五十六話
翌日、ハクは体調を大きく崩した。顔色は依然として悪い。今や三重の大きなクマが瞼の下に出きている体たらくで。
そんな体調のままでは当然、今日の学校には行けるはずもなく――、
行きたい、行かないといけない――そんな使命感に駆られるが、それは物理的にも精神的にも無理な話。当然母には、今日は絶対に学校を休むよう言い渡されたし、何より自分の体が言うことを聞かなかった。
病気とはこんなにもきついものだったかと、久しく病に侵されることがなかった故にそのギャップは相当なものだった。
夜の間は、それはもうひどかった。うるさい雨風に加え、強烈に鳴り響く雷鳴の音は時間が経つに連れてますますひどさが増していくばかりで。
体調もそうである。何重にも重く感じる体。ずんずんと、鼓動よりも速い速度でなる、あの釘打たれるような頭痛は痛くてしょうがなかった。体は熱いし、汗はびしょびしょで気持ちが悪い。最悪の上このほかなかった。
幸い、今は早朝に母が着替えを手伝ってくれたこともあって少しはましである。母が仕事で家を出る際に置いていったおかゆは、いまだ食べる気になれずそのままの状態だ。
そう言えば、昨日の夜何度かメールの通知音が鳴った気がした。あれはおそらくすみれからだろう。何せ――
――雨、大丈夫だった?
そんなメッセージが、昨日帰った直後に送られていた。『大丈夫です』とその時送ったが、今回もまた心配してくれているのだろう。残念ながら、今はまったく大丈夫な状態とは言えない。
返事をしたいのは山々だが、携帯が机の上にあるが故に自分は腰を上げなければならない。今はそれすら億劫で。
体調が安定したときにまた送ろう――ハクはそうこころに留めた。
そのためには一度眠らないといけない。話はそれからだ。
(ある意味、今日でよかったのかもしれない……)
こんな大事な時期に病気になれば、普通は焦りに焦って病気になった自分をひどく嫌悪するはず。それなのに自分は、むしろ安心した。それは昨日の練習で一曲目が完成したから。二曲目はカバーだ。自分が出演しないというのはもちろんだが、カバーはオリジナルよりも多少は楽になるはずから。
にしてもオリジナルは本当に苦労したと、今になって実感に至る。自分が作った曲が故の責任感もあれば、時間内に――それも後一曲やれるだけの余力を残してだから、プレッシャーは相当なものだった。
(よかった……ちゃんと完成できて)
後はカバーだけ。そう思うだけで大分こころが軽くなっていく。
にしても、彼らにとって今日がイレギュラーな日だということは間違いない。
別に自分がいなくてもさほど変わらないと思うが、いつも参加していたメンバーがいない中練習するのは多少違和感があるはずだ。
「…………」
不安からだろうか。
今になって、なぜか昨日の部活でのやり取りが、あたかも走馬灯のように自分の頭に降りかかってきて――
『あれは奇跡みたいなものです。今度も同じようにできたらいいですけどね』
『ここからはまさに時間との勝負ってか?』
『そうですね』
「………!」
〈何をほざいてるんだおれは!
よくない。まったくよくない!!
自分がいなくても変わらないなんて……。
おれはあの人たちにちゃんと必要とされている。
なのに……!
あたかも自分は関係ないみたいに思って。
それのどこか安心なんだ。
あの人たちはきっと困るはず。
二曲目が始まる今日、自分がいないせいで進行に遅れが生まれたら……
ああなんで……。なんでこんなこともわからなかったんだ〉
ハクは布団に包まり込み、しばらくはそのまま絶望に浸っていた。
時間が経っても、この嫌悪感が晴れることはない。
ひたすれに自分を責め、ありもしない妄想を抱いてはまた絶望に耽る。それの繰り返し。
もう嫌だと、自分の存在価値をどん底にまで落とし切ったその瞬間、逆らいようのない膨大な眠気がハクを襲った。考える暇などないまま、彼は一瞬にして深い眠りに沈んでいく。
寝るというのは本当に不思議なものだ。地の底に落ちていたはずの気分は、目を醒ましたころにはすっかり静まり返っていた。壁の時計を見たら、もうすでに夕方になっていた。
すでに返すタイミングを逃し切ったメールの返信を返し、『明日には戻れます!』と強く意気込んだメールを追加で送る。
――昨日の分を取り返すぞ。
そう思い、ハクは翌日学校へ向かった。
「今日は来ないぞ、智也は」
だが部室に来て早々、陸にそう告げられる。
部室にはまだ彼一人しかいない。智也だけでなく、すみれの姿もない。普段は、大体彼女が一番に来ることが多いから少し意外に思う。
「あの……昨日は――」
自分のせいで二曲目の完成が遅れた――なんていうことがあったらどうしようと、ハクは本気で心配していた。しかし――。
「大丈夫だぞ。二曲目はちゃんと昨日で終わったから。あれは歌い慣れた曲だったから思ったよりも早く終わってな」
やはり、オリジナルと違ってカバーは負担が少ないのだろう。しかし、それにしても早いとこころの中で感心する。
「どうして今日来られないんですか? 智也さん……」
「あいつは今日、三者面談なんだと」
「三者面談……?」ハクは驚いたように目を見開いた。「こんな時期に三者面談があるんですか? 三年生って」
その問いに陸はすぐに口を開いて、
「ああ違う違う」陸はすぐさまそれを否定した。「あいつだけだ、こんな時期に三者面談してるのは」
「どうして……」
まるで意味がわからないと、ハクは眉をひそめる。
「あー……うんとな。あいつは……智也は、今までずっと担任と意見違いで揉め合ってたんだ。……まぁ、おれは智也とは別のクラスだから、あんまり詳しいことはわかんないんだけどな」
「意見の違いって……どんな――」
尋ねようとした矢先、思わず口が止まる。ハクは悟るように口を開いた。




