六十三話
こんな遅い夜でも、街の通りはこれほどかと言うくらい明るい。どこかの商店街の、あの街灯とはまるで比べ物にならないくらいに。
よかった。夜は昼よりも一層険しいだろうと踏んでいたが、本当にここが都会の街でよかった。昼間のような激しい日差しもなければ、夜の、ひたすらにこころを暗くするあの暗闇もないのだから。
これなら駅まで往復できるだろうと、自分は安堵する。
(……あぁ、なんでこんなことになっただろ)
自分だけだ。こんなツいてない一日を送ったのは。
本当なら今ごろ家にいて、お風呂に入って、そして携帯をいじりながら、ふかふかのベットで眠りついている――そんな一日を送っていたはずなのに。
どうしてこうなったんだ。どうして自分はこうも苦労しなくちゃならないんだ。
いや、そもそも……。
(そうだ……。おれ、逃げだしたんだ。見たくない現実から目を背けるために)
学校を休み、朝早くから目的地もなしに遠出する。
そんなこと、いちいち考えもしなかった。逃げている自覚がまったくないままここまで来て。
「…………」
一度考えだすと、思いだしたくないことが次々と浮かんでくる。
ああ、本当にあの人はいなくなったんだ。本当に部活を去っていったんだ。
何でそんなことになった! 何がそうした! こんなはずじゃなかったんだ!
想い起こす度、感情が迸る。
もう嫌になるくらい激怒したはずなのに、この熱烈とした激しい感情はいつになっても自分の先をいく。
〈きっと根本的なところを見落としてるんだ。
それがわからない限り、おれたち……いや、おれはこの先、何度も何度も同じように失敗する。まさに負の連鎖。負のループだ。
一体何だだろう?
根本的なことって……〉
「それがわかれば楽なんだろうけど」
〈根本、か。
そう言えばおれ………何のために部活やってるんだろ〉
「何のため………」
〈何今さら何馬鹿げたこと!
そんなこと音楽するために決まってる。
それ以外何もないのに……。
そんなことさえ、自分は忘れてたのか……。
ここ最近、ずっと文化祭のことばかり考えてた気がする。
忘れるくらい、忙しかった。
智也さんも陸さんもすみれさんも……きっとそうだったんじゃないか?
みんな『目的』を忘れて、文化祭に出ることばかり考えてた。
その意味は?
文化祭に出て一体何が残る?
別に出なくても音楽はやっていける。
そこまでして文化祭にこだわる必要はないんじゃ……。
不思議な感覚。
音楽をやるために文化祭に出るはずなのに、まるで自分たちは音楽なんかやってないようだった。
やらなくちゃ、どうにか間に合わせなくちゃ――。
みんなある種の焦燥に駆られてた。
思えば、文化祭一つ間に合わなくても部活は続けられる。
そもそも、そんな焦りを抱く必要すらなかったのかもしれない。
『文化祭に出るため』
なんてものは所詮口実で、建前で、ただそう思いたいだけで。
みんなが同じ方向に進んでるっていうのは、ただの幻想だった。
おれたちは全員違う《目的》を持っていて、文化祭はあくまでそれを果たすための手段でしかない。そこまでは別にいいんだ。
問題なのは、その目的が《音楽》じゃない人がいること。
そう、陸さんとすみれさんは音楽と関係ないことをしようとしている。それも無意識に。
実際は真逆なんだ。おれたちは《一つ》になるどころか――
足掻けば足掻くほど、どんどん離れていく……。
そんなもの……〉
「意味はあるんだろうか」
否、そんなものには意味はない。少なくとも自分がやりたい《音楽》に関して言えば。
青春を謳歌するため――そんな幼稚な理由だったら意味はあったのかもしれないが。
もういい。この思いに身を任せよう。そうすればきっと、《自分》にとっていい方向に進んでいくはずだから。
「今どのくらいだ……?」
そろそろ駅に着くころかと周りを見回してみる。知らない場所だからあまり覚えていないけれど、何となく昼に通りかかったと思しきものを数カ所見つけだす。
それでも一体、今がどれくらいの位置にいるのかなんてわからない。前を見れればいいのだが、前方には雑草のように人が生えているからまったく見えやしない。それもほとんど大人の人だ。たとえ今ジャンプしようとも、子どもの自分には……。
(………届くか?)
周りを見る。皆、前しか見ていない。今ジャンプしても、気づかれないで済むか。
(そんなこと、今さら考えてる暇なんてないッ!)
瞬間、自分は全力でジャンプした。
視界いっぱいに映る人の頭。そして――。
(あった……!)
