六十一話
いつもは読みやすいように文の間にスペースを設けていますが、今回からはあえて素の状態で投稿しようと考えてます。
もし読みづらかったり、前の形式の方がいいと思った方は気軽に言ってもらって構いません。
「え………」
瞼の辺りを指で触れる。すぐにしずくが伝わった。それが涙だとわかった時、重くどっしりとした涙の塊がしくしく流れ落ちてきた。
「え! あのっ……えっとぉ………」
泣きじゃくるハクを前にして、女子は大層戸惑った様子だった。
なぜか涙が止まらない。抑えようとしても、いくら手で拭っても、涙は次から次へと溢れ出ていく。
途中から絶望と悲しみが同時に自分を襲ってきて、それに耐えるのに必死だった。目の前の女子のことなど、もうとうに忘れて。
「……うっうっ、ううっ、ううっ………」
驚いたことに、ハクが五分十分と泣き続けようとその場から離れることはなかった。ただ泣いているハクを見ながら、何も言わず横に座ったままその場に佇んでいたのである。
ようやくハクが落ち着きを取り戻したころだった。
「もう平気ですか?」タイミングを見計らったように、女子は口を開いた。
彼女はハクの顔を覗き込むように、少しだけ顔を近づけてくる。
彼女の方を見ると、今まであまり見えなかった顔が少しだけ映った。
「……えぇっと、その………」ハクはぎこちない様子で涙を拭った。「大丈夫です、もう……」
「はい、これ」
するといきなり彼女は何かを差し出してくる。よく見らずとも、それはハンカチだった。
「………」
ハクからすれば、もちろんありがたい差出しだった。だが、わざわざ申し訳ないという気持ちでいっぱいだったし、赤の他人にここまでしてくれる理由もまったくわからなくて思わず戸惑った。
「はい」
そんな彼の様子を察してか、彼女はハクの手元にハンカチをやさしく押しつけてきた。
「使ってください。別に気にしなくていいですから。全然鼻すすっていいですよ」
そこまで言われば、断りずらく。
「あ、ありがとう、ございます……」
とりあえず目元の涙を拭きとる。その後、少し抵抗はあれどありがたく、ズズッと音を立てながら鼻をすすった。
「何かあったんですか?」
女子は自分を見ずにそう尋ねた。
彼女は両手を椅子の上に乗せたまま、細い足を宙に泳がせている。
「あぁいえ……。別に大したことじゃないです」
だから気にしなくても大丈夫です――そんな意を込めた発言だったが、彼女からの反応はあまり見られなかった。
そもそもである。今自分が、見ず知らずの彼女に向けて悩みを打ち明ける理由は毛頭ない。それは傲慢な人間がやることである。それにもし自分が話したものなら、きっと横にいる彼女も悲しくなくなってしまうだろう。そこまでして他人を悲観的にさせたくない。
「夢を誰かに否定されたー……とか」
「―――!」
しかし突然、彼女はハクにとって最大の起爆剤となる言葉を吐いたのである。
ハクは大げさと取られてもおかしくない驚きの表情で、彼女を見た。
『夢』というワードがいきなり、何も知らないはずの彼女の口から飛び出てきたことは、不可解このほかなく……
「なんでそのこと……」
「それはですね」彼女は言った。「さっき、あなたがそう言ってたからですよ。夢を追うことのどこが悪いんだーって」
「……!」思わずハクは目を見張る。「あぁ……」
そう言えば……。
聞かれていたのか。きっと彼女は自分の近くにいて。
「辛いのはわかりますよ。わたしも自分の夢を理不尽に否定された経験ありますし」
「ぼくの夢じゃないんです」
「………?」
「その……同じ仲間の人の夢が壊されたんです。赤の他人によって」
深くかぶったフード越しの顔でも、口元から彼女が驚いている様子が伺えた。
「壊されたって……」彼女は言った。
「諦めたんです。夢を追うことそのものを。何も悪くないのに」
「どうして……」彼女は小首を傾げた。「どうして何も悪くないのに、その人はその夢を否定されたんですか?」
「詳しくはわかりません……」ハクは奥歯を噛みしめる。「でも、それが先生や親たちにとって都合が悪いからっていう、そんな身勝手な理由なんだと思うんです。たったそれだけの理由で、夢を捨るべきだって……おまえじゃできないって……! そんな脅迫を受けたんですきっと……。夢を追うことの何がいけないんですか……。なんでそう大人たちは、子どもに向かって平然と脅すなんてことができるんですか……」
横目に映る彼女は、少なくともこちら側を見ていなかった。いきなりこんなことを言いだした自分にドン引いて、話しかけたことを後悔しているかもしれない。
ああ、またやってしまった。話す必要もないことを。……また他人を意味もなく不幸にしてしまった……。
「ひどい話ですね」女子は悲観と苛立ちが混ざったような声で言った。
同時に、ハクは罵声を浴びせられるのを覚悟した。
「仮に、それがどんなに合理的なことだろうと、少なくともわたしは『夢を追っちゃいけない』なんてことは絶対にないと思いますよ」
「――――っ」
初めて彼女と目が合った。可愛げのある、とてもつぶらな瞳だった。でもそれだけじゃない。芯のあるとてもまっすぐした眼差しが、まるで自分に真実を告げているように思えた。
細くてきゃしゃで、まだとても成熟しているとは言い難い年ごろなはず。そう、自分とさほど変わらない精神を持っているはずなのだ、この女子も。
故に不思議に思う。自分と彼女とでは、まるで北極の遠い星でも見ているかのような雲泥の差を感じてしまうのだから。
(ほんとに。何もできなかった自分が悔しくて仕方がないや……)
横に座っていた彼女は「まあ今は辛いと思いますけど」と言いながら立ち上がった。
「わたしは好きですよ、夢を追う人」
まるで別れ言葉のように、彼女はそう口にした。
やがて背中を向けてここを去っていく彼女。もう二度と会うことはないんだろうなと、この時思った。
「―――あっ……」
突然、ハクは腰を上げる。
「あのッ!」
ハクの呼びかけに彼女はぴたりと足を止めた。再び彼女と目が合う。
「あの……」ハクは言った。「助けてくれませんか? ……実は今、すごく困ってて」




