑張れよ練習」
会話はそこで終わりかと思ったが――。
「籔島。ちょっといいか? 一つ聞きたいことがある」
「……?」ハクは首を傾げた。「何ですか……?」
担任は一度間を置いた後、再び口を開いた。
「おまえんとこの部員、この前一人いなくなったてな?」
「………はい」
「まぁー厳しいよな。今まで四人だった部活が急に三人になったんだから。大丈夫かおま――」
「もしかして出られなくなるんですか!? 部員が三人になったから!」
「あー違う違う」
担任は驚きながらも、ハクの発言に対して片手を横に振って否定した。
「そんなわけないだろ。たとえ部員が足りなくても、文化祭に出られる。……というか、部活は三人からだろ? そもそも気にする必要ないんじゃないか」
「あ……」
――三人………
「なんだ? おまえ四人からだと思ってたのか」
担任はおかしそうに笑い始める。
「それよりもっと大事なことがあるだろ? いきなり部員減って……。また一からやり直しになってるんじゃないのか? 文化祭はもう始まるんだぞ」
「ああ大丈夫です、それは。絶対間に合うので」
「………」担任は目を丸くした。「……そうか。なら頑張れよ、籔島っ!」
担任は自分の背中を軽く叩くと、その場を立ち去っていった。ハクも「はい」と返事を返した後、すぐに鍵を取りに足を動かし始める。
途中、ふと時間が気になって時計を見た。
(まだ時間あるな)
七時まで残りおよそ十分といったところ。自分から呼び出したこともあって、少し早めに学校に来たのだがそれが功を奏したと今思う。担任と話していたら、それこそ自分が遅刻するところだっただろう。
「あれ………」
たくさんの鍵が並ぶ鍵かけを前に、思わずハクは目を丸くした。
「あの」ハクは言った。「演奏部の部室の鍵がないんですけど……」
ちょうど後ろにいた女性の職員に声をかける。
「演奏部?」
女職員は椅子から立ち上がった。
「あーほんと」
女教員は鍵かけを見ながらそう呟いた。
「ないねー、鍵」
誰か間違えてほかのところに収納してないか確かめているようだが、反応を見る限りなさそうだ。
「あー鍵なら、朝早くここに取りに来た生徒が一人いましたよ」
突然そう声をかけてきたのは、向かい側に腰かける少し年老いたおじさん職員だった。
「あ、そうですか」と、女教員。
「女性でしたか? その人」ハクはおじさん職員に尋ねた。
「ああ、そうだったよ。いつも鍵を取りに来てるのをよく見かけるよ、ここで」
「………!」
すぐさま確信に至ったかのように目を見開いた。
「すいません、失礼しました」
刹那、ハクは駆けだすように職員室を去った。職員室を走ることは、本来禁止事項に当たるのだろうが、その場で注意されることはなかった。無論、ハクは一つのことで頭がいっぱいでそんなことは考えてすらいない。
(すみれさん、もうすでに部室に……!?)
