五十七話
「……もしかして、将来のことでですか? 音楽の」
それを言い当てた陸は、大層目を見開いて、
「……もしかして、聞いたのか? あいつから」
「はい。少し前に……」
「そうだったのか……あいつが……」
陸はハクから目線を逸らした後、座ったまま壁の方を見つめだす。
「まぁ、揉めて当たり前だよな」陸は言った。
「なんでですか? いいじゃないですか、別に音楽でも」
「あぁいいと思うぞ、音楽でも。現におれも、少し考えてるからな」
「陸さんも……!?」
ハクは目を見張った。
対し陸は、それについて深く語ることはせずに「ただ問題なのは……」と、やや深刻そうに声を紡ぎだした。
「あいつは担任に音楽のことを隠して、それで就職もせずに大学進学しようとしてるんだ」
「………!」
これはハクにとっても驚愕な事実だっただろう。何せ彼にとって智也は、このままずっと音楽の道に進むのだと、そう思っていたのだから。
「じゃあなんで先生と……。むしろ学校側としては大学に行くのは好ましいはずじゃ……」
「バカなんだよ、あいつは。最悪なくらい成績が悪いんだ」
「……だから、行けるはずもないって」
「そうだ」と、陸。「今まで二者面談を重ねても、あいつは頑なに意見を変えてこなかった。だから今回は、特別に智也の親を呼んでまで三者面談してるってわけだ」
合点がいったようないってないような。何だか、ものすごくもやもやする。
そう。
智也は以前、音楽のことを口にしていた。将来そういう道に進みたいと。
だからわけがわからないのだ。なぜに彼は、担任に音楽のことを隠していたのかが。
「智也さんは……なんで音楽のこと、先生に言わないんですか?」
陸は少し間を取った後、再び口を開いた。
「それは多分、言うのが気恥ずかしいからなんじゃないか?」
「それだけ……?」
「言えるか?」
「………?」
「担任に、親に自分の将来の夢を言えるか? おまえは」
「それは………」
(担任……それに親にも……)
「少なくとも、気まずくはなりますね」
「だろ?」陸はハクの顔を見て言った。「うちは割と、寛容な方の親だけどな。それでもおれは言いたくないな」
「そう、ですよね」
「智也はもっと深刻だと思うぞ」
「え……」
「あいつの親、何回か見たことあるけどな。智也とあんまり仲良くないっていうか……普段からあんまり親と会話してないんだろうなって、何となく見てて思った」
陸は続ける。
「だから尚さら将来の話とか、そういう核心に迫るようなことは、今まで絶対話してこなかっただろうなって」
「………」ハクの顔がますます深刻になる。「……なら今回の面談、智也さん本当にやばいんじゃ……」
「まぁ、割とやばい状況なのかもな。……でも、これは多分家族間の問題だろ? 簡単におれらが口を挟んでいいような話じゃない」
「そんな……」
「大丈夫だろ、そう心配しなくても。あいつのことだから、どうせ今回も何とか乗り越えるだろ?」
ほどなくして、戸が開かれる。
やってきたのはすみれだった。彼女がいつも早めに部室を訪れていることは、皆が知っている。この部室の鍵も大体いつも彼女が借りてくる。その彼女が少し遅めにここに入って来たのは何だか稀有なものである。何か用事でもあったのだろうか。
「ごめん」すみれは言った。「水筒がなくなったから、ちょっと飲み物買ってた」
すみれは周りを見渡した。
「あれ……智也は?」
「あいつは今日来るかわからない。今、親と担任とで三者面談やってる」
「三者面談……?」
当然すみれも、ハクの時と同様に眉を上げる。
「進路のことでな。あいつだけ特別に」
すみれは目線を下に逸らし、やがて考え込むように手を顎にやった。
「……それって、親とかと揉めてるってこと? 進路のことで」
「まぁ、そうだな」
「ふーん。大変なんだね、智也も」
すみれがそう発したそのタイミングだった。突然に「え……」と、ハクはすみれを見てそう声を漏らした。
そんなハクの反応を受けて、すみれは驚いたように目を見張る。
「どうしたの……? ハク」
はっとしたようにハクは目を逸らした。
「……何でもないです」
そのハクの返答には、当然すみれも納得がいかなかったようで、
「ねぇ。どうしたの、ハク。何かあるなら言っていいよ、ほら」
「……すいません」ハクは唐突に立ち上がり、すぐに足を動かし始める。「ちょっと、トイレ行ってきます」
「………」
唐突な彼の行動に、思わずすみれは唖然となる。
すぐに扉の閉じられる音が鳴り響くと同時に、彼はこの場から消えた。
「……ねぇ陸」
「ん?」
「私、何か悪いこと言ったかな? ハクに」
「別に何も言ってないと思うぞ」
「そうだよね」しかし彼女の顔は晴れない。「でもなんで急にあんな態度……」
俯き加減のすみれの様子を、陸はただただ見つめる。
(なんであいつ……智也のことであんなにむきになってるんだ……?)
「普通にトイレに行きたかったんじゃないか?」
そう陸が答えると、
「冗談言わないでよ……。そんなわけないじゃん」
「まぁ……おれもわからないな。あいつのことは」
△△
トイレに行きたい、というのは事実本当のことである。だから嘘をついたわけじゃない。
けれど、あの場から一度去りたかったという理由の方がずっと大きい。
ちょうど、一階のトイレ移動しているその最中、偶然ある男の姿が視界に映った。
見知ったその男が、ゆっくりと階段を一人降りてくる。
「智也さん……」
智也はすぐにハクの視線に気づいた。彼はなぜか、森の中で熊にでも遭遇したかのような――実に不自然に驚いた顔をした。
ハクは階段から降りてこない智也を見て、自分から彼の元へと近づきだす。
智也の瞳がさらに見開く。なぜか、彼の額と首元には汗が見えた。
「智也さん……?」ハクはその異変を確信していた。
智也は明らかに動揺していた。唇が、微かに震えている。
「なんだ?」と、智也。
「……その、大丈夫だったんですか? ……三者面談」
「辞める」
「え……」
一瞬、何かの聞き間違えだと思った。すぐに口を開く。
「……辞めるって言いました? 今」
「ああ。辞めるって言った」
「……えっと、辞めるって何を――」
――ごめんなハク。おれ今日でこの部活辞めることにした。
(…………え)