それはもう、わかりやすいくらいに前方を陣取っていた。まだ距離はあるにしても、あれが駅であることは一目でわかる。
財布が届いていることを祈ろう。今はそれしかできない。
△△
「財布、ですか……」
ガラス越しに座る、駅長と思しき男は後ろを振り返りながらそう言った。
「あー……届いてないみたいですね。財布は今のところないです」
「……………」
思わず言葉を失う。祈りは簡単に弾き飛ばされた。
わかっていた。こんな人の行き交う場所で財布なんか落とせば、それはもうなくなったも同然なのだと。そう、最初っから薄々気づいては気づいていたのだ。ただ自分は、財布がないかもしれないという事実を受け止められなかっただけで。
「……ありがとうございました」
踵を返す。しょんぼりとしたこのこころと体は、しばらく戻りそうにない。歩く力も、気力もどんどん落ちていく。
(どうしよう……)
出口に向かう途中、一応ほかの場所探さなければと足を止める。
人だかりの中、地面を見つめるがこの状況下であれを探すのはすぐに無駄だと悟った。
トイレももう一度見ておくか。昼に一回探したとはいえ、見過ごしていた可能性もあるから。
あるとするなら、自分があの時用を足した一番奥のところしかない。
「…………」
だがいくら探しても見つからない――わざわざ後ろまで確認してなかったのだから、もうここに希望は見いだせなかった。
(おれ………ほんとに、これからどうすれば――)
そう、絶望に浸っていた時だった。
「…………!」
トイレを出たその矢先に映る、一人の女子。
まるで何かを必死になって探しているように、彼女は周囲を見回し続けている。
「なんで………」
自分は幻覚でも見ているんじゃないかと疑った。この地獄のような現実から目を背けるために、自分は無意識に幻を生みだしたのかと。
これほどまでに動かしていた彼女の首が止まる。その瞳は、完全に自分を捉えていた。
「あっ……いた!」
こちらに向かって歩きだす彼女。あれは本当に彼女なのか。
「あ~よかった……」彼女は言った。
彼女は自分を見るなり、安心するように笑いかけてくる。
「あの……なんでここに?」
抱いた疑問を、そのままぶつけた。
「あの後、すぐに電話が鳴ったんです。あなたのお母さんから」
「…………!」
「この後迎えにくるみたいですよ、お母さん。よかったですね。家に帰れて」
「…………」
…………。
…………。
……ああ、よかった。
もう、この崩れ落ちそうな体で家に帰る必要はなくなったんだ。それだけで自分は彼女に、そして母に、何重もの感謝の言葉をこころの中で添えたい気持ちになった。
「ありがとうございます、本当に」
自分は礼儀正しく彼女にそう伝えた。彼女は素早く、かつ謙虚に首を横に振ったがそれはいくら何でもやさし過ぎるだろう。
その後、去るだろうと思っていた彼女はなぜか自分の元に居続けた。理由を聞いてみたら、『駅に着いたらまた電話してもらうように伝えている』とのことで、彼女としては迷子になられると困るだろうと一緒に母が来るのを待ってくれた。
一体、どこまで人にやさしくしてくれるのだろうか。待ち時間にそれを聞いてみても、自分が勝手にやっているだけとしか言わないので、余計に気になった。
やがて二、三十分ほど待った後、母が到着。無事に顔を合わせ、母は彼女にありったけのお礼を口にした。自分も、最後にしっかりとお礼を告げ電車に乗る。
ガラス越しに見える絶えない街中の光をぼおっと眺めながら、電車の中を佇む。今尚、母とは一言も会話を交わしていない。故にそれが怖くて仕方がなかった。
「ハク」母は囁いた。
「………!」
自分は思わず目を見開く。そして覚悟した。
しかし母はそんな自分を見るなり、
「別に怒ってないって」
なだめるようにそう口にする母。
安心こそ抱いたものの、次の瞬間にはそれを蝕むような大きな罪悪感が自分を襲った。
「ごめんなさいっ……」
「…………」
母の瞳が少しだけ見開く。
「大丈夫?」
そんな些細な言葉が、傷ついた己の精神をここまで癒してくれるとは思わなくて。
何も聞いてこなかった母の気遣いもうれしかったし、何より、自分が落ち込んでいるんだと気づいてくれていることが本当にうれしかった。
「うん……。大丈夫」
「一人で抱え込まないでね、絶対。ダメなときは、ちゃんとお母さんを頼ること」
「うん……。わかった」