――バンッ。
「―――!」
荒く扉を開けたその先には、やはり読書をしているすみれの姿があった。
「あっハク。おはよう」
すみれは本を閉じると、座ったまま手を振ってきた。
「もう……」
ハクは一旦息を整える。
「一体いつから……ここに来てたんですか?」ハクは少し呆れ気味に言った。
「んー、たしか六時半くらいだったかな」
「六時半って……。ぼく、七時にって言ったつもりなんですけど」
「早いに越したことはないかなって」
そう言えば彼女は『そういう人』だったなと、今になって思いだす。
「……すいません。随分とお待たせして」
「なんで謝るの?」すみれは不思議そうに小首を傾げる。「まだ七時になってないよ? 私が早く来過ぎてるだけだから」
それはたしかに正しいと思うが、自分が待たせたという罪悪感もあってイエスとは言いずらい。
「ところで、今日朝から何するつもりだったの? 陸は呼ばずにさ」
すみれは手に持っていた本をバッグに中に直す。
「それは……」少しぎこちない様子で、自分の髪をいじり出すハク。「ちょっとした息抜き……ですかね」
そうハクが言うと、
「息抜き?」
すみれは思わず眉を上げた。
「ほら……最近はずっと文化祭文化祭って、練習ばかりだったじゃないですか?」
「うん」こくりと、すみれは頷く。
「それに疲れた……というか。息抜きとして、こうしてすみれさんと二人だけで軽いセッションみたいなのをしたいなぁって思って……」
「ふーん」
納得したのか、すみれの眉が下がる。
「なんか……ちょっとおもしろい。息抜きが同じ音楽っていうのは」
「………」
「あ、そうだ!」
すみれは、急に何か思いつきでもしたように口を開いた。
「ハクがさぁ、前に新しく曲を作ったって言ってたよね?」
「ん……?」
「えーとほら……あのとき。前に私と陸だけでコンビニ行ってたとき」
(あぁ……あれか。たしかあの時――)
何気ない嘘を思い出したのも、すみれがいまだにそれを覚えていたのも――その二つは徐々に徐々に自分のこころの傷を深めていった。
「覚えてますよ」ハクは言った。
「それ、聴きたいな。もちろんハクがよければだけど」
あの時、たしか自分は恥ずかしいと言い逃れをした。それはどうしてもそうしないといけない理由があったからで。
今は特に理由はない。ただあの時、作っていなかったというだけで。
(新曲なら別に何でもいいか……)
「いいですよ」
それに対しすみれは「やったぁ!」と、実に子どものような反応をする。
「ちょっと……待っててもらってもいいですか? その、さすがに歌詞は見ないと歌えないので」
途端、すみれの目が光りだす。
「歌詞!?」
「上手くはないんですけどね。なんだかんだ、創作は楽しいから趣味で続けてて」
「へぇぇ……」
しゃべりながらも、ハクは録音アプリをいじり続ける。どの曲を歌おうかと、携帯をスクロールしてはまた戻りを繰り返していた。
「ちなみにさ」
その間、すみれは再び口を開く。
「作った曲って、どれくらいあるの?」
「別にたくさんってほどでもないです。たかだか二十くらい――」
「二十………!」
すみれは、まるで信じられないというように口をぽかんと開けた。
(これにしようかな。今のところの自信作だし)
歌う曲を決めたところで、すみれを見る。なぜだか、彼女は神妙そうな顔でこちらを見つめていて、
「曲作りは何のためにやってるの? 将来のためとか……」
「何のため……」
彼女は『将来』と口にしていたが、自分は創作するとき、別にそんなことは考えていなかった。そもそも目的すら、まともに考えたことがない。強いて言えば、例の病気の応急処置的なものだが、それを言ってもこの際仕方がないわけで。
少しだけ、考えてみることにする。
「うーん……」
首を捻らせ考えた結果、出てきた答えは――
「楽しいから……?」
「楽しい?」
「そんな気がします。そもそもぼく自身、創作にあんまり目的を見出してないというか………ただただ楽しいんですよね、曲作ってる時って。ずっと夢中になれるのもそうですけど……自分にとって理想の何かが、自分の手によって生まれたことに幸せを感じてるというか……」
(……って、さっきからおれは何を言ってるんだか………)
「すごい……!」他方、すみれは目を光り輝かせた。「やっぱりすごいよ、ハクは!」
「すごいって何が――」
「ねぇ将来プロのミュージシャンになろうとか考えないの?」
そう、やや興奮気味に尋ねてくるすみれ。
(そりゃ、なれたらいいけど……)
「まだ先の話ですよ、それは」
「先って、高校卒業したら?」
「わかんないです。……それより聴きたくないんですか? 作った曲」
「えっ……あぁ聴く。今から聴けるの?」
「そうですけど」ハクは目線だけをすみれに送った。「じゃあ歌いますよ」
そう言った途端、ハクははっとしたように口を開いた。
「すみれさんもピアノで加わってみませんか? せっかくですし」
そのハクの提案には、
「うんん」すみれはすぐさま首を振った。「最初はハクが歌うのをただ聴いていたいから」
別に引きはしなかったが、そこまで自分が作った曲にこだわりを持たれるのは何だか少し変なものだと思った。
「その後だったらピアノできるけど………弾く?」
「……あぁはい。是非」




